東大を首席で出た元財務官僚でもって弁護士である山口 真由氏の「リベラルという病」と云う本を書店で買って来て読んでみた。リベラルという病
山口 真由氏は最近TVでもコメンテーターとしてちょくちょくお見受けするがさぞや頭の良い女性なのだろうなと思いつつ此の本を読んでみたところ矢張り非常に勉強をされて居る方なのだろうなとさう思わさせられた。
まあ娘といってもよい位の年齢の方なのですがとりあえず彼女は才女です。
兎に角頭の良さに限ればわたくしなども負けて居ることだらう。
で、此の方は結局學者志望なのだそうです。
述べて居られることを拝見する限りでは確かに将来は間違いなく學者となられることでせう。
そして彼女はハーバードロースクールを卒業されて居て元々米国の事情には詳しい。
そんな彼女がこと細かに米国のリベラル勢力につき保守派との対比を交えつつ鋭く切り込んで述べられて居る。
尚リベラルと云う立場は現代社会に於けるひとつの大きな病です。
リベラルとは近代主義を最大限に持ち上げる立場のことであり場合により右でもあり左でもあるので基本的に何だか良く分からない立場のことです。
が、総じて其れは自由主義的であると云うことになる。
とは云えわたくしは自由そのものを否定する訳ではなく其の思想としての自由のあり方そのものがおかしいとかねてより述べて来て居ります。
第一自由だと仰るが一体人間の何処が自由なんじゃろうか。
肉体もそして精神も元々不自由この上ないものでまさにとんでもない運の悪さや本質的なバカさ加減=暗愚さを抱えたもののことです。
其れが何故自由などであり得ましょうや?
こんなものはもう不自由の極まり、まさに不自由この上ない牢獄の如きものでほとんど全部がマイナスのカタマリのやうなものだ。
実際何処から+など見い出せると云うのでせう。
其のプラスとやらは無理にこじつけて居るのではないか、無理やりに。
さうして無理やり何でもやるから全的な破壊者となるのがオチなのだ。
さてリベラルと云う考えが今破壊を齎して来て居る。
何を破壊するのかと云うに其れは人間の破壊に直結するものだ。
精神の破壊だと言っても良いのかもしれない。
ただしリベラル派こそはインテリ層=お利口層が信仰するところでの至高の価値なのでいざコレを貶されますとインテリはもはや烈火の如くに怒り挙句に急にとんでもないことを言い始めたりするものです。
まあ頭が良いだけに其処は厄介なものです。
ですが、わたくしに限れば理論的にリベラル勢力を葬り去る自信は常にあるのでそんな利口の癇癪なんて全然怖くはありません。
其れでもって彼等をいつもリベラルバカだ、やれ自由主義バカだと呼び揶揄して来て居るのであります。
ですからバカは死んでもバカなので其の通りにバカだと云う他はない。
ですがバカの主張にも一理はあります。
ではありますが、ハッキリ言って其の推進に付き矛盾が生じて仕舞って居る。
先にも述べましたが如きに、自由や平等と云った近代的な基本的人権の枠組み自体が手段ではなく目的化されて仕舞って居る。
さすれば必然として其の思想は宗教化しかつ全体主義化する。
だからリベラル信仰とは今明らかにひとつの宗教に於ける信仰なのです。
ところが其の人権の拡張は元々限定された範囲内での拡張とならざるを得ない。
言うまでもなく其れは地球には限界があるからです、当然の如くに近代主義の高度な適用は70億もの人々には無理なことです。
よって此の限定の解除の思想は逆に人間を追い詰めていく思想ともなりかねない。
そして事実追い詰めて居ることでせう。
近代的な世界の拡張は確実に地球としてのあり方の存続を危うくして来て居やう。
だからもはや其れは無理です。
其の無理なのが何故分かりませんか?
