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文明批判と美と心の探求と

「信長 KING OF ZIPANGU」を全編に亘り視るー「安土」と云う信長公に取っての「夢」の残り香ー

「信長 KING OF ZIPANGU」を全編に亘り視るー「安土」と云う信長公に取っての「夢」の残り香ー

 

 

 

 

本日もまた良い御天気にていつもの如くに日光浴を兼ねつつ翡翠の標本の掃除並びに整理整頓を行う。

されど昨日は部屋の掃除ー居住空間のみの埃の除去ーを行い大層疲れた。

 

ところで其の翡翠は基本的に靑いー蒼いー石である。

靑い石にはまた赤い石には無い魅力が大きくある。

 

此の世は謂わば空であり靑も赤も無いかと言えば其れはかうしてしかと其れ其れにある。

美とはさうしたことであり其れは無いのでは無く有ると見る立場のことをこそ言う。

 

 

さて此のところ庭の黄苺の大豊作にて毎日拾粒程の其れを食いまるで🐦にでもなった気分である。

ふと気付くとカラタネオガタマは上方にズンズン伸びて居り其の参米程のところに澤山バナナの香りの🌸を付けて居る。

 

さらに赤紫色のサツキもまた大層美しく咲くが其れもまた良く考えてみるに其れとツツジとの区別がそも不明である。

 

だが本日はいまだ庭には出ず中華万年筆のペン先の入れ直しなどをやって居た。

其れは靑と金魚の軸のJinhao100であるがペン先は18金のものとなって居りしかも靑軸の方はフレキシブル・ニブ化してある。

 

無論のこと其の調整乃至は改造を自分でもってやるのが眞の意味での万年筆愛好家なのだ。

そんな自己流の改造はまた失敗する可能性が半分位はあるのだが結局半世紀も万年筆と付き合えばそんな心配はそっちのけで其れを常に「やって仕舞う」ものである。

 

其の「やって仕舞う」病気なのが其れ即ち人間の性と云うものでつまりは其処で「やらんでも良いことまでをもやり」其の結果何かを壊して行くのであらう。

 

もう何をもやるな!

と其処でさう言いたくもなるのだが結局「やる」のが人間であり其の人間では無い🐵以下の者共と其れに植物型生命は「やらう」と思っても其れが出来ない。

 

いやそも「やらう」などとは思って居らずだ。

 

 

尚最近はPCでもってNHKオンデマンドばかりを視て居た。

NHKには良い番組が多くあり其の全部を視て居る時間などは結局無い。

 

NHKには「教養番組」なるものが多くあり其れを視るのが兎に角樂しみである。

 

ロンリのちから | ロンリのちから | 高校講座 (nhk.or.jp)

第1回 (1)三段論法 | ロンリのちから | 高校講座 (nhk.or.jp)

 

緒川たまき - Wikipedia

 

例えばEテレの方では所謂「哲學」や「論理學」のことなどを扱う番組などもある。

其れと其の「緒川 たまき」のことが個人的に兎に角大好きである。

 

NHKオンデマンド 植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之 (nhk-ondemand.jp)

 

NHKオンデマンド | 植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之 10分版 「タンポポ」(※冒頭にPR映像あり) (nhk-ondemand.jp)

NHKオンデマンド | 植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之 10分版 「オオイヌノフグリ」(※冒頭にPR映像あり) (nhk-ondemand.jp)

NHKオンデマンド | 植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之 10分版 「カラスウリ」(※冒頭にPR映像あり) (nhk-ondemand.jp)

NHKオンデマンド | 植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之 10分版 「ハラン」(※冒頭にPR映像あり) (nhk-ondemand.jp)

 

こちらの番組なども「ふざけて居るのか其れとも眞面目」なのか分からぬ内容の番組でありまたつまりは此の番組のファンである。

其の「山田 孝之」の演技は壱種気持ち惡いのだが結局は何処か其れが魅力的だ。

 

ちなみに其の「山田 孝之」に毎回のやうにイジられるNHKアナウンサーの「林田 理沙」は東京芸大大学院卒の才媛である。

 

 

NHKオンデマンド | 超進化論 特別版 (1)植物からのメッセージ ~地球を彩る驚異の世界~ (nhk-ondemand.jp)

 

其の植物がむしろ「動的」であり「動物的」な面さえをも持つことがかうして最先端の科学の側から分かって來たのだと云う。

但しあくまで植物は動物では無い。

 

まただからこそ其れは「植物」なのだ。

また其れは植物が動物とは異なる意識世界を生きる生命だと云うことなのだらう。

 

少なくとも「植物」の意識の中には環境への「動的改變」の意識は無い。

逆に申せば「現存在」とは其の環境への「動的改變」の意識に特化した生命である。

 

つまりは其の環境を「弄る」ことに特化した生物なのでありよってむしろ「弄りまくる」奴等なのだ。

でもって其れを止めよとさう幾ら諭したにせよ其のことが結局は「止められ」ない。

 

止めよ!

