Wikipedia-一休宗純
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E5%AE%97%E7%B4%94
京都府指定文化財 ■狂雲集
http://www.ikkyuji.org/bunkazai/kankeisiryou.html#kyouunshu
一休は禅僧であり、文化指導者であったと共に、すぐれた詩人でもありました。
一休が16才から88才までの間に作った詩500首前後を集めた詩集です。
「狂雲」は彼の号です。狂い雲とは迷い雲のことです。ー上より引用ー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E7%8B%82
「仏教本来の常軌(戒律など)を逸した行動を、本来は破戒として否定的にとり得るものを、その悟りの境涯を現したものとして肯定的に評価した用語である。禅宗とともに日本にも伝わり、一休宗純がその代表者である。」
Wikipedia-風狂より引用
禅の極意とはおそらくは其れは観念の上での概念の抹消であり抹殺でもあることなのでしょう。
即ち破戒という概念をも相対化しかつ無意味化するということだろうか。
どだい悟って仕舞えば、確かに其処では破戒も持戒も無い、ただありのままに無明であり其の生臭く汚れて居る様にすら執着しなくなる訳です。
無明であり生臭く汚れて居る様に執着しなくなるのであれば、逆に云えば其処には仏そのものであるか魔そのものであるもののそのどちらかが純粋に存在して居るだろうばかりです。
ただし、是は原始仏教の世界に比せばより観念重視で少々危ないところさえある考え方でもある。
禅の目的とは最終的には観念の解体にあるので其の解体さえ成って仕舞えば破戒さえもが肯定される即ち良否、善悪の基準を脱して相対化ー無意味化ーされて仕舞うのである。
故に良否や善悪といった基準に絶対的に寄りかかることこそがむしろ悟りへの妨げとなる考えであり価値観である。
そういうのを取っ払い概念的に自由な状態となればむしろ仏に近づくこととなるのである。
あくまで観念上では。
そしてあくまで観念上では、仏を設定すること自体も其の自由を妨げることとなって仕舞う。
ゆえに仏にも魔にももはや拘る部分が無くなっていくのである。
或はそも観念には寄りかからないということなのだろう。
然し最終的には観念には寄りかからずそれでもってあくまで観念重視なのですから、元々可成に矛盾的な観念の過程なのであり其の点で禅程分かりにくい仏教もまたない。
(29)一休 とんち小僧の真実…「淫」を詩に詠み「狂」に生きた皇子
http://www.sankei.com/west/news/150318/wst1503180003-n1.html
最終的に観念に寄りかからない心にいざ成れば、飲酒や男色や女犯などといった破戒的な要素は皆相対化されまたは意味が解体され悟りにとっての本質的な障害とはならなくなる。
其処で本質的な障害とは、むしろ観念に寄りかかり其処で仏を設定し持戒を保つことこそにある。
ただし、観念と行動に於ける関係性に於いて風狂としての禅は些か観念的に過ぎるのではないか。
その飲酒や男色や女犯による観念自体の変化、観念自体の変性は其処にあり得ないものなのだろうか。
悟って仕舞えば其れはあり得ないということにもなろうが、此の意味では原始仏教で破戒とされたものの持つ本質としての意味を大乗仏教は軽々しく捉えがちである。
或は意訳や飛躍の類が多過ぎる。
ただ、一休禅師が風狂なる禅に真面目に取り組んで生きて居たということは何よりこうしたエピソードからも窺い知れる部分なのである。
一休禅師が風狂なる禅に真面目に取り組んで生きて居たのであれば、女性の一人位は囲うことがむしろ当たり前なのであり其れでもって破戒がどうのこうのと云うべきことでも無論ないのだ。
尚個人的には一休さんと愛人の森女との関係が何かとても羨ましいもののようにも見えるのである。
人間味溢れる何かとてもあたたかいものを其処に感じ取ることが出来るのである。
森女
http://www.ikkyuji.org/hitoyasumi/takiginosato_4.html
誰も知らなかった「一休と森女」の真実
http://blog.goo.ne.jp/goo0633/e/17920d7097fe81afdb6520a0a446998a
森盲女 一休禅師の愛人
http://pilgrimari.exblog.jp/20231939
此処にあるような「見えぬ目で優しさ見抜く」というのは所謂女の勘 のことを言って居るのでしょう。
一休禅師の愛人であったとされる森盲女は目が見えないにも関わらず一休さんの内面の優しさをすぐに見抜いたのである。
其れで、後に一休和尚の言葉に従い薪の里で共に暮らすようになったとのことである。
実際女性にはそうした勘が確かに働いて居るのであります。
其れは男性の勘と云うか観念の上での直観のようなものとはまた別のものであるようにわたくしは思います。
