さて此の番組をオンデマンドで視聴しましたが、まさにこれぞ地獄の様、おそらくは人間が体験し得ることの中で最も悲惨な状況が描かれて居り其処で色々と考えさせられました。
戦争と云うことは、かようにまず人間をして極限まで追い詰めていきます。
ところがいざこうした状況に至れば、所謂藝術などは無力です。
逆に藝術が戦争の継続に加担していたことさえ事実として記録が残されて居る。
実際に多くの作家が体制の圧力に屈し戦争を賛美する作品を残したりして居ります。
藝術とは内面の記録ですが概ね其の種の圧力には弱いものです。
藝術家の内面は特に繊細に出来て居る為、元々圧力と申しますか外側からの影響には弱いのである。
ただし内面での信念のようなものは確かに堅固ですが、其れでも其れは外面即ち社会とは無関係ではない為社会に屈して仕舞うことも往往にしてあり得る。
ところでわたくしの場合は、戦争の問題とは畢竟近代の問題であるとそう捉えて来て居る。
何故なら人類の歴史から戦争をなくすことなど出来ない相談だからです。
人間の歴史とは戦争の歴史です。
わたくしはかって塾で社会科を教えて居ましたのでまさに其の事をいやと云う程学んで来て居ります。
然し、重要なことは、近代以降は其のなくせない戦争が妙に大規模化して仕舞ったと云うことなのです。
ですので、悪いのは戦争自体ではなくこういう兵器を生み出して仕舞った近代と云う時代に巣食う人類の過大な欲望です。
藝術家はむしろ此処こそを突かないといけないのではないか。
ですのでわたくしは其の近代そのものを、近代と云う悪夢の世紀を根こそぎにつまりは根本から批判して来て居るのです。
尚わたくしは基本姿勢として戦争とは必要悪である、と云う立場を取ります。
何故なら、まさにSEXと同じで、人間の営為から其れを抜き去る訳にはいかないからです。
人間とはそうした悪を生きる為の存在ですので、戦争を此の世から放逐することはおそらくは出来ないことでしょう。
ならばどうしたら良いのかと云うことを其処から考えていくのです。
無論人間が利口になる、真の意味で理性的な存在になることで戦争はより限定的なものに抑えられる筈です。
然しこれはある程度までは現在の世界で実現されて居ることです。
ーただし理性の自己矛盾化により核戦争が引き起こされる可能性も残されては居るがー
わたくしの考えは、ズバリ全てを縮小化することです。
さらに云えば国家を解体し都道府県単位位での地域が世界に乱立することでバカでかい戦争など起きなくなります。
或は便宜的に国家を残した上で小国乱立の世界としていっても良いことだろう。
要するにわたくしの考えは所謂リスクコントロールを確り行うべきであると云う考え方です。
ところが近代に於ける国家の防衛と思想は逆に巨大化であり膨張への道筋を歩んで来ました。
ですので其れが誤りである、正しい方向性ではないとそう説いて居るのです。
そうした方向性を歩む限り、其処で逆にリスクは増大し人が死ぬ数や苦しみも増す一方となる。
わたくしは人間などハナから信じて居ないのでそうした仕組みを整えることで近代化が生む巨大な悲劇をブロックしていくべきだと考えます。
さて、原爆の問題ですが、確かにこれは情緒的に捉えれば何ともやるせない、まさに気が滅入って仕舞う程に悲惨なものを突き付けられる惨状そのものです。
其れこそがまさに地獄である。地獄の様そのものです。
然しわたくしの場合は其処に潜むことだろう根本の問題につき考えていく訳です。
原爆の炎に焼かれて真っ黒焦げになった人間や、川の中を二倍、三倍に膨れ上がり色が赤や青や紫となり流れていく死体の群れや、放射能に汚染された黒い雨を我先にと乾いた口に含む人々。
そうしたかっての現実の背後に巣食って居る人間の欲望をしかと炙り出していくのです。
其の欲望とは、其れ即ち近代の欲望である。
近代の欲望こそが、この地獄絵を描いたのだ。
近代の欲望即ち科学技術への信奉と科学者の良心に欠けた行為が其の二倍、三倍に膨れ上がり赤や青や紫になり流れていく死体の群れを生んだのだ。
ですから、近代は、此の時代は此の社会は其の根本がよろしくありません。
そう近代こそは人類の敵なのです。
近代が自ら反省することなくば、破壊に次ぐ破壊でやがては自滅することだろう。
だからわたくしは現在、むしろ戦時中よりも悪い時代であると受け取って来て居る。
まあそんなことを云うのはわたくし位なものでしょうが、其処でのリスクはむしろ分散しより分かりにくくなりしかも新たな敵が増えて来ても居ります。
其の敵とは実は自然です。
自然は、かの大戦の時には勿論敵ではなかった。
しかれども、今では、逆に自然こそが最大の敵です。
其れも生態系の破壊へのリスクが大きく存して来て居る。
其れから気候です。
これからは其の気候が大事です。
何故なら気候が不安定ですと農作物の収量が減るからです。
慢性的な気候の破壊が進めば、増え続ける世界の人口に食料を供給するだけの収量は望めなくなる。
いざそうなれば餓死者が次第に増えていくこととなる。
此処でも科学は、そんなものは科学技術の力でなんとでもなる、などと述べて居ります。
然し科学技術は電力に依存して居ることもまた確かなことです。
じゃ其の電気はどうやってつくるのでしょうか。
勿論かっては原発を稼働させつくって居りました。
ところが現在は火力発電でもって火を焚いてつくります。
火を焚くと二酸化炭素をはじめ悪いものが色々出ようがそんなことはお構いなしである。
ところが其のお蔭で地球温暖化はむしろ進んで行くことでしょう。
地球温暖化が進めば、其処ではもはや科学も技術もクソもなくなります。
まさにSEXどころじゃないです。
其れ以前に食うものがなくなります。
農作物の収量は激減し金持ちのみが味噌汁と御飯を食うことが出来よう。
庶民は木の皮、蛙、蛇、バッタ、🐜などを食う。
然し残念なことに蛙、蛇、バッタが都会には居ない。
何処をどう探しても居ないのだ。
では🐜または蜘蛛、またはゴキブリを食おう。
キャー、気持ち悪い、あのデカい蜘蛛。
それにガサガサのゴキブリ。
個人的には、まだしもゴキブリの方が良い。
コレをフライにして食べると案外うまいかもしれない。
が、あの足だけは気持ち悪いので矢張り全部取っておかねばなるまい。
そのやうな訳でわたくしの中では現代社会が平和だなんて云う安心感はほとんど消え失せて来て居る。
むしろ原爆に於ける悲惨以上の悲惨が此の世界にいつか繰り広げられる気がどうしてもするのでもうまるで戦時体制と云うか全く気の抜けない未来を思い描いて来て居る。