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そんな緑の石を愛で且つ深く其れに癒されることー富山産の緑鉛鉱と佐久産の緑水晶の御話ー

そんな緑の石を愛で且つ深く其れに癒されることー富山産の緑鉛鉱と佐久産の緑水晶の御話ー

 

 

 

 

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ほれ見よ、そんな「酒盛り」ばかりしてるともうロクなことにはならん。

自分の父親はかってエリート地方公務員だったがさうして酒に逃げてー酒に飲まれてー70でもって死んだ。

 

だから此の際飲酒其のものを禁止しやう。

だが喫煙は良いのである。

 

さて先程メールを開くと大阪の経営科学出版からのメールに「金は食えない」とさう書いてあったがけだし名言である。

確かに硬貨の金は食えぬ。

 

が、例えば壱万円札を醤油漬けにして食うと結局食って仕舞いさうである。

かうして何でも食う人間共の欲望の凄まじさ!

 

 

さて本日は鑑定団の再放送を視て居てCMの時間に当然豪雨となり急いで干して居た布団を仕舞ったがちょろりと嫌らしく雨に濡れて仕舞った。

ーCMの時間内に布団を取り入れないと鑑定額が分からなくなるので物凄く大變だったー

 

すでに豪雨は去ったが其のやうに今日はまさに久し振りの雨モードである。

雨の日は自分の場合何故か闘争心が失せ穏やかな気持ちになれる。

 

其の穏やかな気持ちの侭に石のことなどを是非語りたい。

 

さて先日の鉱物ショーには富山産の緑鉛鉱の標本が壱つ出て居た。

其れは四千円程だったがまずまずの物だった。

 

そんな緑鉛鉱 - Wikipediaはとても美しい黄緑色の石である。

 

だが私は此れ迄其れを熱心に蒐集して來た訳では無い。

他に熱心に蒐集すべき石ーパイマンやノーブルオパールーが有ったので其処迄はとても手が回らなんだ。

 

どだい鉱物の趣味は自分に取りあくまで従のもので最も重要なことは我が観念世界を此の世に生み出せる筆記具を集めることであった。

またつまりが此の自分の思考即ち観念の世界こそが大きな価値なのであり他の物などはどーでも宜しいやうなものばかりである。

 

だけれども観念の世界はまた厄介な世界にてつまりは御勉強をすればする程にまた思考を深めれば深める程により樂にはならずむしろより苦しくなるものとさう相場が決まっておる。

だから故に戦前のインテリ學生などは其処に懊悩、煩悶し挙句には高い滝の上から飛び降りたりもまたするのである。

 

また芥川なども頭が良過ぎて狂う寸前迄行き結局死んだだらう?

なのでさう云うのはもはや戦後世界には流行らぬことだらうまさに高等的なる観念趣味の世界でありだが自分はどうも其の種の人間以外の何者でも無い。

 

とあくまで文學的にさう規定するのであります。

 

 

まあ其れは其れでヨシとして、其の「観念的苦闘」を優しく癒して呉れるのが實は「石の世界」其のものであった。

そんな高級な哲學だの何だのからの苦悩はそんなものは例え飯を幾ら食ったって癒されやしないのである。

 

どんな高級な飯を食おうとも其れは胃の腑の中で細かくなりさらに腸へ送られ栄養が吸収されやがて小便やら💩となり便所にてドバっと排泄されるばかりである。

ところが石はまず食えない。

 

だから故に💩にもならない。

しかも變わらない。

 

其れも拾年、弐拾年、さらに参拾年が経っても其の侭だ。

 

わたくしにはまず其のことが「不思議」でならない。

主に人間の愛の対象であるところでの👪や友人やさらに妻子や組織等は拾年、弐拾年、さらに参拾年が経つと大きく其の関係が變化するものだ。

 

また例えば人間が嫌いであるとして🐶や🐱を愛する場合などでも拾年、弐拾年、さらに参拾年が経つと奴等は次次と死んで行くから其れへの愛を保存することなどは出來ぬ。

尤も所謂「思い出」の中に其の価値は保存され得るので其の全てが「無に帰する」訳では無い。

 

