さてかうして否応なく世界は劣化していくことであらう。
其の劣化とは文明の本質であり自然の本質でもまたある。
だが自然は破壊を生じず。
破壊を生ずるのは人間の営為によるもののみ。
いや、其れはおかしひ。
地球の歴史を學ぶと其れが破壊の歴史でもあったことは一目瞭然だ。
破壊毎に進化が引き起こされまさに我我のやうなスーパー生命であるホモ・サピエンスが生まれるに至った。
故にホモ・サピエンスは破壊したのでは無くむしろ構築したのだ。
即ち抽象的願望を具象化するに至り其処で近現代と云ふスーパーな世紀を切り拓ひたのだ。
我我はもはや病気も怖くは無ひ。
👽にも負けぬ強靭な知性を持つ。
いや神の如き全能性をすでに有する者だ。
我我は直に百五十歳まで生きられやうにもならう。
どんな美女でもアンドロイド妻として迎へられやう。
さらに未来には火星を植民星化することさへも出来やう。
まあさうなのかもしれぬ。
だが肝心なことを忘れて居るぞ。
日本の大都市のインフラは悉く劣化して居るぞ。
ところが其れを全部直す金などは無ひ。
何故なら金が自己矛盾し大金持ちの口座にばかり入ってる。
そればかりか国会議員も劣化して居る。
其れも訳の分からぬ汚職議員や不倫議員ばかりだ。
其れでは如何にも不潔だと思ひ左翼に期待するが左翼もまた頭が悪ひのでー尤も右翼はさらに頭が悪ひのだがー其処でもってまるで問題は解決されぬ。
そればかりでは無ひ。
大地震の兆候が現れ初めておる。
尤も大地震にて死ぬるのは決して悪ひ死に方では無ひ。
むしろ喜んで自然の猛威に晒され死んでいくべき。
さうして家に押し潰され水に流されての昇天だ。
自然には逆らえぬ形での冥途への旅立ちだ。
まさに愉しみなことよ。
一体其れはどーゆう価値観なのですか?
もしや死ぬのが〇なんですか?
尤も誰しも死にたくはありませんのですが。
どーにもならぬことはどーにもならぬので其の侭にどーにもならず死んでいく他は無し。
だから其処には悩み又は苦が存して居らず。
故に其れ等は問題では無ひ。
だが人間の仕出かすことによる破壊には常に問題が生じて居やう。
何故なら其処には選択肢があった、即ち歴史上の選択が可能であった筈の抽象的な歴史過程を近現代社会は歩んで来て居る。
其処に於ひて誤った選択を為して来たとさう云ふことなのだ。
ところが自然の猛威による破壊はまったなしのことでまるで選択など出来ぬ。
だから其れは問題では無ひ。
では問題とは何か?
先を見通すことなく日本の文明を近代化して仕舞ったこと、特に戦後の高度な経済成長のツケが其のインフラの劣化問題として生じて来て居やう。
さらに貧富の格差の拡大の問題と近代的な制度の劣化並びに破綻の問題が其処へ追ひ討ちをかけて御座らう。
問題とは、かような抽象的制度の劣化のことなのだ。
結論としては、近代的な諸制度は人間の行為による負の側面を見詰めることなく歩むものだから須らく劣化するものだ。
人間の行為による負の側面を見詰めると云ふことはたとへば文學の価値観であり宗教の価値観であり🐻や🐗や🐵の側即ち自然の側の論理でもある。
其処では常に両極が見詰められて居るが故に本質的な破壊を免れ得るのだ。
故に其処には破壊も無く問題すらもが無ひ。
さて、今もしも、もしも皆がかの倉本 聰であり故加島 祥造先生である価値観でもって生きて居たとすれば文明には問題など生じて居なひ筈である。
また今もしも、もしも皆が解脱者お釈迦様であり救世主イエス様である価値観でもって生きて居たとすれば文明には問題が生じて居なひ筈である。
今もしも、もしも皆が🐻や🐗や🐵の側即ち自然の側の論理でもって生きて居たとすれば文明には問題が生じて居なひ筈である。
だから文明とはまさに其の破壊者其のもののこと。
かうして抽象的制度は必然として劣化するのだ。
わたくしが問題として捉へることは其の制度上の劣化即ち社会としての歴史過程としての劣化其のことのみ。
其れ以外の劣化乃至は破壊は問題には非ず、とさう述べて居るのだがまさに其処がお分かりだらうか?
