さて今リベラルメディアにとり嫌悪すべき対象であるのが右傾化の動きである。
勿論其の流れの先頭を走り続けるのがトランプ政権だ。
尚トランプ政権が単なるポピュリズムから生まれたとする解釈は正しくない。
リベラルメディア若しくは普通のインテリ層の頭の中身は可成にお粗末で近代社会の流れに於いて一体何が本質的破壊を齎すものであるのかと云う事がそもまるで分かって居ない。
其の本質的破壊を齎すものの正体を突き止める為には社会思想の分野に限らず宗教や文學また科学的思考を交えた総合的なー全体論的なー判断が必要とならうが其れが出来る者が其処には居ない。
が、わたくしは其れが出来るので今此処でかうして其の思考の内容を述べて居るのだ。
まず、右傾化の流れで特徴的なのが其の暴力性=男性的破壊力である。
トランプ氏のみならずブラジルでもフィリピンでも凄く暴力的な指導者が存在する。
其の暴力とは然し本質的には限定的なものである。
若し其れが分からなければ近世の頃までの人類史を思い返してみるがいい。
人類史はまさに戦争の歴史そのものであった筈だが其処で世界は根こそぎ破壊されることはなくちゃんと継続して来ておる。
だから戦争は悪ひことじゃない。
限定的であればあるほど戦争は必然としての歴史であり謂わば持って生まれた人間の業としての部分なのだ。
つまりは必要悪であると云う事だ。
結果として戦争を認めなくてはならぬが何故認めなくてはならぬかと云えば其れを否定した途端に人間であることも同時に辞めなければならなくなるからだ。
無論のこと其れがまさに真理なのだ。
釈迦はリベラルメディア若しくは普通のインテリ層よりも遥かに頭が良かった故まさにさう考へて人間であることを全的に放棄することにしたのである。
即ち此の世から人間を消して仕舞おうとなされたのだった。
ところがこれまでに此の世から完全に消滅することが出来たのは釈尊お一人だったと云う実に皮肉な結末となっておる。
対してキリストは神の王国へと人間を移住ー心理的にーされやうとなされた。
だから共に究極の理想主義であり其処では世界の平和も人間の心的成就も当然に成し得るのだ。
より正確には釈迦は人間であることもまた生命であることも辞めたのであるからより厳密に潔癖だった。
つまりはキリスト教の方が少しだけ俗的だ。
此処からも現世では決して悪は消し得ないと云う原理が炙り出されて来やう。
むしろ悪の推進と云うか矛盾的推進力によりかの世界は駆動されつつあり其の根本動力はまさに子宮が担っておる。
つまりアソコがさうしておる。
そもそんなところでリベラルメディア若しくは普通のインテリ層が信奉したがる近代主義思想=限定の解除の思考が其処にそも成立する筈も無い。
で、近代インテリ思考は兎に角限定を解除しやうと躍起になる。
何故さうなるかと云えば理性を信じて居るからである。
ところが其の理性がえらいことになって仕舞って居る事には全く気付いて居ない。
即ち理性が自己矛盾化し腐りかけておる。
其処で原始退行現象が起こりまるで理性では無くタダ本能的にニセの理性を信じ込むに至る。
だから君等が信じて居るのはタダの本能だ、本能。
即ち悪魔だ、悪魔。
何でそんなことが分からないのか。
わたくしにとってはもうまるで幼稚園児並のお話で其れを論ずること自体がまさに時間の無駄だ。
なので近代の指向する限定の解除の思想とはまさに自滅の為の思想そのものだ。
と云う事はだ、たとへば限度を超え適用される人権主義の履行により移民やマイノリティーの人々の実存的価値は其の国の国民の有する実存的価値に等しく考えられて仕舞ふ。
尚此の考えられて仕舞ふ、と云う部分こそがミソだ。
誰がどう考えても自国民である父ちゃんや母ちゃん、其れに子供や親類の為の諸権利であり国家であるべきなのに何でまたそんなヨソの国の人のことまで世話を焼く必要があるのか。
確かに前回わたくしは違ふものを認めよと言った。
だか其れを救へとは言っとらん。
第一そんな余裕が何処にあるんだ、皆食うや食わずでもってして酷い搾取と闘って居るのだらうが。
だから其れを観念でしかも矛盾化した理性でもって考えてはならんと言うておる。
そんなことをするから世界が壊れる即ち限定性が破綻し世界は崩壊する。
だから何でもさうだと言うておる。
全ては限定なのだ。
たとへ悪魔であるにせよ限定されて居れば其れは其れで良いのだ。
無論のことアソコが悪魔であるが其のアソコも確りと貞操観念に規定されて居る限りは悪なる善として規定され危険なものでも何でもなくなる。
お分かりだらうか?
要するに近代思想の齎す非限定性が社会としての人類の首を絞め自滅へと追い込む。
だから逆に限定しないといけなひ。
限定とは何か?
