目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

悪魔が来たりて笛を吹きまくるー弐ー


尚確かにリベラル信仰は本質的に不寛容だとも言える。


だが何故不寛容なのだらうか。

元々諸の差別を撤廃し宗教や信条、或いは人格の尊厳を守る為のリベラル思想ではなかったのか。


確かにさうである。

其の理想的な状態ー理性的な分別に基づくーを実現するべく社会制度上の格闘の果てに生み出されたものがまさに其のリベラル思想だった。


ところが、まさに其の理想の為の理想の思想が矛盾化するに及ぶ。

何故なのだろう?

どうも此の世界の成り立ち自体が理性的理想の実現には向いて居ないやうな気がしてならない。



此の世界は謂わば理性の為の場、理性の為の世界ではないのである。

理性に傾き過ぎると即其の理性は遮断される。

他方で野性に傾き過ぎると即畜生道に堕ちる。


そのやうなひどくややこしい世界なので理論ー理窟ーはそのままでは通らないと見ておくべきだ。



かように生とは理性の矛盾過程でありしかも野性の矛盾過程でもまたある。

勿論人間の生だけがそのやうなややこしい状態にあるのだ。



従って生を御していくには直球だけではダメで、所謂変化球、其れも魔球みたいなものがあればむしろ其れだけで通用するものだ。

尚此の法則は人生の至る場面で通用することだらうまさに曲者としての技のことだ。



でも真面目な人は真面目なりに直球だけでも良いんである。

其の直球が打ち返され大目玉を喰らう虞は多分にあるがさうして生に負けるにせよ其れは其れでひとつの峻厳な事実であり純なる魂としての発露だ。



現代社会では例へば差別に対してゼロ・トレランスであることが望ましいと理性はさう判断する。

然しあくまで其れは生に対する直球なのだ。

ところが其の理性ですら弾き返されつまりはホームランされて仕舞う。


其の本塁打こそがかのトランプ政権である。

トランプ大統領は今やノーベル平和賞の候補に名が挙げられる程だ。

尚わたくしはかって彼を支持すると表明した筈だ。

当時誰もそんなことを言う奴は居なかったがあえてわたくしはトランプ氏を支持した。


其の理由の一つが、彼の非理性的側面=野蛮さにあったことは否めない。

ただし彼はあくまで理性としての非理性的側面=野蛮さを持ち合わせて居るのである。

でなければ、まるでタダのケモノでは大統領になど元よりなれない。



それと保護主義的で反グローバリストであるから少なくとも限定主義者である。

其の限定主義者であるところこそがとても気に入って居るところだ。



そして彼はゴルフが上手だ。

まあ何処まで球が飛ぶものかは実物を視てみないと何とも言えないところだがあの体のデカさからして250Y位はまずは飛ばせるところであらう。



其の理性としての野蛮さ=悪なる善であることこそが今現代社会では最も求められて居る部分だ。

逆に理性の為の理性=リベラル信仰=善なる悪に基づく不寛容さと云った部分は現代社会を袋小路に追い込むであらう悪夢の推進でしかない。



で、不寛容であると、逆に女やマイノリティや移民が男性や白人または日本人、其の国の人々と同等の権利を獲得しむしろ偉くなって仕舞ったりもする。

ですのでそんなバカバカしいことはそも無い訳で、何でそんな風になるのかと云えばあくまで近代主義の履行を理想論的に理性にて規定するからこそそうなって仕舞う。


必然としてさうならざるを得なくなるのだ。



ですので全ては限定の解除、其の理性的側面としての近代主義の履行=理想論の具体化つまりは現実化は須らく無駄な努力でありそればかりか完全なる誤りでありまさに善なる悪魔としての悪の推進そのもののことだ。



