かのグレタさんが今トランプ大統領とやり合って居るとのことである。トランプ氏、「今年の人」トゥーンベリさんは「怒りを抑制すべき」
「すごくばかげている。グレタは自分が抱えているアンガーマネジメント(怒りのコントロール)の問題に取り組んで、友人と一緒に古きよき映画を見に行くべきだ。」 「落ち着けグレタ、落ち着け!」(Chill Greta, Chill!)
一方でグレタさんはタイム誌が11日に発表した「今年の顔」に選ばれた。1927年に選出が始まって以来、最年少での選出だそうだ。
「地球が今年直面している最大の問題において、彼女は最大の声となった。どこからともなく現れ、世界規模の運動をリードするまでになった。」
グレタさんの怒りとはあくまで義憤なのだとわたくしは以前に述べた。
其れは真実の怒りである。
何故なら彼女の怒りには一切の現世利益が含まれては居らず。
即ち彼女は人類の存続と云ふ未来だけを其処に望むのだ。
文明と云ふシステムに本質としての問題が大きく存するが故に我我の未来は事実として風前の灯なのだ。
其のことをごく一部の知性のみが察し警鐘を鳴らし続けて来た。
だが人間の感度には大きく幅がある。
鈍感な奴は生まれつきに鈍感でしかも死んでからにしてもが鈍感なのだ。
敏感な奴は生まれつきに敏感でしかも死んでからにしてもが敏感なのだ。
其の感度が文明としては大きく下がったことだらうとわたくしは見ても居る。
謂わば鈍感文明のさ中に我我は埋没して来て居り従って特に戦後我我にはまるで危機感など無かった。
其の危機感を伝へるものがそも存在して居なひのである。
むしろ🐻や🐗、さうして🐒や🐍、さらに森林破壊や気候変動と云った自然の側からの反発でありメッセージのみが其れを伝へて居たのだ。
さうなって仕舞ったことのひとつに、近代社会の女性化=女性の願望の実現化と云った要素が大きく絡んで居やうとわたくしは見て居る。
事実社会は自然や不合理要素との闘争の状態から人間存在の質的な勝利の段階へと移行して来た。
其の段階に於ひて子宮思考こそが社会の思考として規定され始めたのだ。
子宮思考其れ自体に男性による武装闘争の如き戦闘力及び危機意識など元より望むべくも無ひ。
だから我我はいつしか飼育されしブロイラーの如くにまさに家畜の群れと化していく他は無かった。
其のやうな家畜の群れに対して放たれた怒りが何故か少女としてのグレタさんの怒りであった。
わたくしは其れを子宮の直感なのだらうとさう感じた。
子宮が人類には未来が無ひと云ふことをつひに感じ始めたのだ。
トランプ氏は「自分が抱えているアンガーマネジメント」こそが大事だとさう述べられたが其のアンガーマネジメントはむしろトランプ氏自身が行わなければならぬものでもまたあらう。
グレタさんの怒りとはさうした未来を見据へし大きな意味を含む怒りでありトランプ氏自身の上昇指向や米国の利益第一主義などとは次元を異にする謂わば地球規模での怒りなのだ。
ソコんとここそが世間の成功者、又は俗なる奴等、嗚呼まさに鈍感な奴等、鈍感過ぎてブロイラー化して居る奴等にはまるで分からぬことだらう神々の世界のお話なのだ。
ではグレタさんは神々の意を告げる巫女か又は預言者なのですか?
いやさうなのでは無ひ。
ただとても利発で敏感なだけなのだ。
説得よりも大事なのは「希望やメリット」「グレタ・トゥーンベリ的な言い方では、世界の人々は動きません」
但しかうした反論もまたあらう。
だが此の種の反論には常にある種のバイアスがかかって居やう。
実際には近代を學問的に分析すればする程に其処から悲観的な結論が齎されても来やう。
其処で學べば學ぶ程に近代とはさうなるべくして其処へと至る滅亡への過程であると分かっても来やう。
逆に遊べば遊ぶ程に近代とはさうなるべくして其処へと至る現在と云ふパラダイスへの過程なのだ。
事実金さへあれば女遊びもマニアもし放題だぞ。
だから其のパラダイス化すること自体がほんたうは間違って居る。
資本主義は左様に間違って居る。
のみならずあらゆる人間の欲望は全て間違って居る。
其処に於ける正解はひとつだけで、其れは現世を捨て去ることだ。
但し其の捨て去り方には二種がある。
ひとつはキリスト教でのやうに現世での欲や価値を相対化し神に帰依することで絶対的救済を受けることだ。
いまひとつは仏教でのやうに現世での欲や価値を相対化し最終的には佛としての価値をも相対化することで自分をも相対化して仕舞ふ=消し去る、自己救済すると云ふことであらう。
『2019年、仏紙「ル・モンド」がフランス国民を対象にアンケートを実施したところ、「“個人的に”最も心配しているテーマは何か?」という設問への回答は、「環境保護」(52%)がトップだった。経済問題としての「購買力の低下」(43%)を上回っていた。