だけれども其れはすでにもう無い。

だが石は何時までも其処に居座って居る。

 

まさに其のことこそが「物質」の眞の意味での価値なのだ。

即ち生命體であり観念體である人間よりもずっと寿命が長い訳だ。

 

だから我がたとえ死んでも「石」は遺るしまた「ペン」も遺る。

尤も大地震や其れに伴う火災にて其の「物質」が壊滅するやうなことがまた無いでも無い。

 

 

緑鉛鉱(Pyromorphite) |石の販売専門店【vec stone club】

ヤフオク! - 【超高品質】緑鉛鉱・45g(中国産鉱物標本) (yahoo.co.jp)

 

現在はかうして主に中國産の「緑鉛鉱」が出回って居るやうだ。

 

だがかっては仏蘭西産の物が良質な「緑鉛鉱」として売られて居たものだった。

そんな「緑鉛鉱」の良標本を壱つだけ持って居り其れはすでに弐拾年程前に求めた物で結構高価だった覚えがある。

 

矢張り今見ても其れは大層美しい。

また其の黄緑の石は他に殆ど無い。

 

黄緑の石は兎に角珍しく言わば「個性的」である。

 

 

緑鉛鉱 (trekgeo.net)

緑鉛鉱 | 山岳ガイド企画 tomotrek

 

其の黄緑色の「緑鉛鉱」が「富山」に出る。

だが結構蒐集が難しく良い物は手に入りにくい。

 

拾年程前に何とか「緑鉛鉱」と思える富山産の標本を求めたが其れが案外自分に取り大事な標本となった。

つまりは其の緑色の石が好きなのだ。

 

さうして緑色の物が兎に角何でも自分は好きなのだった。

 

 

ヤフオク! - 富山県 緑鉛鉱 2点 国産鉱物 (yahoo.co.jp)

 

まさかこんな物が出て居たとは!

しかもまだ売れて居ないのだらう?

 

此の画像だけでも是非取って置きたい。

ヤフオクにはたまに鉱物ショー以上に良い石も出されて居るから蒐集側として常に其れを軽んじてはならない。

 

ヤフオク! - 緑鉛鉱 <ペンシルバニア州> 4 (yahoo.co.jp)

 

尤も富山産よりも海外産の方が概して其の色合いがより綺麗である。

 

さて先日の鉱物ショーでは其れこそ糸魚川翡翠だのエチオピアオパールだのに目を奪われ結局其の富山産の「緑鉛鉱」の標本を逃して居る。

だが地味な鉱物標本の方にこそむしろ最大の癒しの効果があるのやもしれぬ。

 

但し先日述べたやうに荒川鉱山産の「緑水晶」は其処にて得たのである。

其の「緑水晶」趣味の延長線上として今回ヤフオクにて長野佐久産の「緑水晶」を得たので其の画像を此処に貼り付けます。

 

尚此の緑水晶は自分に取り初めての長野産「緑水晶」の群晶標本である。

以前に拾本位の緑水晶が付いた標本を求めて居たが矢張りと云うべきか其れと同じ濃い緑色の水晶だった。

 

長野産の小さな群晶標本

 

 

 

緑水晶の群晶 竜王第二鉱山 長野県南佐久郡北相木村産-1

 

其の色合いは画像よりも濃くつまりは深緑色となる。

 

緑水晶の群晶 竜王第二鉱山 長野県南佐久郡北相木村産-2

 

其の深緑色の弐センチ位の水晶が澤山母岩に付いた量感のある標本となる。

 

緑水晶の群晶 竜王第二鉱山 長野県南佐久郡北相木村産-3

緑水晶の群晶 竜王第二鉱山 長野県南佐久郡北相木村産-4

 

其の深緑色の水晶が標本の横にもまた裏側にも付いて居る。

 

緑水晶の群晶 竜王第二鉱山 長野県南佐久郡北相木村産-5

緑水晶の群晶 竜王第二鉱山 長野県南佐久郡北相木村産-6

 

つまりはまるで深緑色の水晶のカタマリの如きー深緑色の水晶の🍙みたいな感じのー不思議な標本である。

 

其の深緑色の🍙を果たして食えますか?

