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文明批判と美と心の探求と

「Jinhao9019ベートーヴェン」についに当たるー「理想のJinhao9019」を引き寄せた御話ー

「Jinhao9019ベートーヴェン」についに当たるー「理想のJinhao9019」を引き寄せた御話ー

 

 

 

 

長生きする人は“お肉だけ”を食べていたのか? 100歳を超えても現役医師だった日野原重明先生の“本当の食生活” (msn.com)

 

要は🗾の食生活がむしろ健全なのですが「肉」を食べる習慣が歴史的に無いので世界の肉食人種と比べればパワーが特に「批判的」なパワーが出にくくおまけになにせ「和が尊い」國ですので「全體主義」に流れ易いとのそんな「非自立的な洗脳體制」の中へと其れも何時の間にか組み込まれて仕舞い易いからむしろ「逆」の方を向きまた其れをやれんでも良いから顔ダケは向けて置かうと云うのが自分の意見です。

故に「健全」=「正解」だとは必ずしも言えない。

が、🐱などは兎に角肉食ですのでそんな🐈の多頭飼いをするうちに自分は次第に「肉食人種」へと化しつつあります。

 

ですが本日はガストから🐔のから揚げばかりを取って居る。

たった今其れを待つがすでに空腹が限界に達しつつあり其の空腹を茶を飲み紛らわせて居る。

 

其の茶は何と弐リットルボトル入りで98円のしかも茶の専門店が作るもので決して不味くは無い茶である。

だが其れを探し出し買って來ることは余人になかなか出來るものではない。

 

ズバリ言えば其れはドラッグスギヤマにしかない物だ。

おおまさに其は🗾壱経済的な茶であらう。

 

因みにたった今アマゾンにて弐リットルボトル入りの値段を検索してみたところ一番安いのが120円だった。

しかも其れは如何にもマズさうだ。

 

 

さて此の「物に對する拘り」こそが實は具象的な意味での「生きる力」なのでなくて何であらう?

自分はありとあらゆる観念を此処40年に亘り其れも突き詰めてやって來しが其の結果として得られしこととはまさに「脱観念としての具象的限定」を目指すことのみである。

 

其れをあえてカンタンに言えばまさに「生活バカ」となることなのだ。

即ち観念にもまた生活にも即ち「価値ヒエラルキー」が生ずるが故に其れに捉えられれば「全體主義的洗脳」が個に於ける認識世界を破壊しにかかることは必定である。

 

ところが生活の方では限定性がより高くなるが故により現金とならざるを得ぬ。

ところが其の食うことや物と付き合うこと、さらに生老病死することは「全體主義的洗脳」とは本質的に無関係なところにこそ有る。

 

さう其れは「有る」のであって「無い」ものを妄想するのとは違う。

逆に「無い」ものを妄想するのが、

 

1.金持ちになりたい

2.長生きがしたい

3.美女とねんごろになりたい

 

などの極めて「社會的」な妄想である。

だから其れ等はむしろ「要らん価値」である。

 

そも其れは要らんので逆に「要る価値」を求め動くと「ドラッグスギヤマの2リットルボトル入りの廉価茶」がわたくしの場合はさうして出て來た。

なので其れがまさに「脱観念としての具象的限定」のこと其のものなのだ。

 

でもって其の2.に関しても其れは求めてさうなるものなのでは無く只さうして生活の上で自然と腹が減る。

故にたまには肉を食わぬとむしろ體が持たん。

 

だけれどもなるべく安い肉を今日は食いたい。

だったら🐔の肉を此の際食おう。

 

と其のやうに極めて具象的で且つ「観念的価値洗脳」とはまるで無関係な生活上での御話である。

其れ即ち戦火に喘ぐウクライナがどうならうがまた台湾有事が有らうが無からうがさらにジミントーが潰れやうがどうしやうがまるで無関係な實存的な価値のことなのだ。

 

 

おお美味い!

こんなガストのから揚げ🍱が安くてしかも美味い!!

 

だがポテトフライを買って置いて良かった。

何故ならガストのから揚げ🍱からはすでにキャベツの千切りが消えて居るからなのだ!!

 

故に其処にポテトフライでも入れないと空間が広過ぎ余りにみすぼらしく見える。

「事件」と言えば兎に角むしろソッチの方が事件でありジミントーの議員に金が回らなくなりよって自分のボーナスを切り崩して仕事をやる羽目にならうともまるでお構いなど無し。

 

しかとさう生活詩人は述べた。

おおまさに其こそが人生の要諦部であるのだと。

 

だがかってかの文豪芥川 龍之介は其のことと逆を言った。

かの芥川は『河童』にて「生活至上主義」をむしろトコトン批判的に見詰めた。

 

だが厭世詩人の考えはまた其れとは違う。

さう彼はすでに「生活至上主義者」なのだ。

 

エッ?アナタはむしろ「藝術至上主義者」なのでは?

