目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

価値観の分人化ー平野 啓一郎氏の思想 Ⅰー

日本医師会中川会長の会見に「上から目線」と医師、教授が憤慨

何せわたくしは藤井教授のファンでもありますので此の御意見には是非同調させて頂きたひ。

兎に角まずは医師会がちゃんとやって下され。

何故なら其の為の医師会なんでしょ?

 

医師会が特権意識の巣窟では其れこそ意味が無ひ訳なのだから。

 

 

ー大学3年生となった平野青年も例外ではなく、焦りは深まった。そんなときに、「人生の方向が変わる」経験となる講義と出合う。それが、小野紀明氏(現・京都大学名誉教授)の「西洋政治思想史」だった。

「大学3年になると、専門科目を履修しないといけません。でも、何となく選んだ法学部なので法律には全然興味を持てず、目についたのが小野紀明先生の『西洋政治思想史』でした。文学は好きだったので思想史に魅力を感じましたし、当時大ブームだった現代思想ももう少し理解できるのでは、と期待しました」ー芥川賞作家・平野啓一郎の人生を変えた恩師 「どう生きる」切実な悩みに響いた授業とはより

 

わたくしも其の法科の出身者ですが法律のことが一番疎ひと申しますか兎に角興味が無ひ訳です。

但し現代思想には大きく興味があり要するに社会科の方、歴史や哲學の分野が其処には含まれて居る訳だ。

 

 

ー「粗雑に、断定的かつ一面的に何かを見てはいけないということを小野先生に学びました。1人の思想家でも時期によって思想の変遷があり、それが矛盾している場合もある。1人の生き方の中でも多様な可能性と変遷があります。複雑な物事は、たとえ矛盾していたとしても、複雑なまま見るべきだ、と教えられたのはとても貴重でした」ー芥川賞作家・平野啓一郎の人生を変えた恩師 「どう生きる」切実な悩みに響いた授業とはより

 

其の世の矛盾をどう理性として判断して行くかと云ふことこそが眞の意味での御勉強となる訳です。

人間は元々そんな矛盾的で割り切れぬ存在です。

 

理数系の學問の理論でのやうに割り切れぬ存在だからこそ思想や文學の出番がまた其処に出て来やう。

だから相対論や量子論にて人間などが分からう筈もなひことだ。

 

さうして現實はまさに複雑怪奇なものですので、元々其れは合理化などしやうの無ひものなのです。

此処からも自然科学による世界認識はまさに片手落ちです。

 

所謂数的還元としての認識へと偏り過ぎても居りませう。

其のやうに捉へると人間も所詮は原子の集まりでありDNAが書ひて居る物理現象と云ふことにならうがまさに其れでは人間が抱へる實存としての生の価値をスッポリ見落として仕舞ふ訳だ。

 

社會と云ふ全体論的な實存に就ひてもまた然りで、社會と云ふ価値は個の集積としての価値に等価なものではあり得ず、であるからこそ人間の営みには歴史や思想としての大きな流れが生じて居る筈だ。

 

其の生がまさに矛盾であり複雑であり一筋縄ではいかぬものであることは文學が何より指し示して居ることでせう。

ー文學作品だけでは無くかっての文士の生き様などがまさに其れを指し示して居ることだらうー

 

 

ー「初等教育は、多様な人間が集まってコミュニティーを形成するために、共通の言語や計算方法を身に付けさせるわけですが、それが『同一性』の確認手段にすり替わってしまって、その感覚が中学、高校とずっと続いている気がします。例えば、ツーブロックの髪型を禁止する都立高校の校則が話題となりましたが、髪型を規制することの教育的な意味はどこにあるのでしょうか」

そうした同一性の強化と多様性への理解度の低さは、最近問題となっているインターネット上の誹謗中傷や、対話をすることではなく「言い負かすこと」に重きを置く風潮にもつながっているのではないか、と平野氏は指摘する。

裏を返せば、「どう生きるか」を安心して考えられる、多様性が保証された環境を整えることが、一人ひとりの主体性や能力を伸ばすことにつながるともいえる。ー芥川賞作家・平野啓一郎の人生を変えた恩師 「どう生きる」切実な悩みに響いた授業とはより

 

初等教育とはまさに人間を社會と云ふ枠に嵌める為の洗脳のことでせう。

ですが洗脳が過ぎると人間は其処に個性を奪はれます。

また自ら考へる力なども奪はれがちです。

 

なので高等教育を受け大學や大學院にて自ら學ぶことこそが實は最も大事なこととなります。

でも他方では知を磨き続けることは一種苦しひことでもありまた其れをやり過ぎますとつひ悲観主義に捉へられ絶望したりも致しませう。

 

かって旧制高校生の間ではたとへば「煩悶」と云ふ言葉が流行った訳でまさに其れが理性が陥る悩み苦しみの世界を表す言葉だったのでせう。

 

どうやら今では其の「煩悶」は時代錯誤のものとなりましたが其処に「煩悶」する性質の人が減った訳では無く只時代がストレートに精神の苦悩を表現する場を隠蔽して行っただけのことでせう。

 

 

地元愛知で生まれた芥川賞作家である平野 啓一郎氏もまたかうして社會のあり方をも含めた人生を思ひ悩む性質の持ち主であったやうだ。

 

二、三日前に赤旗の日曜版を読んでみたところ其の平野  啓一郎氏による現政権批判が載って居て、嗚呼、流石は法科出身の作家さんだな、作家でも法学部を出た奴は結局社會のことが一番気になって仕舞ふのだな。

と改めてさう気付かされた次第である。

 

で、かの三島先生なども生まれつひての作家なのだが兎に角社會のことが一番気になりかってああして自衛隊へと特攻されて仕舞ったのだった。

 

尚其の赤旗での平野氏の批判からはまさに御尤もなことが其処に羅列されて居るかのやうな印象を受けた。

 

 

小説家・平野啓一郎が今こそ伝えたい「分人主義」という考え方

 

かうして此処で21世紀を迎へた現代と云ふ時代を的確に分析され自己形成に関する鋭ひ視点を提言されて居ることかと思ふ。

 

問題は近代化の過程が進み此処日本に於ける価値観がかっての価値観と乖離して仕舞って居ることにこそあらう。

ところが依然として日本社會の価値観は封建的なものを引き摺って居るかのやうに見へる。

 

其の日本の封建社會が提示する固定的な価値観を分散化、分人化し価値観を多様化させるあり方こそが合理的な価値形成を可能とすることだらう。

 

其のかってのアイデンティティとして機能して居た職業だの労働だのと云った価値がすでに合理化により恒常的に成り立たなくなって仕舞って居る。

また仰るやうにあらゆる社會的営為が不安定化し固定的な価値に寄り添ふことが困難な時代を迎へて仕舞って居る。

 

要するに社會は此処弐拾年、参拾年余りの間に根本的に変はって仕舞ったのだ。

 

また我我個が与へられるストレスとは仰るやうに社會関係ー人間関係ーによるものがほとんどである。

特に集団生活を重視する日本の社會では社會が個に与へて居る評価ーアイデンティティーがほとんど全てなのだ。

 

が、實はもはや其の硬直化した固定的な価値観が世の實情とまるで合っては居らぬのだ。

 

合っては居なひから変へねばならぬのだが、何を思ってかかの自民党が訳の分からぬ日本の社會の破壊に勤しみ其れでもって最終的には女子校生がホヒホヒと知らぬ👨の家へ行くと云ふふしだらな世の中にして仕舞ひ、其ればかりか父ちゃんを米國流の合理的成果主義の中に放り込んで仕舞ひ、おまけにバカ妻が其のバカ👩が不倫に勤しむと云ふおおまさに最低の家庭破壊を齎しさらに子供を皆スマフォ浸けにし其の精神を破壊するに及んで行ったのだった。

 

だから自民党がやったのは自民党の破壊では無くまさに日本國の破壊であった。

 

なのに自民党は尚且つ古き良き美しき日本に拘るかのやうな感情にさへ流れておる。

 

なので其れは明らかに頭がオカシヒ政策であり嗚呼まさに分裂政策であり矛盾的推進政策其のものなのだ。

 

そんな馬鹿政党に何でみんなは國の行く末を託そうとして居るのだらう?

 

そんなことしたら此の日本が沈没して仕舞ふではなひか。

 

おまへらなんかもう今すぐに消へて無くなって仕舞ふべきだ!

ちゃんと此れまでにやった政治としての罪を認め此の世から消へてお仕舞ひ!

 

第一派遣社員をそんなに増やして一体何をやってるの?

こんなに引き籠もりの人を増やし将来の展望の無ひ國にして仕舞ひ一体どうすると云ふの?

 

 

其れにそのうち温暖化でもって日本近海の魚は全滅するぞよ。

また其れに日本の農業も壊滅するぞ。

 

もう何にも何処にも食ふものが無ひぞ。

何処にも何も無ひ、おおまさに🐕と🐈と🐀だけしか食ふものが無ひ。

 

 

さても困ったな、木の根や虫を食ふしか無ひな。

其れにミミズなども食ひ尽くして仕舞ったぞ。

 

じゃあ此のゴキブリも丸焼きにするとひょっとして美味ひのかな。

 

そんなものは其の地獄の様は全部が自民党がやった政治の結果である。

自民党よ其の矛盾政策が齎した破壊への罪を認めよ!

 

 

尚、わたくしは古き良き美しき日本を少なくとも大事にしていくべきだとさう思って居る。

 

だが結局其れが封建制の中でしか實現出来ぬ価値なのだ。

なので封建体制へと戻ることもまた日本社會の取り得る立場のひとつの選択なのだ。

 

即ち江戸時代へと戻るのだ。

 

さすれば美味ーひ江戸前の寿司が幾らでも食へるぞよ。

 

 

ところで平野 啓一郎氏は京大出の左翼のやうですね?

 

まあさうなんでせうがわたくしには理解し易ひとても理性的な方なのだと思はれます。

 

特に其のアイデンティティの保持のあり方を現代の個人として分化して行くと云ふ考へ方には感銘を受けました。

 

其の個としてのアイデンティティの確立、確保が難しひ時代にいつの間にかなって仕舞って居ることでせう。

 

其れはかっての価値観が、かっては普通に持ち得て居た価値観が合理化により破壊されて行くのではなひか。

 

恐ろしひことにまさに其れは日常の破壊であり過去ー歴史ーの終焉でもまたあるのやもしれぬ。

 

 

個人的には価値構築の段階で常に価値の両極を見詰め受け容れられる価値の幅を拡げて置くことこそが大事なのだと思ふ。

 

其の分人を生きると云ふことは多面的で多様な価値観を自己の中に取り込んで生きると云ふ考へ方のことなのでせう。

其れはある意味では相対化した価値観の中を生きると云ふことでせうが、価値を相対化しつつ全てがどっちつかずになり価値崩壊の世界を生きる訳では無論のこと無ひ訳だ。

 

また平野 啓一郎氏は三島 由紀夫先生の作品から大きく影響を受けられて居るのだそうだ。

但し政治思想として平野氏はあくまで逆の立場になって仕舞って居る訳だ。

 

其の三島 由紀夫先生をどうしても意識して仕舞ふ辺りはまさに法科出の作家さんだなあとさう思はずには居られなひ。

何故なら三島 由紀夫先生は究極としての法科出の作家なのでせうし、三島 由紀夫先生がもし文科の出の人だったら絶対に自衛隊には突っ込まなひことだらうとさう思ふのです。

 

やっぱり法科出の奴等は最終的には社會に対しさうして何ぞ言って仕舞ふ訳であり、兎に角もう文學のことよりも何よりも自民党がやってる矛盾政治がイヤでイヤで仕方が無く要するに此の日本の社會のこと、其の行く末のことがもう心配で心配で仕方が無くなりもはや此の際革命だ!!とか叫んで仕舞ふ其の傾向が平野氏にも確かにあるとさう確信した次第です。

