目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

旭姫の墓所と聚楽第ーそんな「赤味噌」の夢に就いてー

旭姫の墓所聚楽第ーそんな「赤味噌」の夢に就いてー

 

 

 

 

 

地震が來ても現代文明はとても対処出來ない。

其処にもしも文明が崩壊するのならば其れなりに仕方が無いのだとも言えやう。

 

但し其の文明に「理性が無かった」との批判には屈しなくてはならぬ。

今でもかうして自分を始め文明に「理性が無い」ことを心底より嘆き其のことをブログに書かれて居る方が少数ながら居られる。

 

私は其のことの正しさをむしろ誰よりも知るから何処に正解があり對して何処が間違って居るのかと云うこと位は分かって居る。

だが絶望する必要などはむしろ無く只「文明がダメだ」と云う視点を持つことだけが現存在としての生の目的なのである。

 

 

「ポジティブな祈り」をしている人こそ運がいいのは科学的根拠あり。脳は「よい祈り」と「悪い祈り」をシビアに判別していた! (msn.com)

「運がいい人」が自分の脳に習慣づけている行動パターンとは。マイナスを引き受ける度量を持つ人はなぜ、運がよくなるのか? | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい (shueisha.online)

 

要はポジティヴでないと此の世を生き抜けないがポジティヴにばかり「洗脳」されればむしろ人生の本質的目的から逸れるとのことだ。

だからたとえポジティヴでも「マイナス側」を常に見詰めるつまりは両面からの判断であり意思決定であることが何よりも大事である。

 

人生は其のやうに正負、清濁の混濁體であり複合體である。

なので両面から物事を見なけばならないのだが普通凡人には其れが出來ぬものだ。

 

尚ポジティヴ派でもって「マイナス側」を常に見詰めることと逆にネガティヴ派でもって「プラス側」を常に見詰めることは結果として大差無いこととなる。

つまるところ其れはどちら側でも良いのだ。

 

ポジティヴ派でもって「プラス側」を常に見詰めることとなると其れはケモノであるとかまた👩であるとかさうなりつまりはバカなんだが壱般に其のバカを批判し得る程に世の男性諸氏は利口では無い。

 

尚👩もまた弐割位は利口だからハナから馬鹿にしてかかってはならぬ。

逆に申せば🚹もまた弐割位は完全なるバカ其のものなのだが。

 

 

「八冠」挑戦の藤井聡太名人、永瀬拓矢王座に勝ち1勝1敗タイに:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 

其の藤井氏がもしも「八冠」となれば初めて此の尾張が「天下を取った」こととなる。

だが負ければまさに秀吉公のやうなものである。

 

つまり完全には天下が取り切れなんだ。

 

藤井氏がもしも「八冠」となれば私は精神的に藤井氏の奴隷となりもう常に褒めちぎる積もりです。

 

 

朝日姫 - Wikipedia

 

其の旭姫のことが何故か今気になって居る。

さうして無理やりに家康公の正室とされ弐年で病気となりさらに弐年後に聚楽第にて死んだ言わば薄倖の人である。

 

つまりは秀吉公の天下取りの為に實にややこしい立場へ追い込まれ所謂「普通の幸せ」を毟り取られし女人である。

 

さても秀吉公に取り「権力」とはそも何であったのか?

「天下統壱」とは何であったのか?

 

其れも所詮は「欲」であり「夢」であったのだらう。

何故なら誰しも社會を己が物としたい欲がある。

 

實はわたくしにも其れがある。

但し其れはあくまで「マイナスの欲」である。

 

私は只「文明」を止めて呉れと常にさう願って居るのである。

だから故に自分がもしも権力を握れば地球を救う自信のやうなものダケはある。

 

なんで地球を救えるかと言えば何せ文明を止めちゃうので地球が助かる。

 

其の旭姫はだから兄の権力志向ー上昇志向ーの犠牲となった形での壱種哀しい人である。

哀しい人なのだが何故か「どうする家康」では面白い人として描かれて居る。

 

さて其の旭姫の哀しさの前に武将の血筋の部分を暫し見詰めてみたい。

 

 

子孫

皇室

 

大政所 - Wikipediaより

 

何と昭和天皇

アノ昭和天皇

 

「なか」は尾張御器所村の生まれであり家からは🚲にて大體廿分位のところで生まれた。ー昭和区御器所

其れがまたよりにより何処がどうなり昭和天皇つまり今の皇室に迄其の血が繋がるのだ?

 

ちなみに此の御話もまた極秘事項ですが大正天皇は半分尾張人ー知多人ーなのだ。

此のことは尾張の昔の女性は皆知って居ましたのですが今のナゴヤ人はむしろ誰も知らないことです。

 

勿論私もまるで知らんかった。

だが拾年程前に母から初めて其の話を聞き兎に角ビックリした。

 

ですが其れってヤバくないの?

もしや尾張こそが🗾國を牛耳って居るのではないの?

