目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

現代文明を取り締まる必要性あり


結婚したくないのか、できないのか~揺れるキャリア女子
http://news.yahoo.co.jp/feature/186


然し結婚もしないで一体どうするんだ、君等は。

下らない現代社会の思想に踊らされ一生を無駄にして其れでどうするんだ。

女性は女性としての分を弁え毎日せっせと子作り、家事、育児、男性の世話、などに是非勤しむべきである。


本質的には女性の生は悪であることを知り、そして其の悪をつまり無明をまたは罪を払拭または贖うべく日々を謙虚に過ごしていかねばならない。

其の部分をこそしかと宗教から学ぶのだ。

近代思想は滅びへと連なる悪の思想であるからして、其れを奉じて生きて居るとやがては餓鬼道乃至は地獄へも堕ちよう。


そんなに頑張って会社で働きどんなに大きな利益を得たにせよ其の利益は虚の利益、まさに滅びへの加担の分の利益である。

地球及び人類の破滅への加担の分の利益である。


そういう悪の会社は毎年一千億円位のお詫び金の拠出がそのうちに義務つけられても来よう。

だからどんなに儲けても地球と人間を破壊して仕舞っては何にもならないんだよ。


そんな幼稚園の園児でも分かりそうな当たり前のことが大学まで出た立派な君等には分からないのかね。


だから今すぐに会社を辞め此のグローバル資本主義の渦巻く極悪の世界からスッカリ足を洗うんだ。

其の馬鹿思想による洗脳を自ら解き、なるべく自然に囲まれた地方でもって堅実に愛に満ちた家庭を築くのだ。


さすれば日本人の女の多くは今の働く奴隷としての現状から救われよう。





注意!モンスター化する「自分大好き」な人たち 
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160428-OYT8T50030.html?page_no=1


平等とは何か?

平等とは嘘である。


表面上は嘘であるということだ。


然し本質的には人間は平等である。


平等に苦が与えられて居るということである。



幾ら儲けても、幾ら有名でも、また幾ら幸福であっても、此の本質苦からは逃れられない点こそが平等なのである。



即ち生、老、病、死という人間の抱えし本質に於いて全的に平等なのである。




0.本質的に人間は平等である

仏教とキリスト教では其の平等の意味合いが異なろうがとりあえず宗教の次元に於いては人間は平等である。



1.他人は幸福ではない


そういう地点から他人を眺めるに、其のほとんどが幸福ではないことに気付くのである。


金がある→地球と人類の精神への負荷をかけて居る可能性が高い→ゆえに幸福ではあり得ない


學者並に頭が良い→頭が良い故に考え過ぎむしろ苦しむ可能性が高い→ゆえに幸福ではあり得ない


いかにも仕合せそうな家庭を築いて居る→家庭はいつか壊れるものであるのだし、此の世に得られることだろうあらゆる幸福そうな出来事が実は不幸の淵源である可能性が高い→ゆえに幸福ではあり得ない


一宗教者として立派な生を営んで居る→今は清廉潔白な宗教家だっていつ逮捕されるものか分からない。第一神父や僧侶も屡逮捕される世の中である。 教師なども相変わらず下の方の罪で逮捕されることがあり、最近は医師なども立て続けに逮捕者を出して仕舞って居る。


