目覚めよ!

文明批判と心の探求と

連休スペシャル 壱 ガレ場での採集から徳林寺へと向かう

壱 ガレ場での採集から徳林寺へと向かう

 

 

 

サア、今日は雨降りでもって作文の日だ。

だがみんなは今日から連休の筈だ。

 

でも我は天気の良い昨日すでに遊んでも来た。

どうだ、ザマアミロ。

 

みんなはさうして社會の価値観に従い火星にて暮らし挙句に早死にせよ。

我は断固として其の妄想と闘い此の地球上で多くの動植物と滅びを共にする積もりだ。

 

 

さてもまた何処で遊んで来たのだ?

また何ぞ悪いことをして来たのか?

 

いえ何せこんな善人ですのでやることなすことが全て神佛の御心に従うと云うむしろ眞面目壱本槍での思考であり行動です。

故に間違っても今時の警察官や教師がやりがちな👩の子のパンテーの盗撮などに勤しむ訳では御座りません。

 

 

さて昨日は我が家の庭にまさに久方振りに庭師が入った。

庭師が入ると庭もサッパリとするが其処で事前に指示を与えて置かぬともうエライこととなる。

 

何故なら参年程前に違う庭師が来た折に玄関の際にある大事な金明竹キンメイチク/きんめいちく/金明竹 - 庭木図鑑 植木ペディア (uekipedia.jp)を伐られて仕舞い結局其れが消え去ることとなったからだ。

故に、

 

1.南天を伐るな

2.オガタマを伐るな

3.木🍓を残せ

 

とさう指示をして置いてから山へ行った。

 

其の木🍓は此処数年ばかり収穫を愉しみにして居るものである。木苺(キイチゴ) (hana300.com)

 

尚其の金明竹にて我はかってボールペンを作製した。

今や其れが我が家の金明竹の忘れ形見となった訳だ。

 

 

さて其のオガタマであるが、實は其のオガタマには弐種類がある。

 

オガタマノキ - 庭木図鑑 植木ペディア (uekipedia.jp)

こちらのオガタマノキ - Wikipediaは神社に植えられたり神前に供えられたりする所謂神道と関連の深いある種高貴な樹種である。

 

されど我が家に植えられて居るオガタマはカラタネオガタマ - Wikipediaのことで其れは中國原産でもって江戸時代に我が國へ渡来したものである。カラタネオガタマは庭木に最適!特徴と栽培のコツを紹介 - ミツモア (meetsmore.com)

 

但しややこしいのは此のカラタネオガタマもまた神社などに植えられて居ることがあると云う事實である。

だからもう何が何やら分からなくもなる。

 

まさに其処は日本の宗教其れ自體がもう何が何やら分からないのと同じことで要するに其処に限り合理化されて居らず至極適当なのだ。

 

まあ理性的に見ればまさにさうしたこととなる。

然し物事の全てを合理化して見る必要など元より無い。

 

特に自然界のものは理窟だけではまるで愉しめない。

むしろ理窟を忘れて感性にて付き合うのが自然との正しい向き合い方なのだ。

 

 

ちなみに其のカラタネオガタマには結構強い芳香があり其れはバナナの匂いである。

其のバナナの匂いが我もまた母も大好きなのだ。

 

 

おや、何処かからバナナの香りがする…。

 

其れは昨日の午後のことだった。

我は其の時相生山徳林寺の境内に居た。

 

丁度梵鐘の鐘楼へ登る階段の途中で其の香りに気付いた。

ふと横を見ると其処にはカラタネオガタマの🌸が咲き競って居た。

 

 

静かな山の中に佇む徳林寺はそんな素敵な御寺であった。寺院紹介 – 相生山徳林寺 (tokurinji.org)

其処には立派な梵鐘がある。

でも其れは許可無く撞けぬ。

 

徳林寺/愛知県 (chindera.com)

こちらには其の鐘楼の様が詳しく載って居る。

鐘楼の全體像を写した画像の右手に其のカラタネオガタマの木も写って居る。

 

それにつけてもまさに此処までやるか?と云う感じでの禅宗寺院である。

壱言で申すと寺とテーマパークを足して弐で割ったやうな感じの御寺である。

 

