目覚めよ!

文明批判と心の探求と

価値観の分人化ー平野 啓一郎氏の思想 Ⅰー

日本医師会中川会長の会見に「上から目線」と医師、教授が憤慨

何せわたくしは藤井教授のファンでもありますので此の御意見には是非同調させて頂きたひ。

兎に角まずは医師会がちゃんとやって下され。

何故なら其の為の医師会なんでしょ?

 

医師会が特権意識の巣窟では其れこそ意味が無ひ訳なのだから。

 

 

ー大学3年生となった平野青年も例外ではなく、焦りは深まった。そんなときに、「人生の方向が変わる」経験となる講義と出合う。それが、小野紀明氏(現・京都大学名誉教授)の「西洋政治思想史」だった。

「大学3年になると、専門科目を履修しないといけません。でも、何となく選んだ法学部なので法律には全然興味を持てず、目についたのが小野紀明先生の『西洋政治思想史』でした。文学は好きだったので思想史に魅力を感じましたし、当時大ブームだった現代思想ももう少し理解できるのでは、と期待しました」ー芥川賞作家・平野啓一郎の人生を変えた恩師 「どう生きる」切実な悩みに響いた授業とはより

 

わたくしも其の法科の出身者ですが法律のことが一番疎ひと申しますか兎に角興味が無ひ訳です。

但し現代思想には大きく興味があり要するに社会科の方、歴史や哲學の分野が其処には含まれて居る訳だ。

 

 

ー「粗雑に、断定的かつ一面的に何かを見てはいけないということを小野先生に学びました。1人の思想家でも時期によって思想の変遷があり、それが矛盾している場合もある。1人の生き方の中でも多様な可能性と変遷があります。複雑な物事は、たとえ矛盾していたとしても、複雑なまま見るべきだ、と教えられたのはとても貴重でした」ー芥川賞作家・平野啓一郎の人生を変えた恩師 「どう生きる」切実な悩みに響いた授業とはより

 

其の世の矛盾をどう理性として判断して行くかと云ふことこそが眞の意味での御勉強となる訳です。

人間は元々そんな矛盾的で割り切れぬ存在です。

 

理数系の學問の理論でのやうに割り切れぬ存在だからこそ思想や文學の出番がまた其処に出て来やう。

だから相対論や量子論にて人間などが分からう筈もなひことだ。

 

さうして現實はまさに複雑怪奇なものですので、元々其れは合理化などしやうの無ひものなのです。

此処からも自然科学による世界認識はまさに片手落ちです。

 

所謂数的還元としての認識へと偏り過ぎても居りませう。

其のやうに捉へると人間も所詮は原子の集まりでありDNAが書ひて居る物理現象と云ふことにならうがまさに其れでは人間が抱へる實存としての生の価値をスッポリ見落として仕舞ふ訳だ。

 

社會と云ふ全体論的な實存に就ひてもまた然りで、社會と云ふ価値は個の集積としての価値に等価なものではあり得ず、であるからこそ人間の営みには歴史や思想としての大きな流れが生じて居る筈だ。

 

其の生がまさに矛盾であり複雑であり一筋縄ではいかぬものであることは文學が何より指し示して居ることでせう。

ー文學作品だけでは無くかっての文士の生き様などがまさに其れを指し示して居ることだらうー

 

 

ー「初等教育は、多様な人間が集まってコミュニティーを形成するために、共通の言語や計算方法を身に付けさせるわけですが、それが『同一性』の確認手段にすり替わってしまって、その感覚が中学、高校とずっと続いている気がします。例えば、ツーブロックの髪型を禁止する都立高校の校則が話題となりましたが、髪型を規制することの教育的な意味はどこにあるのでしょうか」

そうした同一性の強化と多様性への理解度の低さは、最近問題となっているインターネット上の誹謗中傷や、対話をすることではなく「言い負かすこと」に重きを置く風潮にもつながっているのではないか、と平野氏は指摘する。

