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文明批判と美と心の探求と

そんな緑の石と🗾の精神とー赤瀬産のグリーン・オパールとグリーン・ジャスパーとオニキスの文鎮とー

そんな緑の石と🗾の精神とー赤瀬産のグリーン・オパールとグリーン・ジャスパーとオニキスの文鎮とー

 

 

 

 

天然 グリーン ジャスパー 原石 52.60Ct 研磨1

 

さてもこんなつまらぬ緑の石が何故か好きである。

 

ところで石は「永遠」に就き語るべく口を持つ。

また其の口は人間や動物のものとは異なりさらに言えば植物のものとも異なる。

 

そんな永劫での純化の部分をこそ彼等石達は生きる。

さても其のドキリとさせられる迄に鮮やかな語り口よ。

 

「永遠」に関する場とはそも神神の領域のもので我等饒舌過ぎる生命體に其の侭に与え置かれるものには非ず。

我等饒舌過ぎる生命體に見えているものとは、

 

カネ

か又は

権力

 

などの「ヒエラルキー地獄」のことであらう。

嗚呼我等饒舌過ぎる生命體の其の認識の貧しさったら!

 

蠱惑的な其の石の沈黙に翻弄され我が認識は次第に永遠の旅の途につく。

いつしか永劫の時の淵がわたくしの認識の内部にそそり立ち異界よりの呟きさえもが其処より聞こえて來るかのやうだ。

 

 

石の認識はさうして常に人間の認識をそも離れて居る。

つまりはさうして認識せずして只其処に「有る」のがまさに石なのだから故に。

 

人間と石の有り方の違いはかやうに常に大きく隔たる。

にも関わらず我我はかうして石を手に取り眺めることが出來る。

 

また時にかうして石は人間の認識を愚弄しつつ只其処に佇む。

だが其の石はまさか生きては居ないのだ。

 

生きては居ないのでそもそんなに静かなのだ。

とのことは生きることこそがむしろ饒舌に過ぎるのであらう。

 

饒舌即ち喧しく且つ煩わしい。

 

 

石は左様に死んで居るやうに壱見見え其の實は死んでなど居ない。

何故なら彼等に取り「生死」の区別などは何処にも無いのだから。

 

彼等に有るのはそも「認識」では無く「物體」としての「有」の世界のみなのだ。

逆に申せば我我認識する生命は「物體」としての「有」の世界を生き切ることなどは出来やしない。

 

潔い彼等鉱體のみがまさにそんな物としての世界のみを生き切るのだからこそ。

いつかは死に至る認識の持ち主である我我人間に取り必要なのはむしろそんな分け隔ての無い世界のことだらう。

 

 

さてジャスパー碧玉 - Wikipediaとは兎に角そんな目立たぬ石である。

だが其の目立つ、目立たぬとのことはあくまで人間の認識がさう決めるのである。

 

對する石の方にはそも認識が無いが故そんなヒエラルキー化のことはどうでも宜しくまさに本質的には其の永劫に関する時の切り口がさうギラリと光るばかりなのだ。

さう語るのでは無くして其れは光る。

 

そんな彼等にそも言葉は無く其の光り輝くことこそが「有る」こととしての唯壱の証明なのだ。

さてグリーン・ジャスパーは💎の中では最も地味な部類での石となる。

 

どだい其の色合いが深緑色で地味である。

だが個人的に其の深緑色の物が好きである。

 

其れも深緑色の何かが其処に有ればどうしても其れを得たく思って仕舞う程に。

故に其の緑色と我が認識との間に何らかの相性の良さのやうなものがおそらくは存するのだらう。

 

其の緑色は万年筆の方でもまた好きでよって緑色の万年筆や他の筆記具などを自分の場合は多く持つに至っても居る。

兎に角グリーン・ジャスパーが持つ石としての魅力に今年になり初めて気付いた。

 

 

クリソプレーズ - Wikipedia

 

石英系の石では「ジャスパー」と「カルセドニー=玉髄」との区別もあり其処はまた紛らわしい。

だが其のクリソプレーズは明るい色合いでありグリーン・ジャスパーは深緑系の色合いなので其れが机の上にでも有れば其の区別は容易に付く。

 

 

また所謂オニキス - Wikipediaの文鎮なるものが主に昭和の時代には目に付いたものだった。

ところが今は余り数が売られて居ないものらしい。

 

だが自分の場合は机上に大抵其れが置かれて居たりもまたする。

しかも緑色半透明でもって綺麗なそんなオニキスの文鎮が。

 

Yahoo!オークション - 高級 天然石 オニックス オニキス 文鎮 メノウ石...