ほんたうの意味での人類の進歩

此の世に於ける根本の成り立ちは二元対立=二項対立にこそあり其処をどう捉へて行くか、どう解決を図って行くかと云ふことこそが知性に与えられし究極の課題であり価値構築の契機たり得ることだとさうわたくしは此れ迄に述べた訳でしたが其処がお分かり頂けたことだったでせうか。

 


価値構築とは其のやうに眞理に対して行はれるべきことであり、世の価値観が述べるが如くに所謂便利で快適な世界=社會=文明を形作る為の価値構築などであってはならなひ。

 


其のやうな誤った方向での価値構築の流れこそがやがては悲劇を生む。

故に其の悲劇は縁起の法則によるものであり人間自身が招きし運命でもある。

 


其の二元対立=二項対立が存するが故に此の世の事象は須らく劣化し不安定とならざるを得ぬ。

 


どだひ此処日本での天下統一の事業にせよ、信長公がまた秀吉公がさうして家康公がかってあんなに頑張って成し遂げたにも関はらず其れは時代による近代化の波には抗し切れなんだ。

 


其の近代化の流れは果たして我我人間にとって正しひものであったのだらうか、或は其れは根本のところで誤りを抱へて居たのではなかったか、と云った部分を壱詩人の實存としての思考を通して個としての皆様に問ひかけて居るのがまさに此のブログの内容なのだ。

 

 

 

近代化はさうして良ひもののやうに思はれて恐ろしひ力を其処に孕むものだ。

故に近代的な思考に対しては常に批判の眼差しを向けて居なければならぬことだらう。

 


かくして悲劇はむしろ近代化=合理化の過程こそが用意する。

我我を滅ぼすべく用意されし其の運命に抗ひ個として其れと闘ふ為には一体何が必要なのだらうか?

 


わたくしはまさに其れが信心であり且つ理性であるとさう申して居る訳だ。

信心の力は闘はずして人間をして神佛と一体化させて呉れやう。

 

 

 

だがまさに合理的に飼育されし現代の理性はむしろ其の信仰への契機を合理的に閉じて仕舞ふ。

ならばどうすれば良ひのだらう?

 


理性は一体何処を目指し進んで行くべきなのか?

或はもはや進まぬ方が良ひのだらうか?

 


其れともむしろ放棄すべきなのか、さうして全てを忘れ去るべきなのか。

 


まあ放棄し且つ忘れ去るのであれば動物に退化するか其れとも植物にでもなり人間とは違ふ生の形を取るより他は無ひことだらう。

 


たとへば動物に喰はれると自分自身が動物にでも退化することが出来ますか?

 


出来ません。

 


だって我我はあくまでかうして人間だもの。

 

 

 

また動物になったらなったで余計に本能に縛られ毎日毎日さうしてエサを探し回り常に其れを食ったり♀に飛び付ひたりでまた命を懸けた闘争ー食ふか食はれるかの闘争ーなどもありまさに生きた心地がせぬことでせう。

すると人間はまさに其処を合理化し文明を築ひたのですね。

 


まさに其の通りです。

 


人間は文明を築くことでそんな原始的な闘争からは解放されました。

でもまた違ふ闘争に巻き込まれまさに其れにて今も苦しめられて居ります。

 


軍拡競争だの経済的な競争だの特に戦後はそんな抽象的な意味での競争がむしろ酷くなって居る。ー宇宙開発に於ける競争なども其の良ひ例ー

 

 

 

そも何でさうして競ふのでせうか?

結局価値ヒエラルキー構築主義に価値観が毒されて居るからなのでせう。

 


だから其れがまさに馬鹿なんです。

何でさうして一番になりたがるのでせうか。

 


一番になると二番の人や三番の人、またドン尻の人などを下位に置くこととなり最終的には彼等を奴隷化し搾取することで自らの優位性を保たうとする筈だ。

 


でも其の順位の否定こそがまるで日教組のやうな思想のやうですが果たして其れで良ひのでせうか?

 


まあ日教組が全部悪ひとは言へぬことでせう。

 


實際に資本主義が明らかにやり過ぎて居り其のやり過ぎたことでこんなんなって居る可能性が高ひ訳だ。

 

 

 

そんな競争など止めて其の不毛な又は空虚な価値観を改めよとさう仰るのでせうか?

いや其れは結局止めることなど出来ぬのです。

 


かうして幾ら正論を吐ひたにせよ此の世はさうして何処までも矛盾的に推進されて行くことだらう。

何故なら其の矛盾こそが人間にとっての確かな推進力だからなのだ。

 


其れにつけても何だか何処にも救ひが無ひやうな話ですね。

其処にはもはや夢も希望も無ひ、いや夢や希望を持つこと自体が誤りだとさう述べて居られるのか。

 

 

 

其の夢も希望も、結局其れ自体が極度に分離された考へ方なのだらう。

極度に分離された考へに価値観が傾くと逆に夢無き様や絶望をむしろ實現させる可能性が高まって仕舞ふことだらう。

 


結局人間の心に巣食ふ根本での闘争の欲、即ち本能的な欲が其の侭に抽象化されたものが近代的な思考の根本には存する。

つまるところ近代を規定する力とは所詮其の抽象化されし本能の力であるに過ぎぬことだらう。

 


其処がまさに幼稚であるとかうしてわたくしは述べ続けて来た訳だ。

理論的には其処に理性の原始退行が引き起こされて居り其の原始退行を止めぬ限り文明は常に崩壊のリスクに晒されるとさう述べて来た訳だ。

 

 

 

ところで詩人さんは何で其処まで世の常識に対し反抗的なのでせうか?

いや反抗と云ふよりも反省力が強ひと云ふことなのだらう。

 


理性の力が強くてしかも其れが適度にバランスされて居るからこそ其処で常に反省することが可能なのだらう。

 


さても此の侭では文明は悲劇を迎へざるを得ぬのでせうか?

さうですね、結局文明は悲劇を迎へざるを得ぬことでせう。

 


なのですが、個人的にはずっと其れに抗ふつもりで居ます。

抗ふことは其れ即ち批判と云ふことですが實は其ればかりでは無ひ。

 

 

 

批判する其の心の底には愛があるべきでせう。

眞の愛とは優しさでは無く且つ同調にも非ずだ。

 


愛とはむしろ鞭打ちであり叱責のことでせう。

 


また軍隊のやうなことをイキナリ仰る。

 


いやさうして両面を見詰めて行かねばならぬのです。

 


まさに右でも左でも無く、また男性でも女性でも無ひのだ。

さらに子供でも無く老人でも無ひ。

 


左様に一方の価値分別だけに偏るものの見方こそがまさに人間の認識の不完全性を支へて居るのだからこそ。

 


でも神佛とはそんな不完全な人間への赦しであり救済なのではありませんか?

 


だから其れこそが受容であり愛であり慈悲なのだ。

 


だがわたくしの愛は其の宗教的なものでは無く謂はばもっと理性的なものだ。

 

 

 

では其の人文理性による御導きにて此の文明は救はれるのですか?

無論のこと理論的にはさう考へて居る。

 


また感情的にもさう願ってやまぬところだ。

但し其れは救はれるのでは無く認識を改めることにより異なる方向性を模索しまさに其処に眞の意味での夢と希望を発見して行くことだ。

 


じゃあデカひ家に住み美人妻と東大へ入るやうな出来の良ひ子を持つことでは無くたとへボロ家に住み不細工な妻と馬鹿息子なのだとしても其の眞の意味での夢と希望を其処に見出して行けるのでせうか?

充分にイケませう、おそらくは。

 


ではどうしたら其れが可能となるのでせうか?

だから其れがまさに悲観的に物事を捉へられるやうにして行くことだ。

 


現代文明に於ける価値観は全てが+化されて仕舞ったがまずは其れが根本での誤りだ。

正しくは生の暗ひ側面、まさにどうしやうも無ひやうな苦悩の部分を生の中に見出す必要がある。

 

 

 

するとコロナ苦は其の価値観の転換の契機となり得るものなのだと?

さうだ、本質的にはまさに其の生の苦悩、正ばかりでの苦悩を見詰める為の負の価値としての展開だらう。

 


なのでコロナ禍は文明にとりまた現代人にとってのむしろ愛の鞭のやうなもの。

 


だが政治のやり方が悪ひと特に日本のみんなは助からぬ。

 


何故なら元来医療制度其れ自体に大きく矛盾が存して居たにも関はらず特権組織として其処に胡坐をかき続けて来たからなのだ。

つまるところ医療崩壊とはまさにそんな危機感の無さから必然的に齎されて居たことだらう。

 


なので其れは当たり前のことだ。

たとへば公立病院が年末年始を休むことがかねてよりわたくしにはまるで分からなかった。

 


病院とは元々人間の肉体にとり戦場であり医療従事者とは其処での戦闘員でこそあるべきだ。

 


また人間にとっての食はむしろ一番大事なものである。

 


ある意味では食は所謂文化よりも大事なものなのだ。

 


何故なら文化としての宗教、哲學、文學は人間にとっての心の糧となるものだがあくまで人間にとっての肉体の糧とは其れ即ち食事なのだからして。

 

 

 

コロナ禍は、またコロナ苦はそんな人間にとっての根本でのところをまさに揺さぶって居るであらう大問題なのだ。

 


だが何度も述べて居るが如くに地球温暖化及び生物種の絶滅の加速の大問題の方がより根本的且つ究極的な課題であらう。

 


でも其れも結局は人間の持ち得る価値観としての方向性の誤りの問題なのだ。

 


全ては其処に収斂し且つ帰結することだらう。

 

 

 

で、其の価値観をこそ正せとさう仰って居るのですね。

さうだ、其の価値ヒエラルキーをばむしろ逆転させて行くべきだらう。

 


では大金持ちが偉ひのでは無く労働者こそがみんな偉ひのですか?

さうだ、其のやうに實存として皆が偉ひ筈だ。

 


偉ひのだが、其れは🐕や🐈の命が人間の命に比し軽ひと云ふことでは無く、たとへ🐜や物言はぬ植物でさへ其の命としての営みは等価なのだ。

 


もしや其れが人文理性としての等価原理なのでせうか?

さうだ、まさに其れが人文理性としての等価原理なのだ。

 

 

 

さても所謂便利で快適な世界=社會=文明を形作る為の価値構築は腐るものなのでせうか?

まあ腐り易ひものであることだらう。

 


其れと恵まれた現状に胡坐をかき樂をし過ぎて居る組織などもまた腐り易ひものと相場は決まって居る。

結局は自民党が腐ったのも其の樂をし過ぎて来たからなのですか?

 


まあさうであらう。

重要なことは何処かが樂をする=胡坐をかく、楽しくやり過ぎる、と他方で困るところが出て来て仕舞ふことなのだ。

 


金を儲け過ぎる⇔生存権を脅かされる程に貧困となる

👩が威張る⇔👨の立場が弱くなる

自民党一党支配⇔野党の弱体化

 


此の世での問題の全部が其のやうに二元論にて説明が付く。

さうして其処には常に相剋し尚且つ相即する関係があるが故に双方の立場ー価値観ーは無関係ではあり得ぬ訳だ。

 


また重要なことは此の世の事象が須らく限定的に存して居りであるからこそ其の限定性を意図的にー抽象的にー外す場合其処にはバランスとしての破壊が必ずや齎されると云った部分だ。

 


では文明としての正の思想が今とさうして今後に於ひての大破壊を齎すと云ふことなのでせうか?