 

そりゃ分かりませんがもしやさうなのかもしれませんね。

 

 

瑞龍寺 徳川家康の正室 旭姫墓所(静岡市葵区) | ハニーちゃんがゆく! (ameblo.jp)

家康の正室「朝日姫」眠る 静岡・瑞龍寺って|あなたの静岡新聞|深堀り情報まとめ〈知っとこ〉 (at-s.com)

瑞龍寺 - 豊臣秀吉の異父妹・旭姫の墓 (tabi2ikitai.com)

 

結局其の静岡市にある旭姫の墓所は現在至極寂しい感じのものとなって居る。

つまるところ政治権力に利用、翻弄された女性の生涯はおそらく所謂「女の幸せ」とはほど遠いものであったことだらう。

 

では「幸せ」とは果たして何なのだらう?

「幸せ」とは富や力への欲のことなのか、其れとも富や力其のものに抗うことなのか?

 

わたくしの場合は今其のどちらでも無いとさう考える。

とさう考えて居られるうちがむしろ自分に取っての得難い「幸せ」の時である。

 

畢竟「幸せ」とはそんな自立的で且つ自律的な思考を為す為の時間であり「心の余裕」のやうなものである。

だがそんな「心の余裕」や「時間」もまた何時脅かされるとも限らぬのが此の世の常であり運命なのだ。

 

其のことを慮りつつ「今此処での幸せ」を噛み締めることこそが我に取っての生きる意味であり且つ「思考であり感度であるところでの全て」なのだから。

 

 

次に其の旭姫や大政所が最期に暮らした「聚楽第」のことを調べてみたい。

 

聚楽第とは 8年で姿を消した豪華絢爛な京の城 | お城解説「日本全国」1300情報【城旅人】 (sirotabi.com)

豊臣秀吉が建てた幻の豪華建築「聚楽第」をわかりやすく解説 - Rinto

 

聚楽第 - Wikipediaはまた安土城と同じくして日本史の上での最もミステリアスな部分を占めて居る。

其の「安土城」のことはかって色色と調べ上げまた其の「安土城」築城に関する映画もかって視た。ー『火天の城 - Wikipedia』ー

 

火天の城

 

うわあー、こんなところにあった。

變な字幕も入るがちゃんと音も出る。

 

今夜また是非視てみたい。

 

 

だが「聚楽第」のことはいまだ何も知らない。

ならば調べてみやうと云うことで今回此のやうに取り上げて居るのだ。

 

ー「聚楽」という名の由来については、『聚楽行幸記』に「長生不老の樂(うたまい)を聚(あつ)むるものなり」とある。またフロイスの『日本史』には「彼(秀吉)はこの城を聚楽(juraku)と命名した。それは彼らの言葉で悦楽と歓喜の集合を意味する」(松田毅・川崎桃太訳)とある。これら以外に「聚楽」の出典が見いだせないことから、秀吉の造語と考えられている。ー聚楽第 - Wikipediaより

 

其の「聚樂」なる言葉にこそ何よりも秀吉公の「理想」の部分が語られて居るやうに思う。

即ちまさに其れが「悦楽」と「歓喜」の集合である訳だ。

 

だが其の「悦楽」と「歓喜」の集合を得んが為に彼秀吉公はむしろどんだけ身内をないがしろにするつまりは狼藉を働いて來たのか。

事實秀吉公の後を継いだ秀次公豊臣秀次 - Wikipedia高野山へ追放され切腹を命じられて居る。

 

ウィキペディアによると秀次公は愛知郡大高村の生まれとのことであるが其処は現在名古屋市緑区となって居りかって私が勤めた研究所もまさに其の大高にあったのだった。

故に自分は其の大高町へ其れも長く通って居たのである。

 

大高町はアノ桶狭間の戦い - Wikipediaにも関連した所謂史跡の多いところである。

例えば大高城 - Wikipediaはかって松平 元康が今川方として兵糧を入れた城だった。

 

大高城の駐車場や御城印、見どころ(本丸土塁、空堀など)を紹介! | やっちんのお城ブログ (okaneosiroblog.com)

 

實は此処をまだ訪れたことが無く壱度是非行きたいとさう思って居る。

其れも🚲でもって大體参拾分程で行けるものと思う。

 

其の家康公にせよ秀吉公にせよまた信長公にせよ要は愛知県人であり其の愛知県人が天下を取って行ったことはほぼ間違い無い事實である。

また天皇家にも何故か尾張人が深く関わって居るとの壱種不気味な事實が本日判明したところである。

 

恐るべし、其の愛知県人!

 

愛知県人には兎に角左様に欲望が強くある。

其れもまるで赤味噌の如くに濃くしかもしつこい淫らな迄の欲がかの地にへばり付いておる。

 

おおそんな赤味噌欲が!!

そんな赤味噌欲がかって確かに京に聚楽第を造営し其処にて赤味噌汁を啜って居たことだらう。

 

 

【歴史解説】聚楽第の謎!天皇でさえ憧れた居城とは?【MONONOFU物語】 - Bing video

上京下京3Dスキャニングプロジェクト『聚楽第復元』 - Bing video

 

だが其の豊臣政権に於ける「政治権力」は儚い壱時の夢の如きものでもまたあった。

さうして「政治権力」の集中を行えば行う程にまさに此の世での榮華は極められやうが其の分失って行く人としての心のあり様もまた大きなものがあったのではなかったか。

 

されど其の理ばかりは今もまた全く同じである。

ならば自由民主党などは此の先どうなるのだ?

