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文明批判と美と心の探求と

今こそ植物から學ぶべき「静かなる認識」のことー牧野 富太郎博士と我が家の庭の御話ー

今こそ植物から學ぶべき「静かなる認識」のことー牧野 富太郎博士と我が家の庭の御話ー

 

 

 

 

牧野富太郎の百合(ゆり)ようかん - グレーテルのかまど - NHK

 

本日午前中にTVで其の「グレーテルのかまど」にて百合羊羹なるものを知り其れを「食いたい」とまずは思いました。

さう云うものを食いたくなるのは所謂「甘党」の人間でありそんな人は同時に酒を飲まぬ人が多く事實わたくしもまた其の部類での人間です。

 

「甘党」の人間には所謂「優しい人」が多いことかと思われ其れも同時に「考え深い」タイプの人が多いのやもしれません。

だが「優しい人」で且つ「考え深い」タイプの人は所謂「甲斐性無し」であることが多くまた其れは現實的にも甘いと云うことなのでせう。

 

ですがそんな世間での社會的評価とは関係無く其の性質はまさに實存的に日日履行されて行くのです。

そんな性質がたまたま學問やら藝術の分野で花開くことなどもまたあればなんだかんだのと社會に對し文句を垂れる場合にもまたなり得ることかと個人的には思います。

 

 

エピソード - グレーテルのかまど - NHK

 

個人的に此の番組の出演者は皆嫌いなのですが非常に良く出来た番組であり特に高名な學者や藝術家は生前に何を好んで食って居たのか?との部分に答えて呉れる稀有なる情報源となって居るものです。

 

 

さて其の「植物」のことに就き是非御話をさせて頂きたい。

其れも所謂「植物への愛」とのことですがあくまで自分の場合には半分「植物的人間」のやうなものですので其の認識と人間界の認識との違いのやうなことに就きまずは述べてみたいと思う。

 

まず「植物」は認識其のものが至って「静か」です。

 

對して「動物」の認識は常に「ウルサイ」のです。

また其の「煩い認識」のことを動物自身はまるで分かって居りません。

 

でもってわたくしの場合は其の双方に生きることが出來る。

ですが其の「植物型認識」の方からは常に「ウルサイ」つまり「ウザイ」との批判若しくは文句のやうなものが常に出て参ります。

 

だから要するに「ウルサイ」し兎に角「獣臭い」のが其の動物達と云うことになる。

だけれども人間の場合には其処に理性の力が宿りますが故に其れもごくたまに「植物型認識」から見てもさうは煩く無い人が出て参ります。

 

まさに其のやうなタイプでの代表格の人が牧野 富太郎博士のことなのです。牧野富太郎| 高知県立牧野植物園 THE KOCHI PREFECTURAL MAKINO BOTANICAL GARDEN

 

 

さて植物型認識は顕在的意識としては無く其処にてむしろ冥落せし非顕在的意識世界を常に生きて居ります。

其のことを直観致しましたのが参拾代の始め頃で当時わたくしは教材會社の會長さんを車に乗せ名古屋市内の公立小中学校を経巡って居りました。

 

其のとある小学校の駐車場で會長さんを待って居る間に突如として其のことが直観されたのです。

即ち其処にて植物と動物の違いのことを考える訳でしたがまさに其のことが其の認識としての質的な違いであることに思い至りました。

 

また其のやうに「直観」しない限り植物のことなんぞは幾ら調べても分かるものではありません。

ですが植物學者や博物學の場合は所謂「分類」であり「分析」の御仕事ですので其のやうな理解の仕方とはそもまるで異なるものです。

 

以降自分は「本質的に植物が分かった」状態となりよって以降は其のやうな視点ー認識ーで以て須らく植物と相対して参った。

故に何故か植物の気持ちが其の侭に良く分かるのです。

 

 

まあ其のやうなことを言い始めるとまさに「妄想世界」のことを論じて居るやうに聞こえるのやもしれぬがあくまで事實としてほんたうに其れが分かるのです。

 

かと申して自分は特に「園芸」が好きな訳でも無くまた「庭作り」に勤しむ訳でも無く只植物が心より好きで常に其れに寄り添うタイプの人だと云うだけのことであるに過ぎない。

またさうして其の植物と動物の「認識の上での違い」を常に實感として感じて居る人間である。

 

其処には常に其の、

 

「植物型認識」⇔「動物型認識」

 

との弐元論が縁起せられて居り要するにさうしてバランス関係の上に成り立って居る訳です。

 

其れもまた厳密には、

 

「現存在の認識」⇔「獣の認識」

 

との弐元論などもまた其処には縁起せられて居る。

 

つまるところは「現存在の認識」は弐重に其の「植物型認識」よりむしろ隔てられて居る。

だから常にむしろ「植物」をこそ欲して行かねばなるまい。

 

 

見ごろの植物| 高知県立牧野植物園 THE KOCHI PREFECTURAL MAKINO BOTANICAL GARDEN

 

其の「牧野植物園」なるものへは訪れたことが無いが地元の「東山植物園」には大抵年に4~5回程は訪れ様様な植物を愛でるなどして來て居る。

東山植物園の見どころ完全ガイド | おでかけノート (odekakenote.jp)

 

尚自分は基本動物よりも植物の方をより好む。

また動物よりも鉱物の方をより好む。

 

そんな人間であるから「牧野植物園」などは如何にも似つかわしいことかと自分でもまた思うのだがとりあえずはそんな「植物的人間」故にか行動範囲が狭く其れでもってそんな遠くに迄出向く気力及び體力には常に欠けて御座る。

 

でも兎に角是非行きたいところでもあるので此の際ネット上で行けないものだらうか?

