學者が書いた本で今世界的にベストセラーになって居る本がコレだそうだ。サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福
わたくしはまだ読んで居ないがNHKの番組で取り上げられたものを視聴し此の本に於ける主張の大枠の部分は分かった。
其の基本スタンスがわたくしの考えに良く似たものなので此処でこうして取り上げ、かつ読んでみたいと思わしめるものなのである。
御承知のようにわたくしは前々から文明とは虚の集積だと論じて来て居るのだが其のスタンスこそがまさに同じである。「人類の繁栄とは“虚構”の上にあるのです」 『サピエンス全史』著者ユヴァル・ノア・ハラリ大型インタビュー
と言ってもわたくしは學者ではなくタダの自称詩人なので其処は可成に怪しい知識、考えなのであろうが結果的に學者級の知性と同じ思考、結論を導き出すことが多いのでつまりは勘が鋭い=詩人の直観は持ち合わせて居るということらしい。
なのでわたくしは其の所謂學匠詩人的な能力には長けて居る。
だからもっと色々と書きたいのだけれど、またもっと考えに考え考えを纏めたいのだけれど決まって其処でバカ現実が邪魔をする。
即ちもっと純粋に精神に生きて居たいのだけれど此のグジャグジャでドロドロのバカ現実がわたくしの崇高な願いを無情にも破断し思考する余裕を即ち時間を与えて呉れない。
休暇を取ればいかにも休暇らしく猫は死ぬわ、母は寝込むわで、おまけに馬鹿女はいつまで経ってもわたくしの世話をして呉れる立場になって呉れないから結局全部自分で世話をする羽目となる。
しかも二番手としてバカ職場の世話を頼まれて居て労働環境の改善だの服務規律の徹底だの何だのとそんなことばかりをやらねばならずもう全く下らないことこの上ない。
折角の作家が、此の才能がそんなアホらしいことにばかり潰されもう悔しい事この上無い。
もう本当にこんな下らない現実から離れ純粋に思考し、本を書きたい、本を。
いや、詩を書きたいのだ、詩を。
などと言うと下賤な人々ー優秀な現在の上司をも含むーは決まって、「ほー、ポエムですか、それはそれは…」などと抜かし詩の真の力にはまるで考えが及ばぬ。
つまりバカは永遠に馬鹿なので何も分かって居ないということに尽きて居る。
なのでわたくしはバカ、バカと外に向かい毎日こればかりを連呼しつつイヤイヤ何でもやって来て居るのだ。
兎に角もうバカ現実には愛想が尽きて居るので思考の世界へ戻ろう。
此処が、此処だけが其の思考の許される世界なのだから。
其の虚構の推進と云うか幻想能力の保持が文明乃至は人間を根本的に存立させて来て居ることはほぼ間違いないことだろう。
即ち人間とは幻想、なのである。
自然は幻想出来ないが人間は幻想する。
だから幻想が歴史でありかつ人間の本質である。
然し幻想に立脚した世界は自己矛盾化することが避けられない。
ゆえに著者の言うように農業は最大の詐欺、つまりは矛盾であることが避けられないのだ。
尤もそれどころか概念そのもの、或は歴史そのものも矛盾であることが避けられない。
つまりは全的な矛盾、矛盾そのものを生きるのが人間という最大の矛盾領域であるということだ。
しかしながら問題は、其の矛盾自体にあるのではなく矛盾を矛盾として認知出来ない人間の馬鹿さ加減の方にこそある。
だからバカ、バカとこうして連呼していなければならないんだ、此の學匠詩人一人が。
結局其の大矛盾の中をどう生きるか、どう生き抜くかではなくどう捉えて生きるかということでしかない。
無論のこと生き抜く為には妥協が必要となるがまさに其の妥協こそが真を見失う契機ともなる。
現実は次から次へと要らないものばかりを個に送り付けて来、揚句の果てにそうしたもので押し潰され大事なものを見失う羽目にも陥る。
なのでシャットアウトすることもまた大切なことだ。
概念化された、或は幻想化された今を自己流に解釈し直してみるべきだ。
わたくしはまず何より此の本にそうした匂いを感ずるのである。
諸々をシャットアウトすると、まずこうした巨視的なものの見方が出来るようになる。
然し概念による矛盾の解決法には限界がある。
何故なら概念自体が自己矛盾化しているからなのだ。
概念をも相対化し最終的には滅却していく方向性は宗教以外にはない。
従って最終的に人類の悩みの解決、文明の大矛盾への解決法は概念では指し示せず宗教的次元で解決を図るほかはない。
此の本の著者も最終的には欲望の制御を文明乃至は人間の自己矛盾性の解決法として挙げて居るようだ。