まあさうであることだらう。

 


だからこそ悲観的に物事を見詰める力、むしろ其処でもって思ひ悩む力、樂しさや快適さばかりを追ひ求めぬ価値観の醸成こそが是非必要となるのだ。

尤も其処に全てを捉へられて仕舞ふ必要は元より無ひのだがさうしたマイナスの価値をも大事にすると云ふ意味での人類の心の進歩こそがむしろほんたうの意味での人類の進歩なのだらう。

パンデミックの哲學的な解釈ー+徳川 忠兵衛の天丼のことー

結局此の社會には元々まともなことなど望み得ぬと云ふのがわたくしの知的探求としての結論でした。

即ち其れが悲観としての實相です。

 

事實此の世ではとんでもなひことが屡起こり得る訳だ。

たとへば家族が突然交通事故にて死んだり家が火事となり自分も含め一家全員が焼死致しました。

 

などと云ふこともまたあり得るのです。

 

まさに運命だとでも申しますか、縁起による諸事象の組み合わせによりそんな悲劇が現實に引き起こされるのです。

 

 

悲観⇔楽観

辛ひ、苦しひ⇔楽しひ、幸せだ

地獄⇔極楽ー天國ー

 

そも此の世がこんな構造にて成り立って居るので實はどちらか一方に擦り寄ることなど出来ぬ訳だ。

まさしく其れは観念其のものがそんな二元対立により成り立つと云ふ眞理を指し示すことでもまたある。

 

逆に申せば観念が有るからこそ苦樂と云ふ相対概念が成立して居るのです。

さらに申せば観念が無くなるー滅し去るーことで此の相対分別地獄を脱け出すことも可能なのだ。

 

まあ其の辺りが人間の精神に可能な認識での最も高度な部分での思考でもあらう。

 

其の観念を無くす方法には自力と他力があるのだと思ふ。

 

自力救済は釈迦の中道の論理による解脱への方向性であり、他方で他力救済とはまさに信仰による人間の救済のことなのでせう。

 

尤も現代人には其の自力救済は所詮無理なことなので信仰を持ち他力救済して行くより他は無ひことだらうとわたくしは見て居る。

 

 

でも宗教詩人さん、楽しくて尚且つ幸せなこともまたあるのであれば其れは其れで良ひことではありませんか。

と、時代に洗脳されたみんなは決まってわたくしにかう反論されることでせう。

 

ですが時間の経過と共に此の世に於ける分離ー劣化ーはより酷くなると云ふのが實相です。

つまるところ此の世は良くなって行くところでは無くむしろ悪くなって行くところなのです。

 

 

エッ?嘘だあ。

 

だってみんな学校で先生から「此の世は良くなって行くんだよ、其れが進歩だよ。」とさう教はって来て居ます。

 

さうか、じゃあまさに其の教師がバカだったのだね、其れももう近代思想に完全に頭の中身をやられた大馬鹿者だよ。

 

エッ?まさか、教師にはバカが多かったのですか?

 

いや其処は教師だもの、むしろみんなよりはお利口だよ。

 

でもさうして社会に従ふやうな奴は概ねバカ教師だぞ。

 

 

良くなる⇔悪くなる

 

まさに此の関係こそが實は裏腹なんです。

 

即ち良くなると云ふ分別概念にはすでに悪くなると云ふ状態が濃厚に含まれて居る訳だ。

 

 

なので良くなることに酷く拘り過ぎると逆に酷く悪くなる可能性を自ら招き寄せて仕舞ふ訳だ。

 

現代文明のあり方を一言で評せばまさにそんなことになりませう。

 

現代文明は人間を進歩させるー抽象的に進化させるーことで懸命に全てを良くしやうとして来て居ますが其の認識自体が實は誤りなのだ。

 

 

つまりは良くなると云ふ概念の中にはむしろ悪くなる、其れも極端に悪くなると云ふことの可能性を生じさせて仕舞ふ訳だ。

 

そんな哲學めひたことは自称詩人、まさにおまへだけの意見でもって他には世界中で誰も言ってなど居なひ。

だからおまへの其の考へこそが間違ひなのだ!

 

そんな多数決のやうなことを申されましても、其処はもはやわたくしにはどうしやうも御座りません。

わたくしはさう直観される部分だけをかうして述べて居るのでありそりゃ詩人の意見なのでまるで人の考へとは違ふことかと存じますが其処でみんなが聞く耳を持って呉れねばわたくしもかうしてピーチクパーチク言ってることの甲斐がまるで御座ひません。

 

 

では、人間は進歩しなひ方が良ひの?

さう、人間は進歩しなひ方が良ひの。

 

だから何度も申して居るように人間は具象的現在を生きる方が良ひ。

でも其れは禅だとか釈迦の佛法に於ける考へ方でもはや現代人には事實上不可能でせう。

 

なので其処では逆に抽象的未来を生きる他無くなります。

 

抽象的未来⇔具象的過去

 

此のやうに文明は分裂的時間を生きて行かざるを得ぬ。

 

其の場合には抽象的に未来に存する問題を解決して行くより他は無くならう。

其れも具象的過去即ち歴史に學びつつさうして行けばより望ましひ訳だらうが。

 

 

ですが、より根本的には、

 

抽象でも無く具象でも無ひ現在ー時間を滅した今ーを生きて行けば解脱することだらう筈です。

 

でも其れは我我馬鹿現代人には無理なので、イヤイヤながらそんな他力救済での分裂過程をやっていく他は無ひ。

 

 

ところで座禅を組むとそんな時間を滅した今に到達するのでせうか?

 

そりゃ知りません。

わたくしはかうして頭で考へるタヒプなのでむしろ座禅は組まぬのです。

其の思考を最高度に突き詰めていくとどうなるかと云ったことだけを今はやって居ります。

 

で、文明はそんなアナタにとりすでに大馬鹿者なのですか?

 

いや其れは今に始まったことでは無く正直申しますればずっと以前から近代文明其れ自体がバカだとさう感じても居りました。

 

なる程、だからこんなものが書けたのですね。

 

 

で、貴方は結局何をどうしたひのですか?

 

いやかうして世の価値観を批判して居るだけのことです。

 

かうして理詰めでもって文明を負かしてやらうとさう思って居るだけのことです。

 

 

さうですか、其れにつけても尾張の人らしくイヤな奴ですね。

実際かうして尾張人が正直者過ぎるのも考へものでせう。

 

 

さて今日本のみんなの価値観はさうして現世利益主義ー+思考ーの方へと傾き過ぎて居ます。

 

其の現世利益主義こそが科学主義に基づく無神論により展開されて居るものです。

 

ですが其れでは人間はまた社会は幸福にはなれなひ。

 

何故か?

 

良くなる⇔悪くなる

 

まさに此の関係こそが實は裏腹なんです。

 

即ち良くなると云ふ分別概念にはすでに悪くなると云ふ状態もが濃厚に含まれて居る訳だ。

 

 

悲観⇔楽観

辛ひ、苦しひ⇔楽しひ、幸せだ

地獄⇔極楽ー天國ー

 

他力救済は此の二元分裂としての世の価値観を信仰により一元化して行くことの為の教へです。

 

ですが、世俗の価値観ー世俗による価値ヒエラルキーーを奉じて居る限りは其の信仰への契機を見出すことは難しひ。

 

此処の読者の方々ーインテリっぽひ方々ーは別として、日本のみんなー大衆ーは文明の創り出した価値観にほぼ洗脳され切って居ることだらう。

 

 

即ち便利で快適に生きる為には何千万もする家やマンションに住み車も必要でしかも住まふ美人妻が是非必要だ。

 

其れに出来の良ひ子をもうけ彼等を最終的には東大にでも入れる。

 

つまりは其れが最高の価値だ!

 

とさう思って居ること自体が實はサヒコーに馬鹿なのです。

 

 

其れ、實はひとつも要りません。

 

アナタに必要なのはむしろ信仰、其れだけなのだ。

 

其の観念的ー抽象的に構築される価値ヒエラルキーー欲望こそが現代人をしてむしろ∞地獄へと閉じ込めて行くのです。

 

で、わたくしの今の考へですが、

 

まずは其の分裂の幅を縮小することだけに留意して来て居る。

 

其の幅を縮小するー限定するーことで価値対立其れ自体を小さくして行く訳だ。

 

 

家→今のボロボロ家で結構

未来への夢と希望→今感じられる小さな歓びこそが大事

美人妻→女は所詮馬鹿なので次第に興味が無くなって来た。むしろ自分にこそ興味が御座る。

🚙→どうしても必要な時にだけ借りる

出来の良ひ子→自分にもし子が居れば是非早稲田大學に行かせたひとさう思って居たのだったが事實として子は何処にも居なひ。まあ我の子ならば早稲田位は楽に入ることだらうがもしも其れがバカ息子で成人式に酒飲んで暴れるやうな子であるのならばもはや我慢がならぬ。なので我は子など要らぬのだ。

 

デカひ墓→わたくしは墓には金輪際入らぬとさう遺言しておくつもりである。わたくしは将来死んでから文人の園へ行き宮澤 賢治や芥川 龍之介の下のお世話をすることが夢なのでまさに忙しくて墓なんぞには入って居られぬのだ。

 

左様に拘るもの、拘る範囲をより限定し小さくすると云ふのがわたくしの思想であり宗教なのだ。

 

勿論可能なのであれば田舎にでも是非移住したひところなのだが事實上今はなかなか其のエネルギーが出なひ。

 

 

そんな訳で今陥って居る社會の問題とは自分と無関係なものでは無ひのである。

 

社會⇔個

其処に相剋し且つ相即する関係が成立する以上無関係ではあり得ぬ訳だ。

 

だがもしも社會が誤った思想を持って居たのだとすれば我我個は為す術も無く其の誤った思想による破壊の波に蹂躙されて行かざるを得ぬことだらう。

 

現代社會は誤った思想に陥って居りまさに其れは合理化による進歩思想のことだ。

 

また其の合理化による進歩思想に我我個は洗脳されがちなのだ。

 

だが価値は元来+と-の側面を生ずるものと相場は決まって居る。

 

さう人間の価値観とはさうした二元対立ー二元分裂ーを引き摺るものであらう。

 

 

だから社會を幾ら良くしやうとしても逆にむしろ世は悪くなって居る、其れは何故か?

 

合理化による科学万能主義が両面を見詰めて居なひことによるものだ、其のやうな一義的な生の理解が逆に我我の生のあり方其のものを破壊して行くのだ。

 

故にコロナウヒルス其れ自体が悪魔なのでは無くコロナウヒルスを世に出すやうな経済の追求や自然破壊を重ね続けて来たこと自体が悪魔としての人間の仕業だったのだ。

 

 

西欧近代社會とはキリスト教に於ける善と悪との二元対立を基調に展開される価値構築の世界のことである。

 

其のやうに大きく社會其れ自体が分離ー分裂ーされて居る訳なのでつまりは振れ幅が大きひ。

 

なのでホロコーストだのかようなパンデミックだのが時に出現するのではなからうか。

 

いやキリスト教が悪ひと言って居るのでは無くむしろ西欧近代社會にとってはキリスト教こそが正教となる可能性が高ひ。

 

つまるところ此処日本は神道にて現世利益を追求し他面では大乗佛教として他力救済もまた目指して行くのであるから何が何だか分からぬ宗教的地盤を有して居るとも言ひ得る訳だ。

また其の大乗佛教にせよ禅宗だけは釈迦の佛法に近ひ自力救済としての性格を帯びて居る。

 

 

だから禅が偉ひと云ふのでは無くもしや禅はキリスト教とは相性が悪ひのかなとさう思はぬでもなひ今日此の頃である。

其れにもしや禅は👩嫌ひではなかったか?

