目覚めよ!

文明批判と心の探求と

薔薇荊ーⅠ


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では何で男性は弱ひのか?
何で男性はマイナス思考に陥り易く対して女性はプラス思考なんでせう。

だから其れは男性が観念的生物であり女性が非観念的生物であると云う部分に尽きておる。
つまり男性はほとんどが観念型=浪漫体質なのさ。

其の浪漫は現実以外を生き易ひと云うこと。

かように男性は現実を現実とは捉へて居らず常に其れを観念化しておらう。
さうして実はそちらの方こそが大事だとも思って御座る。
其の脳内の認識こそが価値であり現実なのだ。

対して女性は子宮の判断をまさに現実として受け取って御座る。
ところが女にも観念はある。
其処は流石に人間なので人間の女はモロ動物だと云う訳ではない。

子宮と云う動物臓器と観念と云う人間臓器の認識上の違ひが即女性と男性の違ひを形作って居やう。
ところが世界そのものが実は子宮である。

世界とは子宮のことで、何の子宮かと云ふとまさに相対概念の為の子宮なのだ。

其の世界の成り立ち、相対的世界への信心の持ち方が男女にとり百八十度異なる。
男性はこんな腐った矛盾世界への信心など持ちやうがなく其れでもって其処で逆方向での浪漫を追求して御座る。

酒浪漫、浮気浪漫、マニ屋浪漫、革命浪漫、自決浪漫などだ。
或は発狂浪漫のことだらう。

即ち肉体に傾けば酒色に溺れ逆に精神に傾けば宗教だの革命だの発狂だのにつひハマり易ひ。

確かにコレは一見危なひやうにも見へやう。
然しまるで危なくは無ひ。

男性の生への不信心を端的に示すものとは釈迦とキリストに於ける生に対する不信心の様にこそ尽きて居やう。
つまり生を信じてない。

そんな女の腹からポコッと生まれし変な世界などもうまるで信じられはせぬ。

どだい世界全体が海臭ひ。=子宮の中
しかもそこいら中でガキがえばっておる。

あまっさへ何か変なもので包まれておる。
ああ其れが愛と云う美名の名のもとでのウソのことだ。

キレイさうで居てキタナイ其れはむしろ肉体を聖化し生をして信仰の諧調を組み上げていかう。


マイナス思考ー世界自体または生自体への不信心=観念的展開=男性の本質的な弱さ
プラス思考ー世界自体または生自体への信心=子宮思考=女性の本質的な強さ

畢竟さうしたこととなりませう。

が、其処では常に注意が必要です。

何故なら事象は一義的には解釈出来なひものなのだから。

つまるところ事象は常に相即しつまり逆方向をも同時に保ちむしろ其の結果ゆえに矛盾領域へも必然的に組み入れられて居ります。

謂わば事象には二面性があり矛盾しつつも調和を保ち調和を保ちつつもいがみあって居るのだ。


ところが其の二面を離れるとすでに世界自体が成立し得なくもならう。

此の世界とはさうした矛盾的相対世界のことに他ならぬ。

其れを生んで居るのが女の腹であるつまり子宮である。

と云うことは全部が子宮から始まり子宮で終わることだらうむしろ全部が煩悩または罪の世界のことであった。

そんな世界には居たくはないと思ひ続けておきながら其れでも尚こんな腐った世界にコノ腐れ外道の世界に惹きつけられ何故か其処でスイスイと泳ぎ続けて来られて来て居るアナタ方。

さうアナタ方こそが神だ、または佛よ。


でもアナタのどんな思考も其処で威張るやうなものではない。

かの詩人の感性に比ぶれば其はまさに屁のやうなものぞ。

屁、タダの屁、或は便所虫のことぞ。


さてもまるで便所虫のやうなリベラル思考が世を席巻しておりますが其のリベラル思考こそが世を滅ぼす思想そのものだ。

なんとなれば其のリベラル思考こそが子宮思考だからなのだ。

リベラル思考の正体とはズバリ女の腹の中身のことぞ。

リベラル思考を続けるリベラルメディア及びリベラル學者の頭の中に理性など微塵も無ひわ。


第一其の理性の意味さへ分かって居らぬ。

何度も言って来たが理性とは基本的にマイナス思考のことだ。

人権、自由、博愛の追求は全て其のマイナスの捉へ方のことだったが実は矛盾化して其れが全部+概念へと移行するに至った。

勿論マイナスが全部悪ひと云うておるのではない。

マイナスが認識上の全体性を回復するものであらうこともまた確かなことだ。

逆に+思考こそが危険だ、即ち犯罪だ、さうして全てを破壊に至らしめるところでの観念だ。


だが今人類は金欠ならびに色キチ外の魔道に陥っており其のマイナスを分かち合ふパイがもはや何処にも無ひ。

即ちマイナスモノが無ひ、其の暗きモノ、暗き血潮の流れが。


ではどうするのか?

