目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

「頭が良い」人の特徴と『北斗の拳』に就いてー「天才」級の知性の癖の部分と『北斗の拳』に於ける「愛」に就いてー

「頭が良い」人の特徴と『北斗の拳』に就いてー「天才」級の知性の癖の部分と『北斗の拳』に於ける「愛」に就いてー

 

 

 

 

高いIQを持っていることを示す驚くべき性格の特徴 (msn.com)

 

澤山読書をする

謙虚さ

言葉遣いが惡い

共感出來るーIQ(論理的知性)EQ(感情的知性)が共に働く

自制心ー計画、目標、予想

好奇心ー學習への情熱と壱致する

壱人でも快適ー孤独を樂しむ=社交嫌い

枠に捉われずに考えるー故にルールや常識的思考、伝統などに縛られず逆に其のことで最善の解決策を導き出す

散らかって居る

観察者

創造性ー想像力が常に豊か

夜型ニンゲン

限界を認識出來るー人や自らの限界を認識するからこそ分からないことは「分からない」と言える。

オープンマインドーあらゆる側面から物事を見其れ等を参考にして意思決定をするので時間がかかる

自己の判断を信じるーイザ意見が決まれば其れを信じ貫き通す

愛猫家ー内向的で且つ敏感

とっても面白いー特にブラックジョークに長けて居る

自分自身と對話するー其れは狂気なのではなく高知能者の兆候となる

寛大

心配症ー特に社會的状況に就き懸念が多い

長男長女

適応性

ー以上よりー

 

 

尚自分は上記22項目中19項目に就き◎で3項目のみが「どちらでもない」でした。

其の3項目とは、

 

1.自制心

2.寛大

3.適応性

 

としての部分です。

何故ならワタシは常に計画的なニンゲンのやうで居て時にモノについ飛び付いたりもまた致します。

 

また寛大と言えば寛大で普通人にはむしろ優しいのですが攻撃された場合には倍返しするやうな器量の狭さがまたある。

さらに「適応性」にはむしろ欠けて居り要するに「同じこと」を繰り返しすることは得意なのだがさうでない場合での臨機応変な行動の變更などがむしろ不得意である。ーまさに其れが「自閉症スペクトラム障碍者」の典型的な資質かー

 

ところが他の部分ではまさにこれでもかと言わんばかりに「大當たり」して居りましたものです。

特に、

 

4.澤山読書をする

5.好奇心有り

6.壱人でも快適だ

7.枠に捉われずに考える

8.創造性有り

9.限界を認識出來る

10.自己の判断を信じる

 

部分などは此処の読者の方方ならば其れがまさにワタシの資質であることが即お分かりになる筈です。

また、

 

11.愛猫家だ

12.とっても面白い

13.自分自身と對話する

14.心配症だ

 

とのことが全て当て嵌まることなどもまた此処の読者の方方ならばまさに「ピーンと來る」話でせう。

どだいワタシはいつも「Sirius α」と「Sirius β」とに分かれ此処にて「漫才」を展開して居るではあーりませんか。

 

だから話がいつも面白いのだしさうかと言ってタダの御笑い芸人なのでは無く其れとは逆に深刻な文明評をも展開することだらうこんな壱文化人類學者であり壱哲學者なのです。

またワタシは長男です。

 

とのことで余りにもズバズバとソコに嵌まり込んで居りますのでおそらくワタシは「高知能者」なんです。

いやあーさうだったのか、いえね、其れもウスウスさうは感じて居てひょっとしてアノキチ外の人人と紙壱重なのかなあ、とはむしろ五拾歳頃よりさう感じ始めて居りましたのです。

 

 

でもって其の「高知能者」なのであれば當然に其れなりのことを書いて來た筈ですのでもしやと思い読み返してみたらヤッパリ可成に普通じゃないことが多く書かれて居ました。

ああー良かったー。

 

ソコにもしもウソが書いてあったらイケませんでしたがちゃんと「本心」が述べられて居たので何だかホッと致しました。

ですがもしもわたくしが「高知能者」なのであれ「自己實現」する状態にはむしろ程遠いとさうも言えるのです。

 

何かかうもっとより「高尚」なことや「御笑いではない面白い話」を常に書きたいのですが別に作家ではないのだしココで何を述べても誰も壱銭も恵んで呉れずさうかうするうちに性格がより惡くなりつまりはいじけて参りむしろつまらんことに喜びを見出すやうに特に最近はさうなりつつもある。

 

ーIQ(論理的知性)及びEQ(感情的知性)が共に働くー

 

さて此の点はまた特に大事なこととなる。

其の論理的能力と感度が豊かに有る点が同時に働くことこそが眞の意味での「天才」の資質でせう。

 

其の意味では確かにワタシは「天才」其のものかどうかは分からねども少なくとも「天才的」な資質を持つニンゲンの壱人でせう。

でも當の本人は其れとは全然別のことで實は悩んで居る。

 

つまりはこんなことで彼の「老後」は大丈夫なのか?

