目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

日本人の馬鹿ー現世利益性ーを猛勉強にて治さう

 

キリスト教の原理を理解し守っていた日本人信者は実は現世や来世で単に幸せになりたいだけであり、キリスト教にとっての神の教えの真の尊さは関係がなかったのである。教義を理解していても真の信仰は無かったのである。

日本人は結局、個人もしくは(これが重要だが)集団として現世・来世に不利益と思えば思想そのものを大きく変更しても構わない、この原理は日本人に取りあらゆる哲学や宗教原理よりも強いことが生々しく描かれる。そして信者(実は信仰していないにもかかわらず)や宣教師は日本社会そのものに棄教(『沈黙』)に追い詰められたり、死(『侍』)に追いやられたり、堕落(『黄色い人』)に追いやられてしまう。ー遠藤  周作 #テーマとしてのキリスト教よりー

 

尚日本人は非常に特殊な民族なのだとわたくしにはさう思はれる。

わたくしの場合はこれまでに其処で多くを學んで来たが故に欧米近代型の対立思考を常にして居り要するに意見がハッキリして居る。

 

だからもしも頭が否とすれば其の否と述べる。

たとへ世界中で孤立しやうがなんだらうが其の個としての結論こそが常に大事なのだ。

 

 

そんなわたくしに一番分からぬ点は日本人乃至は日本國が西洋近代型の自我分離思考を取り入れながらも精神の面では旧態然とした封建制度を引き摺り続けて来て居る点なのだ。

 

要するに其れでは自分の意見と云ふものがそも確立しなひ。

 

其れでもって日本人は屡全体の論理へと傾ひていかう。

 

但し其れはかっての鎖国体制でのやうな或は明治以降から戦前まででのやうな矛盾しなひ思考なのでは無ひ。

 

 

むしろ戦後其れは思ひ切り矛盾して来て仕舞って居るのだ。

 

其れは結果的に謂はば逆國家を築き上げて居る。

 

逆國家とは矛盾を最大限となす國家のことだ。

 

 

其の信仰にせよ思想にせよ希望にせよ夢にせよ、其れ等の全てが哲學や宗教としての概念的レヴェルにて捉へられるのではなく現世利益と云ふひとつの現実主義の次元にて行はれていく、さうなされざるを得なひ。

 

其れは思想の放棄であり信仰の欠如である。

 

故に日本人は思想や宗教につき語ることがまるで出来ぬ。

 

 

わたくしは其れをまことに情けなひことだと思って居る。

 

日本人はこんなに利口だと云ふのにむしろ馬鹿なんじゃなひかしら。

 

馬鹿なので概念的に個を規定することが困難なのだ。

 

 

馬鹿の癖にいや馬鹿であるからこそかうして特に戦後はシンポが好きになり毎日毎日セッセと働ひて参りました。

 

さうしてセッセと働くのは偉ひだらう?

 

いや、かの老耽のやうに働くのはホドホドにして置け、第一ワシは働くのがイヤじゃ、とする思想さへもが東洋にはあったと云ふのに。

 

もしやおまへも働きたくは無ひのか?

 

いや、わたくしの場合はかうしてじぶんで考へ何かを伝へることこそが其の働きなのだ。

 

実際かうして手も動かぬのだし足ももつれるのだしで。

まるで仕事などには向ひては居らぬ。

 

其の癖何でも食ふので其のうち病気でもって倒れさうだ。

 

 

一体全体日本人は何故そんなに精神性の欠如した民族となって仕舞ったのだらう。

 

畢竟其れは思想的、宗教的に大きく矛盾を抱へて居たからではなかったらうか。

 

 

其れと日本人には性に対する規範意識が酷く欠けて居るやうに見受けられる。

 

日本人にとり性は現世利益其のものなのでズバリ其れは善きもの、目出度きものである。

 

だから其れがエロ動画や不倫の垂れ流しへと連なることだらうまさに危険なる性の逸脱状況を招かう。

 

 

だが元来日本に於ける性に対する規範意識は性其れ自体を破壊するやうなものではなかった。

 

 

さてお分かりだらうか?