だがあくまで緑濃き山の中の寺院で静かである。

勿論人間とは壱人も遭遇しなかった。

 

 

で、問題は何故わたくしが昨日其処に居たのかと云うことである。

實は昨日我は其処を訪れた訳では無かったのだ。

 

また石採りの方で相生山のガレ場を訪れソコを攻め込んでから山の中を歩いて居ると霊園の案内が林道に立って居た。

面白さうなのでさう云うのは必ず見に行く我である。

 

すると其処には何と立派な八角形の御堂が建って居たのだった。

 

永代供養・納骨 – 相生山徳林寺 (tokurinji.org)

こちらで御坊様が写って居る画像があるが其れが其の霊堂の内部ー百八霊園ーである。

かうして中には多くの御墓があった。

 

 

其の今流行りの永代供養墓なるものを我は手放しで認めては居ないのだけれどもー其れも佛教がやることは供養では無く苦悩の放逐であると云う観点からすればー、其れもまあ墓マンションみたいなものからすればこんな八角堂のやうなものの方が余程に健全であらう、などとも思いつつむしろ嬉嬉として其れを眺めて居たのである。

 

神も佛も今や金次第。

と云う何だか割り切れぬ気持ちは残るのだけれど、何でか知らぬがさうして山の中の林道から自然と我は其の徳林寺へと導かれて行ったのだった。

 

其の霊園は徳林寺の南端にある。

北へ向かうと右手に池があり白い観音菩薩像が立って居る。

 

さらに北にある本堂の造りはなかなか渋く悪くは無い。

されど周りには色んな施設があり要するに其処に亜細亜からの留学生や僧の宿泊施設や宿坊までがあり何処かのキャンプ村のやうにもなって居るのである。

 

 

さてもさうしてアナタは寺巡りが好きなのですか?

まあ其れが壱つの気晴らしでの趣味なのでせう。

 

ですが我は観念上もまた常に佛法と格闘して来て居る。

だから佛教に対してはまた世人の方方とは違う意見をも持ち合わせて居る。

 

なんですが、かうして現實として何かと寺と御縁が結ばれることも實は重要なことなのです。

つまりは導かれる侭に己が其処に至ると云うこと自體が如何にも不可思議なことでせう。

 

 

其れでもってガレ場の方の具合はどうであったか?

其のガレ場は思ったよりも広範囲で其処に転がる石の量も多かった。

 

地元で我が此れ迄に経験した中で最大級のガレ場だった。

しかもさうして自然に石が落ちて溜まる訳ですので大雨の後や台風の後など何度でも石が出て来る可能性が高くある。

 

谷へは落ちなかったか?

其処はまあ慣れても居りますので…。

 

 

でも林道の方で大樹の枝が額をかすり少しばかり怪我をしました。

 

石はあったのか?

ええ宝石級も幾つかは…。

 

要するに自分が入って居ない場には何かがあります。

でもわたくしが浚えて来た場にはもう其れこそバカボン石しか残って居ない。

 

 

バカボン石?

いや實は正直石もまたピンキリでしてね。

 

つまりは石もまた其のほとんどは馬鹿でボンクラなタダの汚ねえ石だ。

つまりは其れはお釈迦様やイエス様の如き石はまず何処にも出ないと云うことだ。

 

もっとレヴェルが下がってインテリ級の石にせよ其れはほとんど出ないと云うことだ。

すると石の世界は、其の石の世界こそが価値ヒエラルキーの場なので?

 

もうズバリさうでせう。

幾ら僕でもそんなバカボン石には目も呉れないのだ。

 

するとお前は其の貴族の石だけを狙い其のガレ場にて奮闘して来て居るのだな?

まさにさうです。

 

 

💎の世界とは左様に如何にも現金でもって厳しい世界のものだ。

つまりは単なる石でももう生まれつきに出来の区別が生じて居るものなのだ。

 

でも其の区別を生じさせて居るのがあくまで人間の側の心である。

なので最終的に問題となるのは石の出来如何では無く其れを見詰める人間の心の出来如何なのだ。

 

其れは其れはまた深い内容の御話で…。

ですがお前自身はあくまでさうやって💎級の石をガレ場から盗んで来るばかりでのことだらう。

 

アンタ、こんなに眞面目な佛教詩人を何故さうしてイジメ抜くのですか?