とさう誰が言おうと彼等は結局其れを止められなんだ。

 

NO!

つまりはダメ!!

 

もう「おあずけ」!!!

 

でもどうしてもかうして勝手に手が動きまして…。

其の勝手に手が動く性質こそが2100年頃に文明を滅亡させることのおそらくは主因となることであらう。

 

 

ところで此処壱月余り個人的に取り組んで居たのが「大河ドラマ」を視ることであった。

 

NHKオンデマンド 大河ドラマ 信長 KING OF ZIPANGU (nhk-ondemand.jp)

 

こちらの「信長 KING OF ZIPANGU - Wikipedia」と云う作品を凡そ参拾年振りに其の全てに亘り視てみたところだ。

 

こちらは1992年度の作品であり当時のわたくしは此の「大河ドラマ」をしかとTVにて視たのである。

其の頃自分はまだ33歳でありむしろまだまだ「これから」と云う感じではあったがすでに当時より現代文明に関しては批判的であった。

 

さて此の「大河ドラマ」作品に對しては結論としてまさに此れぞ「極め付け」での信長公に関するドラマなのだと思う。

つまりは究極的な彼織田 信長に関するドラマなのだ。

 

其の信長公は何をやった人だったのかと言えば要するに「🗾を國として纏めやう」とした人であったのだと言える。

ところがすでに幕府にもまた朝廷にも其れをする力は無かったのである。

 

其れをする力がそも無いからさうして國が乱れつまりは社會が纏まった形で存在して居ないこととなる。

また佛教勢力は佛教勢力でもって兎に角自らの権威を高め且つ金を儲けることに邁進して居るー其れも禅宗以外はーのでつまりは宗教勢力としてすでに腐って仕舞って居るのである。

 

そんな乱れに乱れた世の中だから其の潔癖な織田弾正忠信長公はつまりは「世直し」を是非やりたかった訳なのだった。

其れでもって兎に角まずは「自分を中心」にして其の「世直し」のことを考えつまりは「自己本位」に「力の論理」を駆使しつつ兎に角此の腐り切り弱り果てたかの國の惨状をなんとかしやうと嗚呼クソ眞面目にも「日本の統壱」をこそ果たさうとしたのであった。

 

ところがかの明智 光秀と云う人を余りに足蹴にしたので今度は自分がやられてしまうこととなる。

さう其の明智 光秀もまたクソ眞面目でありつまりは「悩むタイプ」としての典型的な日本人であった。

 

でもって最終的には兎に角「悩ん」じゃった。

其処でもうどうにもならなくなりところが彼織田弾正忠信長氏が此の世から消えれば此の「悩み」は解消することにハタと気付く。

 

ならば此の際思い切ってやったれー!

其のやうに其の意思決定が極端に傾き易いのが眞面目な人の特徴なのだ。

 

つまりは其のクソ眞面目な人に限ってとんでもないことを仕出かしたりするものなのだ。

 

 

また独逸人などもまたさうなのだが兎に角利口であり且つ眞面目である。

なのだが結果的にかのヒトラー総統を生み出しても居る訳です。

 

故に利口であり且つ眞面目な人程實は何をするか實は分からんのだ。

 

ちなみに信長公とヒトラー総統は共に藝術家タイプの人でありまた頭の方の出來などもまた至極良いのです。

 

尚今回「信長 KING OF ZIPANGU」を全話視聴しまず感じたことが史實に基づき信長公の「潔癖さ」が全編に亘り描かれて居たことでした。

即ち城の廊下に落ちて居る細かなゴミが彼は兎に角気にかかるのです。

 

彼がもしも豪胆な武将タイプでしたらそんなもんは勿論気には致しません。

ですが其れが兎に角気になるのですからズバリ彼は所謂「神経質者」でした。

 

また頭が良いので南蛮から來し地球儀のことなどもまた理解する理性を持って居る。

さらに藝術的な意味での感性にも優れ即ち能樂を好み其れを舞ったりもまた致します。

 

