目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

『地球に住めなくなる日』よりー壱ー

地球に住めなくなる日: 「気候崩壊」の避けられない真実 (日本語) 単行本(ソフトカバー)

以前に此の本を買ったと述べたのだったがまだ半分程しか読めては居なひ。

だが此の本は2019年度のベストブックにも選ばれて居り日本の文化人の方々にも評価が高ひ著作である。

 

福岡 伸一氏による評価ー全世界必読の書

坂本 龍一氏による評価ーこれは未来の話ではない、今、ここにある危機だ。

中川 翔子氏による評価ー人類滅亡の可能性から生き延びるための生存戦略がここにある。

 

元より本の内容はまさに良く調べ上げられて居り其れは事實としての21世紀の姿を炙り出して居ることだらう。

さうして其処には何より衝撃的な地球の未来の姿が描き出されて居た。

其の気候崩壊こそは人類又は文明のまさに宿痾と云ふべきもので自己矛盾を抱へる人間の素の姿をまさに其処に晒すものなのだとも言へやう。

 

だがわたくしは人間其れ自体の抱へる問題として内面の問題を近頃は屡考へるやうになって来た。

 

即ち周りにはどうも動物的な輩がまさに多ひのである。

其の動物的な輩には善人として赦せる人々も居れば悪人なので赦せぬ人々もまた居るのである。

 

 

自分自身が神佛では無ひと云ふのにそんな生命としての価値の裁定を自ら下しても良ひのだらうか?

勿論其の価値判断其れ自体に大きく問題があり其れが宗教的次元では大きく問はれて来る。

 

宗教は自己の価値観をあへて脱して行く過程なのでそんな自己裁定などを認めては呉れぬものなのだ。

 

だが其処をあへて言はせて頂けば大抵の人々の価値基準がまさに従属的である。

何に対して従属的なのかと云へば其れこそ官僚の如くに文明と云ふ体制に対し酷く従属的なのだ。

 

逆に言へばわたくしのやうに徹底して文明を貶して居る人間なんぞ此の世にはまず居なひのであらう。

 

だが其れでも文明の仕出かして居る罪のやうなものに敏感でもってある意味では高ひ意識でもって環境問題や人口問題に向き合おふとして居る人々もまた居る筈なのだ。

さうした人々は獣臭くは無ひからまずは理性があり其の理性が興味を持つからたとへばわたくしの問題発言などにも耳を貸さうとなさって居るのだらう。

 

獣臭ひ奴等は兎に角文明には盲目的に従ふ。

また其れ以前にほとんど何も考へてなど居らぬ。

 

文明に従ひ良ひ人生を過ごさうとさう考へて御座る。

良ひ会社へ勤め良ひ嫁を貰ひ良ひ子をなし確りと財産を残して死にたひものだなどとさう考へて御座るのだ。

 

 

だが、わたくしはそんなことやらなくてむしろほんたうに良かった。

わたくしにはもはや何にも無ひのだしかうして語って居る内容だけが全的なわたくしの存在意義なのだ。

 

実際此れ以上の人生が一体何処にあると云ふのだ?

わたくしは常識的現實的には幸福な状態には程遠ひのやもしれぬがひとつの価値の軸をかうして築くことが出来た。

 

其れも此れも約四十年、いや、半世紀にも亘り文學とさうして社会と格闘し人間其のものを探求して来たことへの御褒美なのだらう。

 

だが其処で得られた境地とはむしろ常識的には理解がされ難ひ静かなるものである。

諸価値に就き其れに拘るのでは無くむしろ其れ等を寂滅させて行くことである。

 

概念又は認識其のものに誤謬を認め且つ其れを負債として捉へ其の負債に対し罪の意識を醸成することである。

若しくは煩悩に穢されて居る其の素としての人間の姿を直視することである。

 

其のやうな精神的次元に生きるわたくしにとり世間に生起する物事は今悉く煩はしく且つ生臭ひ。

煩はしひのだが、自然には美があるからまだしも生きて行ける。

 

美に対する幻想こそがさうしてわたくしの心をまだ生かして置ひて呉れて居るのだ。

 

