目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

此の矛盾だけが實在するのか?

大阪のコロナ累計死者数が東京上回り全国最多714人 高齢者中心に感染が拡大

かうして何処が危なひのやらもはや分からぬやうになって仕舞った。

 

 

菅内閣支持率は崩壊寸前 近視眼的政策からコロナ対策に「全集中」できるか?

 

何で政治家がちゃんと政治をやれなくなったのかと云ふことに就ひては、所謂合理化の問題が其の根っこに横たはって居るのやもしれません。

 

まさに其れは大問題を合理化することで乗り切れるものなのかどうかと云ふことです。

おそらくはでも大問題を合理的に解決する術など無ひのやもしれません。

 

其れは合理化が諸刃の剣であることを何より指し示して居ます。

 

合理化して原発が出来電気が自由に使えるやうになる⇔原爆が出来た

合理化して人間の寿命が延びた⇔昔ならとっくに死んで居たやうな人間が増へた

合理化して男女平等となった⇔生意気な👩が増へた

 

つまりは合理化すると大体はやりたひことが出来るやうになるが他面でマズひことが起きて仕舞ふ。

 

なのでなるべく小さひ範囲でもって合理化すべきなのです。

 

逆に大きな範囲ではなるべく大きく考へておくべきです。

 

即ち感染爆発や地球温暖化に対する対策としては全体論的に巨視的な視点が不可欠となりませう。

 

で、自民党の政策が逆に限定的な近視眼的政策であるが故にまるで上手く行って居なひ訳だ。

先にも申しましたやうに日本人の體はコロナ感染には強ひ筈なのに逆にコロナ感染をドンドン加速させつつある。

 

 

では政治は合理化すべきものでは無ひのですか?

いや行政改革にせよ構造改革にせよさうした合理化の流れは勿論必要なのだとさうも思はれる。

 

でももしも政治思想其れ自体を合理化するものとしたら現世利益型政治=近視眼的政策に陥って仕舞ふのではなひかしら。

 

要するに大問題であるパンデミック地球温暖化を合理的基準にて捉へること自体が間違って居る。

つまりは感染爆発や温暖化の被害に対してはより大きく捉へた上での細かな対策こそが是非必要だ。

 

其の大きく捉へることが出来なひので政府の意思決定が場当たり的なものとなり結局は現實としての負の連鎖を呼び込んで仕舞ひます。

 

 

ー実際、菅総理の肝いりともいえる携帯電話料金の引き下げは、NTTドコモによる新プランの登場が嚆矢(こうし)となり、今後他社も追随する動きとなることで、欧米諸国と遜色ない料金になる可能性が高まってきました。2050年の「カーボンニュートラル」実現に向けた2兆円の基金創設は、我が国のエネルギー問題に政府が本腰を入れ始めたことを示していますし、デジタル庁創設はマイナンバーカードの普及、健康保険証や運転免許証との一体化など実生活の利便性を高める未来型の政策実現と合わせて評価する声が大きいです。ー菅内閣支持率は崩壊寸前 近視眼的政策からコロナ対策に「全集中」できるか?より

ーこれだと、「新型コロナ」という国民の最大関心事に対し、政権として「大きな答え」を出せないため、コロナとはあまり関係のない一般的な政策で実績を積み重ね、有権者の信頼をつなぎ止めようという風に見えてしまいます。ー 菅内閣支持率は崩壊寸前 近視眼的政策からコロナ対策に「全集中」できるか?より

 

「新型コロナ」に感染しますと實際に重症化した場合には死に至る可能性もまた高くあります。

だからこそ國民は皆死ぬのが何より怖ひ筈です。

 

携帯なんぞ持って居なくても充分に生きて居られますがコロナに酷くやられた場合には君も貴方も死ぬ可能性があるのです。

だから携帯よりはまず生きるか死ぬかの問題でせう。

 

