天然ウナギの蒲焼とホタル観賞と『おんな太閤記』
【名古屋 相生山緑地のヒメボタル】野生のヒメボタルに会えました!! - YouTube
此のところ雨降りの日以外は毎晩其の相生山へ通いヒメボタルを観賞して居る。
丁度昨夜はようやく拾匹程其のヒメボタルを観しかも接近遭遇が四度もあり要するにヒメボタルとぶつかりさうな程に近くで其れを観て居る。
ヒメボタルは丁度上の動画のやうに見え不思議なことに遠くから観れば白く光るのだが接近遭遇するとオレンジ色の光を発して居る。
また其れは人為的なものとはまるで異なる光り方をして居る。
まるで冥界から差し込む光の如くに其れはとある静けさの中に光るのだ。
其のとある静けさとは素顔としての自然の様のことだ。
さう自然は夜になればそれこそ自然にさうして寝静まる。
其れが自然の様だと云う事なのだ。
逆に言えば人間界の方こそが異常なのである。
そのギンギラのライトの羅列其のものがむしろ異常なのだ。
だが23時頃家を出て🚲で天白川の土手を走ると街灯などがまるでホタルの明滅の如くにも見える。
さうか、すると文明は文明で結局のところ其のホタルがやりたい訳なのだらう。
まあだがアノ東京や大阪や名古屋の繁華街の如き下品なネオンホタルなんぞはまるでホタルなんぞでは無いわいな。
兎に角毎年ホタルを観て思うのは其の異界又は冥界からの光のことである。ーさうして今夜もまたホタルを観に行くのであるー
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かのTSUGEさんが先の日曜日にウナギを持って來て下さり其れも木曾川産の天然ウナギの蒲焼である。
其れもわざわざタレを付け焼いて下さり持ってみえたのだった。
家の場合は天然ウナギの蒲焼を食したのは初めてだった。
家はウナギが好きな方で高級店のうな重などもたまに食すのであるが此れ迄は「靑ウナギ」の蒲焼が壱番との評価であった。
ところが天然ウナギの蒲焼は物が違うとの印象を持った。
1.肉質に弾力があり養殖物とはまるで別物
2.少少ワイルドで若干泥臭いか又はウナギ臭い
よって普段ウナギを食すのであれば養殖物の方がむしろ良い。
だが其れは本物との印象を強く持った。
ちなみに自分は30歳位の頃に教材を公立の小中学校へ運ぶバイトをして居たが其の折に其の教材會社の會長さんを車に乗せ名古屋市の西部郊外の中学校へ出向いたりもして居たものであった。
其の折に「ナマズの蒲焼」を御馳走になりまさに其れが人生で最初で最後のナマズの味見であった。
「ナマズの蒲焼」は小小泥臭いが肉質に弾力があり不味いものでは無かった。
だが美味いと云う程のものでもまた無い。
其の木曽川産の天然ウナギは其れよりも食い易いものだったが案外似た部分がありまさに其のことを思い出さずには居られなんだ。
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元より文明は今後様様に「限定」して行かざるを得ない。
「限定」しない文明は所詮バカ文明であり其れは2100年迄おそらくは持つまい。
もう「限定」だらけにして動物ー🐵ーにでも戻った方が其の分地球は助からう。
だから國王自らが率先して「限定」しなければならず其れが出來る英國とは偉い國である。
だがサミットなどと称して「限定」もせず逆にソコに大金を使い込んで居る似非文明國のなんと多いことか。
無論のことキシダ氏を筆頭に🗾のみんなもまず間違い無く似非文明人であるばかりであらう。
さて自分は今其の清いホタル観賞と共にして居ることがありまさに其れが「人間の追求」である。
なんとなれば自然はむしろ自分に取り其の侭に理解されるが「人間」ばかりは我に取りまるで理解されぬまるで異世界の御話のやうなものなのだからして。
NHKオンデマンド 大河ドラマ おんな太閤記(たいこうき) (nhk-ondemand.jp)
其処で實は此の大河ドラマに今度は嵌まり込んでおる。
そんな大河ドラマに嵌まり込むのは年増になった証拠であらう。
でもって此の大河ドラマからまさに色んなことを教えられて居る最中である。
まずとりあえず此の作品はまさに心が掻き乱されることだらう「人間ドラマ」である。
だから「泣く」機會が多く訪れる。
また其れは信長公や家康公の大河ドラマよりもより泣かされる場面が出て來るとの御話でもある。
で、其の秀吉公が築いた大坂の土地柄はまた何やら過剰に人間味があり實は其れがイヤだと思う人なども其の大阪にまた居られるのださうだ。
