目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

東山にて幸先よく「東山の泪」を拾ふー本年度の鉱物採集Ⅰー

今の此の文明崩壊の様は、何も今に始まったことでは無くずっと以前から危惧されて居たことでした。

特別な感度を持つ人々にはおそらくはさう予見されて居ただらう筈のことです。

 

幸か不幸かわたくしも其の一人としてずっと文明の抱へる問題とかうして向き合って参りました。

 

尚、其れをやりますと何せ極度に疲れます。

もう疲労し切って仕舞ひもうすぐにも死にさうになるのです。

 

ですが、わたくしの場合はコロナ苦とは関係無く元々いつもさうして死にさうになってるのです。

そんな素晴らしひ悲観性に常に頭がやられて居り故に半分死につつ生きて居ざるを得なひ。

 

全くに素晴らしひ其の文學的センスのことよ。

 

どだひ其の死から出発する生の何と輝かしひことか。

 

 

で、わたくしはいつもかうして難しひことを述べつつ他面では實はバカなのだ。

まずは其のバカは考へて居ることが人とは違ひます。

 

第一理性がある筈の読者の皆様はわたくしが毎日哲學し文明の行く末ばかりを案じて居るとさう思はれて居ることでせう。

 

でも実態は其れとは違ってます。

 

わたくしは下品な人間なので食ひ物のことだとか欲しひペンのことだとか何処かにわたくしのパトロンとなるやうな👩は居なひか、其れも美人の未亡人などで億の金を恵んで呉れる👩は居なひものかなどと半分位は本気でさう思っても居ます。

 

つまり文明に対する批判のことなどはわたくしにとりほんの一部分のことでしかあり得ません。

 

 

で、皆様に今日述べたひこととは今年の採集の一発目に凄ひ石を拾って仕舞ったと云ふタダ其れだけのことなのです。

 

何、そんな話にはまるで興味が無ひ?

其れもこんなコロナ感染拡大の瀬戸際の折に一体何の話をして居るのだ!

 

まあ確かに誰もがさう仰りますがわたくしは基本現代文明がどうならうと知ったことじゃなひ。

 

わたくしはわたくしとしてみんなに危機をもう長く伝へて来ても居るのでやらねばならなかった仕事のほとんど全てを為し終へて仕舞って居る。

 

其れ以上此のわたくしに何が出来ると云ふのでせうか。

 

わたくしはやらねばならぬことを一応はやり切りました。

 

其れ以上を今の此のわたくしに求めたりなどしてはならぬ。

 

 

いや、勿論作家として何かを書ひて下さひと何処かの出版社の方かまた新聞社の方か、さうしたメディアの方からの専属契約などにはすぐにでも応じさせて頂く所存です。

 

其の時には此れ迄の倍程ものの力を出して書く用意すらもがあります。

またどんなものでも書けます。

 

其れもエログロな話ですらイケることでせう。

 

 

尚一昨日はお天気も良ひやうでしたので東山へと向かひました。

 

東山には東山植物園があります。

 

此処は名古屋市東部の丘陵地帯に造られた自然パークとしての大規模な施設です。

 

よって自然が大好きなわたくしにとっての樂園のやうなところでもまたある訳だ。

 

 

わたくしは弐、参箇月に一度位の割合で此処を訪れ日がな壱日散策したりして来ます。

園内には展示施設や日本庭園、またお花畑などがあり實は其ればかりでは無く丘陵地のあちこちに様々な木や草花が植へられて居て低山歩きをしながら其れ等と触れ合ふことが出来る。

また南米の植生ージャングルや砂漠の様ーを再現した温室などもありちょっとした探検気分なども味はえるところです。

 

ですがそんな展示施設や日本庭園、またお花畑などは結局飽きると言へば飽きます。

 

其れでもって見飽きぬのはむしろ低山の方です。

 

で、もっと人間嫌ひになると園には入らぬ訳です。

園の周りの低山に東海自然歩道と云ふ自然遊歩道が整備されて居るのです。名古屋の東山公園一万歩コースをウォーキング

 

ですが、實はこんな生易しひものでは無く我我はもっと山道のやうなところまで入って行きます。

 

なのですが、實は石はむしろ遊歩道の道の方にこそ落ちて居るのです。

まさに其処が不思議なところなのだ。

 

其れは何故か?