 

まさに此の位の深みのある石が上物のやうに見える。

此の位の深緑でもって角型の文鎮を凡そ四半世紀前に三河の観光地にて求めいまだ其の品を未使用にて保管するが其れは鉱物標本よりもひょっとすればより綺麗である。

 

そんなオニキスの文鎮は主に昭和の文人が使うモノなのであり今風の合理主義筆記世界にはまるでそぐわぬものともならう。

 

 

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こんな昭和の白いオニキスの文鎮迄もが出て來た。

尚文鎮は肩叩きなどにも転用することが可能である。

 

其れも長時間に亘る思考や執筆などの作業をする場合に其のオニキスなどで凝った肩を叩くとまるで天にも昇るやうな心地がするものである。

 

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しかしながら此の出品者の方はエステートセールの専業者ださうでまた其れが面白い。

 

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さて此処でのー物・心が密接に結びついた日本において、文化を大切に「人が変われど良い物が脈々と生き続ける」を
日本流エステートセールとしてお客様に寄り添う対応を実施しております。ーとの思想の部分に全的に共鳴致しました。
 
 
さう此処🗾では「物を大切に扱う」との伝統がありまさに其れが文化を大事に受け継ぎ良いモノ並びに良いモノ作りの技を伝えることなのだ。
何故さうなるのかと言えばまさに物と心が結び付くからのことだ。
 
さう物と心とが分けられずにむしろ物即心であり且つ心即物なのだ。
但し其の「思想」は外來の例えば佛教的世界観とはまた別のものでせう。
 
 
例えば佛教的世界観に於いてはあくまで物への耽溺がむしろ戒められ最終的にはモノをなるべく放棄して行くことこそが其処に求められる。
ではあれ個人的に其の辺りでのことが眞の意味で理解されずよって凡そ40年にも亘り何処かモヤモヤした部分として其れも大きく気になって居たのでした。
 
ところが🗾でのモノ作りと云うことで思考を重ねるうちに其れが其のやうな「物の放棄」との観念的次元の話では無くあくまで具象的に🗾と云う風土に展開されるであらう具體的現實のことであることに思い至ったのだった。
 
 
よってこそ此処🗾に於ける「思想」の本質的姿勢こそがまさに其の具象化であり具體化でありまた壱面では「現世利益」にさし貫かれるものとなる。
故にこそ🗾人の経済観やまた宗教観其れ自體が「現世利益的」なものとならざるを得ぬ。
 
 
 
物即心、心即物。
 
おおまるで佛教の法話の内容のやうにも聞こえるのですが實はまるで其れとは無関係なものです。
 
 
即ちモノはココ🗾に於いて分離されず其れは神佛の御導きによりさうなることなのでもあり其の佛とは原始佛教に於ける釈迦牟尼如來のことでは無くまた神とは壱神教の絶對神とはまるで無関係なモノの神でありあくまで生活の上での神なのだからして。ー「現世利益」を齎すだらう土着としての神のことー
 
とさうようやく論理的にも其れが解せましたところです。
 
 
其れもまあこんな僕なら何時かは分かる筈だとさう感じては居たがかうして確かに分かっちゃいましたのです。
とのことで単なる石の話からまた難しい🗾の體制論であり精神論の方向へと話が飛びましたのですが兎に角心理上スッキリと致しましたのです。
 
 
さらに申せば此処🗾では観念的論議が壱般に成立しにくい傾向にある。
其れは其の観念的論議自體がむしろ彼等に取り「不必要」だからなのだ。
 
さう其処に受け継がれるべき🗾の精神とは「観念的」な思想の類のものでは無く要する「非観念的」で且つ具象的な現實の積み重ねでのことなのだから。
また其のことが「惡い」訳なのでは無くむしろ此処🗾と云う特殊な環境に於いて其れが「良い」風に作用しよって其のことを奉ずる限りは🗾國はむしろ次第に良くもなって行くことだらう。
 