 

さうだなあ、でも風狂の僧である一休さんなどはむしろ👩が好きだったよね。

 

密教などもまた👩を否定せぬが他方では即身成仏などとも云ひ其処はまんま分裂佛教であらう。

 

兎に角お釈迦様は結構👩嫌ひでしたので佛教は基本としては女人禁制なのでせう。

 

でもキリスト様は👩子供には結構優しかったのかもしれませんね。

 

 

嗚呼、さうか。

キリスト教の根本には人間存続、社會存続への強烈な意志が御座りませう。

 

何となれば人間絶滅、社會崩壊ではキリスト教も何もあったものじゃ御座りません。

 

が、佛陀の場合は人間絶滅、社會崩壊のことを否定も肯定もしなひのではなからうか。

 

以上、

1.現代社會に必要なのはむしろ他力救済としての信仰の力であり、

2.でも信仰を持てぬ程に頭が良ひのならむしろ宗教を突き詰めて考へてみやう。

3.現代社會の崩壊の様は必然的な結果ー縁起による必然的な歴史過程ーであり、

4.世界の破壊は個としての価値観を正さずば止むことが無ひ。

 

と云ふやうな点に就き論じさせて頂きました。

 

 

悲観⇔楽観

辛ひ、苦しひ⇔楽しひ、幸せだ

地獄⇔極楽ー天國ー

 

かうした観念的な価値対立を引き起こして居るのは畢竟人間の認識上の癖=相対分別によるものであり、無論のこと其れを消し去る為には根本的には佛陀の教へか又は禅による自力救済が必要となるが事實上現代人に対する社會的な洗脳を解くことは困難だ。

 

なので他力救済としての宗教への信心を持つか又は考へとして個々の価値観をまずは正して行かねばならぬことだらう。

価値分別が大きく振れ過ぎて居ると他極へ振れた折にドーンと破壊が生じやうからなるべく其の振れ幅を小さくして行くことこそが望ましひ。

 

即ち、

経済ー金ーが一番大事なのでは無く、

 

また家の存続や墓が大事な訳でも無く、

 

さらに妻や子が大事な価値なのでも無く、

おまけに學歴や職歴に大きく価値がある訳でも無く、

 

むしろ信仰の力の方がより大事な力なのだ。

 

 

たとへば君のマンションも口座の残高も其処に大きく価値がある訳では無く、

 

むしろ信仰の力の方がより大事な力だ。

 

信仰を持てぬ場合にはまるでかの自称詩人の如くに兎に角突き詰めて考へ欲望の範囲をより小さくし同時に拘るものの対象をより絞って行かうではなひか。

 

 

実際に悲劇は起こり得る。

まさに此のコロナ禍こそが其の悲劇だ。

 

其の悲劇の誕生はしかしながらむしろ必然のことだった。

 

悲劇は現代社會に対し常に起こり得ることである。

 

逆に其れが想定外になって居ること自体が誤った認識でありまた洗脳によるバイアスがかかった価値観のものなのだ。

 

わたくしが根本的な問題だと述べて居ることはむしろ其の認識に於ける誤謬である。

 

其の認識に於ける誤謬に気付けぬ人間の社會のあり方こそが間違って居るとさう述べて居るのだ。

 

つまりは其の心のあり方が曇って居る、無明としての迷ひの価値観に裡沈んで居ることだらう。

 

 

社會⇔個

 

さうして社會が悪ひのは個としての認識の問題でもまたあると云ふことなのだ。

 

其の個としての認識上の誤謬を是非反省すべきである。

 

大抵の人間は周りが悪ひので自分もまた悪く染まりがちだとさう考へて居ることだらう。

 

だが實際にはまずは自分が悪ひので周りもまたさう染め上げられて仕舞ふことだらう。

 

 

尚、釈迦は人間の外見には惑はさるなとさう述べられて居たさうだ。

 

逆に現代人は外見に拘りがちだ。

だが幾ら外見が良くてもコロナ感染すれば誰もが死に瀕せざるを得ぬことだらう。

 

またどんなに金持ちであらうとコロナ感染すれば誰もが死に瀕せざるを得ぬことだらう。

 

人間の中身とは即ち其の心のあり様のことなのだ。

 

内面に持った価値観の正邪こそが其の人間の眞の価値を決めるのだ。

 

 

尚、昨日はお天気も良く金シャチ横町の徳川 忠兵衛にて徳川 忠兵衛 お持ち帰りの天丼を初めて買って来た。

其の天丼の評価から申せば🌸🌸🌸🌸である。ー五段階評価の四ー

さうして大変お得である。

 

尚天丼は非常に難しひ食べ物だ。

まさに其れはうな丼と同じ位に難しひのだとも言へやう。

 

天麩羅は元々江戸のものなのか尾張には余り美味ひものが無くそればかりかわたくしの場合は安くて美味ひ天丼にしか興味が無ひ故これまでに80点ー及第点ーが取れる天丼を食ったことなど無かったが今回初めて其れが食へなかなか嬉しかった。

 

で、詳しくは知らぬがかの徳川 家康の晩年の好物は天麩羅だったとのことだ。徳川家康の好物とは。長生きの秘訣は食生活にあり!?

家康公は健康ヲタクだったにも関はらず何故でっぷりと肥へて居たのかとずっと思って居たのだったが其の謎がようやく解けた。

 

要するに齢を重ねてから逆に天麩羅に嵌り腹が出て居たのだったらう。

で、徳川 忠兵衛の天麩羅も其の家康公に因んだものであることらしひ。

 

徳川 忠兵衛はどちらかと言へば高級店でありたとへ持ち帰りの🍱であるにせよ使ってある素材が良くー油の方も勿論〇だー其処は安心して食することが出来る。

なのに千円なのだ。

 

だから其処が何より良ひ。

但し昨日は何と14時までの営業だった。

 

14時までに自転車にて行くとの予約を入れようやく🍱を受け取ったのが13時55分であった。

 

ー今は大変ですね。

 

ー實は休業するかどうかを決めかねて居り暫く休業して仕舞ふかもしれませんのでまた電話にて予約された上でお越し下さひ。

 

其の天丼には海老が弐尾も入って居て他にもカシワだのイカだの具材が多く入り従って千円と云ふ値段は如何にもお得である。

 

ちなみに此処には味噌天丼なるものがあるさうだがテイクアウト用には用意されて居なひ。

 

 

金シャチ横町は名古屋城のすぐ際にあり名古屋城に人が入らぬ限りすぐに終わって仕舞ふものらしひ。

 

名古屋城は閑古鳥が鳴ひて居り其処は仕方の無ひ部分なのであらう。

昨年までわたくしは此の金シャチ横町を通って勤め先から帰ったのだったが帰る時間には皆店は終はって居たので徳川 忠兵衛を訪れたのは實は昨日が初めてのことだった。

 

天丼は何せ油ものなので腹持ちが良くすぐに腹が空かぬところがわたくしは好きだ。

 

さても名古屋のみんな、徳川 忠兵衛の天丼をもっともっと買ってあげやうではなひか。

 

でなひと金シャチ横町店が潰れちゃうかもしれぬのでな…。

 

尚味付けは濃ひ目の醤油味にて少し個性的なのだがわたくしは好きな味である。

東山にて幸先よく「東山の泪」を拾ふー本年度の鉱物採集Ⅰー

今の此の文明崩壊の様は、何も今に始まったことでは無くずっと以前から危惧されて居たことでした。

特別な感度を持つ人々にはおそらくはさう予見されて居ただらう筈のことです。

 

幸か不幸かわたくしも其の一人としてずっと文明の抱へる問題とかうして向き合って参りました。

 

尚、其れをやりますと何せ極度に疲れます。

もう疲労し切って仕舞ひもうすぐにも死にさうになるのです。

 

ですが、わたくしの場合はコロナ苦とは関係無く元々いつもさうして死にさうになってるのです。

そんな素晴らしひ悲観性に常に頭がやられて居り故に半分死につつ生きて居ざるを得なひ。

 

全くに素晴らしひ其の文學的センスのことよ。

 

どだひ其の死から出発する生の何と輝かしひことか。

 

 

で、わたくしはいつもかうして難しひことを述べつつ他面では實はバカなのだ。

まずは其のバカは考へて居ることが人とは違ひます。

 

第一理性がある筈の読者の皆様はわたくしが毎日哲學し文明の行く末ばかりを案じて居るとさう思はれて居ることでせう。

 

でも実態は其れとは違ってます。

 

わたくしは下品な人間なので食ひ物のことだとか欲しひペンのことだとか何処かにわたくしのパトロンとなるやうな👩は居なひか、其れも美人の未亡人などで億の金を恵んで呉れる👩は居なひものかなどと半分位は本気でさう思っても居ます。

 

つまり文明に対する批判のことなどはわたくしにとりほんの一部分のことでしかあり得ません。

 

 

で、皆様に今日述べたひこととは今年の採集の一発目に凄ひ石を拾って仕舞ったと云ふタダ其れだけのことなのです。

 

何、そんな話にはまるで興味が無ひ?

其れもこんなコロナ感染拡大の瀬戸際の折に一体何の話をして居るのだ!

 

まあ確かに誰もがさう仰りますがわたくしは基本現代文明がどうならうと知ったことじゃなひ。

 

わたくしはわたくしとしてみんなに危機をもう長く伝へて来ても居るのでやらねばならなかった仕事のほとんど全てを為し終へて仕舞って居る。

 

其れ以上此のわたくしに何が出来ると云ふのでせうか。

 

わたくしはやらねばならぬことを一応はやり切りました。

 

其れ以上を今の此のわたくしに求めたりなどしてはならぬ。

 

 

いや、勿論作家として何かを書ひて下さひと何処かの出版社の方かまた新聞社の方か、さうしたメディアの方からの専属契約などにはすぐにでも応じさせて頂く所存です。

 

其の時には此れ迄の倍程ものの力を出して書く用意すらもがあります。

またどんなものでも書けます。

 

其れもエログロな話ですらイケることでせう。

 

 

尚一昨日はお天気も良ひやうでしたので東山へと向かひました。

 

東山には東山植物園があります。

 

此処は名古屋市東部の丘陵地帯に造られた自然パークとしての大規模な施設です。

 

よって自然が大好きなわたくしにとっての樂園のやうなところでもまたある訳だ。

 

 

わたくしは弐、参箇月に一度位の割合で此処を訪れ日がな壱日散策したりして来ます。

園内には展示施設や日本庭園、またお花畑などがあり實は其ればかりでは無く丘陵地のあちこちに様々な木や草花が植へられて居て低山歩きをしながら其れ等と触れ合ふことが出来る。

また南米の植生ージャングルや砂漠の様ーを再現した温室などもありちょっとした探検気分なども味はえるところです。

 

ですがそんな展示施設や日本庭園、またお花畑などは結局飽きると言へば飽きます。

 

其れでもって見飽きぬのはむしろ低山の方です。

 

で、もっと人間嫌ひになると園には入らぬ訳です。

園の周りの低山に東海自然歩道と云ふ自然遊歩道が整備されて居るのです。名古屋の東山公園一万歩コースをウォーキング

 

ですが、實はこんな生易しひものでは無く我我はもっと山道のやうなところまで入って行きます。

 

なのですが、實は石はむしろ遊歩道の道の方にこそ落ちて居るのです。

まさに其処が不思議なところなのだ。

 

其れは何故か?

何故なら遊歩道の道は広く、山道は狭ひ。

 

さてでは石が出るのはどちらでせう?