こんな利口なリベラルだよ、などと決まって何処かの學者共が近代主義を振りかざすものだがそんなものでは人類の未来など切り拓いてはいけぬ、そんな思想に凝り固まる君等はどう考へても結局は罪人だ。

罪人共、今此処でしかと聞ひておくがよひ。


まこと此の世は罪の世界じゃ。
此の世は腐ってる。

嗚呼、でも美しひ。
腐ってるのに美しひのは何故か。

然しリベラル學者共の脳味噌の中身だけは美しくもないし第一金輪際認められはせぬ。

ところで中国は一体どうなって居るのか。
世界四大発明は皆中国人が成し遂げ漢字や仮名もまさに中華文明由来でのものだ。

なので結果として米国は中国に敵ふ筈がない。
米国のいけなひところは極左近代国家の癖に一等国の地位を保守しやうと躍起になって居る其の思想的矛盾にこそ存する。

一言で言へば米国とは破壊の國である。
伝統及び秩序に対する破壊国家なのだ。

なのに其の無ひ筈の米国の伝統及び秩序だけは守らうとする。
なので元々思想の方が危なひ国家だ。

元々危なひのでいざヤバくなれば宇宙へ逃げていかうと本気でさう目論んでもおる。

そんな米国の思想に追従して居ると日本国の女共がまず皆犯されて仕舞ふ。

すると日本型の良妻賢母思想がグズグズにされ自由恋愛、自由援助交際、自由拝金主義、自由軍国主義化され日本国憲法は思想的に滅ぶこととなる。


確かに天皇家は頑張っておる。

今は令和の御世ともなり、かの今上天皇は我と同い年でしかも山が大好きでほんたうに良ひ御人柄の方だ。

皇后様が兎に角お好きでこれまではむしろ皇后様の為に生きておいでになられたがまさにこれからはさうもいかぬことだらう。

でも山に登れば全ては解決しやう。

さあさ皆でこれから山に登らう。

山に登り石など拾って来やう。

なーにコッソリとちょっとだけ拾って来れば誰にも怒られやしないさ、其の宝石を盗んで来るのだ山の中からサア早う。


愛子様は超利口でもってして女帝にこれほどふさわしひ方はない!

女性活躍と云ふ面からしてもむしろ今後社会の枢要な部分を女性にやらして男性はもうすっかりリタイヤしたひ。

実際リタイヤして毎日遊んで暮らすのじゃ。

だから其れが本来の男性の役割だと言うておるではないか!

男性の本来の役割とは其れ即ち種付けのこと。

さらに戦闘。

戦闘には向かぬ体の弱ひ者、または意志薄弱の者は藝術か宗教に生きるべし。

またはマニ屋になり城、鉄道、石、マンガ、夜景、薔薇、哲學などにつきトコトン研究していかうぞ。


さうか男性は現実的なことには元々興味など無ひんだ。

風呂の掃除だの、また便所掃除だの、町内会の諸の雑事だの、もうそんなことにはまるで興味はなくただ一点のことのみ、其の真理に就ひてだけをかうして追ひ求めていくのだった。

よってマイナス思考こそが浪漫の母だ。

理性とは其のマイナス思考のことだ。

マイナス思考をあへてすることで全体の保守を図るのが真の意味での保守思想の核心部だ。


ところが近代に於ける保守派とは逆に革新派のことだ。

左翼が保守で、諸の改革とシンポこそが其の保守としての基本理念なのさ。

今ならばさしずめイノベーションの世界が其の保守としての基本理念なのさ。

だがそんな保守など本来ならばおかしひ。


プラス思考ばかりで過去の否定、現状の転換ばかりを未来に求める其の急進的左翼思想こそが諸の破壊の元凶なのだ。

プラス思考即ち子宮思考にはドロドロに安楽願望が含まれて居り其の本質は生への執着であり其れを実現させ得るが為の欲望の成就である。


即ち女は其のままで欲望の権化なのさ。

対する男は其のままですでにリタイヤ組なのさ。

本質的にすでにリタイヤしておる。

そんな立てと言われても立てぬし最終的には釈迦やキリストの世界観へと逃げていく他なし。


然し浪漫に対してだけは立つことも可能だ。

嗚呼、是非オーデマピゲの腕時計が欲しひ。

勿論買へはしませぬがどうも一つだけ欲しひ。


其れに薔薇の絵を描いて是非画家になりたひ。

言ふまでもなくこれからは薔薇などが素晴らしくキレイだ。


其のマイナス思考の生み出す止めどない喜びと陶酔の世界。
元よりそんな桃源郷には子宮の生臭さなど似合わぬ。

ああ生臭や現実主義が、かの女共の現金主義が。


現金主義は美しくない。
何故か?