こんな風に根本での思想の狂った世の中、いざ歯車の狂った世の中では何が起こるか分からない。


ゆえに他人は基本的に幸福ではない。




2.自分への愛は必要である


世の中を貶し批判するということは建設であり建設する為には自己愛が最低限必要である。


ただし其れは自己中心的で利己的な段階の愛には非ず。


地球を、そして社会を心配して自己愛を発露せしめる段階での次元の高い表現愛のことである。


わたくしは今や金も要らず物も要らず愛も要らず長い寿命も要らない。


が、あと三年ばかりを生きて居る為には最低限此の次元での愛が必要である。


謂わば世直しの為の愛が、乃至は道理の分からない者を諭していく為の時間への愛が。





3.ルサンチマンを振りまけ


我が振り撒いて居るルサンチマンとは低級な自己中心的で利己的な段階のルサンチマンには非ず。


何故ならわたくしは現代という時空の業と罪につきいつも考えて居るのであって、其処で自分を救おうとして生きて居るのではないのである。


其の社会乃至は文明に対するルサンチマンを振り撒いて居るのであり、同時に其れは現代という時空にとってどうしても必要なことであるからそうして居るだけのことなのだ。


わたくしが演じて居る自称の詩人という役割は他人にはなかなか出来ない批判を為すという意味で現代社会にとっては是非必要なものなのである。


従ってわたくしの批判乃至は観念は必然的にある種の毒を含むものとはなろうが其れは破壊の為の批判なのではなく真の建設へ至る為の批判であり毒なのである。






4.特権意識は正しく持つ


てな訳で相変わらずわたくしは自己を正当化し特権意識ー精神の上でのーを振りかざすのであるが、其れも昨今巷に溢れる低級な特権意識とは質的に異 なるものであることをこの際ハッキリと述べておきたい。

尚、最近特に実に偉そうな態度でもってして生きて居る女性が多いようにわたくしには思えてならない。


少しでも弱みを見せると其処をばかり鋭く突いて来るような、所謂女性らしい優しさの美徳が些かも感じられない、まさに女の皮を被った偽の男共が其処かしこに生息して居るように見受けられるのだ。



全くわたくしにとっては女という女が敵になって仕舞ったのか、兎に角どこもかしこも其の低級な特権意識でもってして男性を見下しつつ生きて居ような女の態度乃至は精神の内容がすぐに感じ取れて仕舞うのである。



だがハッキリ言っておこう。

特に女性に於いては、謙虚であり控えめであることこそが真に美しく見えることなのである。


其の様に上品な女性というものは、また貞淑な女性というものは、其の頭の中身、精神の中身こそが美しいのである。


だから其の低級な頭の中身のドロドロを、これみよがしに幾ら高級そうに振りかざしても、或は外見的にブランド品で飾り立てても、または幾ら数千万を恰好良いホス トに貢いだとしても、そんなものは貴女様の何の役にも立たぬことはあたりまえのことじゃ。


だから人間というのは結局中身なんだ、中身。


精神こそが大事だ、其の精神のあり方こそが。




尚、かねてよりわたくしは戦後民主主義による歪んだ形での精神への解釈に対し異論を唱えて来て居るのである。


戦後の日本の思想に於いては戦前の日本の精神乃至は精神論が全てダメだというように否定されて来た経緯があろうが、例えば貞淑な女性、低級なルサンチマンを抑える術を知る上品な女性、世の中を確り批判して居たところの戦前の作家、また栄養が足りず時には欠食して居たが元気一杯で素直に生きて居たことだろう戦前の欠食児童などはたとへば昨今の女子高生の性に於ける乱れ振りなどは想像することだにかなわぬことだったろう。


其の精神の乱れ、汚れ、低級さ、低次元性、そうしたものをひっくるめると其れが其れこそが精神の破壊という言葉にも繋がるのである。




さらに戦後の精神の乱れはもうひとつの大きな問題を孕んでもいよう。


其れが「人類の常識は地球の非常識」といった部分である。

無論のこと本来ならば「人類の常識は地球の常識」でなければならず、しかも其の地球の常識にこそ傅き人類は生きて居なければならない筈だ。


しかしながら現状に於いては文明が地球に対しての非礼、無礼をまさにやりたい放題である。


即ち環境を根こそぎ破壊して回るわ、しこたま核爆弾や毒ガス兵器は造るわ、しかも中学生からフリーセックスにして仕舞うわで、まさにおぞましき淫靡なる文明の放蕩の限りを尽くし、しかも自らの寿命の拡大ばかりを乞い願い自省の心、自制の心といふものをまるで持って居ない。


そのやうな異常な世界に住して居れば、そりゃ間違いなく精神が腐ってしまうのじゃ。




我々が今居る状況の真実とはまさにそうしたことなのであり、其の事実としての低級な現在をまず認めた上で我々低級な人類は今後を歩んでいかなければならない。


心ある人々は無論其の位のことは重々承知で、其れであれこれと文明のあり方を正そうと奔走なさっても居るのであるが、いかんせん其処で最も大事な精神のあり方への反省と自制の観点が欠けて居るがゆえなかなか文明のたたずまいを正すには至らず、のみならず年々、日を追うごとに地球がおかしくな り教師が逮捕され最近は医師までも続けて逮捕されるというまさにまさにおぞましき末期の精神をただ流されるが侭に生きてゆくばかりである。




