目覚めよ!

文明批判と心の探求と

合理化により壊された五十代


合理化による自己矛盾過程=近代である。

近代に於ける合理化には何より時間軸が欠けて居る。

現在と云う欲望=煩悩にだけ振り回されて来た近代人には過去と未来がまるで見えて居ない。


言うまでもなく過去と未来が見えてこそ人間なのだ。

だから近代以前の人間こそが人間である。

我我はすでに人間ではなく人間に似た何か別のものである。


人間では無いのでつひ抑制が効かず犯罪ばかりに手を染めて仕舞う。

犯罪とはストレートな欲望の消費のことを言う。


日々膨大な欲望の浪費を行う我我はもはや人間ではない。



どだい合目的的な合理化は人間の感覚を麻痺させる。

経済で合理化し大金が儲かれば人間の感覚は麻痺し欲望の浪費に走り易い。

宇宙へ行ける程に技術が合理化されれば、宇宙など怖くはないとつひ不遜にもなる。

便利で快適な生活を合理的に追い求める余りに科学はつひ地球環境をぶち壊して来て仕舞った。


実際合理化は限度を設けないとどこまでも膨張していくものだ。

ところが近代とは其の限度の枠そのものを撤廃=合理化する行為であった。



ゆえに人間は自らを合理化することにより滅びる。

おそらくは2050年辺りが其の滅びの時期となることだろう。

どうも意外と早い滅びなのだが、このままではどうもそういうことになって仕舞うものらしい。


すでに人間は人間ではないものになって居る虞が多分にある。

其れが欲望に対し合目的的になり過ぎて居る点である。



人間は長生きしなくてはならない。

人間は幸福でなければならない。

人間は馬鹿ではいけない。


などと云ふやうにこうでなければならないと大きな処で幻想を抱き過ぎて居る。

然し本来なら、


短命でも優れた藝術家はこれまでに多く居たのであるし、

そうした藝術家は大抵不幸であったのだし、

其の中にはどう見ても馬鹿みたいな人も結構居たのだ。



其の馬鹿云々と云うのはいつも私がばかばかと言って居るのとはバカの質が違う。


近代文明のバカは合目的的に過ぎる点即ち合理性が横に寝て仕舞い現在化して居ること自体が馬鹿なのである。



そういうのではなく、藝術は同じバカでもくどい程に合目的的ではないゆえ合理主義からするともうまるで何やってるのだから分からないのだ。

けれど合理化で儲けた科学者やアスリートや政治家や国家はへーへーと這いつくばってかの藝術作品を大金により手に入れようとする。

が、藝術は金では買えない。

愛は金では買えない。

が、女の愛に限っては多分金でも買えよう。


神への愛は金では買えない。

神仏への帰依はむしろ金など無い方がし易いのだし。



人間は宇宙へ行かなければならぬ。

ロボットやアンドロイドは創らなければならぬ。

人間は金持ちであるべき。


といふ考えは全て誤りである。

ましてや人間は長生きする必要などなく幸福であらねばならぬ必要も無く莫迦や不具である自由さえもが保障されて居る。

であるから何故そのやうに限定の解除を、其の生の限りなき延長を行う必然があるのだろう。

まさに其れが合理化の結末だと言わんばかりに。



然し、少し考えてみればすぐに分かる。

人によってはむしろ早う死んだ方が良いと云う事さえある。

人によってはむしろバカで良かったと云う事さえもがある。

人によっては文明なんぞバカだから嫌ひだ、もう人間なんぞバカだから嫌ひだ。だから今すぐにでも人間を辞めたい。


と云うことがあり、しかしながらこのことは非合理領域での合理化を推し進めて居り謂わば近代全体主義に対する合理化の一端である。


つまるところ、合理化には凸凹の合理度が是非必要なのであり其れは常識的な意味での合理的選択ではないけれども合目的的な選択であると云った意味で非合理的合理領域なのである。



尚、人体とは此の非合理的合理領域に属するものなのではなかろうか。

なんとなれば人体は必ずしも全てが長生きしたい訳では無い。

体のシステム上色々と間違いが起こるので早死にする人は早死にするのだし子供が出来ない人は出来ない。

馬鹿な人は生涯馬鹿であるのだし、利口だと言って居る割にはバカなわたくしのやうなタイプもまた生きて御座る。



だから合理化することが常に正しい訳ではない。

合理化して大いに誤って居たことの好例が環境破壊と核爆弾の開発である。

なので合理化には時間軸や思想の多義的な展開による軸即ち思考軸が是非とも必要なのだ。


そんなことは幼稚園児でも頭の良い子ならすぐに分かることだと云うのに近代社会はこんなに頭の良さそうな學者やら何やらが集まって居て何で分からないのだ、このアホ、カス、マヌケ共めが。