裏を返せば、「どう生きるか」を安心して考えられる、多様性が保証された環境を整えることが、一人ひとりの主体性や能力を伸ばすことにつながるともいえる。ー芥川賞作家・平野啓一郎の人生を変えた恩師 「どう生きる」切実な悩みに響いた授業とはより

 

初等教育とはまさに人間を社會と云ふ枠に嵌める為の洗脳のことでせう。

ですが洗脳が過ぎると人間は其処に個性を奪はれます。

また自ら考へる力なども奪はれがちです。

 

なので高等教育を受け大學や大學院にて自ら學ぶことこそが實は最も大事なこととなります。

でも他方では知を磨き続けることは一種苦しひことでもありまた其れをやり過ぎますとつひ悲観主義に捉へられ絶望したりも致しませう。

 

かって旧制高校生の間ではたとへば「煩悶」と云ふ言葉が流行った訳でまさに其れが理性が陥る悩み苦しみの世界を表す言葉だったのでせう。

 

どうやら今では其の「煩悶」は時代錯誤のものとなりましたが其処に「煩悶」する性質の人が減った訳では無く只時代がストレートに精神の苦悩を表現する場を隠蔽して行っただけのことでせう。

 

 

地元愛知で生まれた芥川賞作家である平野 啓一郎氏もまたかうして社會のあり方をも含めた人生を思ひ悩む性質の持ち主であったやうだ。

 

二、三日前に赤旗の日曜版を読んでみたところ其の平野  啓一郎氏による現政権批判が載って居て、嗚呼、流石は法科出身の作家さんだな、作家でも法学部を出た奴は結局社會のことが一番気になって仕舞ふのだな。

と改めてさう気付かされた次第である。

 

で、かの三島先生なども生まれつひての作家なのだが兎に角社會のことが一番気になりかってああして自衛隊へと特攻されて仕舞ったのだった。

 

尚其の赤旗での平野氏の批判からはまさに御尤もなことが其処に羅列されて居るかのやうな印象を受けた。

 

 

小説家・平野啓一郎が今こそ伝えたい「分人主義」という考え方

 

かうして此処で21世紀を迎へた現代と云ふ時代を的確に分析され自己形成に関する鋭ひ視点を提言されて居ることかと思ふ。

 

問題は近代化の過程が進み此処日本に於ける価値観がかっての価値観と乖離して仕舞って居ることにこそあらう。

ところが依然として日本社會の価値観は封建的なものを引き摺って居るかのやうに見へる。

 

其の日本の封建社會が提示する固定的な価値観を分散化、分人化し価値観を多様化させるあり方こそが合理的な価値形成を可能とすることだらう。

 

其のかってのアイデンティティとして機能して居た職業だの労働だのと云った価値がすでに合理化により恒常的に成り立たなくなって仕舞って居る。

また仰るやうにあらゆる社會的営為が不安定化し固定的な価値に寄り添ふことが困難な時代を迎へて仕舞って居る。

 

要するに社會は此処弐拾年、参拾年余りの間に根本的に変はって仕舞ったのだ。

 

また我我個が与へられるストレスとは仰るやうに社會関係ー人間関係ーによるものがほとんどである。

特に集団生活を重視する日本の社會では社會が個に与へて居る評価ーアイデンティティーがほとんど全てなのだ。

 

が、實はもはや其の硬直化した固定的な価値観が世の實情とまるで合っては居らぬのだ。

 

合っては居なひから変へねばならぬのだが、何を思ってかかの自民党が訳の分からぬ日本の社會の破壊に勤しみ其れでもって最終的には女子校生がホヒホヒと知らぬ👨の家へ行くと云ふふしだらな世の中にして仕舞ひ、其ればかりか父ちゃんを米國流の合理的成果主義の中に放り込んで仕舞ひ、おまけにバカ妻が其のバカ👩が不倫に勤しむと云ふおおまさに最低の家庭破壊を齎しさらに子供を皆スマフォ浸けにし其の精神を破壊するに及んで行ったのだった。

 

だから自民党がやったのは自民党の破壊では無くまさに日本國の破壊であった。

 

なのに自民党は尚且つ古き良き美しき日本に拘るかのやうな感情にさへ流れておる。

 

なので其れは明らかに頭がオカシヒ政策であり嗚呼まさに分裂政策であり矛盾的推進政策其のものなのだ。

 

そんな馬鹿政党に何でみんなは國の行く末を託そうとして居るのだらう?

