目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

🗾の物に関する體制に就いてー🗾國の未來を担うであらう「物的體制」とは?ー

🗾の物に関する體制に就いてー🗾國の未來を担うであらう「物的體制」とは?ー

 

 

 

 

おそらくはどうのかうのと言ったにせよ此の🗾社會の本質部ー體制としての本質部ーは變わりません。

 

でもって問題は其の本質部が「良いか、惡いか」とのことでせう。

其の答えは、

 

近代に對し「惡」く、

それでも、

此処🗾に取ってはむしろ「良」いとのことなのです。

 

わたくしは其のことに就き此処拾年間程考えて参りました。

其れもかうして元元頭が惡くはないのに其の上にさらに深く思考を重ね主に「哲學的次元」にて謂わば粛粛と考えて参った。

 

さうわたくしはこんな文人ですが實は作文の方などよりも其の「哲學」の方こそが得意分野なのだ。

主にそんなノンフィクションでの思想的展開の方を得意とするつまりは哲學文人であり且つ壱思想家なのです。

 

では何故此処🗾に取っては其れが「良」いのか?

何故なら此処🗾の物作りは「観念」に基づき行われるものではないが故に。

 

ところが欧米にて行われる「近代」の本質部とはまさに其の「観念」なのだ。

即ち「経済成長」も「文明の発展」も全ては其の観念的成長過程=進歩主義過程での範疇のものです。

 

其の進歩主義過程をデカルトヘーゲルに至り唯物論的に完成させたものが近代思想の核となるものだ。

ところが其の近代進歩主義過程はかの漱石がかって述べたやうに「内発的」なものでは決してなかった。

 

では果たして此処🗾の社會の根本的な原理として営まれるであらう思想的な核とは何であるのか?

つまりは其れが「観念」では無くして「物」なのです。

 

 

物、つまりはモノでありまさに其処に有る物です。

ところが物とは何であるのかと云うことを哲學的に語るとまた至極ややこしくなる。

 

例えば物とは此の目の前の物です、とさう述べる立場は哲學的にはあくまで「素朴實在論」として否定されるべきものだ。

ですが其のやうな「観念的」論議以前にまさに此処🗾では物が物其のものなのです。

 

物が物?

むしろ当たり前での話でせう?

 

いえ当たり前では御座りません。

例えば欧米近代に於ける物は再生されることが無い。

 

故に観念的に物を追求した「近代」は實験國家としての米國に至り大量消費化されて行く。

其処では常に新たな物が創られ其の新たな物が大量に消費されるのだから其の物に基本的に継続性は無い。

 

またあえて其処に継続性が認められるにせよ技術革新即ち観念的革命により物が新生されるのだからすでに其れはかっての物とは質的に異なることだらう。

 

ところが此処🗾に於ける物は其の種の革命から生まれる物では無くあくまで以前からの物の改善ー改修ーであり且つ以前からの物の継続のことなのだ。

故に物の製作の上での技術革新は起こり得るが其れも新たな物を生み出すとの観念的革命によるものでは無い。

 

また其のことを壱言で評せば「純粋な物」としての次元を「具象的」に生きて居るとのこととなる。

其処に決して抽象的次元を生きる訳では無いので只其処に有る以前よりの「物」を踏襲し且つ再生させて行くのである。

 

まさに其の試みこそが此処🗾國に於ける「経済活動」であり「物資」の意味であり且つ🗾人の生き様其のものなのだ。

であるのだとすれば此処🗾に於ける「経済活動」はかの欧米流での近代的な経済原理とはまるっきり違うものとなる。

 

であればまさに其れが🗾に於ける「経済活動」の独自性でありまた🗾人の生活原理の同時性ー全體性ーを指し示すものでなくして何であらう?

ならばまずは其の部分に気付くか否かが問題なのでありだが政治家や官僚や其の他のかの國の指導層の内面は権力と云う腐った水に浸され嗚呼まるで其のことが見えては居らぬ。

 

 

ならばまずは感度が抜群の哲學詩人こそが其のことを言わねばならぬとさう思いつつ此の稿を起こした迄のことである。

ですから、以上のことはもはや誰も反論出來ぬ此処🗾に於ける眞相であり眞實なのだ。

 

「物としての🗾の物作り」

 

尤も其のことは元來「近代」とは相性が惡いが故に何時かは破綻に至る訳だ。

其れが此処参拾年余りでさうなったやうに見えるが實はさうなのでは無く其れこそ明治時代辺りより元元さうだったのだ。

 

ではどうすれば良いのか?

其のことは結果として「イデオロギー」に左右されぬ體制を築くことへの鍵となることだらう。

 

確かに我我🗾人は其の「イデオロギー」に於ける左右の振れ幅に頗る弱い。

何故なら元元我我🗾人は「イデオロギー」にて動いて居ない=「イデオロギー」にて暮らして居ない、からなのだ。

 

我我🗾人は「イデオロギー」に於ける左右の振れ幅にも強い例えばSirius氏のやうな哲學詩人を除き大抵は其の左右のどちらかの思想を信奉し其れでもって右は左をまた左は右を攻撃するばかりでのことなのだ。

 

でもSirius氏はソコをあえて「どっちもイケます」とさう述べて居られるが此の人の言うことを全部信じて居るともうとんでもないことにもなるぞよ。

何故なら奴はズバリ言って「教祖」に近い奴なのだ。

 

でも今日かうして論を張ってるのもまた其のSiriusさんなのでせう?