合理化と云うのは、実は最終兵器なのである。

人類を滅亡させるに足る最終的な兵器こそが其の合理主義なのだ。


ところが、近代以降人間は合理主義こそが人間を幸福に導くものとして信じてやまぬところがあった。

だから近代科学は当然のやうに推し進められ今のやうな世の中が形作られて来た。


ところが、科学は矛盾する。

まさに科学こそが矛盾するのである。


医学や薬でもって寿命を延ばそう→年寄りをクスリ漬けにしおまけにこれでもかとばかりに延命措置を行いもう死んで居ると云うのにまだ生かして居る=反自然の行い

子供を大事に育てよう→子供が川や池へ近寄ってはいけなくなり、刃物ひとつも扱えずおまけにスマフォ漬けにされエロ動画漬けにされでもはや人間では無い子供ばかりが増える=子供を殺す

女は偉い→股の方の締まりが緩くしかも家事が嫌ひで利己主義の女ばかりが増え倫理観のある健全な社会を崩壊させる=ふしだら千万

科学は偉い→科学者の浪漫の追求により地球がボロボロになりつつあり、しかも其の瀕死の地球から逃げる算段を企てて居るのが其の偉い科学者共である=科学の浪漫バカ



科学つまり合理主義こそが人類を破滅させるに至る極悪犯罪兵器であり大大大大大矛盾である。

合理化が人間にまで及ぶと、まずやまとなでしこの股の締まりが妙に緩くなり、子供の頭の中身がどう見てもおかしくなり、そして労働者即ち父ちゃんは妙に情けなくなりやがて犬畜生にも匹敵する差別的な扱いを受けるやうになる。

そして人工知能と云うものが出来人間を合理的に管理し最終的に合目的的な合理的判断により人類は抹殺される。

其の折に、人工知能は世界中にヤバい病原菌だの集団自決する宗教だのをばらまく。

無論決して核戦争などは起こさせない。

其れでは自分が壊れて仕舞うのでマズいからである。


或いは世界中の股の締まりの緩い女共に変な菌をばらまき女といふ女を根絶やしにして仕舞う。

いや、もっと簡単なのは父ちゃんを根絶やしにして仕舞うことだった!


父ちゃんが皆アンドロイド妻の虜となり不細工な女房のことを忘れ寝ても覚めてもアンドロイド妻、其の美貌と股の締まりの良さの虜となり他のことはもう全て忘れて仕舞う。

其の頃には仕事自体がもう無いので会社へ行く必要は無く御飯はかのアマゾンが朝、昼、晩とドローンで宅配して呉れやう。

無論のこと其の飯にはカレーライスさえもが選べる!



