80.死をも跨ぎ越える實存としての哀しみーH君の思い出と其の死とに寄せてー
「庶民の給料で暮らしてみろ」日銀黒田総裁の“ズレ”に怒りの声 (msn.com)
コイツ其の給料が幾らなのか知らないが間違い無く金持ちでありだから必然として地獄へと堕ちる奴である。
人間が地獄行きとなるのはかうして其の心が汚いからであり心の清い人はどんなに貧乏でも極楽浄土や天國へと必ずや行けるのである。
でもって今もう私が其れを決定して置いたので所詮彼に於ける善悪裁定は悪其のものと決まった。
つまりはもう彼の全部が黑だ!ークロダー
だから早う今のうちに地獄へ行く準備をして置くが良い!
其れともう何を言っても其の裁定が変わることなどはありません。
さて本日はまた朝から忙しくして居りけれども今夜からどうも梅雨へと向かうやうなので相生山へ行こうとしたがどうもまた最近股関節の調子が今壱つなのでサイクリングだけして家へ帰って来た。
自転車を車庫に入れやうとして居たところ壱台の車が前に止まり何かをして居るやうなので睨んで仕舞ったがどうも助手席の御婦人がこちらへ向かい頻りに頭を下げ挨拶してみえるやうだ。
さうか、Oさんのオバサンだ。
すると車を運転されて居たのはオジサンの方だったのだらう。
Oさん壱家は家の前の通りで壱番立派な家にお住いの所謂御金持ちの方である。
Mちゃんと云う娘さんが弟と同い年で要するに皆幼馴染なので小学生の頃は我もたまに弟達と付き合い何かをして遊んで居たりもした。
其のMちゃんの弟にH君が居てだが彼は生まれつき言葉が喋れず聴力の方も弱い所謂障碍者であった。
其の彼も色色と施設へ通ったりまた父親が重役を勤める會社でアルバイトをやったりして頑張って居たが15.6歳の頃から所謂家庭内暴力をふるうやうになり、其れも夜毎にアノ立派な御宅の玄関の戸を思い切り蹴り上げたり叩いたりする。
其の凄い音が斜向かいの我が家にも毎日届いて来て居た。
彼の心の辛さも個人的には分かるがこちらとて人どころでは無くまた其処へのこのこと出向いてどうなると云うものでもあるまい。
そんなことが五年は続いて居たやうに思う。
ところがある夜に救急車が来てどうも其れがOさん宅へ来て居るらしい。
わたくしはまた物見高い性質にてそんな時はまず現場を見に行くのである。
だが其の時は誰が救急車にて運ばれて行ったかまるで分からなんだ。
其の後人伝えに聞いたところによるとH君が亡くなったとのことであった。
おそらくは当時二十歳前後ではなかったらうか、そんな彼がまさにあっけなく世を去ったのである。
Oさん宅と我が家は昔交流があり其れこそ静岡県の方へ共に旅行に行ったりして居た仲であった。
三保の松原と云うところで大きなホテルに泊まりOさんのオジサンやH君、さらに父や私や弟で夜中までピンポンをして其れが物凄く面白かったことを今でも覚えて居る。
其れにいちご狩りのやうなことをしたこともまた覚えて居る。
オバサンの方は時折家に何かを御裾分けして呉れるのであるが其のお持ちになられる品がいつも決まって我が家の標準の物よりもワンランク上なのである。
例えば御飯のふりかけは錦松梅でまたデザートなどは神戸のロールケーキであったりする。
そんな元元裕福な御家庭なのだが其れでも其のH君のことはまことに不幸なことだったのだと申す他は無い。
Mちゃんは廿代で嫁に行きまた別の家の歴史をつくって行ったがH君が亡くなって以降其の立派な御宅にはオジサンとオバサンだけが住まうやうになり其れこそデカい家に弐人だけと云うまさに今の我が家と同じやうな感じであった。
尚家はボロ家で金もまた無いがOさんの御宅はさうでは無く勿論万事にきちんとされて居るのである。
H君が亡くなって廿年程が過ぎた拾年程前に何故かOさんのオバサンの方が時折母と話をしに来られるやうにもなった。
其れでもってオバサンが帰られる時にわたくしはH君の話を切り出してみた。
其の時に、
「H君は其れでも頑張って生きた。私は其れを今でも確り覚えて居ます。」
とさう述べた。
何故なら本当にさう思ったからなのである。
其れは善意の押し売りだとかまるでさうしたことでは無く私の心よりの彼に対する気持ちである。
わたくし自身もまた内面的に苦しい人生を歩んで来ざるを得ず、また其れは現在も変わらず逆に今は文明と闘って居るやうな始末で余計に苦しいのではあるが兎に角「頑張って生きた實存」に対する敬意か又は共感を持たずして其れで人間だとはまさか言えぬのではなからうか。