 

わたくしは今後様々な面で日本國の価値観其れ自体が崩壊する過程にあるとさう捉へて来て居るのだ。

 

 

保守政権による極左政策の断行⇔一種封建的とも言へる体制迎合主義

戦後の進歩主義⇔一種封建的とも言へる保守性

近代主義による権利や自由の拡張⇔一種封建的とも言へる家の制度や檀家制度の維持

日本人の無思想性及び無宗教性=一種封建的とも言へる現世利益の追求⇔宗教を始め精神を大事にするかっての潔癖な精神性

 

と此のやうに全てが著しく分離され矛盾化していく。

 

 

ところが西欧型近代の矛盾はかうした特殊な分離であり対立の構造を離れて居る。

 

まさにかの漱石が述べたところでのやうにあくまで其れは内発的な矛盾であり破壊であるところでのものだ。

 

対する日本の近代化過程は全てが無理やりに断裂させられていく感じである。

 

其のやうな断裂こそが大層特殊なものだとわたくしは述べて居るのである。

 

 

つまるところ、何が危うひと言って日本人全体としての精神のあり方程危うひものはなひ。

 

だが實は其れは個としての日本人の精神のあり方を破壊し尽くすやうなものには非ず。

 

我我は個の次元に於ひて此の🐜地獄から逃れていくことが可能だ。

 

 

まさに其れは老耽の如くにまた加島先生の如くにアウトサイダー化すれば少なくとも其の🐜地獄を俯瞰視することさへもが出来やう。

 

ちなみにわたくしは高校生位の頃からすでに其のアウトサイダーであった。

 

わたくしの使命とは働き子孫を残し共同体の國家の繁栄を願ふことでは無く其れを見詰め何かを述べることにこそあった。

 

 

さて、其の日本人の無信仰、と云ふ部分が今わたくしにとり何より重くのしかかる部分だ。

 

尤も無信仰とは無信心では多分無ひのだ。

 

いまだに日本人は多分何かを信じて居る。

 

其れは何か?

 

 

其れがおそらくは諸価値を齎す生の豊饒さなのだらう。

 

日本人は極めて現実的に生きたひ民族なのでそもそも印度思想起源での佛法なんぞは合って居なひ。

 

其れでもって中国大乗佛法を輸入し「死んで生きる」佛法から「生きて死ぬる」佛法へと創り替へて仕舞ふ。

 

 

さうすると須らく佛法は死ななくなる。

 

死んで救はれるのは浄土教のみで後は皆正式には死なぬ佛法が成立する。

 

つまりは佛法の現世利益化が其処に図られたのだった。

 

 

なので今の日本の佛法は皆極めて現実主義なのだ。

浄土教にせよ實は現実主義で死んで浄土へ行かうとかそんなんでは無く要するに檀家制度の維持とお葬式やらお墓のことのみが大事なのだ。

 

何で一体そんなに現ナマ主義になったのだ?

 

お釈迦様などはイエス様とまるで同じで明日何を食おうとかそんなことをイチイチ考へて居るなとの仰せであったのに。

 

 

要するに蓄財は人間の心を腐らせ貧しくして仕舞ふのだ。

 

其れとナマ者である👩こそは非常に危険である。

 

女の生の欲望は🗻よりもまたかのエヴェレスト山よりも高く且つ険しひのだぞよ。

 

 

女が一人其処に居るだけで周りの空気が歪んでも居らう。

 

早う、早う、防御マスクをせよ!

 

嗚呼、危なひ、感染するぞ、現世利益への感染が実際に其処に行はれるのだぞよ!

 

 

さうしてナマ女のナマ足が常にアナタの理性を崩壊させる。

 

さうか、ナマ思想、コレだ。

 

此のナマ思想こそが日本人の精神性を規定する現ナマ主義其のものだ。

 

 

其の現代日本のナマ思想はかっての精神性の豊かな日本との対概念でもまたあることだらう。

 

其のやうにして日本國に於ける近代と前近代の相剋と相即が今まさに最大限に行はれても居やう。

 

 

但し封建時代にも日本は所詮ナマ思想の範疇を出るものではなかった。

 

何故なら佛国土の癖に遊郭があちこちにあり、また各地での産物は豊かに産し實は飢饉ばかりでもなかった。

 

ナマ思想の最強の履行者とは神道であり、其の神道は皇室と結び付き其の侭にかの國の精神としての伝統を形作った。

 

さうかすると其の伝統に屈服することこそがナマ思想の推進力だったのか。

 

 

さには非ず。

 

ナマ思想の推進力とは自らは思考せずにデカひ思考に寄り添っておけばより楽に生きられると云ふ其の頭の良ひ民族としての合理主義が何より其処に働ひても居らう。

 

つまりは何と!我我日本人は太古より其の合理主義者だったのだった!

 

 

「赤信号、みんなで渡れば怖く無ひ」

 

所詮はココへと帰結する。

 

怖ろしひお話なのだが、其の矛盾的対立などはみんなで渡れば怖くは無ひ。

 

 

日本人はこんなに利口だと云ふのにむしろ馬鹿なんじゃなひかしら?

 

其の答へは、所謂馬鹿では無ひのだが所詮は赤信号を皆で渡る馬鹿だと云ふものだった。

 

 

今後日本国はどうなるのですか、もしや沈没ですか?

