有性生殖が死を齎すにせよ我我は永久に死ねぬ
Newton別冊『死とは何か』 (ニュートン別冊) ムック、と云う本を本屋さんで立ち読みして来ましたが其処には主に科学の目で見たところでの死の定義が示されて居るやうに思へた。
皮肉なことに有性生殖其れ自体が死を齎した、と云う部分などは全く面白ひ部分だ。
有性生殖とは何ぞやと問へばまさに其れは生の開拓であり可能性の追求なのであらう。
有性生殖により生の範囲を拡げて居るのである。
即ち性こそが其れを可能ならしめる。
つまりはオスとメス、其の陰陽の山と谷の或は突進力と受容力の其の二元的対立があればこそ生の可能性は拡がるがであるからこそ其処にどうしやうもない生の裂け目=どうしやうもない真っ暗暗の闇即ち微動だにせぬ死の世界が其処に永遠に横たわるのだ。
ただわたくしの場合はむしろ生きながらにして死んで居り或いは死にながらにして生きて居り其処はちょっと普通とは違ふのでまた最近はどうも死の問題を考へることは億劫で、と言ふよりも死は問題では無く生の方こそが人間の問題だと捉へて来て居るので死んだらどうなりますか?などとは実はまるで考へてなど居らぬ。
人間の生が何故これ程までに罪深ひのかと云ふ其の一点にのみ問題が収斂して来て居り畢竟其れは人間がバカで救われない心の持ち主だからだと云ふ其のひとつの結論にのみ集約されて来て居り、嗚呼、だったらもう人間なんか辞めたひなあ。
まるで川岸良兼みたひにもう兎に角マイナス思考だよ。
嗚呼早く植物に生まれ変わりたいなあ。
植物に生まれ変わったら楽しひだらうなあ。
いざさうなればもはや金も要らぬのだし、太陽光線つまり大日如来と日々戯れつつずっと生きていけるのだ。
おまけに嫁も要らぬ。
でも植物にも雌雄がちゃんとあるぞ。
しかも生き抜く為には水も必要だし炭酸瓦斯も必須だ。
其れに弱い植物だと必ずや他の強ひ植物に負けるぞよ。
嫌らしひ外来植物などに負けおまへなんかすぐに枯れちゃうんだぞ。
いや、確かにさうであった。
生存競争は確かに植物界をも貫く掟だ。
左様に植物は存外嫌らしひぞよ。
が、獣のやうにクサくはなひ。
逆に芳香を放ちとても静かだ。
嗚呼、其の何処までも続く静けさ。
わたくしは元々静かな人間なのでさういうものをつひ求めて仕舞ふ。
いや、然し生命よりも無生命の方がより静かだ。
たとへば石。
石は動きもせず永遠に静かだ。
では石にでもなりたひ?
なりたくはなひ。
石のやうに厳密に静かでは生きておる甲斐もなひ。
即ち自らの美を認識出来ぬ。
石になり深海の底か山の天辺で暮らすことを確かにしてみたひ。
だが何となく其れは合わぬ。
ゆえにとても無生物などにはなれぬ。
つまり人間など完璧な静けさを持っては居なひ。
だから此の世界へ彷徨ひ出て来ておる。
だが有性生殖を認めたくなひ。
結局迷ひ出て居りつつもなるべくお化けからは遠ざかって居たひ。
其のお化けとは有情のイノチのことだ。
有情とは其れ即ちお化けだ。
兎に角我我は皆お化けだ。
父ちゃんも母ちゃんも爺ちゃんも婆ちゃんも子も孫も先生も生徒も皆お化けだった。
其のお化けの何処が悪ひ?
皆迷ひ出て来ておる良ひ子ばかりではないか。
いいや、此の世には是非治さなければならぬ部分がある。
此の世を生じさせている人間の心にのみ問題が生じておるのだから。
では動物には問題はないのか。
また植物に罪はないのか。
無ひ。
実は人間のみがお化けだった。
人間のみが死を観念化する。
即ち言語化するに至る。
然し其の死はありのままの死ではない。
我我の迎へる死はありのままの死に非ず。
我我の迎へる死は現世での欲望の延長線上にある。
即ち欲望の断滅のことであるに過ぎぬ。
でも自然の死でも其れは同じことでないのか。
つまりは欲望の断滅のことだ。
さうかなあ。
違ふと思ひますよ。
たとへば動物は死期を覚る能力を持つ。
コレはむしろ往生際が良ひと云ふことだ。
然し人間の場合此の往生際が極めて悪ひ。
つまるところイノチとしての根性が悪ひので往生際が悪ひ。
其れは多分心が価値ヒエラルキーに毒されて居るのだ。
そんな