と言いますかもっと危惧されることがあり其れはズバリ子供の破壊である。

さて子供、子供ってもっと普通に道とかで遊んで居ないとまずいのではないか。

然し其れに気付いたのがもう二十年も前のことである。


或る日ふと気付くと、道端で遊んで居る子供がもう居なくなって居た。

すると、道端で遊んで居ない子供がすでに成人して居る訳である。


いや、子供ばかりではない。

合理化による矛盾は、すでに大人にまで感染して居る。

精神の矛盾、精神の崩落がすでに可視化されて来つつある。

特に五十代より下の世代、コレが危ない。


と言って居る我我五十代が実は一番危ない。

昭和三十年代生まれ以降の人間は合理主義に毒されて頭の中の一部か全部がすでに狂わされて来て居る可能性が高い。

勿論わたくしなどは大いに狂わされて来ていよう。


でもわたくしは自分で自分の頭がかなりにおかしいと思って居るから実は少しもおかしくはない。

僕はノーマルだ、とそう信じて居るからこそ。

尤もそんな奴に限って危ないと云う事もあるのだが。


いずれにせよ其のおかしいと云うことは実はおかしくはなくつまりちゃんと理由があり其れが合理主義による合目的的な行動即ち利己主義の蔓延に起因することなのだ。

従って合理主義は一歩間違うと人間そのものを破壊する最終兵器である。


だから理性、こんなものを信じて仕舞うこと自体がほんたうは反理性的な行ひなのであり謗法であり背徳の行ひそのものである。

理性は矛盾化し、即ち原始退行し人間の頭の中身を破壊する。

其れも智慧無き理性がそうなるのだ。

合目的的な理性のみにかまけて居ると必然として人間の精神は破壊される。



ではどうすべきなのだろうか。


だからまず子供をエロ動画漬けから救い出すべきである。

そして女共の股の締まりを確りとさせること。

次にお父さんを敬うこと。

また科学的な成果は須らくコケにしておく方が良い。



さらにアンドロイド妻乃至は其れに準ずる人形女に惚れてはならない。

マッドサイエンティストの浪漫にはもう付き合えないからお前等などもう要らないとハッキリと叫んでやれ!



以上のやうに爺さん、婆さんの方々は現状をよくよく認識した上で危機感を抱かねばならない。

ですので子供にお年玉など金輪際与えるべきではない。

そんなことをしたら大事な孫が合理主義の餌食となり人間ではないものに変えられて仕舞う!


そうではなく子供に必要なのはまずわたくしのやうに物わかりの良い教師であり、そして何よりも広い野っぱらと川であり池である。

合目的的な合理化など何も為されて居ないキャンプファイアーと山の歌である。

ーちなみにわたくしは小学生の頃カブスカウトで組長をして居りました。世界ジャンボリーにも行きもう兎に角山やら川やら野っぱらやらを走り回って育ちました。だからとりあえずはまだ健康で居られるのかなと思いますのです。ただわたくしの凄いところは、そればかりか英会話だの絵画だの書道教室だのを全部掛け持ちでこなして居たことです。ですのでこんなにお利口な、いや、頭がおかしく色んなことを言い過ぎる人間になって仕舞ったのです。-



合理性は人間に幸福を齎すのであろうか?

其れは合理化の仕方にもよるのではなかろうか。


合理化には要らないものとそうでないものの区別があるように思えて来てならない。

或いは大の合理化と小の合理化のいずれに於いてもそうなのかもしれない。


個人的にどう考えてもスマフォは要らないものであり其れが犯罪機械そのものだと思います。

さらに言えば人間も犯罪生命なのかもしれませんのですが、同じ犯罪を犯すのであれば矢張り倫理観と云うものを大事にして常に精神の方を引き締めておくべきでしょう。

精神の引き締めは即股の方の引き締めのことでもあり、かつ子供の健全な精神の発育を促す愛のムチであり大地の息吹であり大宇宙の摂理でさえある。



合理主義の一番いけないのは、こうした大事なことをゴソッと置き忘れて極めて合目的的に科学的な成果に寄りかかり其れでもって人間の幸福や利益が達成されると思い込んで居ることである。

確かに其れも信心ですが哀しいかな其れは単なる空想的浪漫への信仰のことです。

浪漫飛行と云うか浪漫的な非行の数々でもってして人間を規定しようとするのですが結局上で述べたが如く矛盾的問題を引き起こしまさに近視眼的に全てが崩壊していくのです。



だからまずこれ以上合理化することを止めましょう。

合理化などもう沢山でありもしも合理化するのであれば人間の精神に影響を与えない範囲で其れを行うべきです。

尚人間の精神と云うものは容易に崩れるものです。


精神とは所詮は虚の堆積物ですのでまさにちょっとしたことで壊れたり崩れ去ったりするものなのです。

一方で堅固に構築すれば、まさに鬼神の如くに敵艦に体当たりする覚悟を其処に引き出すことさえ可能です。

つまり、人間とはあくまで心の生きものなのです。

心を主体として教育または學問を積み重ねていくべきなのであり、近代が望む利益だの、幸福だの、自由だの、平等だのと云った限定の解除の思想は其の心の錬磨の為には役に立たないことばかりです。


事実我我五十代は此の心の錬磨を主体とする教育を受けられず生活をただ無機的、唯物的にこなして来たばかりだ。

だから大人になど成り切れて居らず、そればかりか我慢する力も弱まり寛容な心にも欠ける。


寛容になれないから、屡事件を引き起こす。

然し其れは我我の世代が悪いのではなく妙なところを合理化し我我に押し付けて来た社会そのものが悪いのである。

昭和三十年代以降の合理化社会が我我自身を合理化するに至ったことがまさにこんな悲劇を招いて居るのだ。