男性の場合の勘は、人類の絶滅とか国の興亡、或は戦闘機の性能の良し悪しとか車の出来であるとか、はたまた宇宙の構造であるとか何かそうした有機的ではない範囲のことに於いて発揮される場合が多いように思うのですが女性の勘は其れに比せば矢張り有機的でありより現実的なものであろう筈の勘です。
即ちより生命的な勘の良さのことなのであり、謂わば其れは子宮の勘のことなのである。
尚かって「今も昔も女というものは、動物的なカンが発達しているから、世俗的な外観にとらわれず、ひと目でそういうもの(『智恵もあり、やさしき心使ひもけだかき』数奇の精神)を見抜く」と述べたのはかの白洲 正子女史である。
こちらはかの西行のことにつき述べた部分ですが、流石に女性が述べた言葉であるだけに真実味乃至は説得力があります。
つまり女性は、男性の中の優しさを見抜く勘乃至は本能の力を本質的に宿して居ります。
其れはどんなに立派な成りや立場または金の力でもってしても決して誤魔化せない人間の本質を見抜く力が彼女達にはあるということなのです。
一方で特に戦後は人間が総白痴化していって居る手前そうした女性の本能力にも曇りが生じ金力、権力、外見力にコロリと騙されて仕舞うような浅薄な女性も急増して居ることでしょうが、あくまで本来のメスの力とはそうしたもので男性の内面に於ける真実を正確に見抜く力があるということなのです。
其れで、わたくしが今執心中の女なども此の力を持って居り、むしろそのゆえにわたくしは全てを擲ってでも此の女の為に生きてみようではないか、そうすることでのみ生み出せる何かがあるのではないのか、其れは人類の絶滅とか国の興亡、宇宙の構造にはほとんど関係の無いことながら観念を離れて其れはしかと此の世に成り立つことだろう。
だからわたくしの観念は其の女の為に全て燃やして仕舞っても良い。
元々観念は燃えるものでもあるだろうから、其れを全部火中に投じて燃やして仕舞っても良い。
薪として燃やして仕舞うのです。其れを愛の炎のひとつとして仕舞っても良い。
何より自らが心の暖をとる為に。
其の暖とは、わたくしの心が余りにも冷えて仕舞ったからなのである。
わたくしは現実と格闘することでエネルギーを使い切りほぼ燃え尽きて仕舞って居る。
いや、本当はまだ燃え尽きてなど居ないのだが観念的に何だかとても疲れて居ることもまた確かなことなのである。
木は凋み葉は落ちて更に春を回す
緑を長じ花を生じて旧約新たなり
森也が深恩もし忘却せば
無量億劫畜生の身
此処で一休禅師は森女への恩即ち愛を忘れることは無いとそう詠んで居ります。
まさに本気で仏になる為には忘れなければならないことでも、実は忘れ得ない愛着、忘れ得ない心の交わり、人への思いと いうものが此の世には生じる。
そうした縁を結んだ女である森女への愛の賛歌を此処に詠って仕舞って居ります。
無論のこと其れをすれば多分餓鬼畜生道へと逆に落ちて仕舞うことでしょう。
女への愛を持つこと、女と情を交わし肉体が結ばれることは仏法の上ではまさに破戒ということになります。
ですので一休さんはむしろ逆のことをあえて此処に詠み込んで居るのです。
真理への方向性とはあえて逆のことを言って居るのです。
むしろ其の恩を決して忘れないのだと。
ちなみにわたくしは今或る女を愛しつつあることから、其の気持ちの部分が痛い程に分かるのです。
彼女はかってわたくしに対しこう言いました。
貴方は物凄く優しい。其れが私には分かります。
とそう言ったのです。
こんな風に、クソミソに現代人を貶しながら、何とわたくしは並外れて優しいのだそうです。
だが、其のクソミソの批判を読んで居る人の中で一体誰がわたくしのことを優しいなどと思って呉れるというのでしょうか。
ですのでわたくしは彼女を愛すのです。
わたくしの本質の部分をしかと見破った此の女をこそ特別に思うのです。
尚、優しいということは、同時に批判が強いということです。
ですのでかの漱石は矢張り並外れて優しい人だったのだと思われます。
逆に肯定的で優しい言葉ばかり を並べて居るものには真の意味での優しさが其処にはありません。
また宗教の教えでのように厳しいこと、普通の人間には出来ないことばかりを指し示すこと も、同様の意味から人間に対して最も優しい言葉を投げかけて呉れて居るものです。
其の様な言葉の上、または心理の上での原理を我々はまず知る必要があります。
故に真に優しい親とは、あえて我が子を厳しく躾ける親のことを言います。
即ちまさに巧言令色鮮なし仁、なのであり、我が子を甘やかすよりはむしろ谷へ突き落とし這い上がって来るだけの根性をこそ養うべきなのです。
尚、蛇足ながらわたくしの持つ優しさの例を示しますと、毎年わたくしは多分百匹位ずつの虫の命を助けてあげ て来て居ります。
たとえば道端に生きた虫が落ちて居る場合は其れを拾い時間の許す限り叢だの藪だの自然のある処まで走り其処へ虫たちを放 してあげます。
またたとえば家の中にヤモリやゴキブリや蜘蛛の類が出た場合にはなるべくそのまま放っておきます。
勿論殺生は致しません。
其れがどんな小さな虫であってもそうです。