目覚めよ!

文明批判と心の探求と

ショーペンハウアーと共に考えるー壱ー

『男の性欲がなくなれば全ての女から美は消え去るであろう。』



以前から疑問を抱いて居たのが、果たして女性は美しいのかどうかと云う事でした。ところが其れは人間が美しいかどうかと云う命題にも即拡がるゆえさう簡単には結論付けられない。結局男性の眼から見て魅力的に見えるやうにある種偽装して居るのが女なのだとすれば、其の美醜につき真に客観的な判断など下すことが出来なくなる。ただし個人的には女は美しい場合もあるのではないかと考えます。醜い場合があるのと同じ頻度でおそらくさう云えるのではないか。ただしあくまで本質的には美醜の規定は出来ないと云う事とならう。

ちなみに外形的に美しい女性は居ます。また美しい男性も存在する。ごく稀にさうした人を見かける。逆に醜い女性も居れば醜い男性も居る。それこそごく稀にさうした人を見かける。対して心の美しさを感じさせて呉れる男女もまた稀に居られる。其の逆に心の醜さを見せつけられもうほんたうに嫌になる場合なども屡御座います。
しかも最初からでなく、互いに見知った間柄でも心の美醜を感じ尊敬してみたりまたは幻滅してみたりとまさに騒がしいことこの上ないのが人間関係の上でのことです。

愛があれば其の逆に憎しみが生ずるのが人間の心なので元来其れは厄介なことこの上ないものだ。

男性の性欲が無くなる可能性は将来に於いて高くあると個人的には見て居ります。むしろ男性の性欲が無くなる方向性へと欲望を解放しつつ引き摺り込んで居るのが女性上位社会の現状なのでせう。何度も申しますが男性を精神的に立て物質的に男性に奉仕することこそが男性を強くする即ち立派に立たせることの秘訣です。
今まさに其れと逆のことをして居るのですから、男性と云う性が破壊の危機に瀕して来て居ると云えなくも無い訳だ。

女性の美が打算的に構築された曲者であることもまた間違いないことでせうがより本能に忠実=子宮力に忠実と云う意味での美=天然美または白痴美が其処に宿って居ないとは申せません。

対して男性の美は何処か哀しいですが、確かに其れもしかと存在して居ります。さうした意味では男性の方がより美しいのかな、と思わないでもないですが其の一方で本能的性欲的に飛びつきたくなるだらう女としての美が常に御座います。

将来に於いて美を捨てた女性は皆戦士となり近代としての価値の実現の為に悪あがきを続けていくことだらう。尤も其の折には男性はもはや役立たずで奴隷のやうな存在と成り果てていやう。



:『背の低い、肩幅の狭い、尻の大きな、足の短い種族を、美しいものと呼びうるのはただ性欲のために呆けている男たちだけである。』


其の尻の大きさは女性に於けるほとんど唯一の価値です。尻が大きい女性はわたくしには美しく見える。尻が大きいとパンツの方も多分大きいことだらう。でも性欲に呆けて居る男性を誰も嗤うことなど出来ない。たとへショーペンハウアー先生でも其れは無理と云うものだ。

人間にとっての根源的な欲望、即ち性欲を肯定してはいけないのと同時に否定してもいけない。コレがおそらくは仏法に於ける現実的な意味での結論です。

わたくしの実体験に於ける感覚から云えば、性=生を否定すると同時に周囲が己を否定し始めます。性=生を肯定すれば同時に周囲には受け容れられやうが其処でまさに厄介な愛欲の世界に捉えられ幸福と同時に不幸を味わう羽目ともなる。

ただし其れは根が善良なまさに正直な人=わたくしのやうなタイプの人間の場合だ。根性の悪い悪人にはまた違う世界が用意されて居るのやもしれない。




:『ごくわずかの例外を除いた全ての人間は、もともと思索向きには出来ていない。ほぼ全ての人間は思索できないのだ。
第一に、全ての人間はある最も大切な問題を故意に無視するか、迷信的な説で妥協している。その問題とは、人間の存在そのものである。人間は、なぜこのように苦悩に満ちた、それでいて夢のような存在なのだろうか?思索する人は、一度この問題に目覚めれば、他の全ての問題はどうでも良くなってしまう。逆に大多数の人間の興味の対象は今日をどうやり過ごすかだけで、無為な繰り返しの日々を送り、人生の意味については前進することはない。
第二に、人間の認識能力はもともと生存のための道具にすぎない(主著§27)。人間は貧弱な動物である。人間の耳は、騒音を遮断するようには出来ておらず施策は中断される。それは絶えず、接近者の足音を告げ知らせる。』