はい、確かにさうである。

 

我は確かに其の「藝術至上主義者」である。

だがまた同時に「生活至上主義者」なのでもある。

 

同時に?

さう其れも全くの同時に。

 

 

ちなみに其のガストのから揚げ🍱からは「味付け」までもが消えておった。

其処で考えねばならぬことが肉物には醤油ベースの調味料が實は壱番合うとの事實のことだ。

 

ならば醤油をかけてみるか?

だが母が「創味のつゆ」をかけると言うので其れをかけ食ってみるにまるで高級焼き鳥店の焼き鳥の如き御味がする。家庭用製品のご案内 | 製品情報 | 創味食品 (somi.co.jp)

 

元は関西の味なのだらうがまさに「美味いものとはかういうものだ」とでも言わんばかりでの御味がする。

但し「創味のつゆ」其れ自體は決して安いものには非ず。

 

むしろ高級品なのではなからうか、其のつゆだの醤油だのの中に於いては。

 

くうわあー、うんめえ。

件のガストのから揚げ其れ自體は次第に肉が痩せて來し感じなのだが兎に角其の御味こそが壱流品なのだ。

 

尚そんな「創味のつゆ」は「焼肉」や「🥩」などにもむしろ最高に合う。

兎に角左様に創意及び工夫により「値段を下げても美味いもの」を是非探して行くべきなのだ。

 

ところが金持ち連中は左様なことはまるで関係が無い。

だから彼等は馬鹿地獄へと総じて堕ちるのであらう。

 

4.低予算の幸せ

5.「長生き」とは単なる観念であり其れに縛られぬ幸せ

6.👩に縛られぬ幸せ

 

とさう彼壱詩人は「観想」する。

そんな壱流の喜びは何も銀座に有るばかりでは無くたった今ココ瑞穂区にこそ有れり。

 

そんな「生活至上主義」とはつまるところ創意工夫にて「安物の範囲にてむしろ高級な価値を味わう」が為の思想でありコンセプトなのだ。

またイザ其れを可能とすれば「社會的に齎される価値ヒエラルキー」の部分を遮断するにせよ逆に満足の行く生活に目覚められるのだとも言えやう。

 

即ち生活即樂園であり且つ生活即藝術でありさらに生活即夢の只中とさう化すことが其処に可能となる。

でもって彼はむしろ毎日そんなに樂しく生活をするので結果快食快便でもって「長生き」をするのである。

 

即ちたった今とまた今後に亘り齎されるであらう社会的な災厄や苦難を転じて己が幸福の形へと變じて行く訳だ。

 

故に何時もこんなに「幸せ♡」だ。

ほれ見よ、すでに彼にはもはや其れしか無いのだ。

 

おお彼は観念と苦闘し続けついについに「達観」の域に達せり。

 

もはや何者も彼の「幸せ♡」を奪うことなど出來ぬ。

もはや👿ですら彼の「幸せ♡」を奪うことは出來ぬ。

 

だから其れはまさに自立的で且つ自律的に彼自身が今ソコに築きし「幸せ♡」其のものなのだからして。

 

 

さて万年筆がまた壱本増えた。

其れはJinhao9019の参本目である。

 

だが其れをイーベイにて求めたのでは無い。

またアマゾンなのでも無い。

 

其れをヤフオクよりたまたま求めることとなった。

何故ならおそらくは世界最安値で落札したので。

 

其れも大體送料込みで千五百円程だ。

 

また場合によりヤフオクでは千参百円位となることもまたある。

ところがメルカリの方を調べたところ其の倍位の値段で出されて居た。

 

でもって只安いだけなのであれば何もわざわざワシが此処へ書いて來ることなどは無い。

さうでは無く其処に「重要なこと」が起きたので自分は今其の参本目のJinhao9019に就きあえて述べるのである。

 

 

参本目のJinhao9019はまた黑軸だった。

 

【JINHAO-金豪】Dadao 9019 極太軸1

【JINHAO-金豪】Dadao 9019 極太軸2

【JINHAO-金豪】Dadao 9019 極太軸3

【JINHAO-金豪】Dadao 9019 極太軸4

 

かうして兎に角立派な万年筆である。

 

でもって壱瞥してすぐに分かるのがペン先がより大きく見えることなのだった。

ペン先がより大きく見えると無論のこと見榮えがより良くなる。

 

ではペン先自體がより大きいのかと言えばさうでは無く要するにペン先の入れ方ーセットの仕方ーの問題である。

さう此の個體は軸側に對しより浅くペン先がセットされて居ることとなる。

 

尚個人的には「ペン先がより大きく見えるやうな固定の位置」をこそ好む。

ところが「ペン先がより大きく見えるやうな固定の位置」を取るとあれこれとまた問題が出易くなるものだ。

 

でもって實は此の個體に其の問題が顕著に出て居たのである。

 

うーん、格好は良いとしてではちゃんと書けるのか?

