《神戸・教師いじめ》親族も困惑する、リーダー格 “女帝” 教員のあきれた素顔
ほうれ、其の通りじゃった。
まさにワシの言った通りだらう。
だから権力と云ふものは個に集中させてはならぬ。
また国家に集中させてもならぬ。
つまりは人間の営為に集中させてはならぬのだ。
なので其れは天=神や佛=解脱体にのみ集中させて置くべき。
どだい権力をふるう立場に居ること自体が人間としての最大の不幸なのだ。
真に利口な人間は最初からさうした立場=価値観を慎重に避け生を過ごす。
また慎重に女を避け尚且つ己の為にも生きぬ。
さういふのがまさに仙人の価値観と云ふことだな。
但し新興宗教の場合には逆に教祖様に権力が集中し易ひ。
だからさういふのは聖なるものを扱ふ宗教では無くタダの俗世間としての縮図に過ぎぬ。
重要なことは女が権力を握るともうどうしやうもなく腐る、と云ふ点にこそあらう。
だから社会は女を図に乗らせてなどしては金輪際ダメだ。
即ちレデーファーストではなく逆に速やかに女を奴隷化せよ!
が、愛♡は常に大事だ。
事実愛♡無き世界はタダの地獄ぞ。
然し其の愛は愛こそは普遍化されしものでなくてはならぬ。
アガペーまたは慈悲の次元にて到達されし愛の階梯でなくてはならぬ。
要するに権力だの自己愛だのに擦り寄るやうでは無論のこと其処でのEQレヴェルは極めて低ひ。
だからさうした心の内容では此の世の実相などまるで見へては来ぬ。
正しくはアノ桑野のやうに偏屈で独善的、しかも皮肉屋で直球ー正論でのー勝負、一見どう見ても愛には欠けるやうに見へやうが其の實は愛に溢れし素直な心根でなくてはならぬ。
桑野、即ち民放のドラマにてかって人気者だったらしひアノ建築家の桑野こそが。
即ち阿部 寛が演じるところでの「結婚出来なひ男」である桑野こそが。
無論のこと民放のTVドラマなどまるで視なひわたくしーNHKでの學問の番組しか基本的に興味が無ひーはそんなものはまるで知らなかった。
が、アマゾンのプライム・ヴィデオでもって其の昔の番組を全部視ることが出来た。
其の感想を以下に記す。
但し其れを社会問題として捉へた上で述べるのでは無ひ。
さうではなくあくまで自分と桑野と云ふキャラクターの比較に於ひて述べる。
ズバリ言って、桑野とはじぶんである。
即ちまずは利口で。
が兎に角偏屈で。
さうして如何にも独善的で。
また皮肉しか言へぬ。
即ち人にはオカシヒとしか思へず理解などされやう筈も無ひ。
なのだが兎に角真面目で。
其れに優しくもある。
ただ極端に不器用なのであらう。
此のやうに其の精神としての基本構造が實は瓜二つだ。
が、桑野の方が金持ちでしかもスタイルも良ひ。
わたくしも實は美男の方なのだが背が高くは無くしかも腹が出た故すでにまるで恰好良くは無ひ。
ところが価値観の方はまるで瓜二つだ。
即ちじぶんの高等な趣味を持続させる為には家庭を築くことはむしろ障壁だったのだ。
何しろわたくしもクラシック音楽が大好きなのだし独りで飯を食ふことが屡だ。
さうしてコンビニで店員にどうのこうのと聞かれるのが鬱陶しくて大嫌ひなので最近はむしろ先にこちらからポイントカードは無ひよ、などと言ふことにして来て居る。
さて、此のドラマは結婚に興味の無ひ一種の高等遊民である桑野の恋愛劇を描くものだ。
つまるところ桑野は女に興味がまるで無ひのではなく結婚に興味が無ひのである。
其の基本的立場も同様である。
ところが如何にもとっつきにくひ其の桑野こそが魅力的なのである。
其れは彼には批判精神が無ひからである。
いや、批判精神が適度にー常識的な範囲にー保たれて居るからだ。
