どだい人間とは欲望の動物である。
其れも自然の中の所謂動物とは次元の異なるであろう貪欲の持ち主である。
そして、人類は必ずや其の欲望の暴走の果てに滅びることだろう。
まあそんなことは当たり前のことなのではある。
あえて真実を語ればそういうこととならざるを得ない。
然し人間の生とは元々そうしたものなのでもある。
人間の歴史とは自然からの収奪の歴史であり、また人間の繁殖とは人間の子宮力の展開なのであり其れはごく当たり前の、一生物の本能としての履行の過程であるに過ぎぬことだろう。
人間の生とはそうした本能領域により規定されたものでもあり得るが同時に其れは理性という新たな次元を生きるものでもある。
従って人間の生に於ける問題とはあくまで其の理性による生の履行の部分にこそ存していよう。
一生物の本能としての履行の過程そのものには何ら問題が無いのだとも言えよう。
然し、人間の得し理性とは謂わば名ばかりの理性なのであり近代は其の嘘の理性、虚としての理性の拡張のみを推し進めて来て居たのである。
しかも此の不完全な理性による合理的領域の拡大は人間からあらゆる余裕、安定を奪い未来永劫続いていくことだろう。
不老不死がついに実現!?酵素テロメラーゼを活性化する物質を発見(米製薬会社)
1969年少年サンデー恐怖の未来社会「人間はもう必要ない!!コンピューターの人類全滅作戦」
事実人間はどこまでも其の寿命をのばしていくのである。
だが、人間とは果たしてそんなに馬鹿なものだったのだろうか?
生の本質が矛盾であることを知って居たことだろうかっての人類は果たしてこんなに滅多矢鱈に長生きすることばかりを望んで居たのであろうか。
つまるところはこんな不完全な世界で長生きしたにせよどうにもならない、意味がない、むしろ生きて居れば居る程に矛盾的心性の中に埋没していくのである。
この人間というものばかりは。
長生きすればする程、そして其の生を欲する欲望のままに生きていくこと自体が真理方向の何かとは逆方向での流れなのである。
だから此処をこそ良く考えてみよう。
釈迦は此の世から本質的に去るということ、即ち解脱することこそが人間の究極の目標であると説いたのである。
またキリストは人類の罪を贖う為に磔にされ天に召されて仕舞った。
此のお二方とも、長生きするのが人間の幸福であるなどとは決して語ってなどいやしない。
長生きしたいという欲望は、其れは人間にだけ発現する倒錯の欲望である。
或は洗脳の欲望である。
近代という馬鹿思想が長生きは良いことだと考えた為あえて其れを追求しなければならなくなったことであるに過ぎぬ。
尚、わたくしが長生きしたいなどと時折言って居るのは其の馬鹿思想からそう結論づけて来て居るのではない。
わたくしは元々生まれが高貴なので体が弱い。
だからもう少しだけ時間が欲しいゆえそう望んで居るだけのことだ。
と言っても六十まで生きられれば其れで御の字だ。
あと三年しかないが、其れだけあれば何とかなろう、だから其れで充分なのだ。
てな訳で人間は長生きなどしても何ひとつ良いことなどは無い。
結果的に長生きしたのであれば、勿論其れはどうもお目出度う御座います、本当に良かったですねえ、どうかどうか皆様も長生きして下さいませ。
ということとなろうが、何も人為的に寿命を引き延ばして其れで良かった、目出度い、などということは一切言えぬのだ。
問題は、其の近代の欲望のありかが智慧無き欲望の所産であることなのである。
たとえばただ闇雲に長生きしたいという欲望こそが其の智慧無き無間の欲望の所産である。
其れぞまさに欲望の無間地獄じゃということだ。
だから欲に品が無い。
たとえば今わたくしは早逝した画家ー多くは天才と呼ばれし画家だったーのことが書かれた本を読んで居るところである。
かっての画家や詩人は何故あんなに早く世を去っていたのだろうか。
其のことが長年心の片隅に引っ掛かって居たので其れにつき調べて居るのである。
其処からも生は長引けば其れで幸せだということではない。
なのに何で近代は長生きばかりをしたがるのだろうか。
わたくしはどうも此の辺りに近代の欲する下品な欲望の正体が仄見えるように思うのである。
兎に角なるべく長く生き、かつなるべく豊かに暮らし、要するに自分の思うところのものを、其の幻想を、最大限に突き詰めて実現していきたいのである。
ところが其れはあくまで幻想なので、元より長きに亘り其の欲望の成就が成り立つ訳ではない。
事実21世紀に入り欲望は暴発寸前で何もかもが滅茶苦茶になりつつあるのではないか。
いや、何も例のトランプ氏ばかりが滅茶苦茶なのではなく、日本の政党政治も全部が滅茶苦茶、おまけにグローバル金融資本主義と科学技術の生み出す現在と未来とが全部滅茶苦茶である。
だから其れは何故かということをまず考えてみよう。