ところが、さうした心の階梯が世間の人々にはまず伝はらぬ。

おそらくは自分の価値観が全方向に亘り正反対化して居るのであらう。

 

だからと言って悪魔化やオウム教化して居る訳では無く基本的には眞面目な善人なので其処はどうか御安心召されよ。

 

 

デイビッド・ウォレス・ウェルズ

TED地球の気候の未来をどう変えるか

残念ながら此処には日本語訳が付ひて居なひ。

 

 

ー一般的に考えられているよりも、気候変動の実態ははるかに深刻だ。進行がゆっくりだとか、実際のところ、気候変動は起きていないと言われることもあるが、それらは思いこみにすぎない。

拙著『地球に住めなくなる日: 「気候崩壊」の避けられない真実』でも詳しく書いているが、私たちはいま、大量絶滅のときの少なくとも10倍の勢いで二酸化炭素を出している。産業革命以前に比べると100倍だ。すでに大気中の二酸化炭素は、過去80万年、いや1500万年で最も高いレベルになっている。

地球の運命を揺るがし、人間の生命と文明の維持を危うくさせているのは過去のどの時代でもなく、いま生きている私たちの仕業ということだ。

気候の変化は、私たちが認識、理解するよりずっと速く進み、私たちが想像するより、ずっと長く続くのである。ー温暖化が地球を冗談じゃなく痛めつける根拠より

 

 

其の一般的な又は常識的な分別概念は眞實をまるで見通せて居たりはしなひ。

わたくしは其れが一種の心の持ち腐れなのだとさう考へて来て居る。

 

人類は此れ迄閉鎖環境に居過ぎ其の価値観ー文明による価値観ーを批判されることは基本的に無かった。

批判されぬ価値は結局持ち腐れして崩壊して行くのである。

 

いやむしろ今こそかうして今後に亘り其の価値崩壊に直面せざるを得なくなるのだ。

 

一般の方々はわたくしから言はせて頂けば至極鈍感なのである。

尤も鈍感だから此の腐った世界を生きて行けるのだ。

逆に敏感だと極めて生き辛くなることは必定。

 

 

だけれどもやって良ひことと悪ひことはあり、また言って良ひことと悪ひことがまたある。

あるのだ、其れは、まさにこんな風にある。

 

1.気候変動の実態は深刻化して来て居る。

2.文明による気候破壊は急速に進みいざ破壊されれば其れは長きに亘り元には戻らなひ

3.其の事實に就き大衆ー文明としての一般人ーは鈍感である。

 

尚、わたくしは今此の3.の要素其れ自体を問題となして来て居るのである。

何故一般人は全体の危機に対する感度が悪ひのか?

 

結局其れは文明浸け、文明の価値観浸けにされて居るからなのだ。

其の様を良く言へば文明のみんなでもって仲良く良ひ生活をして行かうとする努力を皆して来て居る。

 

が、其処を悪く言へば文明のみんなでもって不要不急の虚の価値ばかりを追求し赤信号を今まさにみんなでもって渡りつつある。

 

だからわたくしは赤信号など渡ってはイカン!

とさう叫びたひ。

 

じゃが青信号もほんたうは渡ってはイカン。

 

もう道など渡るな。

小屋にでも籠って寝ておれ。

 

生活保護を受け文明を否定し筵にでも包まり毎日毎日只寝て居るべきだ!

 

 

ーもはや、この状況を避けることはできないだろう。京都議定書から20年以上たっているにもかかわらず、目標は実質的に何ひとつ達成できていない。法整備やグリーンエネルギーの導入が進み、各種活動もさかんになっているが、二酸化炭素の排出量はむしろ増えている。

最悪の予測を見過ごすと、起こりうる事態まで軽く考えてしまい、備えがおろそかになる。最大予測は可能性の上限であり、それより下の予測はいつ起きてもおかしくない。気候変動の懸念は半世紀前から指摘されていて、楽観的な意見がことごとくはずれたことを考えると、むしろ最悪の予測こそ指針とすべきではないだろうか。

 

地球の平均気温が2℃上昇すると、いったいどういうことになるのか。

地表部を覆う氷床の消失が始まる
4億人が水不足に見舞われる
赤道帯に位置する大都市は居住に適さなくなる
北半球でも夏の熱波で数千人単位の死者が出る
インドでは熱波の発生率が32倍になり、期間も5倍に延びて、影響を受ける人の数が93倍に増える

これでも「最良の」シナリオなのだ。

 

では、上昇幅が3℃だと、どうなるだろう?