たとへば男性原理の齎す暴力である。
君等はさうして理性でもってして考へ男性原理の齎す暴力こそが危険思想だと思ひ込んで居る事だらう。
だが其の君の考へは誤りだ。
男性原理の齎す暴力の本質は常に限定的である。
逆に子宮思考の齎す非限定的な非暴力の性質こそが全的に破壊的なのだ。
君等に見通せないのがむしろさうした本質としての真の破壊力のことだ。
たとへば子供を甘やかして育てる母親が居るとする。
子が三十になっても四十になっても小遣いを月に二十万あげたりしていたところヤク中やアル中となり何度も逮捕されるのがオチだ。
だから其れは愛ではないのである。
第一愛のムチと云う言葉があらう。
むしろほんたうに子供のことを思ふのであれば谷底に突き落とし其処から這い上がって来る力を学ばせる。
其れを行ふのが父の厳しさだ。
だから父が其れをやらなくちゃいけなひ。
ところが其の父がよりによってメス化した。
元より其れではイカンのだ。
現代文明は全部がさうである。
移民はあくまで自国でもってして自分を何とかすべきだ。
勿論マイノリティーの人々の実存的価値も認めるが其れが自分の家族や親類の実存的価値より低まるだらうことは誰にとっても至極当たり前のことだ。
左様にグローバリズムを主体とする限定の解除の思想こそは真の破滅へと連なる思想である。
其のやうに眼には映らぬ奥の方まで見通し物事の本質を見定めていくべきだ。
よって右傾化により世界が破壊される可能性はむしろ低いと見ておくべきだ。
ただし局地的な戦闘乃至は戦争が勃発する畏れは当然ながらむしろ増して来ても居る。
問題は其のやうな限定的な破壊によるものでなくもっと根本的な破壊であり其れは革新を是とする近代思想そのものにより齎されるものだ。
其の革新力は子宮思考と結託したまさに甘やかしの思想、即ち人間に無制限の権利を与へ何でも認め何処までも貪欲でいやうとする其の絶え間なき進歩と拡張の思想に培われておる。
其のやうな節操なき思想、人間を何処までも過保護にし無制限に野放しにしていく思想こそがまさにまさに神をも畏れぬ破壊思想であり其処に与する限り人間の社会は滅亡することをもはや避けられぬ。
何故そんな当たり前のことが分からぬのか。
リベラルメディア若しくは普通のインテリ層の頭の中身と子宮思考は今ドロドロに溶け合い兎に角其処で何でもかんでも人間が大事だ、子供が生まれたら其れはみんな神様だ、教師はそんな神様を常に崇拝していなくてはならぬ。
間違っても教室や体育館の裏で生徒さん方を罵倒したり女生徒を差別したり移民の方々の権利を侵害することがあってはならぬ。
さうこうするうちに八方塞がりとなり教師の頭の中身が崩壊しつひ淫行へと走りました。
いや教師ばかりではない。
リベラルメディア若しくは普通のインテリ層の頭の中身は左様に原始退行化せざるを得ない状況なのでもはや君等はいつ不倫や淫行へとはけ口を求めて走らぬとも限らぬ。
それみたことか。
ロクなことがないではないか。
だからそんな非限定の思想こそが完全なる誤りなのだ。
よりによってそんな誤りを信じて夢だ希望だと一体何をやって居るのだ。
逆に自分を正当化してさへ居る始末だ。
僕は理性的だから革新的な価値を変わらず信じて生きていく。
あんな獣のやうなトランプだの自称詩人だのとはまるで違ふ。
かく言うおまへの理性など真理に対しては屁の役にも立たぬわ。
屁以下、自由の其の意味さへ完全に取り違えしかの阿部政権並の役立たずだ。
諸々の規制の撤廃、自由で革新的な社会の推進は修復不可能な破壊を世界に齎すことだらう。
故に右傾化の流れ、保護主義の流れはむしろ思想の自浄作用であり地球の自己修復作用としての免疫の流れなのだ。
さうだ、まさに其の免疫そのものなのだ。
近代主義の蔓延により癌化した社会の流れを今暴力的な男性達または極右勢力が治そうとして御座る。
尚其の流れを感情でもって見て居てはならない。
確かに感情でもって見れば子供を甘やかしつつ育てたい。
でも其れではロクな大人になれぬ。
さうではなくむしろ厳しく躾けあへて谷底へ突き落とす位で丁度良い。
子宮思考と結託した近代進歩思想が危険なのは其の本質的破壊を文明に齎す点にこそあらう。
其れでもってして常に人間を偉くして仕舞ふ。
神仏の叡智でさへ弁えることはなく人間を無制限にしたがるのが近代進歩思想の本質的破壊であり本質的な罪障=悪魔の様そのものだ。
逆に限定さへされて居れば保護主義だらうが女性蔑視だらうが暴力的だらうがまだしもずっとまともなのだ。
其の原理の分からぬリベラルメディア若しくは普通のインテリ層の頭の中身はすでに壊れて御座る。