だが其の嗚呼まさに嫌らしい人間味の世界がつまりは人情味の世界と化し何時の間にか人間は感情としてソコに引き摺り込まれて仕舞う訳だ。
此処では佐久間良子 - Wikipediaが高台院 - Wikipediaを演じて居り其れが兎に角とても綺麗な寧々である。
此の大河ドラマは1981年の作品であり其の頃自分はまだ大學生だった。
当時TVにて視た覚えはある。ー当時はPCがまだ無くゲームセンターだけがあった頃であるー
故に是非また視たいと思って居たので今回纏めて視ることが出來とても嬉しい。
家康公の大河ドラマは基本的に「家臣主義」であり信長公の大河ドラマは基本的に「専制主義」なのですが秀吉公の大河ドラマは基本的に「👪主義」である。
なのでかうして秀吉公の正室である寧寧の視点からの大河ドラマが成立するのである。
故に其の「👪主義」にて此の🗾が統壱されたとのことである。
「👪主義」にてかの國が統壱されたことの是非は別としてさうなんである。
尚「👪主義」は史實の齎す悲劇性をより強調して示して居るのだとも言える。
其の『おんな太閤記』は北ノ庄城落城北ノ庄城の戦い - Wikipediaのところまで視終わったが其の柴田 勝家とお市の方の最期はまさに圧巻としての悲劇である。
特に猛将柴田 勝家が戦いに明け暮れた生涯の終わりにようやくのこと市と云う伴侶を得て短いながらも幸せな時を過ごしたと自ら語るシーンにはつい涙ぐんで仕舞う。
また其の市を演じて居るのが何と夏目雅子 - Wikipediaである。
此の人は当時のトップ女優であったが病を得て早う死んで仕舞った人だ。
だから悲劇が現實のものとなり過ぎて居てまさにソコが怖いのである。
だが怖いから其れがまた眞に迫る演技へと通ずる訳だ。
尚其の「👪主義」に就きさらに言えばかの安土桃山時代 - Wikipediaなるものとは尾張人による尾張人の為の「👪主義」其のものであったことが大河ドラマを視ることにより明らかとなる。
例えば加藤清正 - Wikipediaや福島正則 - Wikipediaも秀吉公の小姓であった。
さらに前田利家 - Wikipediaもまた信長公の小姓であった。
信長を裏切った男・浅井長政29年の生涯とは?その血は皇室へ続く - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) - 4ページ (bushoojapan.com)
秀吉の妻ねね(寧々 北政所 高台院)女癖の悪い夫をどう操作した - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) - 2ページ (bushoojapan.com)
ド派手すぎる豊臣秀吉の逸話はドコまで本当か?62年の生涯まとめ - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) - 4ページ (bushoojapan.com)
其の血がつまりは血脈が血統が實は続く人は続き続かぬ人は続かぬものらしい。
では続いた方が良いかと言えば其れも佛教などでは逆に其れが絶えた方がより眞理には近づく訳である。
即ち血が続く方が良いと世俗の者はさう思うのであるが眞理に於いては必ずしもさうでは無く逆に絶えた方が良いのである。
或はキリスト教などであれば神の眷属となることこそが大事なのでありよって子孫もまた全部神の子として生きる意味での👪主義なのであらう。
つまりは其の人間関係の上でのゴタゴタを理性的に消しちゃうのがむしろ良いのである。
ところが『おんな太閤記』を具に視るにつけ其のゴタゴタに對し妙に魅力を感じて仕舞う訳です。
つまりはさう云うのが世俗の魅力であり人間界での迷いの魅力と云うことにも繋がるのです。
秀吉を支えた偉大過ぎるNO.2豊臣秀長~天下統一を支えた弟の功績とは - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) (bushoojapan.com)
さて『おんな太閤記』では豊臣秀長 - Wikipediaのことが大きく取り上げられ描かれて居る。
自分は四拾代の頃に上司に勧められ其の秀長公の伝記本を読んだことがあるが其の折にまさに愕然としたものだった。
其れは秀長公が大變優秀な人物であり豊臣政権を支えて居たのはむしろ其の秀長公の力によるところが大きかったと云う事實を其処に初めて知ったからである。