 

うん、其処は豊臣政権のやうになるべく短期間で消えて欲しいものです、あくまで個人的には。

以上の如くに政治権力の集中には大きなリスクがあり主に其れは人間の心のあり方を壊すかのやうな「横暴さ」を生むことである。

 

 

岸田首相の重税路線は令和版の「貧乏人は麦を食え」か!? 公家集団「宏池会」らしい庶民感覚の欠如 (msn.com)

 

ほれ見よ、ヤッパシかのキシダもついに頭が狂ったぞよ。

もう此の政党はどっかのデカい穴にでも落ちて呉れんものか。

 

しかもである。

しかもこんな物価の高騰でもってみんながヒイヒイ言ってるのに其処をまたよりにより増税路線なのだ。

 

しかもである。

円安が酷過ぎアノイーベイ・オークションを全く使えぬ状況にさえある。

 

あれ然し逆に海外へ売るのはまさに今がチャンスなのか?

 

 

其のやうに兎に角欲望が強かった秀吉公は大坂の地を築いたが其れも短期間で滅びて仕舞う。

兎に角欲望が強かったTOYOTAはしかしながらむしろ其れ以上に赤味噌欲にまみれて居らぬか?

 

TOYOTAさん、どうだ汝らはたった今赤味噌欲にドップリと浸かって居ないのか?

…でもソコに浸かって何が惡い?

 

え?いや惡いとは言ってません。

其れも赤味噌欲程立派なものは御座りませんが故に。

 

何故ならかの安土城もまた聚楽第も其れ即ち全てが赤味噌欲から出でし産物です。

ですが其れ等が赤味噌まみれな為にまるで夢の如く短期間で消え去りしブツなのだ。

 

かの安土城もまた聚楽第江戸幕府もそんな愛知県人の赤味噌パワーに支えられしものであったことだけはほぼ間違い御座りません。

但し江戸幕府だけが長く続いたのは其の家康公による「限定主義」によるものです。

 

對して信長公と秀吉公は「非限定主義」者でしたのです。

つまりは最終的に信長公と秀吉公は共に藝術家でしたのですが家康公はまさに人文學者であった。

 

藝術家がやる政治は華華しいがさうして常に終わり方が悲惨です。ーかのヒトラーなどもまたさうー

左様に政治は人文學者に任せた方がまだしもマシです。

 

 

ならば自由民主党などはさても何タイプで?

其の自由民主党はズバリ動物タイプでありよって其の全てが人間以前での御話とならざるを得ぬ。

 

ひっでえ話だ、アンタ其れまさに人権の蹂躙だよ。

ですから人間以前での御話とならざるを得ぬのですから要するに🐊だの🐵だの🐼ちゃんだのまたアベちゃんだのアノ變な髪形のコイズミー!=貉だのの御話とならざるを得ぬ。

 

頼む、自由民主党早う終わって呉れ。

自由民主党萬才!!

 

いや潰れて呉れて萬萬才!!

どうもさうなるやうな気がしてなりません。

 

 

其れと自分の第六感はスゴイんです。

なんとなれば以前七月生まれの大天才の大谷 翔平は危ないから気を付けた方が良いとさう述べて居ました。

 

まさに其の心配は的中して居ます。

問題はアノ藤井 聡太が八冠となるかどうかに掛かって居る。

 

イザ八冠ともなれば事實上🗾國は尾張壱國に支配されることとなる。

でもその藤井 聡太もまた七月生まれですよ。

 

まさにさうなんです。

だから藤井 聡太もまた突然気が狂ったりしないかが心配です。

 

もしも其の藤井 聡太が八冠となれば彼の「追っかけ」となるのですか?

いえ私は基本的に人のことなんぞまるで気にしない人間なので。

 

どうあらうが自分は自分で人は人なんで。

 

其れはさうと「赤味噌煮込み饂飩」をそろそろ食いたくはないか?

いやまだ暑いですって、其れは。

 

赤味噌煮込み饂飩」は少なくとも九月下旬~十月中旬位にならんと暑くて食えぬ。

では「赤味噌煮込みおでん」ならばどうか?

 

まあ似たやうなもので兎に角保温が良過ぎる。

其れで何故かカレー物の方が冷え方が早い。

 

どちらかと云えばカーッと熱くなりすぐに冷える感じか。

其のカレーと赤味噌ではどちらがよりお好きなので?

 

勿論カレーです。

自分は何せこんな印度宗教哲學者ですので兎に角カレーには目が無い。

 

嗚呼カレー物を兎に角食いたい。

其れも英國風では無い印度風味のものを是非食いたい。

 

でも考えてみれば此の作文に入る前にカレーパンを壱つ食ったばかりであった。