人間には思索ー詩作ーに向いたタイプとそうでないタイプがあり幸か不幸かわたくしの場合は思索ー詩作ーの出来るタイプです。

まあもし自由にさせて頂けるのであればどこまでも考え何処までも書き表させて頂きます。


が、自由ではないので其れもバカバカしくも会社員なので常に歯止めがかかって居て:『ある最も大切な問題』に対して真摯な向き合い方が実は出来て居ない。


わたくしの場合は常に其のやうな不自由との闘いが内面にて繰りひろげられて来て居る。



それでもアナタ方はかうして私の言動を見聞きすることで「ヘッ?」と云う感じを抱かれたことだらう。


「ウーン、何か違うなー」とさう思われたのであれば其れはわたくしが脱俗した詩人であることの証拠じゃ。



「人間の存在そのもの」を常に問うていく詩人の内面はこのやうに俗人とはまるで違うものである。


そして詩人は~そのものに就いての問ひを常に心中に抱えて居る。



「人間の存在そのもの」だけではなく「美そのもの」或は「文明そのもの」又は「性欲そのもの」「食欲そのもの」「人間の根性の悪さそのもの」などにつき常に考え続けて居る。


だからこその詩人なのであり、かつ詩人を兼ねたサラリーマンである。



でもサラリーマンをバカにしてはいけないのだし女を見下したりしてもいけない。


が、同時に詩人の価値及び男性の価値をしかと見定めておくべきだ。




尚近頃は其の:『無為な繰り返しの日々』=人生の無意味化の中にこそむしろ意味が込められて居るのではないかとの疑いが生じて来て居る。


中途半端に詩人を三十年程はして来たかと思うが、あくまでわたくしの場合はふと気付くと実際何でも書けるのだが何にも出来ないと云う現実的な力の喪失に苛まれることとなりむしろ純粋なサラリーマンとして生きるか其れとも純粋に詩人として生きて居た方が良かったのではないかと云う思ひに苛まれつつある。



『無為な繰り返しの日々』=人生の無意味化の中に生きる人々は或は僕も詩が書けたらなあとか思うのかもしれないけれど、藝術の用意するところでの心の中の格闘とはまさに戦場そのものであり、もうハッキリ言ってそんな甘いものでは御座いません、まさに命を削るが如き其の格闘に於いて真理真実から零れ出でた光を其の輝きを我が手にしかと攫むこと程辛ひ事、苦しひことは御座いません。



よってわたくしの願ひは其の『無為な繰り返しの日々』=人生の無意味化の中に生きる人々の中の一人となることです。


勿論詩人など辞めてサラリーマンも出来れば辞めたい。


最終的には人間も辞めたいがさうカンタンに辞めさせて呉れないところが如何にも辛ひところだ。



このやうに『無為な繰り返しの日々』が出来ない人は「エッ?」と思ふやうな精神の階梯でもって生きて御座るので基本的に理解不可能に見えて仕舞ふ。


ちなみにわたくしは『無為な繰り返しの日々』なんて此処三十年ばかりは感じたことがないです。


あれは学生の頃だったか、もう少しまともと申しますか常識に浸って居た頃に其の永遠に続くかのやうな日々の退屈を感じたことは御座いました。



其の頃は、まさに知識と其れから導き出された知恵も未熟で確固とした精神の力が己の中に形成されて居なかった。


其れから四十年近くが経過して、わたくしの精神の力は矢張り増したと申しますかもはやほとんど完成の域に近づいて来て居る。



ですが其の力に其の精神の力に本質としての幸福など宿って居りません。



元より本質としての幸福つまりほんたうの幸福は此の世では得られないものです。


ではあの世では得られるのかと云われれば余計に其れは得られなくなりましょう。




では何だ、どうすれば良いのだ?と云う事になりますがわざわざそんなに考えずとも、今貴男様が持っておいでになる其の生きる力、其れこそが今のわたくしにとっての宝石のやうなもの、どんなに思考を重ねてもまた功徳を積んでも得られない下卑た生命力即ち聖なるものとしての善なる悪魔の力であり子宮の奥の闇の力そのものである凡俗としての力のことだ。



凡俗なる一精神として普通に恋愛し普通に暮らし悩むことなく死にたいと云うのがわたくしの願ひですのでわたくしの人生は其の丁度逆の過程でもあった訳ですね。


さう凡なるまた俗なる方々とはまるで正反対での精神世界を生き抜いて参りましたが其れはまさしく苦行そのものだったやうにも思ふのです。



尚かっての欧羅巴の知識人には凡俗であることを評価しない=バカにすると云う一種高踏的な精神のあり方が存して居り其処からしてもショーペンハウアーの此処での考えが特殊なものだとは言えないのであります。


ですが教養と云うものは積めば積む程に苦しくなるものでもある訳で、わたくしの場合はむしろ其の知識人と凡俗との境界を行きつ戻りつして来た訳でまさに両方の良さと悪さを具に見て来た、其れももう長く見て来たと言えるのではないだらうか。


それでもってどうしますかと云われれば人には勿論凡俗であることの方を是非おススメ致しますよ。


でもわたくし自身はもはや戻れと言われても戻れませんので結局今の立ち位置を保ったままで此の生を終えるのです。


嗚呼、早く普通になりたひ、とか何とか言いつつかうして世間離れしたことばかりを延々と書き綴っていくことしかわたくしには出来ないのですから。