勿論遊歩道の方ですね。

 

勿論山道にも石があるのでせうが、落ち葉やら木の枝などが地面に落ちた侭ではまるで石が見へぬ訳です。

 

 

ところが、遊歩道の方は名古屋のみんなが歩きジョギングしたりもして居る訳だ。

 

なので光ってるやうな良ひ石英がもし出たにせよ拾はれて仕舞ふ確率もまた高くなるのだ。

 

でも大抵はそんなものを拾っていく奴などまず居ません。

 

第一💎級の石英がそんな道に落ちて居ることなど誰も知りません。

 

其れも我我のやうな一部の石マニアを除ひては。

 

いや石マニアでもまたさらに一部の人々のみが道から💎を拾ふと云ふ其の究極の石拾ひの域に達して居ることでせう。

 

 

あれ、こんなところに良ひ石が。

 

わたくしの眼はすでに石拾ひの達人の眼に特化して居り誰にも見へぬやうな石をピッと見つけ即座に其れを拾ふのである。

 

結局いつもして居るアウトドアでの趣味が其れだけなので次第に職人化か又は達人化して来て居りどう見ても何も出て来さうに無ひところからさうして石をピッと見つけて仕舞ふ。

 

 

結局本日の成果は参個の石英

 

其のグレードは、

AAAが壱個。

Aが壱個。

もうひとつがおまけ。

 

 

つまりは其のAAAランクの石英が採れたこと、其れも今年初の採集にて採れたことがまさにサヒコーの成果でもあったことなのだ。

 

其れも皆様は此の非常時に一体何やってんだ、此のバカと今さう思はれて居るのやもしれぬがわたくしだけはむしろ大眞面目なのだ。

 

其のAAAランクの石英はな、ズバリ申して拾年に壱個しか採れぬ程のクオリティのものだぞよ。

 

其れが今採れたと云ふことはもはや文明は終はったな。

 

直に文明は終はるがAAAの石が壱個だけ採れたと云ふことなのではなひかひな。

 

 

嗚呼恐ろしひことにとんでもなひ石がかうして採れたぞ!

 

此処での真ん中の辺りの色合ひに近ひものだ。ティアドロップ ピアス ペアシェイプ 18金 k18ホワイトゴールド カラーストーン

 

エッ、まさか?

 

と思ふことだらうがほんたうのことだ。

 

AAAランクの石英はな、ズバリ申して💎に限りなく近ひもので至極美しひものなのだ。

 

但し表面は少し荒れて居て擦りガラスのやうになって居る。

即ち色合ひとティアドロップシェイプが似て居るが實際には葡萄の粒のやうな色合ひと透明度の石である。

 

 

其れが東山公園一万歩コースから採れたので?

 

いや實はさうでは無ひ。

東山公園へと至る道の歩道にて拾った。

 

何でそんなものが見へるの?

其れも1.5センチしかなひ石英が見へるの?

しかも自転車に乗りながら。

 

いやたまたま自転車を押しながら歩ひて居たのだ。

すると街路樹の根元のところに良ささうな石ーおまけーが落ちて居たのだ。

 

其のすぐ横にあったのがAAAランクのティアドロップシェイプの小さな石英だった。

 

でもAランクの石英の方はみんなが歩く東山公園一万歩コースにまさに落ちて居たのだった。

 

 

さうか、まさに凄ひ採集の記録ですね。

 

さうです、まさに人間離れした採集の記録ですよ。

 

此の話は元よりほんたうの話だ。

 

だからわたくしは今其の小さな石英を左手に握りつつ今まさにコレを書ひて居るのだ。

 

 

ちなみに東山周辺の丘陵地帯から天白区の相生山へかけては此の石英が多く産出するところである。

 

石英には色があり、透明度のあるグレードの高ひものには無色半透明のものと黄色ひ半透明のものやピンク又は赤系の半透明のものがある。

 

今回わたくしは初めて完全に近ひ赤系の半透明の石を拾った訳だ。

 

昨年より相生山にてピンクや又は赤系の石英を多く拾って来て居たのでおそらくは其の流れにて拾へたものと思はれる。

 

石英はタダの石とは違ふ。

 

即ち明確に結晶化した石英がかの水晶なのだ。

 

水晶でも紫水晶は立派な💎ーアメジストーとなるのだ。ー見方により今回の石は其の葡萄の粒のやうにも見へるー

 

 

メノウでは無く?

さうメノウでは無ひのだが稀にはメノウもまたあることかと思はれる。

 

わたくしはかって奥三河や岐阜にて熱心に鉱物採集に勤しんで居たが最近の趣味は自転車で行ける近場の低山にてAAAランクの石英を探し拾って来ることとなった。

 

さうさうしてAAAランクの石英を探し拾って来ることと東山植物園、また稀には東山動物園へと出向き動植物とお話をして来ることこそが何よりの心の癒しである。

 

ー最近気に食はぬのが山の中に人が増へたことだ。文明がコロナにやられて山の中に文明人がドンドン進出して来て居る。ハッキリ申せば良ひ迷惑なのだ。おまへらはもう街の中にでも閉じ込められて居ろ!もう山になどは来るな!山はな、オヒラのやうに純粋な心の人間の為の遊びの場であるべきだ。うはあ、人間共よもう此処へは来るな。ええひ、汚れる、来るな寄るな石を拾ふな。東山の石はな、結局わたくしだけのものなんだよ。ー

 

ところで毎日採集したひの?

さう毎日採集したひ。

 

でも石は難しひのだよ。

何故ならありさうなところには無く無さそうなところにこそ有るからなのだ。

 

さても石はまさに👩心と同じやうなものなのですかね?

さう言へば何で👩共はああも石が好き♡なんでせうかね。

 

結局馬鹿共は石に何処までも惹かれて行くのでせうかね。

 

 

貴方が愛の証として石を贈る場合には一体何を彼女に贈る御積もりなのですか?

エメラルドですか、其れともルビー?又は大粒のサファイアですか?

 

いーや違ひます。

わたくしが贈る指輪とは此のAAAランクのティアドロップシェイプの小さな石英です。

 

其れに輪を付けるだけですよ、銀かプラチナの輪だけをね。

まさに其れが「東山の泪」と云ふ貴重な💎なのですよ。

 

嗚呼さう言へば歌舞伎役者のかの市川 海老蔵が自らベトナムで採掘したルビー(原石を加工したペンダント)を当時新婦であった小林 麻央にプレゼントしたと云ふ話がかってありわたくしは其の採掘の様子をたまたまTVにて視て居た覚えがあります。

でも宝石ならむしろ自分が欲しひ位ですね。

 

誰か💎をわたくしに下さひ。

 

では其の石英を指輪にして自分の指にでも嵌めてみてはどうか?

 

まさに名案です。是非そのうちにやってみませう。

知り合ひの宝石屋のTを呼び輪を付けさせるだけのことです。

尤も輪の方がずっと高くつきますがね。

 

「東山の泪」は所詮タダで拾って来た石なのでもし売れたにせよ百円にもならぬことでせう。

 

ですがまさに此れはわたくしにとって地元産の素晴らしひ石であり且つ美しひ石です。

 

かうして金銭的価値を離れても高められる価値と云ふものの方が實存的な価値なのです。

 

要するに我我個にとってのお宝こそが實存的に選択されたところでの唯一の価値なのです。

 

「東山の泪」は其の意味でのわたくしにとっての宝物です。

 

此のやうに社会的評価、社会的に定められた価値ヒエラルキーを離れたところでの實存的価値こそがほんたうの意味での宝物となり得るものだ。

此の矛盾だけが實在するのか?

大阪のコロナ累計死者数が東京上回り全国最多714人 高齢者中心に感染が拡大

かうして何処が危なひのやらもはや分からぬやうになって仕舞った。

 

 

菅内閣支持率は崩壊寸前 近視眼的政策からコロナ対策に「全集中」できるか?

 

何で政治家がちゃんと政治をやれなくなったのかと云ふことに就ひては、所謂合理化の問題が其の根っこに横たはって居るのやもしれません。

 

まさに其れは大問題を合理化することで乗り切れるものなのかどうかと云ふことです。

おそらくはでも大問題を合理的に解決する術など無ひのやもしれません。

 

其れは合理化が諸刃の剣であることを何より指し示して居ます。

 

合理化して原発が出来電気が自由に使えるやうになる⇔原爆が出来た

合理化して人間の寿命が延びた⇔昔ならとっくに死んで居たやうな人間が増へた

合理化して男女平等となった⇔生意気な👩が増へた

 

つまりは合理化すると大体はやりたひことが出来るやうになるが他面でマズひことが起きて仕舞ふ。

 

なのでなるべく小さひ範囲でもって合理化すべきなのです。

 

逆に大きな範囲ではなるべく大きく考へておくべきです。

 

即ち感染爆発や地球温暖化に対する対策としては全体論的に巨視的な視点が不可欠となりませう。

 

で、自民党の政策が逆に限定的な近視眼的政策であるが故にまるで上手く行って居なひ訳だ。

先にも申しましたやうに日本人の體はコロナ感染には強ひ筈なのに逆にコロナ感染をドンドン加速させつつある。

 

 

では政治は合理化すべきものでは無ひのですか?

いや行政改革にせよ構造改革にせよさうした合理化の流れは勿論必要なのだとさうも思はれる。

 

でももしも政治思想其れ自体を合理化するものとしたら現世利益型政治=近視眼的政策に陥って仕舞ふのではなひかしら。

 

要するに大問題であるパンデミック地球温暖化を合理的基準にて捉へること自体が間違って居る。

つまりは感染爆発や温暖化の被害に対してはより大きく捉へた上での細かな対策こそが是非必要だ。

 

其の大きく捉へることが出来なひので政府の意思決定が場当たり的なものとなり結局は現實としての負の連鎖を呼び込んで仕舞ひます。

 

 

ー実際、菅総理の肝いりともいえる携帯電話料金の引き下げは、NTTドコモによる新プランの登場が嚆矢(こうし)となり、今後他社も追随する動きとなることで、欧米諸国と遜色ない料金になる可能性が高まってきました。2050年の「カーボンニュートラル」実現に向けた2兆円の基金創設は、我が国のエネルギー問題に政府が本腰を入れ始めたことを示していますし、デジタル庁創設はマイナンバーカードの普及、健康保険証や運転免許証との一体化など実生活の利便性を高める未来型の政策実現と合わせて評価する声が大きいです。ー菅内閣支持率は崩壊寸前 近視眼的政策からコロナ対策に「全集中」できるか?より

ーこれだと、「新型コロナ」という国民の最大関心事に対し、政権として「大きな答え」を出せないため、コロナとはあまり関係のない一般的な政策で実績を積み重ね、有権者の信頼をつなぎ止めようという風に見えてしまいます。ー 菅内閣支持率は崩壊寸前 近視眼的政策からコロナ対策に「全集中」できるか?より

 

「新型コロナ」に感染しますと實際に重症化した場合には死に至る可能性もまた高くあります。

だからこそ國民は皆死ぬのが何より怖ひ筈です。

 

携帯なんぞ持って居なくても充分に生きて居られますがコロナに酷くやられた場合には君も貴方も死ぬ可能性があるのです。

だから携帯よりはまず生きるか死ぬかの問題でせう。

 

ところが彼ー🐵ーには其のことすらもが分かって居なひのです。

だから其れは特攻だとさう申して居るのです。

 

どだひエッセンシャルワーカーにとってはテレワークもクソも無く兎に角出社するか又は現場に出向かなければ何も始まりません。

まさに此処愛知県にはさうした意味でのエッセンシャルワーカーの数が多ひことでせう。

 

ピンハネ業の比率が多ひ東京都などと比べ實質的に労働者の多ひ地盤ではそんなテレワークもクソも無ひ訳です。

 

「大きな答え」が出せぬ自民党政権はそんな政策上の合理主義に毒され人間の命が守れぬところへと自衛の意識を極度に低下させつつある。

 

だから其れが本来あるべき保守のあり方では無くまさに矛盾的推進ー間違った合理化の仕方ー其のものなのだ。

 

 

此れ迄何度も申しましたやうに、國の力を強めたひ筈の自民党がむしろ國の力を弱体化させつつある。

で、そも弱ひので國民に対し強ひことが何も言へぬのです。

 

だから其れは矛盾をグルグルやってるだけのことなのであり眞の意味でコロナ対策に有効な手立てを発して居る訳では無ひ。

 

 

ー支持率が、新型コロナウイルス感染状況に大きく左右されるのは明らかです。現状、いわゆる「第3波」の不安を国民は味わっているわけで、この状況から逃れられるときが、支持率低下の反転させるタイミングと言えるでしょう。ー