とのことなのだ。

 

彼はさう「半天才」なのにどうも自活力には欠ける。

其れも大勢の🐱を引き連れ今後をどうやって暮らして行くのか?

 

其れもまあやるだけやるさ。

 

15.限界を認識出來る

 

また此のことなどもワタシの場合は特に其れが強く出て居る。

例えば、

 

「限定的認識論」

 

とでも言えそうな「限定論」をワタシはずっと此処にて展開して來て居り其れは独逸の哲學者である「ハイデガー」の影響などが或はあるのやもしれません。

尚ほんたうに頭の良い人は例えば「論」を張ることなどに長けて居る。

 

即ち「論理的」に物事の解決策を自ら提示することが常に可能となる。

ですので我もまた文明のあり方に就いての解決策なり改善策なりをトコトン考えた上で提案書なり論文なりとして示すことは常に可能となる。

 

尤も経済的余裕と心理的余裕さえあればの話です。

 

でもかう毎日「生活」に追われまた「物質の蒐集趣味」に浸り切りおまけに🐈共の世話や老いた母の世話とまるで現實世界に繋がれたかのやうな状態では其れは「無理」と云うものです。

だから👽が此の暮らしから救い出して下さればまた其のこともやります、さう御約束して置いても良い位なのだ。

 

ですが👽の方方は幾ら御待ちしてもまさかココへ來ては下さらない。

そんな👽の奴等は我が「知性」には至って無関心なのだった。

 

まあ兎に角「やるしかない」のさ。

さう「やるしかない」のはそんな我に限らず惑星地球の住人であればニンゲンであるかどうかに限らずむしろ全てがさうなのだから。

 

 

<独自>自民党青年局近畿ブロック会議後の会合で過激ダンスショー 口移しでチップ渡す姿も 費用は党が支出 - 産経ニュース (sankei.com)

自民過激ダンスショー、男性参加者が女性の尻2度たたく 動画で確認 歓声や笑い声も - 産経ニュース (sankei.com)

 

なんだ、コノ裸踊りは!!

ジミントーは即刻政治其れ自體を辞めよ!!!

 

静岡県・川勝知事の「牛の世話と違う」職員訓示に「職業差別」「資質欠く」 SNSで批判 (msn.com)

 

なんだ、此の第壱次産業への差別発言は!!

川勝氏は即刻静岡県知事を辞めよ!!!

 

より正確に申すと「高知能者」は逆に「第壱次産業こそが國家の根幹である」とさう言うのです。

例えばワタシは常にさう申して参りました。

 

 

さて「北斗の拳2」を視終わり要するに「北斗の拳」の全話に亘り視終えたのだった。

其処で語られる「愛」に就き暫し考えてみたのだが其の「愛」は基本的に👪愛と同胞愛のことに就き語って居るかに見える。

 

またそんな「右の思想」に於いて敵もまた戦いを交えた後には「朋」となるのである。

よって北斗神拳 - Wikipedia伝承者の「ケンシロウ」は戦いに勝つと共に同朋としての敵の力をも蓄えつまりはより大きく強くなって行くのだった。

 

まさに其の力にて「カイオウ」に勝つのかと思ったらさうではなく其の北斗神拳以前に榮えた北斗宗家 - Wikipediaに伝わる「愛の力」のやうなものがまた登場し最終的には

世紀末最強の漢としての「カイオウ」も朋の力をも得た「ケンシロウ」に敗北することとなる。

 

ところが「カイオウ」にもまた「ケンシロウ」にも其の北斗宗家の血が色濃く流れて居たとのまるで🗾の村社會さながらに實に血縁の濃いつまりは其の村の中での「愛と憎しみ」での御話となる。

左様に結局は「国際的」な舞台であるやうで居て實に🗾的な封建體制と云うかムラ社會と云うか兎に角そんな狭い範囲での「愛」の御話なのだ。

 

故に其の「愛」なるものはクリストの如きに「普遍の愛」を説くものでは無くむしろ大日本帝國に於ける「國及び郷土への愛」=「同朋愛」に近いものなのだらう。

 

ところがイザアニメ作品に没入して視る限り世紀末覇者としての「ラオウ」や其の兄の「カイオウ」に於ける「愛の不毛」の部分にはまたどうしても涙が流れる。

要するにそんな最強の漢達に限り「愛」に飢え特に「母の愛」には限りなく見放されて居る。

 

すると最終的にはそんな「愛」として實権を握るのは其の「生命を生み出す母」である👩達のことともなる。

其の辺りはまた流石に良くシナリオが練られて居る。

 

