目覚めよ!

文明批判と心の探求と

年頭の感


さて年が明けても相変わらず様々なことが自己矛盾化しつつ世の中は展開されつつあります。
自己矛盾=悪の履行なのでしょうから、我我の住する此の世界とはズバリ其の悪の世界なのであります。


其処では其の悪を知りつつ生きて居る人こそは利口で、悪だと知らずにただただ煩悩に捉えられ其れを忠実に解放して居る人々こそが馬鹿です。


実際世の中には此の馬鹿が多いとでも申しますか、此の馬鹿こそがほとんどですのでもうそういうのは止めてお利口になりませうなどと其処で申してもまさに其れは暖簾に腕押し、馬耳東風、馬の耳に念仏であり従って何にも云わない、語らない、黙って居るのが所謂分かった人、悟って居る人の特徴だとも申せましょうがそうは申しましても一方では意外と観念上の真理規定がうまくいかないのも此の仮の世、虚妄の世、嘘の上塗りの世の性質なので御座います。


其れで万事相対化する、所謂相対主義で行ってみますとこれはまたこれで余計に訳分からんようになるので御座いまして、其れで仕方がないのでまた潔癖に考えたりも致しますのですがふと気付くといつの間にかまた初めのところー論点の最初の所ーに戻ったりもしており、要するにもう厄介この上ない、概念的規定がそも不可能である、そも言葉を使い思考すること自体が自己矛盾的展開である、などという一種の人間不信、懐疑的思考の極の世界にスパイラルパターンで落ちていったりも致しましてもうこれでは全く何にも良いことは無いのであります。



第一左翼思想と申しましても、其の矛盾を矛盾、悪を悪、搾取を搾取として捉える潔癖性は大いに賛同し得るのですが、そうかと言って其れはいつも人権だ、平等だ、女性の権利拡大だと声高に叫ぶばかりで、其のお蔭でむしろ世界又は国家の秩序は破壊され学校の先生はバカにされお父さんまでバカにされるに至るといふ此の重大な結果につき全く考えられて居ないものだ。


つまり左翼思想は国家を破壊し家庭をも破壊する。


けれど右翼は右翼でまさに国家の犬に成り下がるばかりで世界ぜんたいのことにつき考えが全く及ばない。





クロード・レヴィ=ストロース


ところでレヴィ・ストロースの思想は其の左翼思想とは無関係ではない訳です。


言うまでもなくマルクス主義という素地が無ければ西欧中心主義など崩すことは出来ない。


そして60年代は其の左派による思想闘争が世界各地で繰り広げられていた。



たとへばわたくしの知り合いのさる方などはかの國學院大學の法学部を出て居られるのではありますが、矢張りというべきか当時は例の学生運動のデモに加わりまた三島 由紀夫先生の自決の折などは市ヶ谷まで学生の皆で見に行ったとのことです。

要するに思想的立場が良く分からないのではありますが、そうではなく世の中といふものは思想ではなくタダの風潮、流行にて動いていくものなのが実情です。


だから思想が誰にでもあるのではなく、思想など持って居る人はおそらく世界で百人位のもので、他は皆大衆に過ぎないのですから東大卒だろうが京大卒だろうが皆思想的には大衆であるに過ぎない。



対して高卒で思想家という人も中には確かに居られます。

そういう人は本当に頭が良いんですよ。


わたくしもそんな宗教家の方と懇意にして頂いて居りますが此の方にはまさに感服させられることが多い。



かっての思想闘争はベトナム反戦運動やヒッピームーヴメントと組み合わさり現代文明批判としての大きなうねりとなっていったがやがて鎮静化に向かう。


権力に鎮圧されたのか、それとも物質欲即ち物質的富に負けたのか、と云われれば矢張り物質的富に負けたのではなかったか。



即ち人間は、本能=煩悩の力にはとても勝てないのであります。


精神は、本能つまり肉欲食欲権力欲子煩悩欲などには決して勝てない。


ですから、観念は基本的に空虚です。


逆に欲望とは実質です。



なので反戦運動も平和主義も要するに左派思想も、全ては矛盾に対する疑問を呈しては居りますが現状を変革するだけの実質には欠けて居るのです。


実質とは金であり力であり女の魅力でありマイホームの夢であり守るべき日本の郷土の美しい自然であり食って寝てSEXして仕事して快適に眠れる環境のことです。


ですので思想と生活との、其のどちらを選びますかと言われたらもう誰しも女と飯とマイホームの方を取ります。


第一飯が食えないともう考えることさえ出来ない。


即ち是が、此の部分こそが人間に与えられし最大の自己矛盾領域である。


SEX以上に自己矛盾性は其処に極まって居る。



飯を食わない程考えられたらもう其れはほとんど神です、仏です。


其はまともな存在ではないので神仏に近いまさに偉大なホームレスの如き存在である。


そんな風になり野たれ死ぬことこそが人間の死に方の理想である。


だから其れが分からない人はバカだと申すほかはない。




さて実質といふ現実に敗れし60年代の思想的闘争は後にスッカリ清算され結局其の後に何も残さなかったがレヴィ・ストロースの考えだけは残り80年代の構造主義の展開へと繋がっていく。


近代思想の持つ本質的誤謬を打破、訂正していくことが此のポスト・モダン思想の存在理由でもあった訳ですが結局思想的に其の修正が加えられることなく矛盾のうちにマルクス主義は崩壊し対する資本主義は末期化するに及んだ。


尚資本主義は大丈夫だと思って居る馬鹿は世に多いようですが、本当にもう其れこそがバカ、そうした人々は博打経済の中で株価の浮沈に一喜一憂などして居る訳ですがもう本当にそういう馬鹿共をみて居るのがわたくしは辛くてならない。


是非慈悲の心から、是非此の声聞、縁覚としての広い視野からそういうのを許してあげようかとも思うのですが矢張りどうしても其れは許せない。


其れから兎に角尻軽女が多いことも金輪際許せやしない。



こんな具合に西欧起源の思想の行き詰まりは21世紀に至り愈々顕在化して来て居り、されどかっての左翼思想を核とする脱文明主義、ヒッピー文化ムーヴメントなんてのはもはや遠い昔の動きであるに過ぎない。


要するにもはや人間が考えなくなって来て居るのだ。


東大や慶応など一流の大学で女を手籠めにするやうな犯罪ばかりが増え、さらにノイローゼになる代わりに淫行に走る教師の群れが兎に角増えて来る。


そしてお父さんを敬わない。


逆にお母さんが威張る。


即ち人間がAV化されていく。




そんな時代に、一体どうすれば、どうしたら此の流れを変え得るのだろうか。


ならば是非今一度レヴィ・ストロースを学び直してみるべきだ。



体制の維持とは、単なる秩序の維持の継続なのではない。


体制をそして人間を維持する為には、変革が必要なのである。


変革即ち変化こそが維持即ち真の意味での保守を生み出すのだ。



変革無き秩序の維持は、誤謬と腐敗とを生み出す温床ともなろう。


変化こそが世界を規定する実相なのであり、本質である。


諸行無常、そして無常の常としての変化こそが人間をそして文明を維持する。



誰もが思考を放棄し、ただ本能=煩悩のままに行動していてはならない。


人間には理性があり、其の理性の働きこそが世界を規定していくべきだ。


世界は人間により規定され得る。


今世界は人間により規定されざるを得ない。


されど人間とは左程に馬鹿なので、其の馬鹿を治すべく厳しく努力しつつ其の虚の構築を成し遂げるほかはない。