さらに「安土」と云う謂わば理想都市を築き上げたのです。

故に「安土城」と其の城下こそが其の信長公の信長公による「世直し」の様の壱つの究極的な回答でした。

 

 

さて「大河ドラマ」では加納 隋天なる祈祷師を通じて「天道思想」ー天道 - Wikipediaーなるものがむしろ中心的に語られて行く。

 

ー個人の内面と行動が超自然的な天道に観られ運命が左右され、その行いがひどければ滅びるという、一神教的な発想があり、日本人に一般的に広がっていた。キリスト教の宣教師からも、キリスト教に似たものだと受け止められ、布教のため神を「天道」と意訳同一化して仏教僧や武士、庶民と論議することで宣教しようとした。キリシタン大名キリスト教の神を天道と表現した[4]太田牛一は、『信長公記』で、人の行為、戦争や生死は、「天道」がすべて定めている、幸運な時は「天道照覧」、主君などを反逆などで殺すと因果は巡り復讐され悪逆後の死は「天道恐ろしき事」と、各所にあり、運命論者として天道思想が基底にあり[5]延暦寺のような仏教大寺院でも「天道」は至高の存在で、その恐れを知らず背けば、織田信長比叡山焼き討ちのように滅亡するとされている。ー天道 -#戦国時代の天道思想 Wikipediaより

 

其の「天道」と云う思想は余り表立って語られることは無いが大變興味深い当時の思想である。

つまるところ「天道」とは「唯壱神」の如きもので例え権威と権勢とを誇る比叡山延暦寺であれ其の「天道に背く」ことがあらば「焼き討ち」されても仕方が無いとの訳なのだ。

 

此の「天道思想」とは本質的に「多神教」としての🗾社會に於ける風土や風習と異なる部分を持つやうに思われる。

即ちそも「天道思想」をまずは理解せねば彼織田弾正忠信長を理解することなどは難しいことであらう。

 

其の意味で信長公を扱う大河ドラマにあえて「天道思想」を据えた其の解釈こそがまさに見事なものと言うべきであらう。

要するに信長公を理解せんが為の必須の思想がまずは其の「天道思想」にこそあったのだと言える。

 

要するに所謂傾奇者としてのまた怒りんぼうで気難しい信長公の性格以上に其の「思想」こそが大事な内容を持つのである。

 

 

大河ドラマ 信長 KING OF ZIPANGU|番組|NHKアーカイブス

大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』|番組|NHKアーカイブス

 

個人的に此の大河ドラマは是非いま壱度視直してみたい作品だった。

今回其れが出來可成に満足感を得ることに成功した。

 

全編に漂う「緊張感」や「宗教性」の部分は何よりも此の大河ドラマが凡庸なものでは無いことを如實に物語っても居やう。

但し物語りの終わりの方の所謂「本能寺の變」の辺りは意外とサラリと捉えられて居りつまりはあっけなく信長公は光秀により討ち負かされて仕舞う。

 

されど尾張時代の信長公の描写は秀逸であり史實がとても詳しく語られて居る。

自分は高校時代に「世界史」の方を選択し「日本史」の方はさほど詳しくは無いので兎に角其の辺りでの経緯こそがしかと勉強となった。

 

 

NHK大河ドラマは史実とはあまりに違う…最新研究でわかった徳川家康と正妻・築山殿の本当の夫婦関係 (msn.com)

 

但しかうしたことなどもまたあることかと思う。

自分もまた今回の大河ドラマで家康公と築山殿が妙にラヴラヴなところが気になって居たのであるがまさに其処が「大河ドラマとしての脚本」の難しいところなのだらう。

 

其れと其処では「信長公」の描き方などもまた「戦國ゲーム」的なー覇王的ー感覚が出過ぎて居るやうにも思う。

 

 

NHKオンデマンド | 歴史探偵 「VR探検!信長の安土城」 (nhk-ondemand.jp)

NHKオンデマンド | NHKスペシャル 信長の夢 安土城発掘 (nhk-ondemand.jp)

 

尚此れ等の番組を共に視ることで其の「安土城」とは壱體何であったのかと云うことが次第に読み解いて行けるものかと思われる。

安土城」と其の城下とは其の「天道」をこそ現世に生きんと欲した信長公の夢の世界の結實でありまさに理想の文明世界のことである。

 

理想の文明世界とは「ルイス・フロイス」が述べたやうに「神を信じなかった信長公」が造るものでは無くむしろ「神による統治の理想」をこそ語らんが為の都市であった。

 