さうして此のわたくしめを犯罪者の如くに扱いすぐに牢屋へ入れやうとなさるのですか!

 

相生山の神がまた相生山の佛がもはやお前を決して赦しはすまい!

 

 

そんな訳でまさに収穫の何かと多かった昨日だった。

 

壱番屋の🍛を買い家へ帰ると丁度庭師が帰るところだった。

とりあえず終わりましたので確認をして下さい。

 

庭は如何にもサッパリとしたが蠟梅や紅梅が可成に伐られて居た。

数年前天白川の川岸の木が軒並み伐られもはやダメかと思われたが自然の回復力によりまた其れが生えて来て居る。

 

来年はもう🌸が咲かないのではないかと心配する母に其のことを告げて置いた。

けれども人間のやることには概ね節度が欠けて居るのでとりあえずは其れを批判的に見詰めて置くべきだらう。

 

 

其のカラタネオガタマを確認すると気付かなかったのだが随分上の方にすでに沢山の🌸が咲いて居る。

ところがあくまで上の方で咲いて居るので其の香りが下へ漂っては来ぬ訳だ。

ではまた今度脚立でもって其のバナナの匂いをしかと嗅いでやらう。

 

人間に出食わさぬ採集と寺巡りをしたのは久し振りのことでありさうして何もかもが新緑の靑き空気の世界の中に煙って居たのである。

 

 

自然との交流、其のやうに自然と交感することは今や人間に取り最大級の価値なのだと言えやう。

但しさうは言っても都市部の人間達にはなかなか其のことが伝わらぬことかと思う。

 

何故なら都會の人間達には大なる欲望への強いバイアスが常に掛かって居るからでのことだ。

其のバイアスには然し誰もが気付いて居ない。

 

まさに其れが合理化へと勤しむ文明の価値が齎すところでのものだ。

其の価値に洗脳され切ってはならぬ。

 

とさう我は述べ続けて来た。

 

 

其の文明とはついやり過ぎて木を切り倒し過ぎる庭師のことである。

 

しかれども庭は整備しないと逆に荒廃する。

もう草ボウボウとなりまさにお化け屋敷の如くとならう。

 

なんだけれども其れをやり過ぎぬやうに、木を切り倒し過ぎぬやうに歯止めをかけるのは常に理性の働きだ。

 

理性とは其のやうに自然と人間の欲望の調和を図る實利的なものでこそあるべきだ。

とどのつまりは人間はホイホイと周りの言う事を鵜呑みにする馬鹿では金輪際イケナイ。

 

其れにたとえバカボンのパパであれ馬鹿田大學だけは出て居て其処にてちゃんと學んで置かねばならぬ。

其れにアノ岸田は早稲田大學を出て居て…。

 

いやだからアノコイズミの馬鹿息子よりはまだしもマシではないか。

かと言って岸田を全的に信じて居てはイケません。

 

 

おおおー、庭師だ、其の庭師。

今こそ其の優秀な庭師が必要なのだ。

 

其れは例えばかの村雨辰剛氏の如き庭師なのですか?

さうです、其の村雨 辰剛氏から今こそ我我は學ぶべきです。村雨辰剛の和暮らし - YouTube

 

我我日本人がすでに失いし其の和の心をば。

 

ちなみに日本の伝統的価値観が偉いと云う訳でも何でも無く只自然と共生しつつ生きる其のライフスタイルが単に現代に於いては優れて居ると云うことを兎に角言って置きたいばかりです。

そんな訳で連休中は皆様是非自然と戯れてみて下され。

 

 

ですが雨が…。

 

馬鹿者!

むしろ雨だからこそ筍が掘り易くもなるのだらうが。

 

其れに御🌸もかえって濡れて綺麗だらう。

兎に角お前等都會人は今すぐに都會を離れ山や海へと繰り出し帰りには御寺に御参りしてつまりは金を使わずに是非壱日を過ごしなされ。

 

尚従妹ー飛騨高山の出の方のーが「筍御飯」や味噌おでんを持って来て呉れたので本日は其れ等を食して居ります。

ちなみに其の味噌おでんの評価に関してはまた次回でのこととなります。