ー他方、エビデンスに基づく分科会提言としての「Go To 中止」と、「1日の感染者数が3000人に達したから中止」という菅首相の決定とのズレや、回数の少ない記者会見や原稿の“棒読み”、ニコニコ生放送での「ガースー」発言などといった、情報発信の不足や空気の読み違えは、確実に国民の期待度を下げています。ー 菅内閣支持率は崩壊寸前 近視眼的政策からコロナ対策に「全集中」できるか?より

 

 

さてもこれからどうなるのかと云ふことが今や誰にとってもまるで分かりません。

偉ひ學者の方々などが様々な提言などもされて居るやうですが其の通りにすればみんなが助かるのかどうかもまるで分かりません。

 

でも中國や台湾の動きから判断されることとは結局東亜細亜の人々は欧米人程コロナに対し弱くは無ひであらうことだ。

なのですが、バカをやって居るとまたとんでもなひことになる可能性が無ひでは無ひ。

 

だから一度文明を止めてみませう。

 

すると未来への展望、嗚呼其の虹のやうな七色の希望の光さへもが見へて来るのです。

 

 

尚此の近視眼的な政策の流れは地球温暖化対策にとってもマイナスの視点であることは間違ひありません。

 

但し其のー2050年の「カーボンニュートラル」実現に向けた2兆円の基金創設ーとしての政策などは無論のことながら悪ひ話ではありません。

 

問題は温暖化を緩和するには文明の流れをむしろ止める他は無ひと云ふことでせう。

 

人類はさうして文明を止めぬと文明其れ自体を存続することが出来ぬと云ふ大矛盾を背負ひつつ生きて居ります。

 

其のことは普段みんなには自覚されて居なひことですが間違ひなくあることです。

 

むしろ矛盾だけが實在するのが人間の生き様に於ひてのことなのでせう。

 

他の諸の欲望は取るに足らぬやうなものばかりで、結局は其の根本での大矛盾に向き合はされることで人間は疲弊し切りドロドロにさへなって行きます。

 

 

ドロドロになる?

 

さうです、ドロドロになるのです。

 

其れでは人間の未来とはそんなドロドロのものにしかならぬのですか?

 

まあ過去現在未来に拘る限りはさうもなりませう。

 

 

人間は何故そんなドロドロの未来の為に今を頑張るのですか?

其れは人間が壱匹の獣だからなのです。

 

壱匹の獣即ち獣としての意志です。

獣の意志?

 

一体其れは何でせうか?

其れはかうして食って寝て大宇宙を我がものとせんが為の観念のことです。

 

つまりは人間とは矛盾的生命なのでせうか?

つまりは人間とは矛盾的生命です。

 

また釈迦とキリストの教へこそが其の矛盾地獄から人間の心を救ふ為の教へなのです。

 

 

でも矛盾など何処にも無ひではありませぬか。

問題も何も無く世界はかうして変はることなく毎日あるではなひか。

 

そりゃ君にはさう見へて居るだけのことだよ。

 

詩人さんにはもはや其の獣の意志は無ひの?

さうもはや其の獣の意志は無ひの。

 

へえー、そりゃ凄ひなあ。

流石に半分死んで生きて居られるだけのことはありますね。

 

 

ところで詩人さんには例の相対性理論が分かるのですか?

へへへへのへ、まるで分かりません。

 

其処では時間と空間と光速度がぐちゃぐちゃになり絡み合って居る様が感ぜられるだけだ。

 

但しわたくしはかって面白ひことを述べて居ます。

即ち天動説は正しひとさう述べても居りました。

 

其れと同じ理窟にてニュートン力學もまた正しひのであります。

 

尤も其れは限定的に捉へればあくまで正しひと云ふことなのだ。

 

相対論や量子力学が示す不可思議な世界とは或は合理主義が陥ったところでの一種極端な世界観なのやもしれません。

 

宗教的な世界観を反故にする形にて分析的理性が突き進むとおそらくはさうした領域こそが見へて来るのではなひか。

 

人間の認識とは左様に合理化と云ふ幻影が描き出すものなのやもしれぬ。ー認識と云ふ抽象的領域のことー

 

 

さても宇宙にはコロナウヒルスは居るの、其れとも居なひの?

コロナウヒルスは結局人間の強欲が生み出したものでせう。

 

いや元々あったものを強欲が盛んにさせたものでせう。

 

其の獣の意志がある限り其れはドンドン増へ続けても行くことでせう。

 

 

生⇔死

 

有⇔無

 

どうも合理化すると決まって左の方に偏るやうなのですがどうも其れがアンバランスを生み出して居ることでせう。

 

わたくし的には右の方も大事にして欲しひ感じがどうも致します。

 

生死も有無も元来はこんな感じでもって其処に優劣など無く元来相剋し相即する立場として互ひにあることでせう。

 

なので偏ってはイケナヒやうにも思はれます。

 

さうだ、どちらにも偏ってはイケナヒのだ。

 

具象的認識とはまさに其の双方を見詰めることであるやうにも思ふ。

 

具象的認識とは謂はば動植物の認識です。

 

まさに其れが人間の観念による相対認識以前での認識なので其処には時間の観念すら無ひものと思はれる。-特に植物には時間の感覚が無ひことだらう-

 

対する抽象的認識ー人間の認識ーこそが曲者です。

 

人間の認識は抽象的に成り立つ分罪深くしかも欲深ひー煩悩まみれだー。

 

其の抽象的な欲こそが破壊を生み出すのだとさうわたくしは理解する。

 

 

とのことで今人類は其の抽象的な欲の極を生きて居るのやもしれませぬ。

いやまだまだ極などでは無くこれからはもっともっとイクのでせう。

 

やがては其れこそ不老不死の神人間だのが出現しても参りませう。

ですが自らを神に擬へる時まさに其の時に人間の精神は破裂して仕舞ふやうな気がしてならぬ。

 

さうしてパンクする?

へひさうしてたった今パンクした。

 

 

進むー進歩ー⇔退くー退歩ー

進むー進歩ー⇔止まるー停止ー

 

と云ふことは文明が進歩ばかりして居るのはまさに頭がオカシヒのではなひでせうか。

なのではありますが先にも申しました如くに其の頭がオカシヒ文明をまともに歩ませる為にはより頭のオカシヒ考へでもって其れを止める他は無ひのやもしれません。

安倍氏の恩師の発言がまさに正鵠を射ていた

 ー1つ目は立憲主義を否定して法的安定性を崩壊させたことです。2015年に閣議決定だけで解釈改憲を行い、集団的自衛権を合憲化してしまいました。これは歴代政権で誰もやったことのない暴挙です。憲法解釈を内閣だけでやれるとなれば、何でもできてしまう。内閣法制局長官の首をすげ替えて、解釈改憲を可能にさせたことも前代未聞です。検察庁法改正案も含めて、司法や検察の人事に内閣が介入し、三権分立の破壊を招いた。政治が最も尊重すべき法的安定性をないがしろにしたことは重大な失政です。

 2つ目は、政権全体に無責任体制が敷衍(ふえん)したこと。政治はあらゆることに結果責任が伴いますが、安倍さんは閣僚の任命責任を一度も取っていません。閣僚が不祥事を起こすたびに「責任を痛感している」と繰り返すだけで、責任を「取る」ことをしない。財務省公文書改ざん事件で近畿財務局の職員が亡くなったことに対しても、麻生太郎財務相、安倍首相ともにまったく責任を取る様子はない。こうしたトップの姿勢が政権全体、ひいては官僚組織における無責任体質につながりました。

 3つ目は長期政権の病理です。よく「安倍一強」といわれましたが、これは選挙に強く他に対抗馬がいないというだけです。政府・与党内での政策論争が全くないので、実は政治的には非常に脆弱(ぜいじゃく)な政権でした。良しあしは別としても、本来は派閥間で活発な政策論争をしてきたことが、保守政権の強みでした。しかし、安倍一強と言われたこの8年弱は、まったく政策論争が行われなかった。そこまで自民党の力が落ちてしまったということです。ー安倍首相の成蹊大学時代の“恩師”が苦言 「首相としてもう少し知的になってほしかった」より

 

馬鹿が政治をやるとこんな酷ひこととなります。

おまけに其れを支持した馬鹿が居ておおまさに其れが日本の有権者でした。

 

馬鹿の特徴とは自分のおバカさにはまるで気付けぬと云ふことで、其れ即ち自分だけは特別でエラヒ精神の貴族だとさうカン違ひし思って居るのです。

 

だったらおまへがまさに其の馬鹿ではなひか。

ですから、こんな文明の危機を予測する程に優れたわたくしの感度をそんな馬鹿呼ばはりして居たらまさに罰が当たりますぞ。

 

わたくしは此のわたくしだけは特別製なので世間の馬鹿共とは一緒にしなひで頂きたひ。

だからさう云ふ奴に限り馬鹿なのだ。

 

さうかなあ、違ふと思ひますがね。

成人式でもってしこたま酒飲んで暴れるやうな奴等とはまるで違ふと思ひますがね。

 

でも流石に安倍の恩師が言はれることは違ふ。

 

其の三権分立の破壊は前代未聞の暴挙でせう。

また政治家の無責任体制の確立も最悪の展開でせう。

 

其れに長期政権の病理、實はわたくしが指摘したひのがまさに其の部分なのです。

保守勢力が元々腐り易ひ力である筈なのに其れを戦後はほとんど自民党が政権を担って来ればもはや其れが腐り切って行くこと等は目に見へて居ます。

 

 

ーこれは安倍さんだけではありませんが、2世、3世議員が多くなり、政治家が「家業」になってしまったことも大きな問題です。これでは政治家の資質そのものが落ちて当たり前です。政治家は国民の命を預かる仕事です。そのためには、歴史書を含めて多くの本を読み、人類の歩み、知恵を学ぶ必要があります。人類の歴史や人間の在り方について高い見識がない人は、本来はやってはいけない仕事だと思います。


 そういう意味で、安倍さんにはもう少し謙虚に勉強してほしかった。僕が彼を指導したという自覚はまったくありませんが、僕の授業を聞いていたはずなのだから、もうちょっと知的に自分を鍛えてほしかったと思います。いまさら言っても、もう遅いですが(笑)。ー安倍首相の成蹊大学時代の“恩師”が苦言 「首相としてもう少し知的になってほしかった」より

 

かうして政治家がサラリーマン化するとまさにとんでもなひ政治の劣化が引き起こされても参りませう。

 

だから此の先生、わたくしと全く同じことを述べられて居ますよ。

1.死んでも國民の命を守れ

2.兎に角勉強しろ

 

要するに馬鹿が政治をやるとやがて國もバカとなりやがては滅びます。

 

で、政治家の馬鹿と大衆の馬鹿とが掛け合はされさうかうするうちにドドーンと何かにやられ日本國はさうして沈没して行くのです。

 

ーこれまでの首相としての政治生活を、反省的な目で振り返ってほしいです。自分なりに総括したうえで「こういうことはやってはいけない」という知恵を次の人たちに伝える義務があるのではないでしょうか。トランプ大統領から古い戦闘機を押し付けられても買ってはいけない、消費税を上げないことを争点にして解散総選挙をやってはいけない、私利私欲で花見の会を開いてはいけない、品位に関わるので国会ではヤジを飛ばしてはいけない……そういう当たり前のことです。ー安倍首相の成蹊大学時代の“恩師”が苦言 「首相としてもう少し知的になってほしかった」より

 

残念ながら安倍氏には反省力がまるでありませんでした。

と云ふかそも只の馬鹿ですので総括もクソも無くまた知恵もクソも無く只ひたすらに私利私欲の追求をなし、また派遣社員を増やし企業の業績だけを見せかけ上の分だけ上げ、さらにみんなをまさにコロナに特攻させて居ただけのことでした。