加えてわたくしが言えば、其の欲望の制御というのは、バカを治さないとならないのである。
バカ文明はバカを治さねば治らず、バカ女はお利口な男性に口説いて貰わねば治らず、バカ世間は其の根本の馬鹿を根治せしめることなくばいつまで経ってもグジャグジャでドロドロのバカ現実だ。
で、バカと云うのは、其の要らぬ欲望のことを指して居るのだ。
欲望には良い欲望と悪い欲望がある。
考え方にも良い考え方と悪い考え方がある。
そして人間の妄想は大抵悪い欲望の方へと、また悪い考え方の方へと傾き易い。
だから此の流れを逆向きにして馬鹿を治そう。
というのは或る種の宗教的な二元論に過ぎないのだが、わたくしは今むしろ此の種の二元論は必要と云うか重要だと考えて来て居る。
つまり人間乃至は文明は究極的には救われないがなるべく長く形を保つことは可能だと思う。
其の存続の為にはあえて二元的対立を乗り越えない、二元的な調和に於ける退行のようなものを文明乃至は人間に期待したいところ。
元より、真理のレヴェルに於いてはあくまで人の生は究極の自己矛盾過程であり、具体的に言えば其れは滅びへの道であり全的な破滅への道であることは明白だ。
謂わばこのまま進めば破滅、其れも地球をも含めての全的な破滅を招くようにプログラムされ此の世に出て来て居るのがそも人間なのだ。
なので其処には罪の意識、乃至は無明性に対する反省が必然として求められる。
なのに罪も無明もクソも無いのが我我現代人なのである。
此の馬鹿振りはまさに特等のバカであり、即ち利口そうで居て実は大馬鹿、其れも犬や猫、または他の動植物の方々、或は岩石の方々、真っ正直な宇宙に於ける現象、諸の物理法則、などに比しても最低のバカなのでありつまりは宇宙一の馬鹿である。
そう我我こそが其の宇宙一の馬鹿である。
宇宙一の馬鹿共は毎日頑張って生きて居るにも関わらずちっとも幸せではない。
何故なら根がバカだからなの。
宇宙一の馬鹿共は要らぬことの為に毎日血道を上げ働き即ちこきつかわれてもうアップアップである。
まあオイラもアップアップなのではあるが、それでもこうして何か問題が起こると決まって出て来るのだ。
人間の生は最大の矛盾過程であり其れは宇宙一の馬鹿であることから必然として縁起の法則により齎される。
従って人間の生の目的とは快適な生や延命、自己保存を求めることにはなく徹底して其の錯誤ーカン違い、間違い、無明性、罪の自覚の無さ=バカな様を自覚していくこそにある。
よってお前はバカか?
と問われれば即座に、
ハイ、そうです。此のわたくしめこそが其の最大の自己矛盾である馬鹿です。
そんなバカなので、是非お導き下さい。
もう酒も飲みませんし淫行なども金輪際致しません。
そうか、では分かった。
ではまずどこかの宗教に入ろう。
宗教でもって頑張って闘うのだ。
世直しの為、淫行の撲滅の為に其処で身を粉にして働け!
さすれば宗教の対立の果てに世は滅ぶ。
嗚呼、其処では宗教自体が矛盾そのものだった。
だが、宗教自身がエゴを乗り越えることなくして何とする?
宗教はまず率先してエゴを滅していくべきだ。
其処で宗派の存続や金集めや信者の獲得のノルマなどに拘泥しているべきではないぞ。
なんとなれば宗教などは無だ、虚だ、所詮は妄想だ。
尤も概念も歴史も人間も全部本当は妄想だ。
虚構の構築こそが人間のそして文明の本質だからなのだ。
だったらもう人間辞めますか?
これまでに色んな怪しげな宗教教団が集団自殺などして居りますがあれなどもひとつの手なのでは?
イエイエ、たとえ死んでも花実は咲きません。
そんな風に死んでも、根本のバカが治らない限り人間が、そして文明は存続する。
そしてバカ文明は永遠に同じことを繰り返す。
同じように快適に、そして幸福に生きることを希い、SEXと物欲、支配欲とに支配され、かつ自然を痛めつけ無限に欲に突き動かされ生きていく。
其の餓鬼道、畜生道に於ける最後の姿は何なのか?
いや、本当に、人間が人間ではなくなっていくのです。
五十年後には人間がサイボーグ化され、其の後は電子頭脳が人間の脳に代わり文明を構築するに至ることだろう。
尚且つ人間は精神を破壊されていきます。
即ち精神的には生きられない人間こそが未来人のスタンダードとなるのです。
残念ながらそういうのが人間をして快適に、そして幸福に生きることを希った幻想の末路です。
虚構の虚たる所以が齎す人間の末路です。
尤も其の前に地球が壊れましょうから皆餓死ですね、餓死。
そうした破壊をしないやうに是非人間の馬鹿を根治せしめよう。