目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

珠玉の愛を求め続けていきなさい


さて、このところわたくしは人間にとっての幸せとは何か、特に女性にとっての幸せとは何かと云うことを屡考えて来て居る。

何故女性にとっての幸せなのかと云うと、近代化はむしろ女性にとっての真の幸せを奪いつつあるのではないかとの疑いが生じたからなのである。


確かに前近代での子供の早死にや貧しさ、不便さ、酷い搾取の様などは大きく女性を圧迫して居たと言える。

然し其れが無くなった今、其処でほんたうに女性の生が幸せになったと云えるのであろうか。



たとへば性の自由化は、そして自由な生活は果たして女性を本質的に解放したと云えるのか?

わたくしは決してそうではないと考えるのである。


性的な満足即ち肉欲のみの成就は、本質としての幸福にはむしろ繋がらない場合が多い。

尚これは男女共に同じことである。

ただし、男性は女性と違って性がむしろ大事である。



性の方が無いと男性はあらゆる自信を失い易く、そうこうするうち攻撃性すら失せていきまさにメス化していく。

だから男性はむしろ女に常に興味を持って居なければ必然として生きにくくなっていくのである。


逆に真理を生きる場合には釈迦やキリストが仰いますやうにまずは女を見るべきではない。

されど生き抜くのであれば、むしろ女の尻ばかり撫でて居るやうでなくてはならない。



むしろ男はそれで良い。

物凄くいやらしい貴方様のやうなアタマの中身こそが生の実相であり性の実相である。



メス化した男のタチの悪いのは、兎に角何かとフニャフニャなことである。

しかしながら本来ならば無論のこと男は雄々しく立派に立って居なければならぬ。

そんな風に男とは常に屹立する何かだ。

其れこそがメス的なものの反対の力そのもののことだ。



わたくしはもう長いこと立って居ない何かなのでそうした世界にはひどく憧れて仕舞う。

かの三島先生のやうな筋肉美と自決する意志に対しても或はそうなのか。

然しそういうのはもう流行らないのでもう少しマイルドに行くとしてでは今男には何が出来るのか。



いやでも今男性には何も出来ない。

せいぜい小池 百合子氏の力にすり寄って訳の分からない政党に入り立候補して居る位しか能が無い。



だが男性をバカにして居てはならない。

男性の力はズバリ立つ力である。

此の力強く屹立する何かを腐った女共がどうのこうの云うことなど絶対に出来ない。



即ち此の力こそが神の力であり仏の力である。

だから女共はまず此の「立った」男をよーく見て、そして其の力にひれ伏しかつ祈りを捧げなくてはならない。

ありがたや、ありがたや、父ちゃんが立って居るお蔭で我我メス共が無事で居られる。

子供達も無事こうして育って居る。



嗚呼、有難い。

これ以上に幸せなことはない。

不倫するやうな芸能人や議員よりもウチの父ちゃんの方がずっとずっと偉い。


そうだ、父ちゃんこそが一番なのだ。

鬱陶しいといつも思って居たが其の考えは誤りであった。

甲斐性なしといつも思って居りましたがバカはむしろ私の方でした。



まるでホストのやうな美男の薄ぺらなオトコにつひ目がいって居たがそもそも大きな誤りでした。

これからは心を入れ替えて夫に尽くし骨になるまで夫を尊敬し尽くし続け毎日すき焼きの肉の方を食べて貰います。



そうだ、それでよろしい。

特に18時にはもう家に帰って居なくてはならない。

いや、18時にはすでに夕ご飯の支度を終えていなくてはならぬ。

そして風呂は最後に入り、朝は五時半には起きて居なくてはならない。



このやうにして是非「立つ」父ちゃんを養成していかなければなるまい。



つまるところ、アブノーマルならびにスーパーアブノーマルな肉欲の成就はむしろ女性を不幸に導いていく。

そうではなく父ちゃんだけを、其のふにゃふにゃの父ちゃんを汝の力で雄々しく屹立させよ。

さすれば家庭も国家ももう何もかもがうまくいく。




もとより性などは、父ちゃんだけで充分だ。

父ちゃんも、基本的には母ちゃんだけで充分だ。



そのやうに性を規定し、近代主義による性の破壊を、其の合理主義的な肉欲の成就を、即ち性の自由化と闘っていかねばなるまい。

そのやうに男は女を女は男を其のひとりだけをまさに骨になるまで愛し続け共に生き共に悩み、そして共に死に共に灰になるべき。



其れだけが人間の幸福である。

カネも地位も名誉も何もかも、冥途へは持っていけずアブノーマルならびにスーパーアブノーマルな肉欲の成就の本質はあくまで虚である。