絶え間ない暴力や権力闘争の背後には實はそんな「愛の不毛」の世界こそが拡がるとのことをまさに此のアニメ作品はしかと描き出して居るではないか。

 

 

其れと「漢が戦う」ことの意義を此のアニメは同時に描き出して居る。

さう👨は常に闘わざるを得ない。

 

最終的に其れは外部との戦いから内部での闘いへと移行するがまずはさうなるものとまさに此の世での相場は決まっても居やう。

近年では其の闘争の世界からむしろ外れる如き価値観が所謂Z世代辺りより噴出するに及び最近の学校の先生や企業の経営者などは相當に困って居るのださうだ。

 

だが其れなどもまた「愛の不毛」の問題なのだとさう言い得るのやもしれぬ。

Z世代が可哀想なのは此の社會が本質的には「愛するに値せぬ社會」と化して仕舞って居ることだらう。

 

従ってZ世代に對し「愛」を守らんが為に戦え!とさう押し付けるのは流石に荷が重からう。

むしろ問題はそんな「愛するに値せぬ社會」と化して仕舞った還暦以降の世代の「先見の明」無き認識の部分にこそ存するのやもしれぬ。

 

いずれにせよ「北斗の拳」に於ける闘争の世界が個人的にはあくまで新鮮に感ぜられた。

若い頃をちょっと思い出したと言うかそんな気さえもがしてだからヤッパリワシもまだ戦わねばならんのかなあ。

 

 

アア嫌だけどまた「常にキビシイ現實」との闘争世界なのかなあとの諦めの心がまた生じよって👽などには頼らず👨は自身でもって道を切り拓く他は無い、などと云うまるで自衛隊員のやうな戦闘態勢の様が何時の間にか我にも突き付けられて居たのでした。

 

いや兎に角休みたいのですが何せ休んでは居られぬ世の中なのだ。

其のことが「暴力」としてキビシクもまた壱面では「愛」に包まれた如くに優しく語られるのがまさに此の物語なのです。

 

思えば昭和の頃のアニメ作品はさう主題がハッキリとして居り其れは「休ませる」やうなものでは無く兎に角常に「戦う」ものでした。

其の価値観自體が古いやうで居て實は昭和の時代以上に戦わねばならんのが此の21世紀であるやうにさう思えてならない。

 

其れ即ち「放棄する」ことや「平等」であることもまた確かに理想的なことではあれ此の世界が現實的な意味で常に「ヒエラルキー地獄」を築く世界である以上は其の「ヒエラルキー」の頂点を漢が目指すことで最終的には「愛に溢れる漢」が覇権を握ることでこそ此の世其れ自體を「愛の苑」と化すとの其の右の人の論理が分からぬでもないのであります。

ところで「ケンシロウ」は其の最強の「カイオウ」に勝ってからどうなるのですか?

 

ケンシロウ」はまた新たな「闘争世界」へと旅立つ。

其れ即ち其の「愛」をこそ守らんが為に「惡」と戦う道を選ぶ。

 

うわあー、漢らしい。

さうなんだ、さうあくまで漢は漢であり👩は👩である。

 

だからまさに其のことが右翼の人の論理です。

でも先生には左翼が多いですよ、其れも漢だか👩だかまるで分からぬやうな。

 

うん、だから其れこそが今の先生方の弱点だね。

だから先生はもっと暴力教師にでもなり其れも「あっちょー!」とか言いながら聞き分けの無い生徒を殴ってもイイのです。

 

うわあーでも怖い先生だなあ。

いや昭和の頃なんてドコの学校にもそんな暴力教師がまさに🏔と居たものでした。

 

我我還暦世代はなのでこそ躾けられたと云う部分もまた御座りますが故に。

正直言って個人的にはまたそんな先生に躾けられてみたくも思う今日此の頃です。

 

ねえ、體育のMIYOSI先生。

あれっ其れはダレですか?

 

ワタシが中学壱年の時の担任の教師です。

其の人は身長が180センチ程もありしかも投げ技が得意でもって惡いことをすると教室の後ろで皆が投げ飛ばされて居たものだった!!

 

そんな熱き教師にこそたった今是非投げられてみたい今の軟弱なわたくしなのだ。

尚當時良く巷で聞いた言葉ですがこんなものがあったものでした。

 

曰く、

「愛の鞭」。

 

昭和の頃学校の先生は其の「愛の鞭」をふるっても場合により問題とはされなかったものでした。

また当時の学生も普通に「殴り合い」の喧嘩などをして居たものでした。

 

あくまで「暴力」を賛美する訳では無いのですが普通に「殴り合う」位はむしろ當たり前の話だった。

逆に言えばさう小さく「暴力」が解放されることで眞の意味での大きく破壊的な暴力が抑えられて居たとさう言えなくもないことだらう。

ーまさに其のこともまた所謂「右の論理」ながらー