何故なら遊歩道の道は広く、山道は狭ひ。

 

さてでは石が出るのはどちらでせう?

勿論遊歩道の方ですね。

 

勿論山道にも石があるのでせうが、落ち葉やら木の枝などが地面に落ちた侭ではまるで石が見へぬ訳です。

 

 

ところが、遊歩道の方は名古屋のみんなが歩きジョギングしたりもして居る訳だ。

 

なので光ってるやうな良ひ石英がもし出たにせよ拾はれて仕舞ふ確率もまた高くなるのだ。

 

でも大抵はそんなものを拾っていく奴などまず居ません。

 

第一💎級の石英がそんな道に落ちて居ることなど誰も知りません。

 

其れも我我のやうな一部の石マニアを除ひては。

 

いや石マニアでもまたさらに一部の人々のみが道から💎を拾ふと云ふ其の究極の石拾ひの域に達して居ることでせう。

 

 

あれ、こんなところに良ひ石が。

 

わたくしの眼はすでに石拾ひの達人の眼に特化して居り誰にも見へぬやうな石をピッと見つけ即座に其れを拾ふのである。

 

結局いつもして居るアウトドアでの趣味が其れだけなので次第に職人化か又は達人化して来て居りどう見ても何も出て来さうに無ひところからさうして石をピッと見つけて仕舞ふ。

 

 

結局本日の成果は参個の石英

 

其のグレードは、

AAAが壱個。

Aが壱個。

もうひとつがおまけ。

 

 

つまりは其のAAAランクの石英が採れたこと、其れも今年初の採集にて採れたことがまさにサヒコーの成果でもあったことなのだ。

 

其れも皆様は此の非常時に一体何やってんだ、此のバカと今さう思はれて居るのやもしれぬがわたくしだけはむしろ大眞面目なのだ。

 

其のAAAランクの石英はな、ズバリ申して拾年に壱個しか採れぬ程のクオリティのものだぞよ。

 

其れが今採れたと云ふことはもはや文明は終はったな。

 

直に文明は終はるがAAAの石が壱個だけ採れたと云ふことなのではなひかひな。

 

 

嗚呼恐ろしひことにとんでもなひ石がかうして採れたぞ!

 

此処での真ん中の辺りの色合ひに近ひものだ。ティアドロップ ピアス ペアシェイプ 18金 k18ホワイトゴールド カラーストーン

 

エッ、まさか?

 

と思ふことだらうがほんたうのことだ。

 

AAAランクの石英はな、ズバリ申して💎に限りなく近ひもので至極美しひものなのだ。

 

但し表面は少し荒れて居て擦りガラスのやうになって居る。

即ち色合ひとティアドロップシェイプが似て居るが實際には葡萄の粒のやうな色合ひと透明度の石である。

 

 

其れが東山公園一万歩コースから採れたので?

 

いや實はさうでは無ひ。

東山公園へと至る道の歩道にて拾った。

 

何でそんなものが見へるの?

其れも1.5センチしかなひ石英が見へるの?

しかも自転車に乗りながら。

 

いやたまたま自転車を押しながら歩ひて居たのだ。

すると街路樹の根元のところに良ささうな石ーおまけーが落ちて居たのだ。

 

其のすぐ横にあったのがAAAランクのティアドロップシェイプの小さな石英だった。

 

でもAランクの石英の方はみんなが歩く東山公園一万歩コースにまさに落ちて居たのだった。

 

 

さうか、まさに凄ひ採集の記録ですね。

 

さうです、まさに人間離れした採集の記録ですよ。

 

此の話は元よりほんたうの話だ。

 

だからわたくしは今其の小さな石英を左手に握りつつ今まさにコレを書ひて居るのだ。

 

 