 

安倍政権の時に嬉しく思はれたのは十万をバラ撒ひて貰った時でしたが勿論其れは山口が安倍に迫ったのでようやく實現したことでした。

ー尚わたくしは此の時初めて公明党は偉ひと心よりさう思ひましたー

 

 

ーただ、安倍さんは65歳という年齢の割には、とてもチャイルディシュ(子どもっぽい)だという印象です。国会での品のないヤジをみると、人間的には未熟に感じます。気持ちを抑えられないのでしょう。すぐに「悪夢のような民主党政権」と言うのも、先ほど述べたように他者批判を自己批判に向けられない人の典型です。これも子どもの所作です。

 そうした未熟さがあったから、側近たちに、間違った知恵をつけられて信じてしまった部分もあるのかもしれません。コロナ対応における、アベノマスクや自宅で犬とくつろぐ動画配信などは、どう考えても民意を見誤っています。政権末期は、自分がどう見られているか、国民がそれをどう感じるかという視点が決定的に欠けてしまっていました。ー安倍首相の成蹊大学時代の“恩師”が苦言 「首相としてもう少し知的になってほしかった」より

 

要するに安倍は一匹のガキでした。

其れも内閣総理大臣などと云ふエラさうな肩書の割には子供でありおまけに知能も低かったー知的レヴェルに難があったーのです。

 

だからわたくしが彼は馬鹿だ馬鹿だとあれほど言って居たではありませぬか。

何故みんなは其の眞實から顔を背け彼を支持し続けて居たのか。

 

だから其れがまさにみんなが馬鹿なことの証拠ではありませんか。

 

だからわたくしの言ってることは其の全てがほんたうのことだよ。

だのに何故みんなは其れを疑ったりするのだ。

 

そんな眞實の詩人の心の叫びをちゃんと聞けよ、みんな。

 

ーでも今、報道などで伝わってくる安倍さんの思いは「石破(茂・元幹事長)さんを次期首相にはさせたくない」という執念だけ。やはりまだ権力への志向性が強く、敵をやっつけることが好きな性格が抜けないのだと思います。ー安倍首相の成蹊大学時代の“恩師”が苦言 「首相としてもう少し知的になってほしかった」より

 

🐻石破がもし総理大臣をやるとなるとまさに其処に如何にもマニアックな政権が発足し少なくともマニアの方々にとっては今よりも生き易ひ世の中となることであらう。

でも🐻石破は自民党に居る限りなかなか首相には推されぬことでせう。

残念ながら結局さうなって仕舞ひます。

 

ードイツの思想家・哲学者のカール・シュミットが、政治的な行動の基準となる二項対立を「友」と「敵」に置いたように、それも1つの政治哲学ではあります。しかし、利害配分や言葉による説得などを用いることで敵を中立者に変え、中立者を味方に変えていくのもまた政治です。紛争の解決が政治の目的だと言われますが、紛争を起こさない解決を目指すことも政治の役割です。このあたりは、政治思想史学者の丸山真男の著書に詳しく書いてあります。安倍さんも首相を辞めたら、前よりは時間があるだろうから、ぜひ丸山真男を読んで勉強してもらいたいですね(笑)。ー安倍首相の成蹊大学時代の“恩師”が苦言 「首相としてもう少し知的になってほしかった」より

 

其の弐項対立こそがまさに此の世での闘争の過程です。

政治に限らずどんなものにも其の対立や矛盾が生じて居るのです。

 

其の対立や矛盾が此の世を破壊せしめて行くのだとさう考へて置けばおそらくは間違ひ無ひことでせう。

 

ひとつの立場のみに偏り意思決定すると大抵は破壊を生じさせます。

かのトランプ氏なども良く頑張ったとは思ひますが最後にはドーンとやって仕舞ひました。

 

 

で、實は宗教などの分野でも其れが言へる訳です。

自力救済と他力救済は本質的にはあくまで違ふ人間の救済の仕方です。

 

ですがおそらくは共に関係し合って居る事かと思はれる。

 

自力救済⇔他力救済

 

対立して居るやうに見へて無関係では無ひ。

 

男性⇔女性

 

實はこちらなども密接に関連し合って居る。

 

まあわたくしは所謂オカマが好きでは無ひのですがね。

 

但しズバリ申してわたくしは両性具有的な人間でもある。

 

 

其の二項対立の超克と云ふことは人類の観念にとっての最終的な課題でもある筈だ。

精神的に高度な領域で希求されるバランス感覚其のものなのだらう。

 

生⇔死

愛ー次元の低ひー⇔憎悪

 

金持ち⇔貧乏人

利口⇔馬鹿

左翼⇔右翼

 

と云ふやうに実際何でも二元分離されるのでどちらか一方へと傾ひて仕舞ひ易ひ訳だ。

 

ですがどうも其れは観念的に規定される部分に振り回されて居ることのやうです。

 

相対的価値にさうして惑はされて居る訳だ。

 

健康⇔病気

 

其の分別ー相対認識ー其のものを去れば最終的には病気も何も無く死も何も無ひ訳なので心は平安に至りませうが其れはもはや人間としての認識には非ず。

 

悟り⇔人間

 

でもある訳なのでおそらくほんたうはどちらか一方の立場に拘ってはイケナヒことでせう。

 

 

尚わたくしは今何でもさうして価値を両義的に全選択して行きます。

 

生は死と無関係では無くまた保守思想は革新思想と無関係では無ひ。

 

半分は健康だが半分は病気なのでむしろ丁度良ひ位である。

 

かうして部分的には悟りつつ猶も人間なのでまるで煩悩即菩提である。

 

 

釈迦はかって其の両義的な価値を共に否定し中道の眞理を得ましたがまさに其れが人間技では無ひが故に長年に亘りわたくしは悶へ苦しんで来たのです。

 

其処で結局むしろ両義的な価値を見詰めて行くこととしてみました。

 

其れはどちらかと言へばキリスト教的なものの見方でありー神⇔👿ーまた大乗佛教的な他力救済による見方なのかもしれません。

 

両義的な価値を見詰めて行くことは何より下品であることでせうし一歩間違へば気が狂ひ易ひやり方なのやもしれませぬ。

 

でもかの中國にはかって陰陽説としてそんな両義のバランスを取る哲學があった筈です。

 

 

でも安倍氏には其処までの思考力が無かったのでまさにやりたひ放題におバカな政治をやりああして消へて行く他無くなったのです。

いや安倍は勉強さへまるでして居りません。

 

其処はまだしも🐵の方がマシなのやもしれぬ。

 

 

さても安倍君、君は今何を考へて居るのだ?

 

かうして日本をほとんど壊してから🐵に渡し其れでは🐵が余りにも可哀想だらう。

 

安倍君、こんなに物事の良く分かった立派な先生にかって教はったと云ふのに何故君の頭の中には理性の力が宿らなかったのだ?

 

わたくしには安倍君、君のことだけがまるで理解不可能だ。

 

他は何でも分かりかけて来て居るにも関はらず君のことだけがまるで分からなひ。

 

 

安倍元総理⇔🐵総理

 

では無く、

 

安倍元総理≧🐵総理

 

なんだらうな、やっぱりな。

 

 

要するに🐵総理の方がランクは下だ。

 

困った、其れもほんたうに困った。

 

其の理性無き其の自民党の政治の流れが今まさに我我の生活を脅かしかうして國を疲弊させて行くのだ。

 

政治は社会のあり方をかうして左右する根本的な選択の場だ。

 

だからエエ加減では勿論イケナヒものだ。

 

我我個は政治により殺されるやうなことがあってはならぬのだ。

逆に政治家は國家と共に沈没する覚悟ー船長の覚悟ーにて意思決定を為して行かねばなるまひ。

 

 

ところで🐵よ。

 

ちゃんと國の舵取りはやれるか?

 

もしもやれたら良ひがやれぬのではなひか?

アノ安倍と同じで結果次第で何処かへ逃げやうとしては居なひか?

 

いずれにせよ弐箇月後には結果が出て居やう。

其の時にもしも感染大爆発などして居たら全部がおまへの責任だぞ。

其れに政治家はちゃんと勉強するのが当たり前、先生の仰るやうに知的に政策を實行して行くのがむしろ当たり前のことなのだよ。

今はむしろ現實主義を捨て思考を磨ひた方が良ひことだらう

さて我我は今何処に居て何処へと歩んで行かうとして居るのだらうか。

尤も確實なこととは其の劣化だけなのだ。

我我に為すことが可能なものとは事實としての其の劣化だけなのだ。

 


其の劣化は諸行が非常である此の世に神の価値としての人工の楽園を築かうとした西欧型文明の方向性の誤りにて引き起こされて居やう。

だからと言ってたとへば右翼の人々のやうに全部日本型が良ひなどとも無論のこと言へぬところが此の世の難しひところなのだ。

 


其の文明としての人間の行為は本質的には西洋型でも東洋型でも同じである。

もしも信長公が世界征服を為して居たにせよおそらくは其処で現在に近ひ合理的文明を組み上げて居た筈なのであらうし秀吉公が世界を征服して居たならば或はもっと現金な文明を其処に組み上げて居たのやもしれぬ。

 


家康公は完璧な限定的統治の型を構築しまさに其れが幕藩体制となった。

だが江戸は維新により合理化され西欧型の文明のあり方に変へられて仕舞ふ。

但し其れ自体が誤りなのでは無く明治以降も其の封建制を引き摺りつつやって来て居た日本の政治のあり方にこそ大矛盾が潜んで居たのだ。

 


つまりは日本と云ふ國は政治的に沈没して行く可能性が高ひことだらう。

だから為政者たちよ、此の際耳をかっぽじって良ーく聞ひておけ!

嗚呼まさにおまへらのせひで日本が沈没するのだー。

 

 

 

元より神の世界は此の世に實現し得るやうなものでは無ひ。

まさに其れがわたくしによるキリスト教の理解である。

此の世はさうして滅んで行くものであらう。

 


一方で釈迦の佛法は世界を悪者とはせず自身の心としての迷ひー愚かさーが此の悪ひ世に縛り付けて居るとさう解釈する。

釈迦の佛法はある意味では徹底的に合理的であり尚且つまるで心理學の如くに内面を対象として展開されたものだ。

 


なので釈迦の佛法こそが唯一の自力救済の心理學なのだ。

其処に神や超越者をあへて設定せぬある意味では非宗教的ですらもある此の教へこそが人間が自分でもって自分を救ふ唯一の方策なのだ。

 


其の佛とは、釈迦の佛法ではまさに法のこととあひなる。

其れはあくまでシッダルタ佛のことでは無く法のことなのだ。

 


だが釈迦の佛法は人間にはまるで理解されず且つ実践することさへもがほとんど不可能だった。

だからこそ大乗佛法が生まれ人間にも出来る佛法が実践されるに及んだのだ。

 

 

 

対してキリスト教は神への全価値の丸投げである。

さうして人間の価値を神へと丸投げすることで初めて其処に救済が可能となる訳だ。

つまりは此の方法こそが他力救済としての元祖なのだ。

 


いや其れ以前でのユダヤ教にせよ其の他力救済なのだが兎に角其れは新しひタヒプでの人間の救ひ方が説かれたものである。

では日本の神道ギリシャ神話の神々やエジプト文明に於ける神々などとは一体何者なのですか?

 


まあ土地の神でせう。

自然の神であり文明の神であり人間を懲らしめる神々のことでせう。

同時に地母神であり豊穣の神であり死を司る神々なのでもまたあらう。

 


重要なことはさうした神は理性的な存在では無ひが故に現世利益を何処までも追ひ求めて行くと云ふことだ。

なので其処ではそも人間を救おふなどとはされて居なひのである。

 


人間、其れも個を救ふ教へは現世利益に対し重きを置かぬものなのだ。

対して現世利益=現世的還元の世界即ち目の前のことに対する拘りを持つ宗教は邪教である可能性が高ひ。

 

 

 

ところで幕藩体制は現世利益型の構築主義ではなかったか?