何故なら誰もがただ長生きしたいとそう考えて居るからなのだ。
長生きして、なるべく沢山金を稼いで、なるべく多く女に触れて、なるべく楽しいことばかりをして生きたいと願って居る。
だから其れが下品な欲望の流れだとわたくしは述べて居るのである。
だからわたくしなどはあと三年だけ生きられればもう其れで何も思い残すことはない。
元々生まれが高貴なのでまた其の高貴な生まれの元のところに戻っていくばかりなのだ。
だから欲望の追求の果ての寿命の加算、延命の必要などは無意味だとそう言って居るのである。
何故なら存在とは限定であり、生命現象もまた限定である。
時間とは限定であり、宇宙とはそして地球とは限定である。
観念とは限定であり、顕現する理性もまた限定である。
ゆえに寿命とは限定であり、寿命を成り立たせるだろうあらゆる力も限定である。
近代とは此の限定の内外に対し造反を企てる試みであった。
近代とは限定である世界、生そのものを否定する試みでもあった。
其処で無限に欲することだろう欲望の其の流れこそが近代という魔の時代の正体である。
世界は危機に瀕している・・・。天才物理学者・ホーキング博士が語る「私たちの未来とは?」
http://getnews.jp/archives/927625
地球を死の星にしてはならない / ホーキング博士「銀河系の知的文明は100年と持たずに絶滅してる」
http://rocketnews24.com/2011/04/07/%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%82%92%E6%AD%BB%E3%81%AE%E6%98%9F%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%8D%9A%E5%A3%AB/
ホーキング博士が警告 滅亡をもたらす「人間の欠点」とは
http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/25/stephen-hawking-aggression_n_6757220.html
車 いすの天才宇宙物理学者ホーキング博士がエイリアンが襲来し人類を滅ぼすと警告
ちなみに以前勤め先で多くの自然科学者を間接的に見て来たわたくしは、彼等の多くが単なるオプティミストではないこと位充分承知して居るつもりなのである。
ですが、其れでも矢張り自然科学や科学技術に対する盲信の類は現代という時代を通して広く浸透して居ると言わざるを得ない。
大元のところでは、自然科学や科学技術、即ち理性の力により人類は幸福になり得るとそう彼等は確信して居るのである。
然し現在のわたくしは此の考えに対し懐疑的な眼差しを向けざるを得ない。
むしろ逆に自然科学や科学技術こそが人類の未来を奪うのではないかとそう考えるに至ったのである。
何故なら科学的理性には何より内省力が備わって居ないからなのだ。
先の話で言えば、寿命の拡大即ち長生きの願望に歯止めが効かないということなのである。
そればかりかあらゆる欲望に対しての歯止めが効かないということなのである。
すると、其れはあくまで下品な欲望の追求の道具と化して仕舞うのである。
即ちより長生きし、より豊かになりより楽に生き、そしてより自己の欲望に忠実になる。
其れが科学的理性の目標ということとなる。
然し、其れならば何故釈迦やキリストはあんなに苦しんで智慧を磨く必要があったのだろうか。
其の苦しむ、ということこそが知恵を得ること、智慧を磨くということなのではなかろうか。
だから智慧とは内省であり、反省であり、自己の欲望の実現の為の道具ー力ーなのではなくむしろ歯止めのことなのである。
確かに知は力である。
知が力として自然を改編し近代を成し遂げたのである。
だが其の為に人類が失いし精神の領域は大きい。
其の代償としての失楽の範囲は大きい。
必要以上に長い寿命を望むことが、必要以上に安楽な生活を追い求めて生きることが、また必要以上に快楽の成就を刹那のうちに求めることが、皆其の代償としての精神のあり方を形作る。
しかも其の精神のあり方を、近代こそが普遍化していって仕舞った。
我々はもはや長生き出来ることに対し何の疑問も抱いて居ない。
長生きすることが何で悪いのだとそう思い込んで居る我々の常識こそが近代の思想による洗脳の結果なのである。
同様に安楽な生活を追い求めて生きることが何で悪いのだとそう思い込んで居る我々の常識こそが近代の思想による洗脳の結果なのである。
必要以上に快楽の成就を刹那のうちに求めることが何で悪いのだとそう思い込んで居る我々の常識こそが近代の思想による洗脳の結果なのである。
即ち現代人はもはやすでに精神が破壊されて来て居るのである。