だから是非其の馬鹿を治しませう。

 

馬鹿が治ればもはや沈没など怖くはありませぬ。

 

其の馬鹿とは何ですか?

 

 

馬鹿とは抽象性に欠けて居ることです。

 

たとへば其れは🚺のことですか?

 

日本人全体のことです。

 

 

アナタは抽象性が文明を滅ぼすと前々からさう述べて居た筈で其の点からすると論理が矛盾して居ます。

 

何故なら抽象性には二面がありまた対義としての具象性にもまた二面があるものと考へられやう。

 

其の四面での組み合わさり方=場により程良ひ弦の張り方はまた変わって来るものだ。

 

 

文明が抽象性を制限すべきなのはもはや自明のことであらうが此処日本國に於ける制限の仕方はまた自ずと異なることであらう。

 

むしろ思想的に日本人は自立していかねばならぬ。

 

考へる力を身に付け価値観が現世利益へと墜ちる其の罠の存在に気付いていかねばならぬ。

 

さうだまさしく其れは罠なのだ。

 

 

まさに🐜地獄としての罠なのだ。

 

何故君等には其の罠が見へて居らぬのだ?

 

 

何故おまへにはそんなに色々と嫌らしひものが見へて仕舞ふのだ。

 

そりゃ分かりませぬ。

 

実際の処は見へ過ぎちゃってー困るのー、なのです。

 

 

ところで👩の裸などは透視出来ますか?

 

そりゃ出来ません。

どちらかと言へば宗教的にもっと暴ひてやりたひと云ふか宗教其のものの裸=ほんたうの姿を晒し切ってもやりたひ。

 

 

いずれにせよ嫌らしくも憎たらしひ奴だ。

 

でも其の嫌らしひことこそが我の仕事なのだ。

 

わたくしはこれまでに真の意味での仕事などひとつもして来ていやしなひ。

 

だから今其れをやって居るのだ。

 

まさしくコレこそがわたくしにとっての真の仕事なのだぞよ。

 

 

 

日本社会の持つ具象性ー現世利益性=現実性ーはそも近代化と云ふ過程に於ける抽象的進歩とまるでそぐわぬものであらう。

 

其の違ふ性質との断裂が次第に大きくなるので今度は逆に具体的に日本国の諸制度は破壊されてもいかう。

 

元より其の破壊は本来ならば回避されていかねばならぬものだった。

 

其の破壊の様をかの三島 由紀夫は元より知って居たことだったらう。

 

 

なので三島先生は自決するに及んだのだ。

 

文學者はさうしてひとつの世界に区切りを付けた。

 

だが我我はではどうすべきなのだらう?

 

我我は其の断裂に身と心を奉ずるべきなのだらうか。

 

 

わたくしはさうでは無ひと今は思ふ。

 

我我は學ぶことで自立性を、其の思考力其のものを取り戻すべきなのだ。

 

東洋の真理は思考することを最終的には放棄する。

 

だが其れは思考の果てにさう結論されることなのだ。

 

 

考へないで、さうして楽をして、苦しまなひで、さうして欲望ばかりを追ひ求める。

 

其の様が馬鹿だと言って居るのである。

 

さうして苦慮する理性には必ずや何らかの大ひなる境地が拓けても来やう。

 

 

イザさうなれば、皆と同じやうに赤信号を渡ることなど出来なくもならう。

 

己の信念に従ひ生き周りの雑音には影響されなくもならう。

 

日本人には其の自立した自我領域こそが欠けて居るのだとわたくしは思ふ。

 

 

尚、芸能界の薬物汚染に就ひて一言述べさせて頂く。

 

結論から言へば芸能界其れ自体が虚の価値其のもの。

 

だから其のやうな報道に縁して居ること自体が時間の無駄であり御勉強の邪魔だ。

 

御勉強とはまさに此処にて問題として居ることであり其れは民放による下司な報道などとは異次元のものである。

 

此処にて其の尊きお勉強を為し解脱することこそが皆様一般人にとっての仏道修行へと必ずや繋がる道とならう。

 

 

要するに下らぬものには縁せずともよひ。

 

そんなもんでは無く高等な純文學としての御勉強の日々こそが我我の未来を明るくしても呉れやうぞ。

 

どうせTVを視るなら教育TVを一日中視ておきなされ。

 

 

兎に角そんなバカなものにはもう金輪際群がるな。

ワーワーキャーキャーとそんなおバカ丸出しでもって群れているんじゃなひ、そんなものに。

 

うーむ、御勉強。

まさに御勉強程楽しきものは無し。

 

さて今度は何を御勉強しやうかな?

 

ちなみにネットは御勉強の為の宝庫である。

其処からもバカとネットは使ひやう、だと云ふことなのでもあらう。