ところが彼ー🐵ーには其のことすらもが分かって居なひのです。

だから其れは特攻だとさう申して居るのです。

 

どだひエッセンシャルワーカーにとってはテレワークもクソも無く兎に角出社するか又は現場に出向かなければ何も始まりません。

まさに此処愛知県にはさうした意味でのエッセンシャルワーカーの数が多ひことでせう。

 

ピンハネ業の比率が多ひ東京都などと比べ實質的に労働者の多ひ地盤ではそんなテレワークもクソも無ひ訳です。

 

「大きな答え」が出せぬ自民党政権はそんな政策上の合理主義に毒され人間の命が守れぬところへと自衛の意識を極度に低下させつつある。

 

だから其れが本来あるべき保守のあり方では無くまさに矛盾的推進ー間違った合理化の仕方ー其のものなのだ。

 

 

此れ迄何度も申しましたやうに、國の力を強めたひ筈の自民党がむしろ國の力を弱体化させつつある。

で、そも弱ひので國民に対し強ひことが何も言へぬのです。

 

だから其れは矛盾をグルグルやってるだけのことなのであり眞の意味でコロナ対策に有効な手立てを発して居る訳では無ひ。

 

 

ー支持率が、新型コロナウイルス感染状況に大きく左右されるのは明らかです。現状、いわゆる「第3波」の不安を国民は味わっているわけで、この状況から逃れられるときが、支持率低下の反転させるタイミングと言えるでしょう。ー

ー他方、エビデンスに基づく分科会提言としての「Go To 中止」と、「1日の感染者数が3000人に達したから中止」という菅首相の決定とのズレや、回数の少ない記者会見や原稿の“棒読み”、ニコニコ生放送での「ガースー」発言などといった、情報発信の不足や空気の読み違えは、確実に国民の期待度を下げています。ー 菅内閣支持率は崩壊寸前 近視眼的政策からコロナ対策に「全集中」できるか?より

 

 

さてもこれからどうなるのかと云ふことが今や誰にとってもまるで分かりません。

偉ひ學者の方々などが様々な提言などもされて居るやうですが其の通りにすればみんなが助かるのかどうかもまるで分かりません。

 

でも中國や台湾の動きから判断されることとは結局東亜細亜の人々は欧米人程コロナに対し弱くは無ひであらうことだ。

なのですが、バカをやって居るとまたとんでもなひことになる可能性が無ひでは無ひ。

 

だから一度文明を止めてみませう。

 

すると未来への展望、嗚呼其の虹のやうな七色の希望の光さへもが見へて来るのです。

 

 

尚此の近視眼的な政策の流れは地球温暖化対策にとってもマイナスの視点であることは間違ひありません。

 

但し其のー2050年の「カーボンニュートラル」実現に向けた2兆円の基金創設ーとしての政策などは無論のことながら悪ひ話ではありません。

 

問題は温暖化を緩和するには文明の流れをむしろ止める他は無ひと云ふことでせう。

 

人類はさうして文明を止めぬと文明其れ自体を存続することが出来ぬと云ふ大矛盾を背負ひつつ生きて居ります。

 

其のことは普段みんなには自覚されて居なひことですが間違ひなくあることです。

 

むしろ矛盾だけが實在するのが人間の生き様に於ひてのことなのでせう。

 

他の諸の欲望は取るに足らぬやうなものばかりで、結局は其の根本での大矛盾に向き合はされることで人間は疲弊し切りドロドロにさへなって行きます。

 

 

ドロドロになる?

 

さうです、ドロドロになるのです。

 

其れでは人間の未来とはそんなドロドロのものにしかならぬのですか?

 

まあ過去現在未来に拘る限りはさうもなりませう。

 

 

人間は何故そんなドロドロの未来の為に今を頑張るのですか?

其れは人間が壱匹の獣だからなのです。

 

壱匹の獣即ち獣としての意志です。

獣の意志?

 

一体其れは何でせうか?

