1966年3月4日、ロンドン・イブニング・スタンダード紙のモーリーン・クリーヴとのインタビューでジョン・レノンは次のような発言を行なったとされている。 「キリスト教は消えてなくなるよ。そんなことを議論する必要はない。 僕は正しいし、その正しさは証明される。僕らは今やイエスよりも人気がある。ロックン・ロールとキリスト教。そのどちらが先になくなるかは分からない。イエスは正しかったさ。だけど弟子達がバカな凡人だった。僕に言わせれば、奴らがキリスト教を捻じ曲げて滅ぼしたんだよ。」 この発言は英国では騒がれることはなかったが、後に米国の保守的なキ リスト教団体によるアンチ・ビートルズ活動に結びついたとされている。 またバチカンはジョンの言葉を非難し、南アフリカ共和国ではビートルズの音楽のラジオ放送が禁止されたりもしたそうだ。 そのため最終的にジョン・レノンはシカゴで釈明会見を行い、そこでようやくバチカンも彼の謝罪を受け入れたそうである。 そしてジョンの死後四半世紀を経た2008年11月、ローマ教皇庁 (ローマ法王庁)はジョンの発言を赦す声明を教皇庁の日刊紙オッセル バトーレ・ロマーノ紙上で発表したとされている。 さてわたくしが若い頃、ビートルズは真面目な子が聴くものでロック ン・ロールとしては初級、中級編で、あのローリング・ストーンズの方がよりロックン・ローラ―らしくより不真面目で上級編だという認識があったように思うが、そうした音楽性の上でのこととは全く別にビートルズは思想的なインパクトを強く持ったグループだったのである。 それも特に内省的で哲学的な方面にも踏み込んでいけるジョン・レノンの上記のような発言は非常に興味深いものがある。 ところでこれ、実は正しいことを言っていたのじゃないかと今わたくしには思えてしまうのである。 ジョン・レノンはイエスは正しかったがその後が悪くキリスト教を捻じ曲げて滅ぼしたとそう考えていたわけだ。 なお近頃わたくしも仏陀は正しかったがその後が悪く仏教を捻じ曲げて滅ぼしかかっているのではないかとそう考えるようになったのである。 さて、ジョン・レノンはその後反戦運動や平和主義の提唱といった政治的イデオロギーの分野にも切り込んで行く。 ジョン・レノンは時代を直観出来る人であったからこそこれではいけないと自ら叫びはじめたのであろう。 そうした面が他のミュージシャンとは違うところなのである。 そこでジョン・レノンはあの宮澤 賢治と同じでぜんたいを見据えて発言しかつ行動している。 自分が大金持ちになってもなるべく楽をして暮らしたいなどとは考えていないのである。 そしてそこは何より尊敬出来るところなのである。 ところで1958年7月15日、ジョン・レノンの母・ジュリアは非番の警察官が運転する車にはねられ亡くなった。この母の死は、ジョンのその後の人生に大きな影響を与えたとされている。 その故もあってか、わたくしはジョン・レノンのどこかさみしそうなと ころ、本質的に持っている空洞のようなものに詩人が生来持ち合せているサンチマンに近いものを感じていたのである。 そう詩人もどこかとてもさみしく、かなしいからこそ詩人をしている。 だが詩人であるか否かは、それはどうも生まれつきの部分でもある。 もっともジョン・レノンが母を早くに失ってはじめて詩人となったのか、それとも生まれつき詩人であったのか、そのことについてはわたく しは知らない。 その詩人とおぼしきジョン・レノンが作った曲が幾つかある。 John Lennon - Oh my Love http://www.youtube.com/watch?v=CGJwR8hNB74&feature=related わたくしは昔この曲がとても好きだった。 少年のように純粋な感性でもって歌われる美しいメロディーラインを持った曲である。 それにしてもジョン・レノンの曲には屡Loveという言葉が出て来る。 ラヴとはおそらくジョンの魂が希求してやまないものなのだろう。 かって得られなかったものであるからこそ、それを希求してやまぬ。 ラヴを歌うジョンの魂はそこに純化されてすでに詩の一節となっている。 ラヴ、しかしながら、愛、この言葉ほど厄介で一筋縄ではいかぬものもない。 愛こそはすべて。All You Need is Love…とビートルズで歌われたその愛とはどんな愛のことなのだろうか。 そしてジョン・レノンが希求してやまなかった愛とは一体どんな愛のことだったのだろうか? ところで、仏教においては屡「愛が無い、愛に欠ける」とは良く言われて来たことなのである。 対してキリスト教では常に愛が大事である。 そこに曰く、『神は愛である。愛こそが神である。』 仏教にも慈悲乃至は慈愛という言葉はあるが、仏教は所謂世俗的な意味での愛の世界にむしろ背を向けて歩んでいくものである。 本来ならば仏道修行者は奥さんなど貰ってはいけないのだしこの世に子を為したりしてもいけない。 つまり世俗的な意味での愛の否定がそこには存する。 が、それで仏教が愛を全否定する宗教かというとどうもそうでもないように思われるのである。 それは謂わば愛に捉われないということの真実の愛を人間に強いるものでもある。 愛に捉われているカルマからの脱出がその真実の愛の内容なのであろう。 尚この論考は是非もっと深めてみたいところながら、今日はこの位にして最後にもうひとつジョン・レノンの愛の曲を貼り付けておくことと致します。 John Lennon - Real Love http://www.youtube.com/watch?v=VM5Iz5ugY_4&feature=related 『REAL LOVE』 John Lennon(日本語の歌詞入り) http://www.youtube.com/watch?v=J1PMF5vl-iE Real Love by John Lennon All my little plans and schemes Lost like some forgotten dreams Seems like all I really was doing Was waiting for you Just like little girls and boys Playing with their little toys Seems like all they really were doing Was waiting for love Don't need to be alone No need to be alone It's real love It's real, yes it's real yes it's real love It's real From this moment on I know Exactly where my life will go Seems like all I really was doing Was waiting for love Thought I'd been in love before, But in my heart I wanted more Seems like all I really was doing Was waiting for you Don't need to be afraid No need to be afraid It's real love Yes it's real, yes it's real love It's real. |