アレソコんトコもすでにバレましたですか?

 

 

兎に角動くな。

 

エエッ、またイキナリ何を仰います?

 

微塵も動くでは無い。

 

其れも🗾人はもはや壱mmも動いてはならん。

 

ですから何のことですか?

もはや欧米諸國を観て其れがエエもんだなどとさう信じ込んではならぬ。

 

では米英は鬼畜ですか?

そんな鬼畜では無く同盟國である独逸と伊太利亜をばまずは見よ。

 

独逸人は西洋の利口だし伊太利亜人は何せゲージツが得意だ。

また自分が現代の万年筆に於いてかって追及したのがまさに其の独逸と伊太利亜の万年筆のことぞ。

 

また普通は其の両方をやれないが何故かわたくしに限り共にやり切ってもおる。

でも独逸と伊太利亜だって所詮は西洋人ではないか。

 

さうなんだ、確かに奴等は毛唐だな。

でも其れを言えば🖋なんぞは所詮は毛唐の筆ぞ。

 

 

でもって以上の思想を纏めれば、

 

1.「物」としての「物」作りを行う稀有な國🗾

2.脱観念であり脱ヒエラルキーとしての生活至上主義

3.本質的に「踏襲」され且つ「再生」されることだらう「物」作り

 

こそが此処🗾に於ける経済體制であり且つ生活及び精神の上での基本の原理なのだ。

 

では其れが果たして何を意味するか?

 

4.復興力の強さー再生力の強さー

5.職人技の興隆ー本質的に良い物への機縁を持つー

6.物が宗教の域に迄達するー物が精神性をも帯びるー

 

とのサイコーに良い点がまずは見い出されやう。

 

 

するとココ🗾こそがそんな物に取っての極樂浄土だったのですか?

エエさうなんです。

 

其れも間違い無くまずはさうだ。

 

故に心配などはむしろ要らん。

🗾國はむしろコノ「まんま」で大丈夫だ。

 

エッでもたった今🗾経済はむしろ窮地に立って居りませんか?

だから其れは🗾の物に関する體制が惡いからさうなるのでは無くあくまで単に日銀と財務省とジミントーが惡いからさうなって居るだけのことなのよ。

 

もしや其の日銀と財務省とジミントーとがよりによりアホなんですか?

まあ説明することがなかなか難しいが兎に角アホですね。

 

でも今回の作文の内容は何処かバカ右翼的になっては居りますまいか?

…まさかさうはなって居ない。

 

どだい僕は本質的には左翼でありよって何せ理性の力が強いのでカンタンにはバカ右翼的になどなり得ない。

なのでバカ右翼だとかバカ左翼だとかそんなおバカなイデオロギー對立とはまるで別箇に単に「哲學的帰結」に就き御話をしたダケのことなのだ。

 

 

じゃあほんたうに🗾のみんなは安心して良いのですね?

…良いのだ、コレでー良いのだー、バカボンボンッ♪

 

また何でそんなことを言うのだ?

 

其のココロとは、

 

7.🗾の物的體制はあくまで限定物

8.よって其れは🗾以外には通用しない體制

9.故に本質的にココ🗾の近代化は無理

 

との「限定的要件」が常に其処に存するからのことだ。

 

じゃあ🗾はココ🗾のみで勝手にやってろとさう仰りたいのか?

まさに其のものズバリだ。

 

🗾の體制とはつまりはそんな具象的な現實體制でありよってこと抽象的な「経済成長」だの「進歩主義」だのとは基本的にそぐわぬものなのだからして。

でもかっては「高度経済成長」なるもの迄をも成し遂げて居ますが。

 

ですから其れは、

 

4.復興力の強さー再生力の強さー

5.職人技の興隆ー本質的に良い物への機縁を持つー

 

との部分が現れただけのことです。

つまりは其の観念的な意味での「高度経済成長」とは無関係に物的で且つ生活的に其れが「職人技」の壱環としてさう成し遂げられたダケのことなのだ。

 

ではどーすれば良いの?