南ヨーロッパでは旱魃が慢性化し、中央アメリカ、カリブ海ではそれぞれ、平均1年7カ月、1年9カ月も続く。アフリカ北部にいたっては期間が5年にもなる
森林火災で焼失する面積は、地中海で2倍、アメリカで6倍以上になる
 
 
地球の変化には何千年という時間がかかるものもあり、しかも元に戻ることはない。このまま二酸化炭素の排出増加が止まらなければ、2100年には地球の平均気温は少なくとも3℃、おそらくは4℃以上、上昇すると国連は警鐘を鳴らす。パリ協定で2℃までと定めたのに、2倍以上になるだろう。

 

平均気温が4℃上昇する世界では、何が起きるのか?

デング熱感染者が、ラテンアメリカだけで800万人になる
地球規模の食料危機が毎年起きる
酷暑関連の死者が全体の9パーセント以上を占めるようになる
河川の氾濫被害がインドで20倍、バングラデシュで30倍、イギリスで60倍に増える
複数の気象災害が1カ所で同時発生することが増え、損害は世界全体で600兆ドルに達する――いま世界に存在する富の2倍以上だ。紛争や戦争も倍増するだろう

 

平均気温が4℃上昇すれば、サハラに残る緑も、熱帯林も灼熱のサバンナに変貌するだろう。

二酸化炭素の排出を大幅に削減しても気温が4~5℃は上がるとなると、地球全体が生命の住めなくなる星になりかねない。

研究者はそれを「ホットハウス・アース」と呼ぶ。ー温暖化が地球を冗談じゃなく痛めつける根拠より

 

 

 

「最悪の予測を見過ごすと、起こりうる事態まで軽く考えてしまい、備えがおろそかになる。最大予測は可能性の上限であり、それより下の予測はいつ起きてもおかしくない。気候変動の懸念は半世紀前から指摘されていて、楽観的な意見がことごとくはずれたことを考えると、むしろ最悪の予測こそ指針とすべきではないだろうか。」

 

結局はさうしたことなのである。

最悪の未来を想定するからこそ現在の思考と行動が引き締まるのである。

其れを逆に楽観視して置くと悪ひ方向へ振れたものに対し対処出来なくなる。

 

まさに其れが理性の働きなのだが、理性的に過ぎてもまた生命は動けなくなる。

なんとなれば生命とは負の過程であり良ひ悪ひで言へばズバリ其れは悪ひことなのだから。

 

さう捉へるのがまさに理性的な判断だと云ふことだ。

だが理性的な判断もまた自己矛盾して行き易ひ。

 

だから文學者や画家の多くがかっては自殺したりオウムがサリンを撒ひたりもするのである。

 

なのだけれども、こと環境の問題に関しては最悪の未来を想定し行動することの方がみんなでもって赤信号を渡って行くことよりもずっと望ましひことなのだ。

其れもひとつには其のみんなと云ふのは文明の価値観に従ひ行動するみんなだと云ふこととなる。

 

其れを理解する為には俯瞰視が必要なのだが其の俯瞰能力は特殊能力者しか持って居らず其れは一般人にはなかなか理解し難きものなのである。

ですが、其の一般人の中にもこんなものを今まさに眞剣に學んで御座る貴方、おおまさに貴方の如き意識の高ひ人々もまた居られる訳だ。

 

 

其の価値の善悪は相対的な問題なので實は環境破壊さへもが絶対悪だとは本来ならば決め付けられぬ。

だが理性的判断ならば其れは絶対悪にしかならぬが故にさうした認識を兎に角環境問題に関してはして置くべきだ。

 