だから其のことは金を稼いだか稼げなかったか、また妻子が居たか其れを持てなかったか、そんなことでは無しに人間が其の場と時を占めさうして生きたことに対し深く頭を下げて置くのがまさにまともな人間の心なのではなからうか。
其の我が言葉をずっと覚えて居て下さるOさんのオバサンはさうしてわたくしに対し常に頭を下げ続けて下さる。
また私が彼のことを忘れ去ることなどは決して無い。
彼はさうして真摯に生きさうして若くして天に召されたのである。
其の種の實存的価値に就き今の合理主義社會はむしろ余りに無頓着だ。
合理主義社會が欲しいのは何より数値であり人間の實存的価値なのでは無い。
だがそんな文明を築いて居るからこそ其れこそもはやボロボロとなりつつあるのだ。
重要なことは其の条件だの達成した成果だのそんな實利的な話では無い。
人間の命のみならず自然界の命もまた其のたった壱つの實存的価値をこそ生きて居る。
其れは政治の為國家の為の命では無くたった壱つきりでの宇宙としての価値である。
其れが何故分からぬのかと正直毎日さう悩みつつ詩人は生きて居る。
其れこそが悔しくて仕方が無くよって時折爆発したりもするが其れは大抵の場合私がキチガイだからだとさう思われて居るのである。
さうして過去の思い出はいまだに生き続けて居る。
さうむしろ過去は決して死なぬのである。
或は彼は死んで幸福だったのかもしれない。
實はそんなことさえ当時は思ったものだった。
此の世にはさうした理不尽な苦しみのやうなものが満ちて居る。
其れに対し不感症であること自體が或は罪なのではなからうか。
さうして何不自由無い境遇に生まれたにせよ此の世には苦しみの種は尽きない。
だがわたくしは今でも彼のことを時折懐かしく思い出すのである。
さうしてにこやかにピンポンに興じて居た幼い頃の彼の姿を忘れ去ることなど決して出来やしない。
人間の心に取り最も大事なこととは其の生の哀しみへの共感其のものなのではないか。
其れは成果だ、進歩だ、豪華だ、宇宙だ、とさうして訳の分からぬ抽象的理念を奉じつまりは下らぬ価値に邁進するホモ・サピエンスの頭の中とは正反対での共感力のことだ。
其れは単なる感情論では無く、また善意の押し売りでも無く、其の實存としての価値への敬意と共感とをまさに示すことだらう「生の哀しさへの感度」のことだ。
我は今現代人には大きく其れが欠けつつあるのではないかと見て居る。
だから「哀しさ」どころか数値と物と利益ばかりを追及して止まぬ社會をかうして築き上げて居る。
そんな社會は壱遍滅んでみたらどうだ?
嗚呼、さうだ、是非滅びなされ。
其れも滅んでも猶分からぬことだらう、何故なら馬鹿は死んでも治らぬからなのだ。
わたくしは今さうした哀しみに満ちた世界を生きて居るがでも意外と孤独では無い。
何故なら其の失われた彼の命は今でもかうしてわたくしの中にしかと息づいて居るからなのだ。
同時にまさに生き別れとなって仕舞った♂🐈達の悲劇を其のことと重ね合わせてたった今見ても居る。
まさに昨年の拾月に失踪したトラと此の五月に消えたタラのことを。
彼等は然し決まってわたくしの心に何かとても温かいものを残して呉れたのである。
其れがどんなに辛い別れであらうとさうして彼等の心はわたくしに重なり合う形にてまさに今を生きて居るのだ。
ー対して♀🐈達には何故か其の種のデリケートな實存の哀しみのやうなものがまずは欠けて居り結局仔猫にエサをやれば喜びエサをやらぬとつまりは怒って居るのである。よって其の功利的な母性愛の世界は♀の本能として展開することだらうまさにケモノの世界での出来事だ。其れはマリヤ様の慈悲愛であるとかそんなことでは無しに単なるケモノとしての愛である。されどOさんのオバサンもまた其の部分より我に頭を下げて下さるのだらうか?よって其の死への共感と云うことはどうも♂にしか分からないデリカシーでの領域でのことであらう。ー
ー人間の子でも👨の方が育てるのは難しいさうである。おそらく男性には其の死に対する強い感受性があるやうだ。ー
かうして今でも彼の笑顔を思い出すことがある。
其れと同時に彼の暴力としての瞋りを思い出すことがある。
生はさうして瞋りや哀しみに満ちて居る。
其の生自體から逃れる為に今度天界で「生まれたいか、さうではないか?」と神様か何かに聞かれたら是非「もう生まれたくはありません」としかと答える積もりで居る我である。