 

ヒスイカズラ - Wikipediaと云う南洋の靑い🌸があり其れを五年程前に「東山植物園」の温室にて初めて観て以降はまさに其れの虜となりつつある。

ヒスイカズラとは?翡翠の色が綺麗な花びらの特徴や見頃の時期をご紹介! | BOTANICA (botanica-media.jp)

 

どだいわたくしは其の靑い🌸が最も好きである。

其の靑い花もまたあるにはあるが其れは常に数や種類が限られて居りいつも其れが身近に咲く訳では無い。

 

であるからこそ其の靑き🌸の価値もまた増すのである。

 

 

NHKの連続テレビ小説「らんまん」で話題の牧野植物園を取材! 牧野博士と植物園の全てを教えちゃいます! | GardenStory (ガーデンストーリー)

 

素晴らしい。

まずは此処にて牧野 富太郎博士の生き様のことが良く分かりました。

 

尚其の「らんまん」の方はまだ視られて居ません。

出來たら総集編のやうなものを視られたらともまた思います。

 

朝ドラも決定!「高知県立牧野植物園」は植物愛に溢れる今注目のホットスポット | GENIC編集部 | GENIC|ジェニック (genic-web.com)

 

こちらは画像も飛び切りに美しくまるで樂園の如くに其の「牧野植物園」の様が描かれて居ます。

 

さて其の文明の「持続可能性」のことに就いてはむしろ「自然の側其のものである植物の認識」をこそ手本にすべきだと自分は考えて來て居ります。

また「自然の側である植物の認識」とは当たり前の話ではあるが「現存在の認識」とは遠く隔てられて居るものです。

 

其の認識自體をむしろ自然の側に引き寄せるのは人間社會の価値観では無くむしろ藝術や哲學や宗教の側にある認識であり価値観なのです。

また先に述べた「直観」なるものもまた人間社會の認識法では無くむしろ藝術や哲學や宗教の側に発生するであらう認識法のことなのです。

 

 

「牧野植物園」は3,000種類以上の植物と建築物が融合する癒しのスポット!│観光・旅行ガイド - ぐるたび (gnavi.co.jp)

 

かうして写眞を視て居るだけで何だか癒されます。

其の「トビカズラ」なる赤紫色の花は初めて視ました。

 

温室などもまた如何にも雰囲気が良い。

ですが「東山植物園」の温室の方にもまた似たやうな植物はありますのです。

 

植物学者・牧野富太郎博士 生誕160年。緑豊かな「高知県立牧野植物園」で過ごす春の1日|ことりっぷ (co-trip.jp)

 

ほーう、かうして壱🏔全部が植物園となって居るのか。

でも「東山植物園」はもっとデカいんです、實は。

 

何だい其の地元贔屓の様は?

いやさうでは無く全てがほんたうのことなのだ。

 

東山植物園」には山が幾つもあり其処を歩くのですが足の惡い年寄りなどには元元無理なところなのだ。

すると自然派の君でももう今は無理なのか?

 

いえ自分の場合には食い物さえあればもう何処までも行きませう。

其の食い物とはズバリすき家のカルビ丼の其れも特盛りですね。牛カルビ丼 | すき家 (sukiya.jp)

 

「特盛り」ですと930円となり値は張るが兎に角腹壱杯に食えるのです。

 

すき家の特盛はどのくらいの量か徹底調査!並盛2杯とどちらがお得? | jouer[ジュエ] (jouer-style.jp)

 

まさに此のことこそが問題です。

結論から言えばすき家のカルビ丼の特盛りは物凄く御飯が多い訳では無く従って並み盛り弐つの方がより腹が膨れることでせう。

 

 

ネモフィラ咲く高知県立牧野植物園のこんこん山広場へ(高知県高知市) - RITOPHOTO│リトフォト

 

其のネモフィラなる靑い可憐な🌸がまた綺麗です。

かうして靑い🌸は兎に角美しい。

 

尚家の庭にはたった今エビネ蘭が咲き競いつつある。

エビネラン(エビネ蘭)とは?香りなどの特徴・種類や育て方を紹介! | BOTANICA (botanica-media.jp)

 

其れも昨年は絶滅したかのやうに見えてかうして今年はまた繁茂しつつある。

植物とはさうして不可思議なるものでもまたある。

 

植物はいつもさうして静かですがむしろ生命力の方は決まって旺盛です。

 

