目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

かくして絶滅は必至だ、だがもう全てを赦さう




生物多様性と生態系サービスに関する地球規模アセスメント
地球規模の生物多様性及び生態系サービスを評価した報告書が受理され、政策決定者向け要約(SPM)が承認・公表されました。SPM には29 のキーメッセージが記述されており、その概要は以下のとおりです。
・自然がもたらすもの※は世界的に劣化している。
・自然の変化を引き起こす直接的・間接的要因は、過去50 年の間に加速している。
・このままでは自然保護と自然の持続可能な利用に関する目標は達成されない。しかし、経済・社会・政治・科学技術における横断的な社会変容(transformative change)により、2030 年そしてそれ以降の目標を達成できる可能性がある。
・社会変容を促進する緊急かつ協調的な努力が行われることで、自然を保全、再生、持続的に利用しながらも同時に国際的な社会目標を達成できる。
※「自然がもたらすもの(NCP: Nature's contributions to people) 」は、IPBES において生態系サービスとほぼ同義の用語として使用されており、自然がもたらす負の影響も含まれている。ー上より引用ー



其れではゴルフ連載に入る前にひとつ緊急提言させて頂きます。

其れぞ即ち生物多様性の危機に関する大問題に就ひてです。

まずわたくしが結論として導き出したところでの此の問題に関する回答とはかうです。

即ち問題としての全ては価値観の持ち方の誤謬にあります。

人類の生に対する価値観のあり方自体が誤っておる。


ですから、其の価値観と云ふものは、実は生まれつきのものなのです。

常識的な価値観とは後天的に形作られると皆様はお考へになるかもしれませぬが決してさうではない。

かのショーペンハウアーなども性格形成による価値観の持ち方は生涯変わるものではない、などともかって述べて居りました。

さうしてわたくしは其の意見には大賛成です。

だから生まれつき我等は常識的に正常な価値観が壊されて居り一部の人のみがー宗教や環境保護の見地に立ち潔癖な価値観に従ひ生きて居るのだとも云えやう。

と言へばおそらく皆様は反発されることでせう。

でもおそらくは其れが事実でせう。


つまり現代の常識としての社会的価値観を生きる上で其の価値観に従ひ生きて居る人のほとんどが実は生まれつきにさうした性格=価値観の持ち主だったのだ。

だから破壊の現在を生きて居る現代人の多くの心理的本質は所詮破壊だと云うことだ。

よって破壊野郎または破壊娘が其の元々の根性の悪さから今此の地球上の時間を其の心に見合ったものとして生きて居るに過ぎぬ。

で、わたくしのやうな反発者ー反抗者は其れが違ふとさう正直に述べて居るばかりでのことだ。

人類の価値観は間違って居り何故其れがわたくしには分かるかと云ふと其れはわたくしが変わり者だからだ。


が、其の変わり者と云ふのはあくまで相対概念に過ぎぬ訳だ。

あくまで現代社会の価値観からすればどうも違ふことを言ってるな、と云ふことであるに過ぎぬ。

また価値の相即と云ふこともまたあり得る訳で、たとへばわたくしが文明を全否定して居るものかと言へばさに非ず。

我だってかうしてとりあへずは社会生活をやっておりますがな。

ただ其れに思ひ切り文句をつけて来て居るだけのことだ。

また文明が自然や宗教や藝術の分野を全否定するものでもない訳だ。

ただし社会的な破壊は人間そのものに対して突き付けられた大問題だ。

社会的な破壊は個に対して突き付けられし問題なのではなく人間と云ふ種に対する罪であり其の悪のありかとしての問題だ。

だから人間は社会的に潔癖にならなくてはならない。

ところが人間は潔癖な個たり得ることは出来ても往往にして社会的にはだらしがないものと相場が決まっておる。

だからこそ文明は滅ぶのだ。


謂わばよりデカい欲望ー権力や進歩などに関する欲ーが決まって人間を堕落させ窮地に陥れて来た。