とりあえずは少なくとも警察の御厄介にならぬ様真面目に行動することだけが大事である。


仕事にかまけてそうした点をおろそかにして生きることこそが犯罪である。


仕事して儲けて社会の役に立って居ればそれで良いと考えるのは誤りで、むしろ仕事を辞めて嫁に行き清く正しき家庭を生み出すことが上の部類の女性の振る舞いなのであり、父ちゃんは父ちゃんで仕事を辞めて何もしなくなるか何かを防衛して居ても宜しい。


尚、仕事して儲けて社会の役に立って居るということは地球の破壊や精神の破壊に繋がって居ることが実はほとんどである。


即ち文明の常識こそは地球にとっての非常識なのである。




もっとも詩人は地球と精神をまず何より防衛する必要があり、其れ等を何から護るのかと言えば無論のこと其れは近代馬鹿思想及び昨今の女の浅知恵とカン違いから世界をそして日本を衛るのである。




「赤信号、みんなで渡れば恐くない」

「青信号、みんなで渡ればより安心」


然し実は赤信号も青信号も共に危ない道往きのことなのである。


其の様に文明単位での人間の営為はすべからく危険と隣り合わせの行為である。

即ち集まれば集まる程に人間は地球をそして宇宙を破壊し尽くす。



此の救い難い我々を自己裁定していく為には強い自制心と内省の性質が必要だ。


そして其れをこそ人類の頭に埋め込む、即ち教育していく必要がある。


従って作家と詩人か或は宗教家を教師として今後多く配置していくべきであろう。


或は警察官、自衛官を是非教師として配置する。


この際かの日教組には暫しの間黙って貰って、是非犯罪を行わないような人間、分を弁え清く正しく生きられるやうな人間をば育成する。






するとまず教師が行う淫行の数々が減ることだろう。


其れからわたくしのやうな極左の人間も減る。


否、わたくしはもはや極左の人間ではない。

まさに古き良き日本の伝統を護る保守の人間である。



ただし先にも述べた如くに、権威主義国家主義に与することは出来ない。


謂わば共同体単位まででの保守主義者なのである。


其れ以上では矢張り相変わらず極左である。




其れから心理学者や精神科医などは全的に信頼しない方が宜しい。


彼等は分かったようなことを言って居るのだが、中には文明の為の御用学者もまた居て、其れ自体が権威主義化した絶対性を獲得して仕舞うことが往々としてあるものだ。


我なんぞは昔とある心理学者と論争したことさえある。


即ち現代社会の精神のあり方につき論争したことがあった。


心理学や精神医学というものは畢竟其れも近代の思想の範疇を出ないものなのだ。


つまり心理学や精神医学自体が間違って居るか何か見当違いのことを述べて居る可能性もあるということである。


だから近代思想から偉そうに世の真理を説く奴はあくまで現代という時代に置ける自己を正当化しようとして即ち主流の思想としての優越感に浸ろうとしてそうして居るに過ぎないのだ。



其れで患者をコケにしお前が悪いという態度で接して来ようがそんなことは勿論決め切れぬわ、其処ではむしろ社会の方が悪い可能性の方が大きくある。


何故ならかのゴッホの頭の中が悪い、ニーチェの頭の中が全部悪いかと言えば、うんにゃ、彼等は全然悪くないし全く普通の精神の持ち主であった。


其処はむしろ彼等をキ○ガイ扱いした社会の方こそが狂っていよう。






同様にフリーセックスが良いと考えて居る近代思想の方こそが犯罪者である。

また際限なく地球を破壊し続けることだろう近代思想の方こそが犯罪者である。



人類は地球を捨てて是非宇宙人になりませうなどと考えて居る近代思想の方こそが犯罪者である。

経済成長でもってなるべく多くの金を稼ぎ其の金でもって酒池肉林の放蕩生活を夢見て居ることだろう現代社会の方こそが犯罪者である。


かように現代社会とは極悪犯罪者の集まりであり、現代人とは其の究極の悪の履行に対し知らず知らずのうちに加担させられて居ることだろうタダの哀れな奴隷である。


だから其の事実をこそ是非取り締まる必要があるとわたくしは感ずるのである。


つまるところ、現代文明には何らかの形での取り締まりがどうしても必要なのである。