つまり不倫の本質は虚である。



が、実は父ちゃんも虚である。

虚ではあるが、同じ虚であるものならばむしろ父ちゃんの方を選ぶべし。



其のやうに近代主義の履行は父ちゃんを破壊し女の邪な性欲を刺激するからこれはもう明らかに悪の力である。

悪の力が蔓延し性の破壊が進めば女はより云うことを聞かなくなりより邪な性欲の虜になっていく。


特に都会では危ない。

都会では、特に薄暗いところ、此処が極めて危ない。

そのやうなところには変態男が必ずや一人は潜んで居る。



そのやうなところに18時以降に通りかかるともうとんでもないことになる。



だから身と心を律する立派な女性は、くれぐれも遊び歩いたりせず朝から晩まで家事に勤しみ兎に角不倫をしない。

ただただ一心不乱に夫を愛し家庭を愛し子供を育て上げ爺ちゃん婆ちゃんの下の世話まで完璧に行う。


それでこそ立派な女じゃ。

わたくしはそんな貴女様を最高に尊敬してやまない。


風呂焚き、飯炊き、拭き掃除、洗濯、アイロンがけ、掃除機がけが大好きなあなた様がほんたうにほんたうに大好きだ。♥

もしもそんな👩ならば結婚して欲しい、是非結婚してお呉れ。









さて、かのダイアナ妃は果たして幸せであったろうか?

どう考えても其れは不幸な生涯である。

人間は、愛し愛されてこそ初めて幸せな生を歩むことが出来る。

のみならず性も其処に於いて初めて満足され得る。


ダイアナ妃はわたくしよりも少し年下だったが兎に角酷い死に方をして仕舞って居る。


尤も彼女の生の全てが不幸だったとは言えない。

それでもどうしても辛い生涯だったのだとそう規定せざるを得ないのだ。



元より人間の幸福は築き上げていくものである。

何を築き上げるかと云えば、愛を築き上げなくてはならない。

愛とは、所詮は虚である。

死んだら消え去るものであり、今此処でだけ通用する力のことである。


然し我我は神への愛や佛への帰依ーアガペーーのみで生きて行くことなど出来ない。

俗世間とはそうした意味のことなのであり、其の実相は不純であり穢れた何らかのもののことなのである。



されど其の汚れ切ったものの中で唯一咲くのが愛の花である。

そして其れは夫への愛であり妻への愛なのである。



尤もわたくしのやうな詩人にとっては、其の愛でさえ何処か夢物語の世界のお話しなのだ。

だからこそわたくしは貴女方に言いたい。

今ある愛を貫きなさい。

其れも死んで骨になるまで貫くのだ。



どんな誘惑があっても、脇目もふらずに夫に仕えなさい。

夫の為に炊事洗濯育児を、そして夫の下の世話ならびに爺ちゃん、婆ちゃんの下の世話を死に物狂いでやり抜くのだ。


謂わば其れが貴女の幸せである。

どんな知識も、そして不倫の体験も、本質として貴女を幸せにして呉れやう筈がない。



尽くすのだ、そして愛を燃やし続けよ。

それでこそ初めて女は成仏出来やう。

罪障の深い女共も初めて幸せになれやう。


燃えよ、燃えよ、ボウボウと其の愛の炎を燃やすのだ。

役立たずの父ちゃんと共に燃やすのだ。

実際役立たずでも何でも良い。


燃えて居る事だけが大事だ。



ダイアナ妃は燃やそうにもチャールズの方が燃えて居ないので不完全燃焼であった。

このことが最悪の現実である。

カネはあり、地位も名誉もあり、おまけに世界一有名でも手に入れられないものがあった。

其れが夫よりの愛であった。


おまけに夫は不倫をして居た。

相手の女にもうメロメロで、実は電話で可成にHな会話をカミラとはして居たものらしい。



よって女の幸せは地位でもなく名誉でもなくましてや有名なことでもなくただただ夫からの愛を、或いは許婚からの愛を注がれゲップが出る程注がれて居る事、もうほんたうにそれだけなのである。

其れが馬鹿な女程其の幸福に気付けない。

いや、女は元々バカなのでほとんどの女が心から其の幸せに気付けないのだ。



だが父ちゃんの愛、其の神仏にも等しい愛の恵みは全ての役立たずや甲斐性なしを補って余りある愛の宝石である。


即ち珠玉の愛のことだ。


だから男性をバカにしてはならない。



男性とはアナタにとっての神仏である。

何故なら男性は貴女に真の愛を与えて呉れる存在なのだから。

如何に其れが虚の愛であるにせよ、あくまで現世での愛としては最高位の愛なのである。


其の珠玉の愛を求め続けていきなさい。

さすれば必ずや愛の成就の機会が巡り来ることであらう。


ー最近は何故か女性の読者が多いようなのであえて女性へ向けてのメッセージとして書いてみました。ー