目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

読解力とは批判力のことでもまたある

 

PISAで読解力低下 長文に触れる機会作りを

 

其の読解力の涵養も何も、日頃長文を読むことの無ひ環境を社会が創り上げて居ることにこそ此の問題での核心はあり、其れはまさに煎じ詰めれば合理化されし社会をいつの間にか極端な形で推し進めて来し日本の戦後体制なり日本人の価値観の誤りでの問題であらう。

長文と言ったってゲーム浸けSNS浸けの今のガキ共がそんな長文に親しむ程に時間的余裕がある訳でも無く、其れでもって急にこんなものを読んでどうするだのどうだの、そんなことが出来る筈等も無く要するにガキ共にスマフォを与へ続けておる親及び教師の頭の中身がすでに狂っても居らう。

幼き頃よりもうイヤと云ふ程に文學に親しみ、其れも格調高き名文にのみ慣れ親しみ、バカヤロウだの死ねだの滅べ!だのと云った下品な言葉は金輪際使わぬ我の如き文化人には其の長文離れこそが兎に角寂しひのだぞよ。

 

第一此処なども明らかに其の長文の類なのであらう。

よーく読むと實は文自体は至極短く書ひてあるのだが。

が、何やら回りくどく小言が書いてあるが故に兎に角全体的に冗長である。

 

 

だから其処が良ひところよ。

つまりは合理主義では無ひ。

 

元より文學を合理化などしてはならぬ。

文學とは要らぬもののことぞ。

 

其れもなるべく長ったらしく嫌みったらしく書ひてあるものが良ひ。

 

たとへば太宰 治などが特におススメだ。

 

さう小中学生には太宰 治を読んで是非厭世的ー捨てばちーになって頂きたひものだ。

 

文學の価値とは、価値では無ひものをあへて見詰める其の価値のことを云ふ。

 

対して価値を価値としてしか見ないのが合理主義であり、まさに其こそが科学的思考力であり現世利益崇拝主義だ。

 

 

第一そんな短文でもってして一体何が分からうか。

 

中学生位からは文學と格闘し其れこそ頭の中がゴチャゴチャでもってグチャグチャにならなければ何も分からぬ。

 

其のゴチャゴチャでもってグチャグチャにならなければならぬものを合理化し取り除ひて仕舞ふからこそ其処にもはや文學が成立しなくなるのだ。

 

 

だから太宰で良ひ。

 

人間失格万歳!

桜桃万歳!

アノ飲んだくれの心中野郎万歳。

 

また安吾などはキチ外じみて居てまことに素晴らしひ。

 

キチ外安居万歳!

白痴万歳!

風博士万歳。

 

 

かように文學などアホンダラがやるものでまともな父ちゃんがやるものには非ず。

 

だが其の「まとも」な奴程合理化へと走り易ひ。

 

合理化即ち利益至上主義やらスマフォ浸けやら無信心へと傾き易ひ。

 

だからほんたうはむしろソッチこそがバカだ、マヌケだ、おおまさに救ひ難きアホンダラだ。

 

 

【PISAショックとか言うな!】読解力低下をどう受け止めるか

 

かうした反論もまたある。

確かにさうカンタンな問題では無ひ。

 

其処には様々な要素が絡んでも居やう。

 

但しわたくしは其れを大問題だと受け止めて居る。

 

日本人にとっての本質的大問題なのだとさう捉へるのだ。

 

何故か?

 

日本人は極めて特殊な状況、条件の中で戦後最も合理化されし国民だとさう捉へて居るからだ。

 

1.戦後の価値の転換

2.全体主義的な体質

3.批判力に欠けるところ

 

日本人の価値観は戦後に於ひて百八十度変わった。

 

軍国主義民主化

男尊女卑➡男女同権

前近代的な秩序➡近代的な秩序

 

では日本人の心は果たして其れに対応し切れて居たのだらうか。

 

 

結論から述べると日本人の心が其れに対応し切れぬ侭に要するに訳の分からぬ侭に人の良ひー批判力には欠けるー日本人は次々と合理化されて来ざるを得なかった。

 

では其の合理化により何が起こるのか?

 

日本の魂ータマシヒー、良妻賢母の喪失並びに日本人の精神の大破壊である。

 

其の子供の読解力の低下などはまだまだ其の破壊の序章であるに過ぎぬ。

 

日本人は元々変わりたくは無ひ、まさに不器用な島国根性丸出しの民族であるに過ぎぬ。

 

ところがある意味では世界で最も近代化を急速に推し進めた国家と結果的にはなった。

 

 

まさに其処が問題なのである。

 

近代化ー現世利益化=合理化ー⇔読解力ー文學的な力ー

 

なので、今我我の孫たちの頭の中身はすでに高度に合理化されて仕舞っておる。

 

其の様やもはやほとんど人間では無ひ程までにゲーム化されつぶやき化され文學的センスは概ね其処に奪はれて仕舞って居らう。

 

 

元より其のやうな体では太宰などもはや何処にも入り込めぬではなひか!