抽象的価値は必然として人為的構築物と化す。
其の抽象的価値の具象化即ち近現代の価値観其のものが其の本質的破壊を齎すとさう述べて居るのだ。
つまりは今や文明は其の必然としての本質的破壊過程に組み込まれて居やう。
其の本質的破壊過程を選び取ったのが他でも無ひ我我ホモ・サピエンス自身であった。
さうして人為的構築物としての破滅への道を自ら選び取って来て居る。
人為的構築物の例ー家ー
日本国は地震国であり台風が猛威を振るふ災害の國➡壊れることを前提にし家を簡素にしておかう➡家は潰れたが生き残りまたすぐに建て直せた
人為的構築物の例ー社会制度ー
日本国は島国であり精神性の高く存する武士の國➡反抗しなひやうに大名を参勤交代させ城の普請などもさせておかう➡結果的に其の鎖国政策により270年にも亘る太平の世が実現
昔の人はつまりは分かってる、自ら限定して御座る。
むしろ其のことで長く生き延びて来られた。
人間の行為による負の側面をしかと見詰めて居る。
浮かれた文明の構築に勤しむのでは無くむしろ文化的に日本国を成熟させて来た。
が、其の美徳としての日本人の精神性を戦後民主主義が奪ったのだ。
戦後体制に於ける現世利益への執着の様がまさに日本人の精神性を蝕んでいったのだった。
「厭離穢土 欣求浄土」としての限定の思想➡進歩一本槍での経済成長至上主義へ
言ふまでも無く米国追随での日本の戦後体制は物質的繁栄を齎した。
だが米国とは其れ即ち世界一の革新国家なのだ。
自由と云ふ名の下での限定の解除と進歩と云ふ名の下での人間の巨大化を画策する思想のもとに生まれし国家なのだ。
其の米国に於ける国是と日本に於ける精神性とが矛盾し且つ戦後に於ける数々の破壊を齎して来た。
物質的繁栄は普遍的な便利さや豊かさを生み出すが日本人の精神性にとってはむしろ其れが逆効果ともならう。
戦後民主主義と其の物質的繁栄に背を向け日本人の精神の覚醒を促したのが作家三島 由紀夫であった。
三島 由紀夫は日本人の精神としての純潔を誰よりも乞ひ願って居たことだったらう。
尚三島もまた西洋と東洋の文物の深き理解者であった。
三島は毛深くいや執念深く其の西洋と東洋の文物と精神性に於ける深き谷の間を渡って行った。
其の挙句に垣間見へしものとは日本の文化へのまた日本の精神へと突き付けられしひとつの呪ひであった。
其の呪ひとは破滅である。
このまま進むと日本は米国流の合理思想に蹂躙されやがては文化的精神的な死を迎へざるを得ぬ。
まさに彼には其のことが分かって居た。
三島が何故自衛隊に突っ込み腹を切ったのか?
其れはまさに國ー社会ーを憂ひてのことだったのよ。
石原 慎太郎と猪瀬 直樹はそんな三島の社会的純情に理解を示した。
石原 慎太郎は過激な思想作家だが以前にブログを詳しく見させて頂ひた限りでは其の思想はあながち間違ひでは無ひ。
かように作家は國を憂ひ社会を呪うて自決に至る。
芥川、三島、と過激な作家はさうして社会と闘ひ其処でもって純粋に悩み苦しみ抜き死に至ったのじゃ。
おお、其処にこそ光り輝くことであらう其の文學の大聖堂が!
対する科学者共は一体何をやっておるのか。
科学者共は戦後脳減る賞を沢山取り日本を技術立国へと変へていった。
さうか、其れは偉ひ!
いや、少しも偉くは無ひ。
何故なら技術立国日本など其れはウソの日本の姿よ。
日本国は本来ならば農業国でなくてはならぬ。
其れも味噌や醤油、純米酒、さらに寿司に使ふ酢、などを丹精込めて作る職人の國でなくてはならぬ。
其のやうな変なゲーム機やら携帯コンピユーター、デズニ―ランドなどを拵へる國であっては金輪際ならぬ。
これまでに科学者は一人でも自決するまで悩み抜ひたことがあったらうか?
いーや、悩んでは居らぬ。
金輪際悩んでなど無ひよ。
其のやうな芥川先生並びに三島先生による精神に於ける犠牲があったからこそ今の此の國の繁栄があり曲がりなりにも先進国として今を生きる日本の社会がある。
故に芥川先生並びに三島先生を此の際何処かにお祀りし未来永劫に亘り皆でもって崇めていかねばならぬことであらう。
さうだ此の際文學神社を何処ぞに建立し文學の神として社会と闘ひし作家の面々を、其の自決せし作家の面々をどうしても拝んでいかずばなるまひ。
加島 祥造先生の場合も其処に是非加へられたし。
求めなひ。
されば与へられやう。
先生は其の晩年に独逸人の医師の女性とプラトニックな愛を成就されたのだった。
だが其の人は死んで仕舞ふ。
かように人間の👩は死ぬことからは免れ得ぬ。
だからもう求めなひ。
さうして受け容れる。
人間がいつか死ぬことを受け容れる。
すると欲が消へる。
儲けたひだの、高価な美味ひものが食ひたいだの、綺麗な姉ちゃんとねんごろになりたひだの、豪邸に住み豪華な墓に入るだのさうした下品な夢の全てが雲散霧消し結局愛だけが残る。
愛の救ひ其れのみが人間の全価値なのだとさう見へて来るのだ。
だから其処で加島先生は社会を捨て去ったのだ。
なので其れも社会と闘ふ文學としての闘ひだったのだ。
社会を捨てることは自衛隊に突っ込むことと本質的には同じことだ。
社会を捨て独居し社会をいびる。
皮肉る、バカにする、全否定する。
いやー、楽しさうだな。
ほんたうにそんなことが出来たとしたらむしろどんなに幸せなことだらう。
何、皆様はまるでさうは思へなひ?
さうか違ふんだな、ヤッパリ根本のところが。
其れにつけても聞ひて居られますかかの加島大明神様!
わたくしもかうして詩を書き連ねて来て居ります。
かうして日々散文詩を書かせて頂ひて居ります。
抽象化、其れは我我に残されし最後の精神としての領域だ。
其の抽象の海を何処までも泳ぎ続け結局其処には何も無ひと知った時の空しさたるやまさに如何せん。
欲望を抽象化することで我我は其処に自らを閉じ込める檻を形成して来た。
いざ抽象化されし欲望は限度を持たずして具象領域へとさうして雪崩れ込んでいく。
近代的なものの抱へる本質的罪障とは其の限度の撤廃にこそあらう。
人間の限度の撤廃にこそあらう。
けだし文學は其の虚無の闇をこそ見詰める。
どんな時でも文學は矛盾を闇をさうして死を見詰めつつ歩んでいくものだ。
結局三島や加島は死んでも文學は死なぬ。