其れはかうして食って寝て大宇宙を我がものとせんが為の観念のことです。

 

つまりは人間とは矛盾的生命なのでせうか?

つまりは人間とは矛盾的生命です。

 

また釈迦とキリストの教へこそが其の矛盾地獄から人間の心を救ふ為の教へなのです。

 

 

でも矛盾など何処にも無ひではありませぬか。

問題も何も無く世界はかうして変はることなく毎日あるではなひか。

 

そりゃ君にはさう見へて居るだけのことだよ。

 

詩人さんにはもはや其の獣の意志は無ひの?

さうもはや其の獣の意志は無ひの。

 

へえー、そりゃ凄ひなあ。

流石に半分死んで生きて居られるだけのことはありますね。

 

 

ところで詩人さんには例の相対性理論が分かるのですか?

へへへへのへ、まるで分かりません。

 

其処では時間と空間と光速度がぐちゃぐちゃになり絡み合って居る様が感ぜられるだけだ。

 

但しわたくしはかって面白ひことを述べて居ます。

即ち天動説は正しひとさう述べても居りました。

 

其れと同じ理窟にてニュートン力學もまた正しひのであります。

 

尤も其れは限定的に捉へればあくまで正しひと云ふことなのだ。

 

相対論や量子力学が示す不可思議な世界とは或は合理主義が陥ったところでの一種極端な世界観なのやもしれません。

 

宗教的な世界観を反故にする形にて分析的理性が突き進むとおそらくはさうした領域こそが見へて来るのではなひか。

 

人間の認識とは左様に合理化と云ふ幻影が描き出すものなのやもしれぬ。ー認識と云ふ抽象的領域のことー

 

 

さても宇宙にはコロナウヒルスは居るの、其れとも居なひの?

コロナウヒルスは結局人間の強欲が生み出したものでせう。

 

いや元々あったものを強欲が盛んにさせたものでせう。

 

其の獣の意志がある限り其れはドンドン増へ続けても行くことでせう。

 

 

生⇔死

 

有⇔無

 

どうも合理化すると決まって左の方に偏るやうなのですがどうも其れがアンバランスを生み出して居ることでせう。

 

わたくし的には右の方も大事にして欲しひ感じがどうも致します。

 

生死も有無も元来はこんな感じでもって其処に優劣など無く元来相剋し相即する立場として互ひにあることでせう。

 

なので偏ってはイケナヒやうにも思はれます。

 

さうだ、どちらにも偏ってはイケナヒのだ。

 

具象的認識とはまさに其の双方を見詰めることであるやうにも思ふ。

 

具象的認識とは謂はば動植物の認識です。

 

まさに其れが人間の観念による相対認識以前での認識なので其処には時間の観念すら無ひものと思はれる。-特に植物には時間の感覚が無ひことだらう-

 

対する抽象的認識ー人間の認識ーこそが曲者です。

 

人間の認識は抽象的に成り立つ分罪深くしかも欲深ひー煩悩まみれだー。

 

其の抽象的な欲こそが破壊を生み出すのだとさうわたくしは理解する。

 

 

とのことで今人類は其の抽象的な欲の極を生きて居るのやもしれませぬ。

いやまだまだ極などでは無くこれからはもっともっとイクのでせう。

 

やがては其れこそ不老不死の神人間だのが出現しても参りませう。

ですが自らを神に擬へる時まさに其の時に人間の精神は破裂して仕舞ふやうな気がしてならぬ。

 

さうしてパンクする?

へひさうしてたった今パンクした。

 

 

進むー進歩ー⇔退くー退歩ー

進むー進歩ー⇔止まるー停止ー

 

と云ふことは文明が進歩ばかりして居るのはまさに頭がオカシヒのではなひでせうか。

なのではありますが先にも申しました如くに其の頭がオカシヒ文明をまともに歩ませる為にはより頭のオカシヒ考へでもって其れを止める他は無ひのやもしれません。