批判精神があるからこそ偏屈且つ独善的で皮肉屋なのだが其れが憎めないのは女や社会などと云ったよりデカひものを貶しはしなひからなのだ。
が、わたくしの場合には何せ其れをして仕舞ふので余計に理解し難く見へて仕舞ふことであらう。
其れに年齢的にもわたくしの方が彼桑野または阿部よりも上なので余計にタチが悪くまさに老練なるお一人様の世界を構築して来てもおる。
尚、わたくしは恋愛ドラマが實は嫌ひでは無ひ。
昔「101回目のプロポーズ」と云ふTVドラマを毎回泣きながら視ておったものだった。101回目のプロポーズ】SAY YES~instrumental Version ロケ地スライドショー / 101st Marriage Proposal Say Yes
恋愛映画も嫌ひでは無ひのだが現実の上での恋愛の方がずっとドラマチックなものだと思って居るゆえ余り視て来ては居らぬ。
実際現実上の恋愛程劇的なものは無ひ。
実存と実存のぶつかり合ひとでも云ふかまさに運命的なものが其処にしかと刻み込まれて居ると云ふ意味に於ひて。
数少なひ恋愛にこれまでわたくしは命を賭して来た積もりだった。
だが運命は皮肉にも其の賭した命をあざ笑ふかの如くに彼女等を消し去ったのだ。
言ふまでも無くわたくしの愛はさう思ひ詰めたものなので人よりも激しひことが専らだ。
わたくしはさうして激しひ両極の思ひの内を生きて来ざるを得なかった。
さうまさに愛と孤独と云ふ双方の次元に於ひてより純粋に生きて来た積もりなのだ。
燃焼か其れとも静寂か、其の両極の齎す歓喜と痛みとに於ひて常に其れは実存としての光と闇の対比であった。
さうして男性は決まって愛を理想化する。
彼にとって女性は単なる肉体では無ひ。
肉体を超へる母性の象徴こそが彼にとっての理想の女性像なのだ。
対して女性は男性に現実的な力をこそ求めていく。
ではあるが力及ばぬまでも其のたったひとつの愛の形は永遠に崩れ去りはしなひ。
崩れ去りはしなひのだが但しメスは其れを選ばぬのだ。
さて恋愛論とかになるとまた話が長くならうからドラマの話に戻らせて頂く。
夏川 結衣が演じたところでの早坂 夏美と阿部 寛が演じたところでの桑野 信介の恋愛ドラマである。
尚個人的には阿部 寛は嫌ひでは無ひ。
夏川 結衣は表情ひとつで全感情を表現して居るので立派な女優だと思ふ。
ちなみに2006年当時双方とも独身で其の意味で辻褄は合って居た訳である。
また夏川 結衣が演じた嫁に行き遅れた女医としての早坂 夏美にはわたくし自身大きく魅力を感じた。
何故ならつひ最近までお金のある女医と是非お付き合ひしたひものだとさう思って居たからだ。ー多分理性的には話も合ふことだらうー
夏川 結衣はまた女としての裏腹の心ー本心とは逆の心ーを表現し切って居る。
即ち逆のことを言ったりしたりして居るが實はすでに桑野のプロポーズを待って居る。ーすでに心は決まって居るー
が、桑野の常識のネジの外れ方が余りにも酷ひゆえ実際にはプロポーズどころでは無ひ。
だからいつも物別れになると云ふか兎に角互ひの心が恋愛のレヴェルにて噛み合ふ次元にはまるで無ひ。
だが結局は早坂 夏美以外に其の難解なる桑野の心を理解して呉れる人間など何処にも居なひのだ。
つまり此の👩以外にかの変な👨を理解する術など何処にも無ひのだ。
だから其の時点ですでに愛♡は成立して居る。
いや其のやうな愛こそがまさに実存としての愛の形なのだ。
其のやうに愛は特殊から生じやがて普遍化していくものであるべき。
あれこれとあった末つひに彼女早坂 夏美は彼桑野 信介に心のキャッチボールをしたひと申し出る。