尤もわたくしの価値観のやうに文明=悪、自然=善と云ふのは一種極端なのだがまあ極端だからこそかうして人とは違ったことが言へ所謂常識的な文明の価値には与して居なひ訳なのだ。

 

2100年頃には平均気温が4℃上昇する可能性がまさに今高くなって居ることだらう。

其れは結局文明のあり方が何も変はらずむしろ廿世紀の頃よりも余分な価値の追求を積み重ねて来て居るとさうも言ひ得るのではなからうか。

 

問題は社会的に構築されし価値が環境破壊を推し進めて来て居る点である。

 

環境問題では屡アナタの意識を変へませう、もし其れが変はれば社会の意識も変はり地球は救はれるのです、などと言はれるものだが其れは半分当たっては居るが半分は間違って居る。

いや全的に間違って居る可能性もまた高ひ。

 

つまり我我文明人の意識、其の価値に対する欲求を成り立たせて来て居るのは結局文明の仕業なのだ。

反文明だ、とかわたくしのやうに言ったって其れはあくまで理念的にさう否定するだけのことで事實上何でも食ふはゴミは出すはでわたくしの行動にせよまるで普通と違っては居なひ。

 

勿論金さへあれば山奥にて詩を書ひて暮らすのだがそんな金は無ひは逆にしがらみはあるはで文明からは逃げ出せぬやうに何故かなっておるのである。

 

只わたくしは言うたったぞ。

此の馬鹿文明めが!と此処まで貶したのは世界中でもさうさう居なひことであらう。

 

 

其の平均気温が4℃上昇する可能性が高ひのだとして、果たして未来の地球はどうなるか?である。

100年後、 地球の平均気温は1.8〜4.0℃上昇

 

こちらには分かり易く百年後の地球の様子が図表化されて居る。

但し現状では2100年頃の地球の平均気温の上昇を正確に予測することなどは出来なひ。

 

おそらくは三度から四度の間で上昇するのではなからうか。

然し其の三度から四度の地球の平均気温の上昇とはほとんど致死レヴェルなのだ。

 

其の三度から四度の地球の平均気温の上昇を齎すものとは戦後の文明世界である。

わたくしは近代三百年もの垂れ流しの蓄積かとさう思って居りしがウォレス氏によれば其れは廿世紀後半からの蓄積こそがまさに犯人のやうなのだ。

 

つまりは我我戦後生まれの人間の生活の向上の其の陰でかうして不可逆的な環境の破壊の流れが加速して居たのである。

だがそんなことはまず分からなひ。

 

 

実際勘の良ひわたくしでも三十代の頃まではまるで分からなかった。

また其の頃は環境破壊や温暖化がことさらに問題として浮上することなどほとんど無かった。

 

事実気候は今よりもずっと安定して居た。

尤ももっと安定して居たのは我我還暦世代が小学生だった1960年代位までのことだった。

 

其の頃は梅雨明けの時期なども毎年同じで、しかも夏でも33、34度位迄しか気温が上がらず蒸し暑ひとされる当地でも夜などは涼しくクーラーは要らなかった。-当時はクーラーさへ無かったー

丁度60年代と70年代中頃にかけ此処日本では高度経済成長をして居た訳であったが其れが終はった頃から日本では様々な価値観の変化が現れ始め其れに比例する形にて徐々に気候の質が変はり始めほんたうに其の変化を實感したのは21世紀に入ってからである。

 

尤も其の「異常」な気候は「異常」な価値の追求による結果であると畢竟わたくしはさう捉へて来て居る訳である。

 

 

ー地球の平均地上気温は、複数シナリオと気候モデルによる計算によって、1990年から2100年までの間に1.1 - 6.4℃上昇すると予測されている。これは過去1万年の間にも観測されたことがないほどの大きさである可能性が「かなり高い」(90 - 99%)とされている。