其の原理を見切った聖人、または知恵ある人々は大昔からむしろ世を捨て詩の世界や絵画または思想の世界へと隠れ住んで来ても居やう。

所謂世捨て人としての高度な知的集団が人類史の隠れた部分には確かに存して居た。

世捨て人としての価値観は流石に極めて理性的だ。

理性は突き詰めていけば必ずや此の隠遁気質、社会否定の段階へと至らうが其処までいく人は流石に少なひ。


即ち此の世界がモロ矛盾過程であり其のままではヤバい世界なのでそんなとこに価値を固着させ永遠に罪の段階に留まらうなどとはまるで考へてなど居らぬ。

だから其れが所謂天才の考へで庶民の或は社会の常識とはまるで正反対の価値観そのもののことだ。

或は必ずしも理性に傾かずとも釈迦やキリストのやうに心性の面から真理に到達した人々は矢張り其のやうな社会の常識とはまるで正反対の価値観に到達しておる。

ところがかの価値観を純粋に履行すればする程に実は生きにくくなり残念ながら自決や発狂に至る利口も多くて実際其処が困るところだ。


だから真の利口はむしろ元気には生き過ぎぬ方向をこそ目指す。

別に元気に生きても良ひが社会的には決して元気になっちゃダメだと云ふ事だ。

逆に社会的にこそ潔癖に人間存在其のものをより注意深く生きなければならぬ。

ところがそんな心的段階に達した人などまず其の辺には居らぬ。


要するに其の価値観の持ち方だけが問題だ。

環境問題も他のあらゆる問題も煎じ詰めれば其の価値観の持ち方の問題だ。

最終的には其れが合理的理性の問題となりつまりは合理化の問題へと収斂していかう。

結論としては人類の価値観の持ち方に問題が存するゆえ必然的に自らの生存を危うくするやうなつまりは自滅に至るやうな現象を招ひて仕舞ふ。

だが釈迦やキリストはとっくに其の原理を見破って居たのだ。

たとへばキリスト教は現状と云ふ歴史過程を悪魔により支配されし欲望世界だと捉へて居やう。

また仏教は生とは煩悩に捉へられし苦の世界そのものと捉へて御座る。

此の負としての認識は共に正しひ。

どちらも其れをマイナスの世界だと捉へて御座る。

さうしてかの竹林の七賢荘子老子はこんな世界はバカバカしひだけなのでもう世を捨てて仙人化すべきだなどとも仰る。

其れもまた実に非社会的なマイナス思考ーあくまで社会にとってのーだ。

だから権威化などしちゃダメだ。

より潔癖には天皇制も議会政治もまた一党独裁も全部が権威化など出来ぬものばかり。

そも権威化出来ぬものを権威化し隠遁すべきものを最大限に元気にしておるつまり真理とはまるで逆をやっておる。

左様な体たらくでは滅亡もまた必至じゃ。


だから女に触っちゃダメだ。

女を舐める位にとどめておくべきだ。

また肉食っちゃダメだ。

ただし体の弱ひ方、意志薄弱の方、或いは不眠症の方、または大病をして居る方、などは其の限りには非ず。


ところで資本主義は一体何をやって居るんだ?

よりにより虚の構築ばかりを塗り重ねて其れでもゴルフさへ出来んやうでは資本主義の意義など何処にも無ひではないか。

何故そんなに儲けたがる、溜め込みたがる?

我など今が楽しけりゃイイと思ひつつこれまで生きて来たが其れが間違って居るとは金輪際思わぬぞ。

確かに今が楽しけりゃイイが決して女には触れるな!

さうして投資はたった今止めよ。

あぶく銭如きに人生を賭けてはイカン。


はあ、さうは言ひつつも金持ちになりたひ。

何故か?

実は今すぐに田舎に逃げて行きたひのだが田舎には金が落ちて無ひので其処で食っていく為には逆に大金が必要なのだ。

誰ぞわたくしと共に田舎へ逃げていく人が居ないものだらうか。

田舎または山へ行くと現代人には其の文明の価値観が間違っておること位はすぐに分らうぞ。



・自然がもたらすものは世界的に劣化している。

自然の劣化は人間の価値観の誤りから齎されるものだ。
全てを自然から頂いて居ると云ふ事実を忘れ巨大な欲望に走る即ち欲の皮がつっ張った存在が唯一人間だけだと云ふ事だ。
つまり自然は其れ自体では劣化しなひ。
ゆえに誤った人間の価値観より其れは引き起こされて居るのだ。