桑野もまた或る日其のキャッチボールをしたひと申し出た。
ところが桑野はまた急に訳の分からぬことを言ひ出し一旦其のキャッチボールを台無しにして仕舞ふ。
が、最終的に桑野は早坂を自宅マンションに招き入れー絶対に人を入れぬ自室へとードラマは終わる。
其の急に訳の分からぬことを言ふ前の桑野のプロポーズは至極まともで実際視て居て涙が出る程だった。
其の折の夏川 結衣の真剣な女としての目の表情こそがまさに演技であって演技ではなく真に迫るものであった。
かように女は結婚に対しては常に真面目なのだ。
元より其処には誤魔化しなど効かぬものだ。
其のやうにまさに実存としてのたったひとつの愛、其れも其れでしかあり得ぬ愛を描ひたのが結婚できない男の特殊性でありかつ普遍なる愛としての部分であった。
愛とは其のやうな特殊からまずは生ずるものだ。
其れは誰とでも可能性があり誰でも良ひのではなくただ一人でなくてはならぬのだ。
此の広ひ宇宙の中で唯一の体験として実存と実存とが出逢ひ愛が育まれるべき。
其のやうに理想を求める男性の中でもとりわけ詩人は愛を浪漫の世界に塗り込めて居る。
だから其れはたったひとつきりの愛なのだ。
どんな結果であれ其れはたったひとつきりの愛なのだ。
其のやうにわたくしには感じられたゆえわたくしは此のTVドラマを強く支持したひ。
其れも実際に当時は独身だった阿部には独身の四十男としての子供っぽさと要領の悪さがありまた夏川にはオールドミスー心は少女ーとしての結婚に対する純真な心が存して居たからだ。
「第1シリーズの13年後を舞台とする続編『まだ結婚できない男』(まだけっこんできないおとこ)がカンテレ・MMJ制作により、同系列の火曜夜9時(「火9ドラマ」)枠にて2019年10月8日から放送されている[1][2][3][4][5]。」以上より
『まだ結婚できない男』の方の第一話がGYAOの方で本日まで視聴出来わたくしは其れも視てみた。
まず、阿部 寛は可成に変わって仕舞って居る。
例の『テルマエ・ロマエ』にて古代羅馬人を演じた阿部は何故かより顔が濃く変わって仕舞って居る。
さらに結婚し子も出来たことで高齢独身男性特有の不器用さ、ぎこちなさが影を潜め演技に於ひても可成にこなれたものとなって御座る。
さらにヒロインが夏川 結衣ではなく他の女優に変更されて居る。
然し良く考へてみれば其れも当然のことであり、即ち五十三になってもまだ結婚出来ないで居る男を表現する為には相手役が夏川 結衣では辻褄が合わなくなる。
何故なら第一シリーズであそこまで行った手前とっくの昔に桑野と早坂は結婚し子供がもう大きくなって居る位でなひと不自然だ。
だから五十三になってもまだ独身の桑野である為には早坂は他の誰かと結婚して居なければならなかったのだ。
まだ結婚できない男で夏川結衣や国仲涼子がいない理由が驚きだった!
何故かの愛が真実としての只ひとつの実存としての愛が如何なる理由にて破局へと至らねばならなかったのか。
無論のこと事実は小説よりも奇なり、にて実存としての真実の愛とは往々にしてバカバカしひことにて壊れていくものなのでありまさに其れは思ふやうにはならぬ、理想的には切り結ぶことの叶わぬ夢の如きものなのだ。
其れでも猶出来得れば桑野 信介と桑野 夏美が築くある意味で只ひとつの愛の形を続編として是非視てみたかった。
即ち桑野 信介が設計したマイホームには桑野 夏美以外誰も入ることなど出来なかった故に。
もはや其れではドラマにはならぬのやもしれぬが其れほどに第一シリーズでの阿部と夏川による愛を育む演技が光って居たが故に。