気象現象への影響は一括して「異常気象の増加」、気候への影響は「気候の極端化」と表現されることがある。平均的に地上気温は上昇すると考えられているが、その変化は均一ではなく、場所によって上昇幅が異なり、また、期間によって低下したりと、時間によっても異なる。そのため、地上の温度分布が変わることによって気圧配置が変わり、これまでとは異なる気象現象が発生したり、気象現象の現れ方が変わったりすることが考えられている。ー地球温暖化の影響#気温への影響より

 

其処に五度以上もの上昇がもしも齎される場合にはすでに其の時点で地球の生命は終はりを遂げて居ることだらう。

要するに地球の死である。

 

逆に言へば、四度~五度もの気温上昇が引き起こされる場合には人類はほぼ終はって居るとさう結論付けられやう。

文明と云ふよりは人類自体が壊滅して行く可能性が高ひのではなからうか。

 

何度も申しますが近現代文明のリスクとは生半可なものでは無くまさに地球を根こそぎ壊して仕舞ふそんな地獄の様のやうなリスク其のものなのだ。

 

尚気温上昇に関しては最悪の場合で八度などと云ふ値も本の方には出て来て居た。

もしも八度もの気温上昇が引き起こされたならばおそらく地球上の生物種は其のほとんどが死に絶へ地球が再生されるのは気の遠くなるやうな時が必要となることだらう。

 

 

ー主な影響として、異常気象の増加(熱帯低気圧、嵐や集中豪雨)による物的・人的・経済的被害の増加、気候の変化による健康への影響や生活の変化などが考えられている。

また、気候や海水温、海流などの変化によって、食糧に関連する生物植物水資源等にも影響が及ぶと考えられている。

狩猟や漁業では、環境の変化に伴う生態系の変化により、猟漁場の移動や奪い合い、水産物等の奪い合いなどが起こる可能性がある。ー地球温暖化 #社会への影響より

 

さうしてやがては食ひ物の奪ひ合ひ、殺し合ひ、人肉食、などが行はれて行く可能性もまたある。

 

 

日本國憲法第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

つまるところ地球を温暖化させ四度~五度もの気温上昇が引き起こされる場合には事實上日本國憲法を遵守することなど出来なくなる。

要するに近代法治國家は此処に壊滅する。

 

さても近現代文明は何故か理性的な文明では無く至極野蛮な文明のあり方だ。

だが野蛮とは言っても實は前近代よりも遥かに理性的な文明なのだ。

 

では何が一体野蛮なのだらう?

其れはあくまで抽象的に野蛮なのやもしれぬ。

 

抽象的に野蛮なので、経済成長や宇宙開発や速ひ乗り物や化石燃料の消費に固執したりもするのであらう。

だからほんたうに理性的なものならばそんな野蛮なものなど一切欲することなど無ひ筈だ。

 

 

此の理性的な野蛮さとは一体何か?

結局抽象的に構築される欲望こそが其処へと連なって行くのではあるまひか。

 

抽象的な欲望の構築こそが具象的に与へられる人間の欲望を駆逐しさらなる魅力あるものとして我我の価値観を其処に縛り付けて仕舞ふのだ。

 

では抽象的な欲望の流れは✖で、対して具象的な欲望の流れならば〇なのですか?

たとへ具象的な欲望の流れでも捨てられるものならば捨てて行く方がまさに人としての道に適って居やう。

 

だが抽象的な欲望にはほとんど實質が無く其の本質的意義とは虚であらう。

所詮仕事上の成果だの地位だのは皆其の虚としての価値の流れである。

 

社会的な価値とは其のやうな虚の流れでのものがほとんどだ。

 

でもカネは實でせう、其の金ばかりは。

アンタも早う其の拾萬が欲しひのでせう、其の給付金の拾萬が。

 

そりゃ金が無ひと飯も食へぬのだしどんな石も買へぬ。

だが本質的には矢張り其れも虚の価値だ。

故に金が無ひことを必要以上に悩んではならぬ。

 

悩むべきこととは、さうしてあらゆる価値の實現への途が閉ざされて居る様では無く、まさに文明が環境を破壊しつつも其れを顧みぬことに就き糾弾して行くことだ。

即ち文明の価値のあり方其のものをかうしてこっぴどく批判して行くことなのだ。