ところが人間にとって近代と云ふ歴史過程は必然である。
必然としての歴史過程を必然的に現象させることは逆に其の悪ひ人間共にとっての正しき仕事なのだ。
つまり其処で我我はあくまで正しく悪乃至魔の行為を遂行しているに過ぎぬ。

と云ふ事は人間其れ自体が悪であり罪であらうから性悪説が其処に導き出されねばならず人間は現象すべきではないと云う価値観へと最終的に到達されなければならぬ。
或いはキリスト教のやうに世界自体を宗教化=神化して其の救済構造の中で生き延びていくほか其の罪深き人間共の生きる道は無ひ。


・自然の変化を引き起こす直接的・間接的要因は、過去50 年の間に加速している。

其れもたったの五十年ですぞ。
いつの間にか自然が変化し不安定に劣化していかざるを得ないのはしかしながら全て必然としての事象である。

人間存在の持つ本質的な悪の要素が欲望の追求の加速化と云ふ形で表面化しているものであるに過ぎぬ。

即ち其処では人間存在の悪=悪魔性を前提として捉へなければさうした事実としての劣化を合理的に説明出来ぬ。

其のスピードこそが近代の悪魔性を端的に示して居り我我は今やまさにスピード狂であり何でも早くまたは速くしなひと我慢がならぬ。

然し其れは現代社会の陥った病の部分なのだ。

我我はかように生物種として完全に病気でありむしろ精神的におかしひつまりは狂人のやうなものだ。
ところが精神病院が文明には用意されて居らぬ。

こんなこと言うてると逆にわたくしが牢屋かまたは精神病院に閉じ込められて仕舞ふ。

だがどちらに病院が必要かは明らかだ。

勿論わたくしにだ、いや違った、まさに文明にだ。



・このままでは自然保護と自然の持続可能な利用に関する目標は達成されない。しかし、経済・社会・政治・科学技術における横断的な社会変容(transformative change)により、2030 年そしてそれ以降の目標を達成できる可能性がある。

むしろ社会的には決して解決など出来ぬ。
むしろ社会を止めた方がよろしひ。

でも社会は止められぬので、社会の単位を極小化すべき。
事実として経済も政治も科学さへもが劣化して居るのではないだらうか。

事実議会制民主主義も資本主義も著しく劣化しておる。
政治家の劣化などもまた明らか。
つまり現代社会に於ける諸要素の劣化が著しひ。

其の劣化は現代社会の価値観の誤りが齎すことだらう必然的な精神の劣化だ。

横断的な社会変容などと聞こえの良ひことを仰って居られるがそんなものではまるで大問題は解決しなひぞ。

もう止めちゃえ、文明。

文明を捨て山に籠れば結局全てが分らう。
もう捨てちゃえ、こんなバカバカしひ社会は。


・社会変容を促進する緊急かつ協調的な努力が行われることで、自然を保全、再生、持続的に利用しながらも同時に国際的な社会目標を達成できる。

だから社会変容などと云ふ言葉に拘ってちゃダメだって。

何故なら社会=悪なので社会を形作ることは最終的には悪ひ結果しか齎さぬ。

また自然を保全、再生、持続的に利用、などと云ふ文言はまさしく矛盾なので安易に一緒にして使ったりしないやうに。

むしろ此の際社会を止めよ!
赤信号でもって皆で滅亡への歴史過程を渡るのは余りにも危険だ!

資本主義ならびに社会主義または共産主義を此の際全部止めよ!

是非共同体レヴェルでの非合理的社会へと戻すべきだ。

まあ人の目が気になる実にイヤらしひ社会ながら五十年で生態系を破壊するよりは余程にまともな社会だぞ。

其れに國際とかグローバルとかそんなものを金輪際述べてはならぬ!