どーすれば良いの?ってもう上にしかと答えを書いて居るではあーりませんか。

 

 

7.🗾の物的體制はあくまで限定物

8.よって其れは🗾以外には通用しない體制

9.故に本質的にココ🗾の近代化は無理

 

つまりは此の参点より導き出される今後の🗾の體制とは、

 

むしろ「鎖國」であり、

徹底した「保護貿易體制」であり、

さらに「脱近代」であり「反近代」でもあらう物的経済體制の樹立です。

 

しかも其のことはむしろカンタンに出來るのだ。

何故なら其れこそ幕藩體制の頃に戻れば良いのですから。

 

いいや戻ると云うよりはあえて其の「孤立」としての途を歩むとのことであらう。

 

アンタでもそんなことはまるで通用しませんよ。

いえ通用するかどうかなのでは無くあくまで本質的にはさうなって居ると云うことを其れも學問的に述べさせて頂きました迄です。

 

 

4.復興力の強さー再生力の強さー

5.職人技の興隆ー本質的に良い物への機縁を持つー

6.物が宗教の域に迄達するー物が精神性をも帯びるー

 

ではいま壱度此の🗾の物的體制の優れた面に就き考えて置きませう。

 

ココ🗾は確かに復興力、再生力のやうなものに恵まれて居る。

其れは「物」其のものを現實的に捉える=現世利益として物を捉えるとの🗾人の認識によるものです。

 

あくまで彼等🗾人に取り物は神佛よりの賜り物でありよって其れが「使い捨て」の物でも無く逆にむしろ「感謝の對象」として機能しさらに「信仰」される迄に至るおおまるで神様佛様の化身の如きものなのだ。

 

故に「物」は「物」であり同時に「神佛」なのでも有り得る。

其の意味では「観念的」ともなるがでもあくまで其れは「人間が自律的」に創る観念世界では無く「神佛」が其処に顕現する限りに於いての「限定的」観念性のことであるに過ぎぬ。

 

また「職人技」とは本質的には其の「神佛」より賜りし「物」の世界を愛し慈しみより良い人間との関係を築くが為の「技術」のことである。

其の「技術」が時に日本刀の製作に培われまた🗾料理などのむしろ「引き算」での技などにも繋がる。

 

此処🗾に取っての「技術」とはあくまでさうした「現世利益」と結びつくところでの「生活の知恵」であり「捧げ物」としての感謝の念のことだ。

 

さう考えるに至り🗾の精神に固有に現われるだらう「現世利益主義」への嫌惡感が吹き飛びむしろ其こそが今後の🗾人の精神を規定して行くに相応しいものとして壱詩人の心中に立ち現れて來た。

まさに其の物への向き合い方、「物」を大切に扱うであらう心根の清さ、嗚呼まさに其のやうなものが逆に🗾の精神のかけがえのない遺産として我が心中に刻まれることとなったのだ。

 

 

「🗾の精神」

 

嗚呼まさにそんな風に呼んでも良いことのやうに思えます。

 

「🗾の精神」?

だから其れは「右翼」其のもののもの言いですよ!

 

エエじゃろ、そんな右だらうが左だらうが。

どだいワシは好んでマルクス主義も學ぶし其れも本質的にはアナキストなのだが壱面ではまさにこんな高橋 英樹なんだぞ。

 

高橋 英樹ではなくアノ東条 英機だらう!

所謂東京裁判でもって其の東条 英機のな、ハゲたアタマをかってはたいたのが思想家の大川 周明でな。

 

其の大川周明 - Wikipedia氏は何を思ったのか其の晩年になんとイスラーム教のことを詳しく研究して居たとのことである。

 

※参考資料

日本主義 - Wikipedia

アジア主義 - Wikipedia

 

 

では神國🗾はむしろコノ侭でエエのですね?

いやまるで良くはありません。

 

少なくとも近代は止めてアノブータン - Wikipediaのやうにのらりくらりと「國民の幸福度指数の増大」国民総幸福量 - Wikipediaばかりを追求して居ればエエ。

 

世界幸福地図 - Wikipedia

 

どだい此処🗾の幸福度指数は如何にも低くかうしてほぼ後進國並みなのだから!!

 

ですがイザ鎖國し國内を総職人化しさらに國連を脱退し独逸及び伊太利亜と再度同盟を結び最終的には孤立化して行けばまだしも「物的國家」として末永く生き延びるであらう可能性が高くもならう。

 

なのだが何時迄もかうしてアメリカ言いなりでしかもジミントーだのまたかの厚化粧の👩ー小池氏ーなどがのさばるか又は日銀や官僚のアホ共がのさばる國にして居る限り此の國の未來は無いものとさう見て置かねばなりますまい。

 

でも本質的にはさうして職人技による「物的體制主義」にて文明を続けて行けば「近代」をやり続け今世紀末に🗾が滅ぶのを結果的に阻止することが出來ませう。

其の意味での「🗾の伝統」こそは偉大です。

 

「🗾の伝統」はしかしながら経済成長でもって守り切れるものでは無くむしろ🗾の農林水産業や「職人技」の保持にて維持されて行くものなのですから。

尚其の百姓や漁民による食料の確保の技術こそがまさに其の「職人技」のことです。

 

よって町工場だけでは無く實は🗾の生活の全てが「職人技」の世界のものなのだった。

そんな「職人技」では無いのがむしろ日銀と官僚と政治家の面面の世界です。

 

だから其れはココ🗾に取りそも要らんのでそのうちに是非全廃でもした方が良さそうです。