其が観念の段階を経て居なひからだ。

詩や小説、絵画、夜景、哲學などには観念的段階を経て来て居るがゆえの美がある。

だが薔薇の美は悉く現実的だ。

まあさうだ。

だが薔薇は観念的にもなり得る。

男性と云うひとつのマイナスのフィルターを通して見る薔薇こそが其の観念美そのものなのだ。


Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter soviel
Lidern.

薔薇よ、おお純粋なる矛盾、
それだけ多くのまぶたの下に、誰の眠りも宿さぬことの
喜びよ



このリルケの詩が其の男性の持つ眼差しそのものを描いて居ることでせう。
かうして男性は美の下に矛盾そのものを見詰める。

薔薇が矛盾であり其の美を見詰める男性自身の眼差しこそが矛盾なのだ。

でももっと大きな矛盾があり其れは子宮による薔薇の生産です。

生産は男性には不可能なことで、其の生産物には二面性と云う腐敗が宿って居るが其れでも尚其れは美しひ。

ですが男性の眼差しは其の実体としての薔薇の美を離れまさに観念としての矛盾を追求して居るのだ。

さも其れが美そのものであるかのやうに彼は其の矛盾をつき嘆息を漏らす。

でもリルケは矛盾が喜びだとも言っておりますよ。


薔薇よ、おお、清らかなる矛盾よ
誰が夢にもあらぬ眠りを あまたなる瞼の陰に宿す
歓喜
                   星野真一訳
 
薔薇 おお 純粋な矛盾 よろこびよ
このようにおびただしい瞼の奥で なにびとの眠りでもない
という
                   富士川英朗訳



其ればかりか歓喜だ、などとも言っておりますよ。

何処が歓喜だ?

東洋思想は生を美化しない、薔薇の矛盾を美には重ねぬ。

じゃから女は薔薇を捧げる対象では無く矛盾の母としての奴隷女であるに過ぎぬ。


実際どんなに綺麗な姉ちゃんも所詮は其のドレイ女なのじゃ。

然しドレイは強ひ。
ドレイ程強ひ者は他に此の世に居らぬ。

さて姉ちゃん、かの三島先生の薔薇荊でも観に行きませんか?

言ふまでもなく香気溢れる薔薇にはトゲがあり其のトゲこそが美の矛盾そのもののこと。

美にはトゲがあり其は時として現実をズタズタに切り裂く魔力を持ち合わせておる。

とは言え美は永遠である。

美は永遠なのだがかうして我我は常に限定されておる。

其の哀しさを謳った詩だとわたくしは思ふのであるがどうだらうか。


で、ノムさんは果たして立ち直れるのであらうや?

まあムリでせう。

何故ならサッチーは一人でもう何処にも居なひからです。

だから結論としては男性は早う死んで仕舞ふべきだ。

愛する人が死ぬ前になるべく死にませう。

然し業が深くしかも鈍感でもって根性が悪ひゆえに長生きする男性も稀に居ります。


そんな場合には是非宇宙へ逃げませう。
いや、確かに美へ逃げ或は宗教へ逃げまたは趣味へ逃げると云ふ手も御座ります。

ただ美も宗教もまたどんな趣味も汝をなかなか救っては呉れませぬ。

むしろ余計に悩むことになるゆえもう全部やめちゃえ。

やめちゃえば後はもうリルケの薔薇の矛盾が残るばかりのことです。


アア、バラよ、純粋なる矛盾よ。

矛盾ばかりのコノ世の中で我等は一体何とする?

矛盾ばかりの社会と矛盾ばかりの家庭生活でもってして。

ま、其処は是非薔薇の園でも観て楽しんで来るがよからう。

芳香に包まれ荊に刺し貫かれ其処で大往生を遂げて来るがいい。


ところで薔薇の絵の場合松田 正平の作品が最近は何故か好きだ。