当時の上司ー部長ーは「君は今現場でNo.2なのだから此の秀長のやうに補佐が出來るやうになりなさい。」とさう述べられて居たものだった。
だが自分の四拾代は丁度石に凝り始めた頃で其の石に興味があるだけでそんな補佐も何もまた無いのである。
そんな訳で自分はそんな豊臣家のやうに偉くなる家系の人では無く特に母方の血は今川方の足軽なのでありまた其の元を辿れば北条氏の家來とのことである。
つまり自分は半分尾張人であるが後の半分は元元其の関東から流れて來ておる。
なのではあれ其の関西人的な秀吉公の人間的なゴタゴタ振りが全部嫌いな訳では無い。
ちなみにドラマでは秀長公と智雲院 - Wikipediaとの涙無くしては語れぬラヴ浪漫が展開されて居り此れはおそらく史實とは異なる部分かと思われるが其れに限りもう滅茶苦茶に泣ける場であり同時に惹き付けられて止まぬまさに女心を擽る場面である。
さて大政所 - Wikipediaは秀吉公の實母である。
其のなかは御器所村の生まれで今で云う此処瑞穂区の北側の昭和区であり家より程近い。ー🚲で弐拾分位の距離ー
ドラマでは姫路城内に畑を作り其れを耕すなかの姿が描き出されて居る。
秀吉公の實母はさうして「侍なんぞになる位なら中村で百姓をした方がエエ」と言うのが口癖であり秀吉公のことを「タワケ」だとさう批判する。
まあ其れもまた確かに壱理ある。
偉くなり金持ちになりどんなに血を遺さうと焦らうが結局豊臣家は秀吉公壱代にて滅んで仕舞う。
其れも普通はあそこまで偉くなればまさか滅ぶとは思わぬものだが實際に豊臣家は滅んで仕舞う。
其処は逆になかさまの言うやうに中村で百姓をしとった方が血を遺すことには成功して居たのやもしれん。
兎に角政治権力と云うものは左様にまるで不確かなものなのだ。
だからどんな権力者も何時どうなるものやらまるで知れたことでは無い。
ー人と同じに振る舞うことを嫌う、傾奇者だった。何回か開いた仮装茶会(名護屋城の仮装茶会が有名)では、参加する武将達にわざと身分の低い者の格好をしてくるように通達し、自身も瓜売りの姿で参加した。武将たちも通達に応じ、徳川家康は同じく瓜売り、伊達政宗は山伏に扮した。
文化的修養を積むことに努力し、古典文学を細川幽斎、連歌を里村紹巴、茶の湯を千利休、有識故実を今出川晴季、禅を西笑承兌、儒学を大村由己、能楽を金春太夫安照に学んだ[157]。
能楽に熱中し、前田利家と徳川家康と共に天皇の御前で演じたり、『明智討』『柴田』など自分の活躍を演目にして自ら演じた。和歌もよく詠んだ[注釈 52]。茶人としても独自の境地を切り開き、武家茶の湯の大成者は千利休でも古田織部でもなく、秀吉であるとする評価もある[158]。ー豊臣秀吉 - Wikipediaより
ところが左様に秀吉公は結構文化人であった。
つまりは努力家であり其の努力により天下人へとのし上がった人である。
また其の努力は文化面にも向けられて居たのだった。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢
秀吉公の辞世の歌ですが如何にも名歌だと思います。
昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前
信長公の参男である織田信孝 - Wikipediaはかうして秀吉公を恨んで死んだ訳です。
ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
個人的には此の細川 ガラシャの辞世の歌なども好きです。
嬉しやと 再びさめて 一眠り 浮き世の夢は 暁の空
對して此の家康公の辞世の歌は何処か平凡です。
以上辞世 - Wikipediaより
此処からしてもおそらく藝術的素養は信長公や秀吉公の方にこそあったことでせう。
其の藝術的素養とは壱面で人と違うことをやれる能力のことでもある。
さうして人と違うことをやれるからこそ個性が際立って立って來るのです。
また藝術には暗部が是非必要です。
其の心の闇であり負の要素の部分こそが其の表現を本質的に際立てて呉れやう。
信長公と秀吉公の心中にはまさに其の心の闇、負の要素の部分こそがおそらくは拡がって居たことでせう。
ー尚パソコンの調子が惡いので暫く投稿出來なくなるかもしれません。されど人間は衣食住が足りて居ればまずは其れでヨシとしなければなるまい。ー