であるからコノ原理の分からないおバカなインテリ層は其のバカなアタマを何か固いものに打ち付けるなどしてもう少し利口になった方が良い。


ちなみに真の利口になる為には苦労と苦悩=努力と根性、ただただコノ二つが必要である。

つまりは手厳しい挫折の経験と言い換えても良い。



我などはそれこそ若い頃から挫折に次ぐ挫折で実際もはや立ち直れないのであるがそれだからこそかうして真理の世界を悟って仕舞って居る。

世の成り立ちと存在の意味、または現象の意味に聡くしてそればかりか藝術にも詳しく書こうと思へば詩を書くことさへいつでも可能だ。


だから君等リベラルバカより遥かな高みを常に飛び回って居る。

尤も何せソコが高過ぎるので往往にして目が眩むばかりなのだが。



そんな訳でわたくしにとってのリベラル信仰はもうまるでバカでアホそのものにしか見えないのである。

だから、社会の規模を小さくすれば中にはリベラルバカが居ても良いわ、或いはトランプ氏のやうな野獣の知性があっても良いわ、と云うことに必然としてならう。

真の多様性とはあくまでさうした意味でのことだ。



今後のトランプ政権に期待するべきこと

1.女性参画社会への制限
3.中国と情報戦争をしないこと
4.さらなるゴルフの振興


と云うことである。



尚、社会に於ける血の絆、思想の絆と云うことが実は非常に大きな意味を持つ。

であるから今後は中国と露西亜の関係に於いて注視していく必要があらう。

中国と露西亜が同盟国となり米国と其の同盟国を蹴散らす虞が実はある。


然し米国には世界最高峰の軍事力があらうから現状では中国と露西亜はどうあがいてもかのF-22には勝てやしない。

しかしながら中国と露西亜が世界同時共産革命を目論んで居ないとも限らぬ。

が、一度味わった資本主義の美果は彼等をして其処までの社会革新に追い立てることはない筈。



兎に角今中国と露西亜はただ金持ちになりたいだけなのである。

ただし金持ちになると大抵の場合は心が荒んで人間としてはダメになっていき易い。


よって極貧のうちに死に至ることこそが次の生で良い世界との縁を攫むことの秘訣である。

対して強欲者はどんなにデカく生きやうがどうしやうが必ずや地獄へ堕ちる。


現世でもって苦労するかまたは不遇に苦しむこと、または悩みに悩んでつひ華厳の滝から飛び降りた。

そのやうなこともまた意味があってのことであり決して意味の無いことではなく謂わば悲観の力を世に示したことともならう。



ちなみに中国と露西亜にはゴルフコースが無いのであらうか?

もしも万が一世界同時共産革命が勃発した場合には日本国や米國や韓国のゴルフコースはどうなるのだ?

アノ資本主義の権化たるゴルフなどは矢張り全面的に禁止となるのではないかいな。


ちなみに今日はかかりつけの医者へ行って参りましたが、先生が仰るには○×さんは全米オープンの中継をかじりつきで視てたでしょう?

いえいえ、もはやほとんど視て居りません。

全米オープンよりも人生に於ける苦悩の方が大きく暗闇の中でショーペンハウアーのことばかりを考えて居りました。

それと現代社会と云うヤバい現実をどう立て直すかと云うことに夢中で病気になって居るヒマも無い位です。

特にリベラルと云う病を考えること程辛きことはない。



リベラル信仰は利口の為の信心なので必然として不寛容かつ抽象度が高くある。

だが真のインテリならば其の信仰が齎す矛盾にいち早く気付き精神のあり方を修正していくべきだ。


尚過度なリベラル信仰はやがて本能領域を破壊するとさえ言い得る。


其処は山口 真由氏も言及して居られるのだが、女性を性的対象として評価することは明らかに男性の本能そのものの領域のことだ。

然しそれもいけないのだとなれば、まさに侵すべからざる人間の内面、本能としての自然な欲求の部分にまで其の理性的信仰が縛りをかけていくこととなる。



その癖変なところでリベラル信仰もまたHだ。

どういう論理なのかは分からないのだがリベラル信仰にて性自体が否定されて居る訳ではない。


然し少し考えてみれば分かるが、性とは元々差別そのものなのである。

どだい男女の差は限りなき差のことでまさにとんでもない差異のことである。

其の性差を認めないと云うことはあくまで理性が其れを認めて居ない部分に固執して仕舞うことだ。


しかしながら其れを同じには出来ないと云うのが真の意味での理性的判断だ。

其れを抽象的に平等化することはむしろ性に対する反逆であり生に対する否定でさえある。

さうした硬直した理性的判断しか出来ないと云うこと自体がバカだと揶揄されても仕方がないところなのだ。



尚当然の如くに神仏もまた男女は違うものだと仰せである。

確かに本質的には同じ人間であり本質として苦しみの持ち方もまた同じである。

ではあってもあくまで役割分担、役割の違ひと云うものを神仏は御認めになって居られる。



リベラル病も昂ずればこのやうにまさにとんでもない領域で理性的規定の力が働きどこかで物凄く不利益を受けるだらう部分が出て来る。

どだい其の理性が腐った理性に過ぎぬのであるからそんなものを後生大事に抱え込んで神様仏様みたいに拝んで居ること自体が大馬鹿者の証だ。

だから近代の理性などといふものはほとんどが其の名ばかりの理性、ウソの理性、崩れた理性、まるでもうう○こたれの理性でありそんなもので合理化した場合にはもうほんたうにエラいことになっちまいますぜ。

そんな愚に兎に角早う気付きなさい。


ああーもうまるで幼稚園児に対する躾のやうなモンですがとりあえずわたくしに見える範囲でのリベラル病としての症例は現代社会にとって極めて危険なものであるとの結論を得て来て居る。