前にもこと細かく説明したやうに国際主義は完全な誤りだ。

其処はかのカントも間違って居た訳だ。

また国連とかそんなものを希求したかっての知識層の考へもまた同様に誤りだった。


其れから自然そのものと人間そのものの間にはどうも大きな溝=隔たりが存して居やう。
其れが何かと云ふ事を無論のことわたくしもこれまで考へ続けて来た。

結局其れはスケールの問題でありむしろ質的な差異のことではなひと考へるに及んだ。

要するに人間はデカくなり過ぎてバランスを崩して居やう。

巨大化しある意味では神仏の領域をも冒し始めた訳でさうした危険さがデカ過ぎる妄想=文明による観念的な価値観から齎されて居るだらうこともすでに明らかだ。

其のデカい奴、集団化して魚やら鳥の群れみたくなった危険生物がまた堂々と赤信号で横断歩道を渡っていやがるんだ。

観念化、と云ふことなども実はさうした量的還元の世界から説明し得る。

要するに欲望がデカ過ぎる。

なので地に足が付ひて居なひ。

また近年は欲望の対象がデジタル化、虚構化されても居りいざさうなると物質性=肉体性を離れた形で欲望が膨らみまさにドンドン妄想の領域へ近づいていく訳だ。

なのでもはやキチガヒ文明なのだとしか言へぬ。

さういうのは厄介なので最近はもうほったらかしにしとこうなどとも考へておる。

要するに文明の価値観は其の根本のところで誤っておる。

だから其れはむしろ大昔から誤って居た。


タダここまでデカい妄想、またここまでデカい欲望ではなかったのだ。

科学技術と云ふ合理化の手法により人間存在が合理的に延長された結果かうした破壊としての悲劇を生んで居ることだらう。


以上より破滅としての価値観が文明にとってはむしろ必然であることを述べて置ひた。
つまり其処自体には問題は無ひ。

また破壊はむしろ人間の仕事、至極まっとうな成果であり其れ自体にも問題は無ひ。

だが自然だけは壊れていく。

と云ふ事は人間はまさに悪魔であり悪ひ奴だと云ふ事だ。

自然との其のバランスは回復せぬので精神的には文明の要素を全部捨て置ひておいた方が良ひことだらう。

ひとつだけ最後に付け加へたいのは、キチガヒに限り絶対に自分がキチガヒだとは決して言わなひと云ふ部分だ。

逆に言へば我は狂ってるかもしれません、などと反省して居るのは理性が反省して居るのであり従ってほんたうに狂ってなどは居なひのだ。


現代文明は自分が偉ひとしてすぐに権威化したがるが其れも悪ひ癖だ。

結論的に左様に人間は悪の存在=悪魔なので自然が壊れること自体には問題が無ひがいざ自然が破壊され続けていくならば人類はあと五十年も持たないと云ふことを今此処でハッキリと述べておかう。


ただ、むしろ余り考へ込んだり心配して仕舞ふ必要などはなひ。

此の世は美しくしかも金さへあれば何でも出来る何でも手に入る。

金が無くても実は安くて良ひものがある。

わたくしは金融資本主義などは認められぬがお買い物に於ける賢い商品の選択にこそ消費者としての資本主義に於ける知恵がある筈だとさう見て居る。


インテリの方々などは肉も食へ、弱った精神が元気になるぞ。

精神的虚弱体質を其の肉体の元気で吹き飛ばすのだ、


要するに最後のひと時を賢くしかもなるべく楽しく過ごすべきなのだ。

我我の世代が築きし妄想の社会は今後人間への圧迫をますます高めていくことだらうから。


其処で恋もせよ、ラヴレターも書け。

わたくしのラヴレター(つひ二年前に書き女に渡した)などはこんな美文字でもってしかも随所に知性が滲み出て居る典型的な教養人のラヴレターだ。

だから女さへをも否定するな。


即ち人類絶滅へと至るであらう其のスピードが加速されているかのやうだ。

だからもう全部を赦し慈悲の眼差しでもって全てを包んであげなさい。

無論學者も否定しないし、マニアもバカにしないし、女を足蹴にすることさへとりあえずはもう止めておきます。


其れでもって自分はゴルフでいかうと思ひつひドライヴァーを買っちゃいました。

次のゴルフの話で何を引いて来たのか其れもまたお話ししますがね。


近く生物多様性が損なわれるのであれば必然としての人類の未来は無ひに等しひ。

それでも今を楽しんで生きてあげておいた方が其のドライヴァーやらペンやら腕時計の現象としての意味は成就されるのです。

此の世の美に寄り添ひ生きて行くことは深く哲學することにも匹敵することだらう生への感謝の捧げ方なのだ。