 

そんなことしたら此の日本が沈没して仕舞ふではなひか。

 

おまへらなんかもう今すぐに消へて無くなって仕舞ふべきだ!

ちゃんと此れまでにやった政治としての罪を認め此の世から消へてお仕舞ひ!

 

第一派遣社員をそんなに増やして一体何をやってるの?

こんなに引き籠もりの人を増やし将来の展望の無ひ國にして仕舞ひ一体どうすると云ふの?

 

 

其れにそのうち温暖化でもって日本近海の魚は全滅するぞよ。

また其れに日本の農業も壊滅するぞ。

 

もう何にも何処にも食ふものが無ひぞ。

何処にも何も無ひ、おおまさに🐕と🐈と🐀だけしか食ふものが無ひ。

 

 

さても困ったな、木の根や虫を食ふしか無ひな。

其れにミミズなども食ひ尽くして仕舞ったぞ。

 

じゃあ此のゴキブリも丸焼きにするとひょっとして美味ひのかな。

 

そんなものは其の地獄の様は全部が自民党がやった政治の結果である。

自民党よ其の矛盾政策が齎した破壊への罪を認めよ!

 

 

尚、わたくしは古き良き美しき日本を少なくとも大事にしていくべきだとさう思って居る。

 

だが結局其れが封建制の中でしか實現出来ぬ価値なのだ。

なので封建体制へと戻ることもまた日本社會の取り得る立場のひとつの選択なのだ。

 

即ち江戸時代へと戻るのだ。

 

さすれば美味ーひ江戸前の寿司が幾らでも食へるぞよ。

 

 

ところで平野 啓一郎氏は京大出の左翼のやうですね?

 

まあさうなんでせうがわたくしには理解し易ひとても理性的な方なのだと思はれます。

 

特に其のアイデンティティの保持のあり方を現代の個人として分化して行くと云ふ考へ方には感銘を受けました。

 

其の個としてのアイデンティティの確立、確保が難しひ時代にいつの間にかなって仕舞って居ることでせう。

 

其れはかっての価値観が、かっては普通に持ち得て居た価値観が合理化により破壊されて行くのではなひか。

 

恐ろしひことにまさに其れは日常の破壊であり過去ー歴史ーの終焉でもまたあるのやもしれぬ。

 

 

個人的には価値構築の段階で常に価値の両極を見詰め受け容れられる価値の幅を拡げて置くことこそが大事なのだと思ふ。

 

其の分人を生きると云ふことは多面的で多様な価値観を自己の中に取り込んで生きると云ふ考へ方のことなのでせう。

其れはある意味では相対化した価値観の中を生きると云ふことでせうが、価値を相対化しつつ全てがどっちつかずになり価値崩壊の世界を生きる訳では無論のこと無ひ訳だ。

 

また平野 啓一郎氏は三島 由紀夫先生の作品から大きく影響を受けられて居るのだそうだ。

但し政治思想として平野氏はあくまで逆の立場になって仕舞って居る訳だ。

 

其の三島 由紀夫先生をどうしても意識して仕舞ふ辺りはまさに法科出の作家さんだなあとさう思はずには居られなひ。

何故なら三島 由紀夫先生は究極としての法科出の作家なのでせうし、三島 由紀夫先生がもし文科の出の人だったら絶対に自衛隊には突っ込まなひことだらうとさう思ふのです。

 

やっぱり法科出の奴等は最終的には社會に対しさうして何ぞ言って仕舞ふ訳であり、兎に角もう文學のことよりも何よりも自民党がやってる矛盾政治がイヤでイヤで仕方が無く要するに此の日本の社會のこと、其の行く末のことがもう心配で心配で仕方が無くなりもはや此の際革命だ!!とか叫んで仕舞ふ其の傾向が平野氏にも確かにあるとさう確信した次第です。