10年ほど前に生まれた「ソラスタルジア」という造語は、とりわけ若い世代のあいだに広まりつつある。気候変動によって引き起こされる心理的苦悩をあらわすために、オーストラリアの哲学者グレン・アルブレヒトが造った言葉だ。
さらにこの若い世代は、現代の新たな黙示録の騎手たる「崩壊学者」たちの退廃的な魅力にも惹かれている。』説得よりも大事なのは「希望やメリット」「グレタ・トゥーンベリ的な言い方では、世界の人々は動きません」より
かように今欧米人の危機意識と日本国民の意識との間には大きく隔たりがある。
何故なら近代文明は其の黙示録的な記述としての崩壊をも必然的に含む文明である。
だが實は其処まで學んで居る日本人などほとんど居やあしなひ。
皆様此の文明は「良く」て「立派な」文明だとさうカン違ひして見て居る。
其の様や例の黒船ショックの時と本質的にはまるで変わっていやしなひ。
其れでもって皆が洋服を着込み七五三だの初詣だので神社へ詣でたりお寺で座禅を組んだりもして居やう。
何故此処まで頭が弱くなったのだ、日本人は。
つまりは文明に対する意識が低ひ、余りに低過ぎるのだ。
無論のこと上での記事はグレタさんの過敏さに対する批判でもある。
「私が毎日感じている恐怖を、あなた方にも感じてほしい。そしてあなた方に行動してほしいのです。」
神経症的な傾向を持つ人は過敏な為に其の恐怖がつひ見へ過ぎて仕舞ふ。
其れを其の侭に示せば其の「崩壊学」が社会的に広まる恐れもまたあらう。
此処での論者はさうした傾向をむしろ危惧するが故にグレタさんの剥き出しの怒りをも否定して居るのだ。
だが、希望とは、さうしてメリットとは果たして何であらうか?
わたくしは日本人が東洋の智慧を今少し継承する民族であれば現状の如き未来無き袋小路へと入り込む必要など無かったとさう一種悲観的に捉へるのだ。
即ち近代化も敗戦もまた経済成長も全ては日本が社会として自立して學ぶことが出来なかつたと云ふ其の根本での理性のあり方の問題へと収斂して行くのだ。
人生には希望など無ひとさう見抜きし芥川、太宰、三島先生、東大全共闘とさうして菅原 文太。
さうしたインテリ知識人が一体何と闘って来たのか。
其れは日本人の自律的思考の無さと常に闘って来て居たのであり近代文明の何たるかも知らぬ侭に相変はらず忘年会だ、初詣だ、何だかんだと實にウルサヒ日本社会としての愚かさとの闘ひなのだ。
マララと真逆のグレタ・トゥーンベリが、人々の心をつかめる理由
『グレタは逆だ。真っ向から言葉を投げ付け、私たちを意図的に侮辱する。彼女は私たちに罪悪感と自責の念、そして何よりも恥の意識を感じさせたいのだ。
国連気候行動サミットに集まった要人たちの前で、グレタは感情的かつ情熱たっぷりに毒を吐いた。「あなたたちは私の夢、私の子供時代を空虚な言葉で盗んだ。よくもそんなことを」
「人々は苦しんでいる。人々は死んでいる。生態系全体が破壊されている。私たちは大量絶滅の始まりにいる。それなのにあなたたちが話すのは、お金と永遠の経済成長というおとぎ話だけ」──トランプはこの国連演説を引用する形で、「彼女は明るく素晴らしい未来を願うとても幸せな少女のようだ。見ていて楽しい」と、皮肉っぽくつぶやいた。
彼女のアピール力の源泉は、地球環境が破壊されたら全てを失うと警告する一方で、まだ未成年なのでそう主張しても失うものは何もないという事実だ。それがグレタを危険なまでに魅力的な存在にしている。』マララと真逆のグレタ・トゥーンベリが、人々の心をつかめる理由より
グレタさんによる社会への訴への核心とは真実の言葉によるものだ。
だから其の言葉が色褪せることなどは無く其れは自然による人間への無言の諫言のやうなものだ。
其の力を言語化したものだと考へておくべきだ。
其れは左だの右だのさうした思想的な立場を表すものなのでも無ひ。
左にせよ右にせよ誤った行動に陥りし人類は必ずや滅ぶ。
矢張りグレタさんは神々の意を告げる巫女か又は預言者なのでは?
うーむ、或はさうなのやもしれぬ。
だが所詮は彼女も女だ。
そのうちに👨が出来意見が変わって来る虞もまたあらう。
家族をつくっちゃイケナヒのですか?
本質的にはイカン。
でも其処はどうぞご自由に。
「気候変動が続くなら子どもは生まない」と抗議し始めた若者たち
気候変動の問題こそがまさに近代文明が抱へる本質的問題なのだ。
だが其れを其のやうに捉へて居る日本人はわたくしをも含め数百人程しか多分居なひことであらう。
事実今君等は今年賀状をセッセと書ひたり正月休みでの海外旅行の予定を立てたりはたまた彼女や子との楽しひクリスマスパーテイのことなどを考へておるのだらう。
だが其のパーテイはいつまで続くかのう。
年末年始はむしろ此の大問題に対峙し徹夜でもってしてお勉強していくべきだ。
あらゆる快楽に背を向けまさに死ぬ気でもってして猛勉強してみよ!