いやさうだが限定されているだらう、だからこそ長く続ひたのだ、然し信長公も秀吉公も長くは其れを築けなかった。

 


だが家康公が其れを築ひたのだ。

家康公は他國への侵略などはまるで考へず限定的で且つ盤石な統治システムをさうして築き上げた。

 


其れは人文理性の権化としての家康公が築き上げたものでまさに世界的にも類を見なひものだ。

 


即ち現世利益型の構築主義である場合には限定的な統治システムこそが其処で功を奏するものと見ておくべきだらう。

 


今の東京の人々が陥った誤りとは其の限定的な統治システムを忘れグローバルに文明をやり過ぎたことにまるで気付ひて居なひ点にこそあらう。

 

 

 

現世利益型の構築主義だと人間はまるで救はれぬとさう仰りたひので?

 


さうだ、まさに其のことをこそ今此処に訴へたひ。

だから人間はバカでも良ひ。

 


馬鹿でも良ひが、其の場合には神佛ー他力救済のーを信じて居なければならなひ。

其れも利口の場合は釈迦の佛法だの他の教祖様の教へだのと色々と信じて居ても良ひかとは思ふのだけれど少なくとも無神論に陥ることの無ひやうにして置きたひところだ。

 


何故無神論はイケナヒのだ?

まさに其れが精神の合理化の最たるものであるからなのだ。

 


唯物論は最終的には不信へと陥り人間の精神のバランスを破壊せしめて行くことだらう。

 

 

 

社会=國家権力⇔個

 


かうして社会とは國家権力と個の対立関係より生ずるものだが大事なことは國家権力>個ではあり得ないと云ふことなのだ。

 


其処では常にむしろ國家権力≧個位の関係であると見ておくべきだ。

要するに王族や皇族の世話、また経済活動を支へて居るものとは畢竟庶民による労働なのだ。

 


おおまさに其れをピンハネして彼等は生きて御座る。

また國會議員や公務員、さらにNHKなども皆其のピンハネ業なのだ。

 


問題はさうしていつもピンハネして居ると往々にして危機感が薄れ次第に自分だけが偉くなりまさに自分を貴族か何かだと勘違ひして仕舞ふ部分にこそあらう。

逆に國家権力≦個となって仕舞って居るのが藝術家の面々であり其処では其の不等式が成り立ち易ひ心理状態といつもなっておる。

 

 

 

ピンハネ業の奴等は皆断頭台へと送るべきなのでせうか?

いやピンハネ業が無ひと國が回って行く筈が無ひ。

 


なのだがピンハネ業の奴等は現世利益型の構築主義を奉じて居る訳なので「変はりたく無ひ」気分が強くあり要するに危機感が薄く臨機応変に対応出来ぬと云った組織的な性格を持つ。

無論のこと警察や自衛隊などの治安維持、國防等の組織もまたまるで「変はりたく無ひ」訳だ。

 


ではとさうした変はらぬ組織を革命したー又は構造改革したーにせよ今度は一党独裁下で現世利益型の構築主義をやるだけのことなので實は社会構造的にさほど変はりは無ひのであった。

 


では社會は、此の人類の文明は絶望的状況にあるとさう仰りたひのですね?

 


ではみんなはあくまで奴隷を、此の現代社會に飼育される🐖であり🐂で居ろとさう仰るのですね?

 

 

 

まあ其れも社會としてのバランスの上では仕方の無ひことだらう。

 

 

 

さうしてみんなが現代社會に飼育される🐖であり🐂でもっておまけにコロナ特攻をやりみんな死ねとさう自民党がさう言って居るのですか?

まさに其の通りだ、其の自民党の本音とはな、百姓を生かさず殺さずでもって兎に角働かせると云ふ江戸幕府でのやり方のことなのだ。

 


ですが今論じなければならぬこととは矢張りと云ふべきか文明全体の流れから求められるところでの日本の國としての価値構築のあり方なのではなからうか。

 


1.現世利益主義からの離脱

2.科学信仰からの脱出

3.自民党による一党支配からの脱却

 


先に政府がやらねばならぬことはすでに申しました。

國家がエッセンシャルワークを守る為にはまさに其の部分へのベーシックインカムを限定的に行って行くより他ありません。ー勿論金持ちには其れは要りませんー

 


國家がみせかけの価値ー経済的な目標の達成ーにかまけている間に日本國でのエッセンシャルワークの破壊は進んで行きます。

また地方の経済も次第に疲弊し回らなくなっても参りませう。

 


自民党による一党支配での戦後体制が其の現世利益性に毒されて仕舞って居るが故にもはや其の本質的破壊が彼等には見へなくなって仕舞って居る。

で、金持ち優遇政策により派遣社員や低賃金労働者を増加させたことから将来に期待を持てずましてや國への誇りなど持てず其ればかりか自分に自信の持てぬ日本人ばかりにして仕舞ったのも全ては自民党の責任です。

 


かうして自民党による一党支配はむしろ國家権力の行使の上での大矛盾を引き起こして居る。

 


自民党ー國を強くしたひ⇔現実ー國が弱くなってる

 


即ち此の現世利益主義に頭の中をやられたー二階氏をも含むー自民党としての意思決定が馬鹿であるからこそ國が衰弱して仕舞ふのです。

何しろ馬鹿が生き残れぬことは今回トランプ氏が証明したばかりのことではなひですか。

 

 

 

さうして科学、おおまさにコレこそが曲者だ!

第一横浜にそんなデカひガンダムを造り其れを動かすことがほんたうに科学なのだらうか?

 


むしろ釈迦の説法の方が余程に科学的なのではなひかひな。

 


此のバカバカしひまでにアニメ化した科学、即ち鉄腕ロボットや美人アンドロヒド受付嬢を造るのでは無くエッセンシャルワークを手伝ふロボットを造り嗚呼さうだ、地方でのハードな農作業なども是非全自動機械化などしてみては如何だらうか。

 


其れと何せ科学者の頭の中身はオカシヒことが多ひので其処には是非気を付けませう。ー彼等はマッド・サイエンティスト化し易ひものと心得よー

 


科学はね、實際そんな阿呆の世界のものとなり下がって居ます。

そんな阿呆を今すぐに止め地球温暖化対策の為の科学技術だけに集中させるべきでせう。

 

 

 

自民党による一党支配、まさに其れが戦後の日本の民主主義に於ける矛盾であり失敗で無くて何なのでせうか?

戦後我我有権者は只ひたすらに安定した経済大國を創り上げやうとして来た。

 


まさに其れがみんなによる現世利益主義の追求でもあった訳だ。

でもみんなはいつしかさうした愚民の群れと化しこんな衆愚としての政治の流れを生み出して行った。

 


赤信号、みんなで渡れば怖くなひ。

ちなみにアノタケシ氏が駆け出しの頃はストリップ劇場の三畳の部屋で本ばかりを読んで居たのださうです。

さう古本屋から本をしこたま買って来ては其ればかりを読み自ら考へる力をつけて行ったとのことです。

 


対して戦後の日本のみんなは自民党と会社とに飼育されいつしか🐖かまたは🐂のやうにさへなって仕舞ったのだった!

怖ひ。

何が怖ひと言ってそんな洗脳程怖ひものは無ひではありませぬか。

 


みんな、みんなは結局自民党と会社とにかうしてやられたのだよ。

怖ひ。

何が怖ひと言ってそんな洗脳程怖ひものは無ひではありませぬか。

 

 

 

…今回はちと批判が過ぎるやうですが。

いやさうでは無ひ。

 


中國共産党はまさに其の一党独裁の強権でもってコロナ感染を収束へと導きつつある。

また台湾でもニュージーランドでもコロナ感染を極力抑へ込んでも居やう。

 


が、日本だけはコロナには強ひ體である筈の此の日本人だけが今バタバタと倒れコロナの餌食となりかうして毎日死んで行くのだ。

まさに其れは誰あらう、其の自民党の政策こそが其れを實現して居るのだ。

 


ズバリ申せば自民党と大衆のおバカさが掛け合はされ要するに掛け算=×算された上でかやうな地獄絵図の様を此の世に出現させて居るのだ!

自民党のおバカさ×日本の大衆のおバカさ=日本沈没、だよ。

 

 

 

すると強権でもって感染の封じ込めをやれとさう仰るので?

さうだ断固とした社会活動の停止こそが今必要なのだ。

 


経済活動の全部を停止させ医療の分野に援軍を送れば日本でのコロナ感染爆発は収束へと導くことが可能とならう。

だが適当にやって居ると或は英國米國並に酷ひ状況に陥る可能性もまた高まって来やう。

 


日本の組織の上での意思決定は何故此処までも曖昧なものなのですか?

そりゃ和の國だからだよ。

 


日本人はみんなでもって輪をつくり其処でもってみんなが一緒に御遊戯しつつ赤信号をみんなで渡って行くのでそもまるで其れが怖くは無ひのだ。

怖ひ。

さうだよ、ほんたうはそんなに怖ひことだったのだ。

 


つまるところ日本人は🐖や🐂などの家畜並に馬鹿だとさう仰りたひので?

 


でも其れを言っちゃあお仕舞ひだよ。

 


でも言ったな、上では確かにさう言ってたぞ。

 


いやね、ボクはね、其のみんなでもってやる御遊戯が幼稚園児の頃から大嫌ひだったのさ。

 


だからね、還暦になったら是非言っちゃおふとさう思って居たんだよ。

 

 

 

此処でもって現代の世界の政治状況に就ひて是非助言をお願ひしたひ。

 


さうですね、現代社會はその國と云ふ単位で統治が厳しひやうなスケールを築き上げて仕舞って居るがまずは其れが問題でせう。

だから其処で下手をすればー壱手間違へばー國が沈没します。

自民党はまさに今其の瀬戸際に立たされて居ませう。

 


ですが國民にはまさか其処までの危機感は無ひ。

まさに其処が最大の問題でせう。

 


実際海外などへ行くと皆が普通に政治的課題につき述べて居たりもするものです。

でも此処日本では政治的発言と宗教の話、また🚺批判などもタブーとなって居る。

 


だがわたくしは其の全てに対し真正面から向き合ひ色々と述べて来て居る。

つまりは日本のみんなが避けて通るところにこそ靑信号が点って居て逆にみんなでもって渡るー現世利益主義としてのー横断歩道にこそ赤信号が点って居たのです。

 

 

 

確かにかうして現代社會其れ自体が酷ひ格差を孕む社会です。

でも其の中でも日本は幸ひにも経済的に恵まれた先進國であり要するに大量にワクチンを買ひ込むことなども可能な國だ。

 


でも其処を威張って居るー其処に胡坐をかひて居るーとおそらくは破滅します。

其の意味での威張りこそが國を滅ぼすのだ。

 


で、今は日本の政治と大衆のあり方の双方に危機管理能力が欠けて居ります。

其のことは海外での危機管理能力に比し明らかに劣っても居りませう。

 


また日本人は政治ーイデオロギーーの上での御勉強などに就ひても苦手で、また宗教のことに関しては其れ以上に苦手です。

まさに此のことは戦後民主主義により齎された日本人の精神の上での弱点であり弊害でもまたあることだらう。

 


一言で申せばまさに其れが現實主義、即ち現世利益性に毒された功利性ー会社による資本主義の価値観ーと子宮思考ー平和ボケしたところでの現世利益優先での価値観ーの賜物でせう。

是非其んな現實主義をブチ破り半分死んで考へる位での方が良ひやうにも思ふ。

 


つまりは文學や宗教に於ける考へ方の基礎、基本の部分を読書することでまずは學んでいくべきだらう。