 

生まれて、すみません。

 

子供よりも親が大事、桜桃。

 

との其の素晴らしき屈折の世界、其れも何重にも屈折した其のタマシヒの乱反射と真理への照射力とが。

 

 

要するにすでに文學もクソも無ひ。

 

兎に角ガキ共をスマフォ地獄から早う救ひ出すべきだ。

 

 

新聞は、しかしながらかさばるし存外に購読費なども高ひ。

 

新聞購読と年賀状での虚礼は残念ながらすでに必要無ひのだとも言へやう。

 

だから新聞は電子有料化すれば良ひのであるし年賀状なども是非電子有料化すべき。

 

第一昔の年賀状は心が籠って居り良かったが今のものは虚ろな挨拶状であるに過ぎぬ。

 

だからもう要らん。

 

年賀状反対!

 

 

日本人のしていることで一番分かりにくひのがかうして変わりたくは無ひ民族であるのに戦後に社会を一番変へて仕舞ったことである。

 

其の矛盾こそが日本人の精神性を深ひところで蝕む筈だと以前からわたくしは述べ続けて来ておる。

 

 

であるが故に、其れは近代の抱へる問題とはまるで別箇での日本国の抱へる固有の問題なのだ。

 

経済成長を成し遂げ浮かれ騒ひで居た日本国の精神性はさうしたまさに思わぬところから破壊の憂き目に遭ふのである。

 

先に子供の躰の内部の駄目さ振りにつき述べたが、實は其ればかりか精神の方もすでにやられかかっておるのであらう。

 

 

ではどーしたら良ひかと云ふことだが特に最近はもう皆で世を捨てて山にでも籠るしか他に方法が無ひやうな気がしてならぬ。

即ち日本国を捨て去る。

 

極左思想としてさうするのでは無くして、必然としての保守の結論として其のやうに乱れに乱れ壊れに壊れつつある國を捨て去る。

 

さうして其処でもってお勉強に勤しむ。

 

かっての水戸藩会津藩よりの保守思想などを今一度學び直しコレ等を今後の日本国の指針となすべく日々研鑽に勤しみ剣の腕を磨きつひでに柔術の方をも學ぶのじゃ。

 

 

どだい批判力には欠ける日本人はわたくしのやうにオリジナルテー豊かな意見を述べることなどは特に苦手だ。

さうでは無く批判人間、其れも何から何までをも反対する嗚呼まさに村八分人間へと、其の文學的素養を身に付ける為には非国民であることさへをも厭わぬアウトサイダー根性へと転換していかずして何とする。

 

 

かうして頭の中が全部世間とは反対のことばかりだ。

そんな素晴らしきことが他に此の世にあらうか?

 

だから読解力が無ひと云ふことはそも批判力もまた無ひと云ふことだ。

 

であるからこそ其れは日本国が抱へるだらう精神的な危機なる大問題とまるで相似形での問題なのだ。

 

 

PISA調査 日本の読解力低迷、読書習慣の減少も影響か

 

だから何度も言って居るやうにまずは現代文明が提供するところでの諸の価値につき批判し価値の選択を自ら行わなければ只大衆として其の合理化に組み込まれていくばかりで要するに次第におバカしていくばかりでのこと。

 

おバカ化すると読解力どころか其のうちに漢字もまともに書けなくならうし無論のこと本を読むことすら出来なくならう。

 

すでに其のおバカの一歩手前まで君達日本の青少年は来て居らう。

 

だからまず君等がすることはSNSだのゲームだのそんな訳の分からぬことではなく今すぐに自転車に乗ることだ。

 

すぐさまに自転車に跨り自力にて古本屋まで行く。

 

さうして其処の店頭に並べてある百円均一の文學書または哲學書を十冊程買って来給へ。

 

其れをまずは一年程かけて読む。

 

 

かように読むと云ふことは合理主義には非ず。

 

嗚呼まさに脇目もふらずに読むー(知識を)食ふーと云ふことだ。

 

即ち男女交際、受験勉強、宗教、👪との団欒などの全てに背を向けて其れ等に読み耽る。ー(知識を)貪り食ふー

 

 

するとアレアレ不思議、もはや君は作家の先生方並の読解力をすでに身に付けて居たのだった。

 

実際其れが不思議なのだ。

 

 

只本を読んで居るだけ。

 

なのに現代国語はいつもトップの成績にもなれるものだ。

 

尚、批判力は総合的な學びの中からやがて自然に醸成されて来るものだ。

 

但し其れは自己批判力には非ず。

 

社会とか文明とかさういったものへの批判力だけは間違ひなく其処に醸成されて来やう。

 

 

但しじぶんを批判する為には宗教をやってみなければならぬ。

 

世界中で一番難しひこととは其の自己への批判であり自己反省なのだ。

 

だから其処で宗教につき學ぶ。

 

無論のこと其れも男女交際、受験勉強、宗教、👪との団欒などの全てに背を向けて其れに取り組むべし。

 

 

其のやうな修行に邁進してみたところいつの間にやらこんなんなっておった。

 

尤も其れが良ひか悪ひかなんてことは結局じぶんにしか分からぬことだが。