此れを食う奴は流石に居らんことだらう。

 

こんなもんを食ったらもうトゲトゲで下手をすればほんたうに死ぬるぞよ。

どだい人間は何でも食い過ぎなんだ。

 

食い過ぎやり過ぎ考え過ぎ、である。

 

いずれにせよ緑色系の鉱物にしてもまさに奥が深く其れも🗾産に限っても良品を集めるのは結構難儀である。

また其のことは「金」の問題だけでも無くかうして良品が何時何処に出て居るかと云うことを常にアンテナを張り巡らせ調べて置くこと自體が實は大變なのだ。

 

また其ればかりをやって居ると今度は「観念」の方が疎かとなり所謂「玩物喪志」の状態に陥り易いので其れもまた是非気を付けて置かねばなるまい。

其のやうにいずれの分野でも同じであらうが壱言にて「物集め」とは言ってもなかなかに其れをやり切ることは難しい。

 

ではあっても其の「観念」の方に疲れた脳味噌に取りまさに其の「物集め」だの物の観賞こそが「癒し」の行為となることだけはまず間違い無い。

何故なら「観念」の方に疲れた脳味噌に取り人間共の出て來る動画だのはむしろ「ストレス」でしか無い。

 

だからわたくしは「御勉強する」こと以外でそんな人間共の出て來る動画を視て居たりはしない。

なので動画はなるべく自然を扱う物が良くさう言えば最近は映画の方も余り視て居ない。

 

「緑水晶」も「緑鉛鉱」もまさにそんな自然が生んだ産物其のものなのだ。

おまけに🗾海にはまさに碧の💎である「翡翠」などもまた出る。

 

 

そんなみどりだらけー!!!

まさにこんなスーパーグリーーーーン!!!!

 

ばか、また色への感度が偏執化して居るぞ!

 

さう言えば自分は緑色の万年筆を結構な数持って居ます。

ならば其の緑色の万年筆を食えるのか?

 

あくまで食う物では無く其れは使うものだ。

また石もあくまで食う物では無く其れを観賞するものだ。

 

さうか、すると矢張り「金」は金輪際食えぬとさう云うことか。

「金」は「物」に化けぬ限りまるで意味の無いものでせう。

 

さうして「金」はあくまで抽象的な価値であり「物」はあくまで具象的な価値だ。

其の抽象的な価値に寄りかかり過ぎぬ為にも人類は「物」の価値に就き是非今壱度考え直すべきだらう。

 

「抽象的な価値観に對し本質的な意味で癒しを与えるのはあくまで具象的な価値である」

 

なる程、すると人間はもっともっと具體的に具象的な価値をこそ愛でるべきなのだと?

具象的な価値とは所謂「人間関係」とは別箇の価値のことだ。

 

「人間関係」から離れた地点より世界を観察することこそが大事なことである。

すると其の石の観賞趣味こそがまさに其のことの履行なのですね?

 

さう、まさに其れぞ「感じる」ことであり「考える」ことや「忖度し慮ること」とは別の認識のことである。

 

「感じた侭に石を愛でる」

 

まるで求道者の如き石趣味の世界をお持ちなのですね、石詩人さん。

まあ文學的、また哲學的にあえて其の石趣味を難しく語ってみたダケのことです。

 

ほんたうはさうして「綺麗さ」に群がるバカ👩共と同じで単に本能的に石の美と戯れて居るだけのことだ。

かうしてまさに其のグリーンの鉱物達が間違い無く現在の自分を最大限に癒して呉れて居る。

 

 

其れと鉱物の保存画像を視て居たら物凄い富山産の緑鉛鉱の画像が出て來た。おそらくはヤフオクでの物ではないか。だがかうした物を得ることは常に可成に難しいものなのだ。

 

菊花状 緑鉛鉱 美品 富山県上新川郡大山町 清五郎谷産 菊花状結晶1

菊花状 緑鉛鉱 美品 富山県上新川郡大山町 清五郎谷産 菊花状結晶2