さてつい先程庭に脚立を立て木苺を参つ収穫したが此れは正確には黄苺であり其れも正式には「モミジイチゴ」とのことである。

 

モミジイチゴ - 植物図鑑 - エバーグリーン (love-evergreen.com)

四季の山野草(モミジイチゴ) (ootk.net)

 

其れがまた大層美味いのである。

要するに自然の甘味ダケなので所謂菓子の甘さとはまた別物にて其れぞまさに自然の恵みとしての御味である。

 

つまりは其れがまたチョッコレートなどに慣れた舌からすれば未知の領域での甘みとなる。

また現代人は其の自然な舌をこそおそらくは失いつつあるのではないか。

 

もしも自分が死んでから誰かに「地球上で何が壱番美味かったか」と聞かれたら其れは庭から採った其の「黄苺」だとさう答えるのであらう。

 

 

スノーフレーク - みんなの花図鑑(掲載数:3,406件) (minhana.net)

 

拾年程前迄庭には此の🌸が多く咲いて居たが現在では何故か絶滅して居るやうだ。

また紫色で可憐でまた不可思議な🌸がまた春には良く咲いて居たものだが其の🌸の名をすでに忘れて仕舞った。

 

だが本日はまたカラタネオガタマの開花にも気付き早速に其の🌸の香りを確認した次第である。

カラタネオガタマとは?その特徴や育て方をご紹介!名前の由来は? | BOTANICA (botanica-media.jp)

 

其の「カラタネオガタマ」には何と「バナナ」の香りがするのである。

尚其の「カラタネオガタマ」と「オガタマノキ」が實は別物でありよって世では非常にややこしいこととなっておる。

 

オガタマノキ - 庭木図鑑 植木ペディア (uekipedia.jp)

 

即ち「オガタマノキ」がこちらで此れには別に「バナナ」の香りなどは無い。

だが神社や佛閣などでは間違ってか其の古來より日本の神聖なる木である「オガタマノキ」の代わりに「カラタネオガタマ」が植えられたりもまたして居るのである。

 

例えば「徳林寺」の鐘楼横の螺旋階段の際並びに「城山八幡宮」の参道階段の途中の踊り場の際には其の「カラタネオガタマ」がしかと植えられて居る。

すると其処を通ると何やら其の「バナナ」の香りなどが強くするのである。

 

尚、其の家の庭に「黄苺」の實がなるのと「カラタネオガタマ」の🌸が咲くのはしかしながら時節的にどうも早過ぎるやうに思う。

其れ即ち「地球温暖化」との事實をこそまさに其のことが如實に示すことなのではないか。

 

どだい「黄苺」なんぞはかって5月終わり~6月頃に確か収穫し食ってはおらなんだのか。

 

いずれにせよ文明は今や非常にマズいこととなって居るのであらう。

居るのであらうがかうして人間共は腹が減れば果實の實を収穫し且つ其れを食いまた🌸は愛でるわ酒は飲むわでさうして常に騒がしいと來て居る。

 

 

万太郎が文字を学ぶきっかけとなった本草綱目って? | NHK

 

そも其の本草綱目」とは所謂博物學の本なのであらう。

其の博物學と言えば荒俣宏 - Wikipedia氏である。

 

ー子供の頃の夢は隠居

極度の甘党としても知られており、「若い頃には深鍋に15杯分の汁粉を作って食べていた」「時間を惜しむあまり普通の食事をせず、代わりに編集者の持参するお菓子が主食状態となっていた」「中華料理屋に行っても杏仁豆腐しか食べない」等の逸話を持つ。ー荒俣宏 #趣味嗜好 - Wikipediaより

 

どう考えても其れはオカシイ。

だが最もオカシク且つマズいのは自然の摂理から離れ過ぎた文明社會其のものによる認識ー価値観ーの方である。

 

故に文明社會は今まさに「植物」から學ぶ必要が大きくあるのではないか。

其れは日日何を食い何を儲けさらに何を信じるかと云うこと以上に大事なことなのではなからうか。

 

 

さて昨日は書き忘れて居たが其の東山のユーカリ畑の傍らに所謂雑草が何処までも生い茂って居たのである。

其れを良く良く眺めるにまるで💎の如くに其れ等の叢が美しいのだ。

 

其れ等の多くには小さく可憐な🌸がまた咲いて居る。

どうも其のやうな園芸品種では無い雑草の数数こそがむしろ眞の意味での自然の美を形作るのではあるまいか。

 

左様に我は其の「雑草の美」をこそ愛してやまぬ人間である。

牧野 富太郎博士はかって其の「雑草」に逐壱名を付けられて行かれたのださうだ。

 

其の「雑草」よりも劣るものがむしろ人間の拵えし社會の仕組みなのではなからうか。

などと相変わらずまさに否定的に文明の仕業を見詰めつつ自分は其の叢の輝きに我を忘れ観入って居たのだった。

 

ー以降は梅雨の時期まで投稿回数を減らし週壱ペースに「限定」させて頂きますー