 
但し欧米近代による🗾への精神的惑乱の度が特に今後益益酷くなるのであれば其の或る種「幸福な體制であり精神」が壊れて行くかもしれぬ虞だけは大きく存しても居やう。
其れと「自然災害」の面です。
 
 
其れ即ち大地震や大噴火さらに天體の衝突や地球の温暖化などにて其の🗾と云う「幸福な體制であり精神」が壊れて行く可能性もまた他方には常に存する。
故にこそかって🗾人は「神佛」に對し常に敬虔で且つ其れを崇め奉り其処に其の「ポジティヴ・シンキング」的な継続的思想を永続させて行くことのみを祈りました。
 
ですのでまさに其の部分こそが「🗾人の宗教観であり信仰の流れ」でのものでは無くて何であらう?
 
 
「🗾人の宗教観であり信仰の流れ」とは元來左様に「ポジティヴ」なものとなる。
其れは決して「🗾の近代化」が歩んだやうな「悲劇的」な歴史のものには非ず。
 
 
壱つには明治の藩閥政権が欧米流の近代化のみを信奉し此処🗾に脈脈として受け継がれたであらう「モノの思想」であり「モノの體制」の部分を無理に観念化したところにこそ大きく問題がある。
其の意味での此処🗾の近代化には弐元的分解であり弐極化としての価値観の上での分裂が生じざるを得なかった。
 
 
其れにも関わらず我我🗾の民がいまだ「🗾的な意志であり體制」を貫き通すのはつまりは其れを變えやうとしても變えられぬからなのだ。
では變えた方が良くなるのか?、例えば此処🗾に革命が起こったり経済原理や政治の内容がまるで變わったりさうすることでより合理的に此の社會を變えて行かれるのか?
 
 
其の答えは「變えられず」且つそも「變える必要が無い」のです。
「變えられず」且つそも「變える必要が無い」がそんな特殊な體制への信仰心がそも薄れますれば其れが壱挙に崩壊して行く虞などもまた御座りませう。
 
 
尚「思想」とはむしろ現實のことなのだ。
「思想」とは自分とは無関係な遠い世界のことでは無くまさに現實に自身を規定するであらう社會的な意味での縛りのことです。
 
よって其の社會的な意味での縛りのこともまた当然に考えて行かねばなりません。
ですがむしろ考えて行く必要の無い🗾の「體制」であり「精神」であることがトコトン考えることでようやく分かった、とのことなのです。
 

 

Yahoo!オークション - MSC39 非常に美しい ブルー・オニックス オニキ...

 

美しいブルーのオニキスですが何せ染められた物がむしろ多いので天然モノならば貴重な品でせう。

 

さて以下で震災後に石川県より得ました赤瀬の緑オパールの画像を貼り付けて置きます。

オパールは奥三河の棚山にも有りますがなかなか鮮やかな緑色の物が無く其の意味では此の石の方がより鮮やかであるやうに思われる。

 

オパールは何せ色とりどりの物となるが故に所謂遊光が出ぬタイプの石でも其の色合いを樂しむことがかうして可能となる。

 

蛋白石( 赤瀬のオパール )No,9-1

蛋白石( 赤瀬のオパール )No,9-2

蛋白石( 赤瀬のオパール )No,9-3

蛋白石( 赤瀬のオパール )No,9-4

 

弐センチ程の小さい石ですが大變色鮮やかでもって美しい。

 

また赤瀬産と棚山産のコモン・オパールを纏めて写した画像も出て参り其れも併せて此処に貼り付けて置きます。

 

 

赤瀬産 コモンオパールー蒐集標本ー

棚山産 コモンオパールー採集標本ー

 

さて物は結果として残るので最終的には散逸して行くが其れは失われた訳では無いのです。

 

其れは其のやうに有る場所が變わるだけのことである。

ですので個人的に物の世界は卑しいものでも何でも無くむしろ言祝ぐ=寿ぐべきことであるやうに今は思えてならぬ。

 

つまりは逆に長い物の寿命を御祝いすべきものなのであり其のやうに解すればまた物への接し方が變わると云うものです。

では皆様にどうか物への良い機縁が訪れますやうに…。