其の「安土」の地が失われて以降かの國には其の理想の都市が生まれて居ない。

尤も其の後家康公により「江戸」なる「限定の都」は生まれて居たのである。

 

されど信長公の場合には其れを「限定」して居た訳では無く逆に世界へと船出しやうとさう思って居たフシがどうもある。

ーまずはかの大國中國を支配しやうとさう思って居たことであらうー

 

だけれども其の中國をまた韓國をも支配出来ず逆に光秀にやられて仕舞った。

何でかと申せば其れは武将としての明智 光秀が眞面目人間でありつまりは信長公さえ消えれば世の中は屹度良くなるとさう思い込んで仕舞ったからなのである。

 

でも其の憎き信長公が消えてもほとんど此の世の中が良くなることなどは無かったのだった。

 

あれ、もしや其の安土の時代や或いは江戸時代よりかの國はたった今惡うなっては居らぬのか?

さうですね、むしろかってより余程に惡さうですね。

 

 

 

安土城はどんな城だった? 織田信長の夢が詰まった幻の城の特徴を解説 | HugKum(はぐくむ) (sho.jp)

 

【織田信長の安土城】豪華絢爛!幻と呼ばれる城の構造と特徴 | 歴人マガジン (rekijin.com)

 

安土城天主 信長の館 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる! (biwako-visitors.jp)

 

織田信長のゆかりの城をまとめ!滋賀県に位置する安土城の特徴は? (sociedo.jp)

 

其の「安土城」ですが兎に角魅力的で且つ奇跡的な城だったことでせう。

特に上層階の部分を障壁画により「宗教的、思想的」な間として居ることが信長公の思想的な性格を如實に示して居ることかと思われます。

 

また其の部分を「信長 KING OF ZIPANGU」では上手く再現して居ます。

絢爛豪華な其の安土城の天主の様を良くぞ映像として世に残したものだ。

 

ところで信長公は「几帳面且つ神経質で思想などが大好きな藝術家タイプ」の人でありあれ何時の間にかまるで自分自身のやうな性格の持ち主ではないか。

「几帳面且つ神経質で思想などが大好きな藝術家タイプ」の人はどうも人間の扱い方が下手であり其れでもって結果的に彼は「破滅型」の人となって仕舞うやうです。

 

でもそんなんでは困ります。

困りますので其処は自分でもって何とかしませう。

 

 

NHKオンデマンド | ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~ 織田信長 “戦国の革命児”の実像 (nhk-ondemand.jp)

 

こちらなども以前壱度視たがすでに内容を忘れたので今夜また視てみたい。

 

NHKオンデマンド | 歴史探偵 「信長・秀吉・家康 神への道」 (nhk-ondemand.jp)

 

ところでアナタは其の神にこそなりたいのですか?

いいえ其れとはまるで逆で「雑草の壱本」として地球上にちっこい🌸をこそ咲かせたいのです。

 

其の「個」が「神」になることよりも大事なことがあり其れが今ならばまさに「地球環境の保全」であることは明らかなことでせう。

植物であれ動物であれ「意識」を持つ者はおしなべてまさに其れをこそ願うのではないか。

 

其のことこそが其の「戦國としての乱世」の時代にはまるで無かった新たな視座で無くて何なのか?

 

自身が「神としての無辺際の力」を得ることは其れ即ち究極としての+思考です。

ですが其の究極としての+思考から「地球環境の保全」が図られるものとはまるで思えない。

 

であるとすれば其の「+思考」其のものに「非限定としての罠」=「拡張主義としての罠」があるのだとさう思われるのです。

よって、

 

神→人間

万能→無能

 

とのやうに逐次ヒエラルキーを解体して行けばつまりは「脱構築」することにより「威張る」必要など何処にも無くなる訳だ。

どだい「威張る」のは「他を受け容れぬ自我」こそがさう「威張る」のだ。

 

 

いずれにせよ「環境破壊」の根のところには其の現存在による自己本位性、其れも社會的な意味での自己本位性が深く関わって居る。

あえて其の人間の社會から距離を取り其の部分をこそ見詰め直すことはむしろ良い「自己本位」の方のことで「威張らぬ」自己を築かんが為にむしろ必須のことなのです。

 

「威張らぬ」ことは「自己としての分を弁える」ことでありむしろ其の部分でのハードルを極力下げて行く方が「心の樂園」へと向かうことの第壱歩となり得ることだらう。