目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

好きな安吾ー壱ー

さて坂口 安吾なんですが特に玄人筋ー作家連中ーの方々には好まれて居りかつ評価の高い作家なのだとも言へやう。 かの五木先生なども確か安吾は良い、などとされて居たことかと思われる。 でも坂口 安吾の作品は結構とっつきにくいのではないでせうか。 可成…

春と破壊

社会はまた常に同じものを求める。 何故なら社会とは意識なのだから。 対する藝術やら宗教やらは感覚方面へ振れたところでの意識なのだらう。 社会の意識即ち社会的自我は最終的にデジタルの領域へと進んでいくことだらう。 ところが人間の肉体は依然として…

再度『遺言。』より

そのとき、眼が覚める。私は涙を流している。眠りの中の夢と、現実がつながっている。気持がそのまま、つながっている。だから、私にとってこの世の中の現実は、眠りの中の夢の連続でもあり、また、眠りの中の夢は、そのまま私の現実でもあると考えている。 …

中原には甘え三島には酷評された太宰 治

尚作家同士には所謂犬猿の仲と云うものが屡存在したとへばかの三島 由紀夫などはかの太宰 治を滅法嫌って居たのださうです。 またかの中原 中也と太宰 治の関係も最悪で太宰は中原からいつもバカ呼ばわりされしかしながらさうまでコケにされつつも常に太宰は…

理系をまずは正論にて批判してみる

ところで其の二元的展開のうちでの理系と文系の差と云うものは一体何処にあると云うのでせうか? わたくしは最近其れが気になって仕方がないのであります。 其の合理主義と人文主義の差とは一体何なのでせうか。 尤もわたくしは滅茶苦茶言って来て居る訳です…

さらに『遺言。』より

『遺言。』の中で養老先生が述べて居られることとは何か? 畢竟其れは人間とは何か?と云う問ひなのだと思われる。 ところで人間は何故人間なのか?と云う命題につき皆様は考へてみられたことがおありだらうか。 わたくしに限れば元々人間とは良いものではな…

矢張り「遺言。」より

養老先生は意識の中だけに住み続けるのは現代人の病であるとさう述べて居られます。 さて其の意識化過程=合理化過程とはまさしく社会的過程のことであります。 まさに個が集まり全体化することで其の社会的過程を生み出して居るのです。 此処で問題は何処に…

『遺言。』より

尚『遺言。』はすでに何度も読み返して居りますが感想としてはまさに一種哲学的な素晴らしい著作でした。 『遺言。』養老孟司さんメッセージ 養老孟司さん 時代への“遺言” ものごとを「意識」=頭で考えすぎ、目に見えるデータにとらわれるあまり、「感覚」…

地獄と極楽 ー唯識無境 無意識と云う不思議ー

実は釈迦が教説として述べて居るのは認識する主体自体の有無ではなく認識する主体を実体として規定せざるを得ない分別智に於ける虚妄としての非我のことなのでせう。 つまり我が無いのではなく眞の我に非ず、とさう述べられたのであります。 なので全部が空…

地獄と極楽ー何か分からぬものとしての母ちゃんの腹の中=大乗仏法ー

合理的であることが正しいことであるかどうかと云えば必ずしも其れはさうだとは言へずさりとて非合理領域はどうかと問われればまた必ずしも其れは正しひとは言へずでむしろ考へれば考へる程に余計に訳が分からなくなるのが此の世の実相であり本質なのだとさ…

地獄と極楽ー唯識無境 仏法としてのギリギリの闘いー

心とは何か、畢竟其れが此の世界の成り立ちの全てではないかと考へる仏教哲理の一派こそが唯識学派であったことでせう。 即ち心の本質を追求し此の世界が心的に組み合わされた現象世界であることを其処に示した。 ただし其の分析及び理論的構築はあくまで解…

地獄と極楽ー唯識無境 死んだらどうなる? 中道の論理からー

「こころの時代」 唯識に生きる①唯識の歴史と基本思想 唯識に生きる②自分とは何者か 唯識に生きる③唯識を〝体得〟する 唯識に生きる④深層からの健康 唯識に生きる⑤唯識の科学性 唯識に生きる⑥〝いのちの時代〟の到来 「中道」というのは、釈尊が「初転法輪(…