ひとつにはすでに其れが宗教化されて居るからです。
そしてしかも全体主義化されて来て居ります。
と云う事は、其の信仰を貶すことも全体=大方の感情、空気には決して逆らえない。
まあ逆らって居りますがね、わたくしの場合に限り。
ですので、其の推進は決して理性的なものではない。
理性と云うよりもズバリ其れは感情であり信仰の告白なのだ。
であるからこそ危ない。
やがて頭がおかしくなる程に其の信仰がそして全体主義が進んでいく可能性が高い。
山口 真由氏は米国に於けるそんな様を深刻に受け止められつつこと細かく述べられて居ます。
一言で言うと過敏であり過剰であるリベラル的な価値の保護でありかつ推進の様をです。
今や米国社会のみならず我が国に於いてもポリティカル‐コレクトネス=社会から偏見や差別をなくすことこそがまさに理性的な対応でありかつインテリ層の寄って立つ精神的基盤そのもののことです。
ですが、コレ、ハッキリ申しましてまさに「善なる悪魔としての推進」のことです。
一言で云われるところでの自由及び平等、まさに平等の為の平等、自由の為の自由が声高に叫ばれ其の「善なる悪魔」化され世界中にバラ撒かれやうとして居る。
勿論其れが善意であることも明らかなことです。
元より近代が達成したところでの個としての人権思想の確立は必要不可欠なものであり歴史上当然の流れでのことでした。
でも残念ながら其れが矛盾化して仕舞うのです。
自由かつ平等であるところでの大きな人間=巨人族=我我が地球上に蔓延すればする程自然は大きなダメージを受けていかざるを得ない。
ですので結論として言えば近代人は大矛盾を抱えつつ生きざるを得ない存在なのでありおそらくは其の寿命は短いと言わざるを得ません。
まあでもこれまでが結構長かったのでむしろ充分に生きて来たことかと思われる。
然し今後は五十年、或いは長く見積もっても百年、と云ったところではないでせうか。
特に今後は次第次第に人間らしくはない社会へと移行されていくことでせう。
何故なら其のポリティカル‐コレクトネスがアンドロイドやロボットに適用される可能性もまた高くあります。
将来アンドロイドが独身男性や独身女性の伴侶として活躍する可能性もあります。
尤も其の前に再生医療やバイオテクノロジーの進歩により人造人間だのまたクローン人間だの、或いはより純粋に人為による人間だの、またはキメラ生物みたいなものの誕生、兎に角ありとあらゆる科学的な現実の改変が試みられていくことだらう。
また寿命も現在よりさらに長く操作されるやうになる。
ですが、さうした人為的な加工物としての現実程無味乾燥かつ無意味なことはない。
さういうのがまさにSF文學の世界で、其のSFが現実化され我我の目の前を次第に圧迫して来ると云うことだ。ーちなみにわたくしは若い頃SF文學のマニアだったことがあるー
が、どうもさうしたSF世界の到来よりもっともっと早く人間の精神が壊れるのではないかと近頃わたくしは考えて来て居る。
山口 真由氏はさうした異常とも言える米国でのリベラル信仰の体験から、「もう限界だ、私には耐えられそうにない。」などとも正直に述べられて居る。
わたくしは流石は女性だと素直にさう思うのです。
女性の良いところは、正直に今の気持ちを述べるところです。
尤もいつも正直に今の気持ちを述べるとは申しませんが。
男性は立場上正直には言えないことがあります。
が、何せわたくしは女脳勝ちなので何でも正直に言っちゃいますのですが。
其のリベラル信仰は「非国民」さえ生み出すのだそうです。
嗚呼怖いですね、何だかとても怖い。
今日本国は米国追随の政治思想ですから日本国もやがてグズグズにリベラル信仰化されていきます。
するとわたくしは確実に非国民だ。
いや、だから其れは違うと云うておる。
あくまで此処は文學の場じゃ。
宗教でも思想でもなく文學の場だ。
だからわたくしの云うて居ることも全部が其の文學の中でのお話。
文學は藝術だから其れが真実だとは限らない。
即ちわたくしの本心だとは限らないのだ。
尚リベラル=限定の解除の思想だと結論づけられる。
尤もわたくしもまさに十年位前までは其のリベラル教の信奉者でした。
元々バリバリの左の人間でしたので、左の思想を解さぬ輩は皆バカだと思って居りました。
然し其の後ようやく気付いたのです。
右とか左ではなくして、かの自由主義こそが人類を破滅させ得る破壊思想であることを突き止めたのです。
このやうに極悪思想であり地獄思想でもある破壊者としての思想は、須らく「善なる悪魔」の思想となりて人間を堕落させかつ地獄へと堕とす。
ああー、もう全部が地獄だ。
悪魔が支配する地獄だ。
過去と現在と未来に於いての全部が地獄だ。
大事なことは其処で誰も責任など取りやうがないと云う事なのだ。
そして宗教は其の近代主義の蔓延とは元々無関係だった。
対して大人しい我が国の大乗仏教は戦闘とは無関係にただ現状の維持だけを企ててて居たが思わぬところで尻に火が点きまさに其れが弱点としての性規定の緩いところじゃった。
兎に角邪教、此のリベラル教の信仰度の深さと其処での頭の悪さ=理性的判断の無さだけは大したものだ。
リベラル教とは左翼のみならず保守派をも集団自決させるに足る悪魔教の別名のことじゃ。
おお、今此処に悪魔が来たりて笛を吹きまくって居るぞよ!