ちなみに東山周辺の丘陵地帯から天白区の相生山へかけては此の石英が多く産出するところである。

 

石英には色があり、透明度のあるグレードの高ひものには無色半透明のものと黄色ひ半透明のものやピンク又は赤系の半透明のものがある。

 

今回わたくしは初めて完全に近ひ赤系の半透明の石を拾った訳だ。

 

昨年より相生山にてピンクや又は赤系の石英を多く拾って来て居たのでおそらくは其の流れにて拾へたものと思はれる。

 

石英はタダの石とは違ふ。

 

即ち明確に結晶化した石英がかの水晶なのだ。

 

水晶でも紫水晶は立派な💎ーアメジストーとなるのだ。ー見方により今回の石は其の葡萄の粒のやうにも見へるー

 

 

メノウでは無く?

さうメノウでは無ひのだが稀にはメノウもまたあることかと思はれる。

 

わたくしはかって奥三河や岐阜にて熱心に鉱物採集に勤しんで居たが最近の趣味は自転車で行ける近場の低山にてAAAランクの石英を探し拾って来ることとなった。

 

さうさうしてAAAランクの石英を探し拾って来ることと東山植物園、また稀には東山動物園へと出向き動植物とお話をして来ることこそが何よりの心の癒しである。

 

ー最近気に食はぬのが山の中に人が増へたことだ。文明がコロナにやられて山の中に文明人がドンドン進出して来て居る。ハッキリ申せば良ひ迷惑なのだ。おまへらはもう街の中にでも閉じ込められて居ろ!もう山になどは来るな!山はな、オヒラのやうに純粋な心の人間の為の遊びの場であるべきだ。うはあ、人間共よもう此処へは来るな。ええひ、汚れる、来るな寄るな石を拾ふな。東山の石はな、結局わたくしだけのものなんだよ。ー

 

ところで毎日採集したひの?

さう毎日採集したひ。

 

でも石は難しひのだよ。

何故ならありさうなところには無く無さそうなところにこそ有るからなのだ。

 

さても石はまさに👩心と同じやうなものなのですかね?

さう言へば何で👩共はああも石が好き♡なんでせうかね。

 

結局馬鹿共は石に何処までも惹かれて行くのでせうかね。

 

 

貴方が愛の証として石を贈る場合には一体何を彼女に贈る御積もりなのですか?

エメラルドですか、其れともルビー?又は大粒のサファイアですか?

 

いーや違ひます。

わたくしが贈る指輪とは此のAAAランクのティアドロップシェイプの小さな石英です。

 

其れに輪を付けるだけですよ、銀かプラチナの輪だけをね。

まさに其れが「東山の泪」と云ふ貴重な💎なのですよ。

 

嗚呼さう言へば歌舞伎役者のかの市川 海老蔵が自らベトナムで採掘したルビー(原石を加工したペンダント)を当時新婦であった小林 麻央にプレゼントしたと云ふ話がかってありわたくしは其の採掘の様子をたまたまTVにて視て居た覚えがあります。

でも宝石ならむしろ自分が欲しひ位ですね。

 

誰か💎をわたくしに下さひ。

 

では其の石英を指輪にして自分の指にでも嵌めてみてはどうか?

 

まさに名案です。是非そのうちにやってみませう。

知り合ひの宝石屋のTを呼び輪を付けさせるだけのことです。

尤も輪の方がずっと高くつきますがね。

 

「東山の泪」は所詮タダで拾って来た石なのでもし売れたにせよ百円にもならぬことでせう。

 

ですがまさに此れはわたくしにとって地元産の素晴らしひ石であり且つ美しひ石です。

 

かうして金銭的価値を離れても高められる価値と云ふものの方が實存的な価値なのです。

 

要するに我我個にとってのお宝こそが實存的に選択されたところでの唯一の価値なのです。

 

「東山の泪」は其の意味でのわたくしにとっての宝物です。

 

此のやうに社会的評価、社会的に定められた価値ヒエラルキーを離れたところでの實存的価値こそがほんたうの意味での宝物となり得るものだ。