第一地球温暖化でもって気温42度が常ともなれば文明も文化もクソも無ひ!
其の文明の過ちを人文、または社会科の徒としての我我の立場が阻止しなくてはならぬのだ。
君の其の理性にこそ人類の未来がほんたうにかかって居るのだとしたら三日程徹夜し猛勉強すること位屁でもなからう。
気候変動など叫ばれて居らぬ遥か昔に我我理性体は人生を捨て去って居たのだった。
何故か?
気候変動は人類ぜんたひの問題であり利口だらうが馬鹿だらうが等しく其の不利益を被る以外無ひからだ。
『これに合わせて、世界各地で大勢の若者がバース(出産)・ストライキを計画している。9月19日時点で1000人近い若者が、「安全な未来がなければ子どもは持たない」というこの運動に賛同している。
国連の予想では、2050年までに気候変動の影響で国内外への移住を迫られる人の数は2500万人から10億人にものぼる見通しだ。
地球を救い、将来の世代を気候変動の悪影響から救おうとする考えに基づくバース・ストライキは(イギリスとアメリカで)あった。だが今回、わずか数日で1000人もの若者が生まないことに賛同した事実は、気候変動をめぐる議論で若者が中心的な役割を果たし始めたことを象徴している。』「気候変動が続くなら子どもは生まない」と抗議し始めた若者たちより
『科学者には人類に対する重大な脅威について一般市民に警告する「道徳的義務」があると述べている。「われわれのもとにあるデータからは、人類が気候の緊急事態に直面していることは明らかだ」 』「気候変動は社会的転換点に突入した」より
人間には価値の維持に対するバイアスが元々強くかかって居やう。
即ち誰しもが現状の価値に安住した上で何か他の物事を評するものだ。
だが其の価値観自体が誤って居るのだとすれば自己否定を突き付けられるが故に逆に批判者を叩きにかかるのだ。
其の価値観こそが誤って居るのだとグレタさんは初めて述べ、まさに其のことにより其れを理解する以外での人々により彼女は攻撃されて居るのである。
無論のことわたくしの場合にも其の価値との対決をあへて此処で繰り広げて来て居る訳だ。
尤も自分が還暦を迎へ感ずるのは次第に突き付けられて来し肉体的な限界だ。
かように肉体は弱ひので年寄りはつひ未来を美化しがちである。
肉体が衰へる分其の力を自分の子や孫に期待して仕舞ふのだ。
だが其の期待すら通用しなくなる世界がやがて訪れることであらう。
どだひわたくしに言わせれば其れでは感度が鈍ひ、鈍過ぎるのだ。
むしろ年寄りこそがもっと過激に現状を批判していくべきだ。
つまりはじぶん達がこれまでに築ひて来しものを批判していけるやうでなくてはならぬ。
尚近頃六十代後半~七十代後半の人々と話をして居るとわたくし自身との余りの立場の違ひに呆然とすることが多くある。
総じて彼等は子や孫のことを一番大事に思って居るがわたくしにはそんなもん無ひのでたとへば永遠のマドンナとしてのなぎさ婆さんの方が余程に大事なのだ。
また彼等は仕事が無いと何もすることが無くて困ると仰るがわたくしの場合は何せ自称の作家なんでむしろ家に居る時の方が忙しひ。ー何せ何かと調べものが多くあるが故にー
其れどころか趣味が多様なので其れをこなして居るだけのことでも實は大変なのだ。
其のやうに未来に希望を描ける程にわたくしは暇では無ひ。
だから彼等とは価値観がまるで別物なのだ。
嗚呼、さうか、だからこそ言って居ることがこんなにも変なのだね。
一般に人間の社会は社会制度其のものへの批判を否定し受け付けぬものだ。
グレタさんやわたくしの行ふ批判はまさに其の社会制度其のもの、人間其のものへの根本的批判なので普通は社会が其れを受け容れぬ限り黙殺されて仕舞ふ。
だが上のバース・ストライキのお話でのやうに實は以前から現代社会への疑問を抱く人々が少なからず居たことであらう。
ところがそんな理性的な部分もまさに寄る年波だの、社会的に存するバイアスだのにかき消されこれまで決して表には出て来なかったのだとも言へやう。
それとわたくしが兎に角気にかかるのは日本人の場合特に其の文明の不始末に対する認識が可成に薄ひと云ふことだ。
まあ我慢強ひのか大人しひのか、兎に角批判精神が無さ過ぎ実際此のままで良ひ、此のままでいけるんだとさう信じ込んでいやあしなひか。
だが金輪際此の侭では行けぬぞ。
こんな「ソラスタルジア」がずっと続くやうではもはや江戸幕府は続かぬぞ。
だからこそ此の際是非皆で猛勉強しやうではなひか。
年末年始こそは猛勉強、とさう心に決めた上ででは何を一体御勉強すべきか。
其の教材は必ずや自称詩人が次回までに用意しておかう。
實はもう用意してあるのだがまだ解説の方が書けて居らずで従って此処へは出せぬのだ。