 

實は其れが「ほぼ書けなんだ」のだった。

ついにやってもうたー、無用の長物をついまた引いちまったのだ。

 

ワシの筆記運もまさに此処迄よ。

此の強情な調子の惡さは此処拾年余りでむしろNo.1級のものぞ。

 

またついこないだインクがまるで出なんだプラチナの銀製太軸モデルとほとんど壱諸だわ。

不細工や出來の惡さももう此処迄來れば大したものよ。

 

こんな腐った筆は捨てたるわもう死んでまえ此のクソJinhaoめが!!!

 

と怒る前に實は廿分位あれこれとやって居りましたのです。

其れもあらゆることをしてもインクはまるで出なんだ。

 

其れもプラチナの銀製太軸モデルのやうにうっすらとインクが出て書けるのであればまだ可愛いものながら此のクソJinhaoの場合にはインクの出方が何時迄経っても零なんだ!!

あーあ、余分なところへまたつい手を出した。

 

其れぞヤクザの👩に手を付けたのとまるで同じだよ。

が、25分位経った時に冷静になりよーく考え直してみたのです。

 

 

「最初にインクが出ぬ筆こそがむしろサイコーの筆である」

此の言葉こそが筆記詩人が40年もかかり辿り着いた万年筆の上での「眞理」なのだった。

 

が、其れもまた結果に於いて「弐元分離」をする。

即ち「サイコーの筆」と「サイテーの筆」とに分かれるのである。

 

今年になり使い始めたプラチナの銀製太軸モデルはそんな明らかに個體として「サイテーの筆」なのだ。

だがそも連続で果たしてそんなことが起こり得るのだらうか?

 

でもって次にかう考えた。

「もしもコレが最高の筆であるのならばおそらくはインクフローが最大限に良いことだらう」

 

ところが「インクフローが最大限に良いサイコーの筆」に限り使い始めの時に難があるのでむしろわたくしはさう述べたのだった。

だったらもうコレは間違い無くサイコーの筆だらう。

 

 

さう其れはもはやサイコーの筆でしか無い。

さう結論付けたわたくしは徐にインク瓶の中へ其のペン先を浸し始める。

 

ところが其れでもまだ書けん。

次第に怒りが充満して來其のペン先をインク瓶へ浸す手がワナワナと震えて來る。

 

實は弐度目でもまんだダメであった。

ところが参度目にイザインクが出始めると後は話が早かった。

 

さう其の参本目のJinhao9019はむしろ高次元に「当たった」御品であった。

 

まさに其の直後に、

「個體的に素晴らしい御品を此の度はどうも有難うございます。早速使って居ます。まさに得難い中華ペンだ。」

 

とか何とか萬佳さんへと評価を出して置く。

 

つまりはインクの出が抜群に良い個體である。

ところが其の能力故に使い始めに難があったとのことなのだ。

 

だが其れ以降は書き始めに特に弱い訳では無い。

 

尚此のやうなことが實は人間の性格や行動などにも屡当て嵌まったりもまたする。

要するに八方美人的な奴は誰にでも当たりは良いが眞心や誠實さには欠け考えていることの底が浅かったりもまたするものだ。

 

逆にベートーヴェンのやうなタイプの人は融通が利かずしかも頑固で理解されにくいのだが或は神の認識にまで通ずることだらう「天才」である。

だから其の不器用さのことを自分はむしろ大きく評価する。

 

其の「不器用」で「何でもパッとやれない気難しい性質」こそが實は大能力の性質なのでもあり要するに器の大きさの証明ともなる訳です。

だから此の参本目のJinhao9019こそが「ベートーヴェン」タイプ其のもののペンなのだ。

 

Jinhao9019「ベートーヴェン」と其のやうに今は其のペンを名付けて居る。

でもって兎に角勿體無いので暫く遊ばせてある。

 

では其れでもって文字を書いてみやう。

 

 

タダ視

交響曲第九番

橄欖石

理想の廉価ペン

創味のつゆ

鶏の参本足

 

嗚呼なんて素晴らしいのだ。

其れもまるでシルクロードのやうな書き心地がする。

 

こんなペンがまさか千五百円で手に入るとは!!!

 

眞面目な話此の個體は私の持つ万年筆の中でほぼNo.1としてのインクフローの良さを持つ。

だからヤッパリいま少し何処かへ隠して置かう。

 

でもって弐本目の靑軸の方はインクフローが良くされどペン先が余り出されて居ないタイプとなる。

故に現在は其れを主に使用して居る。

 

たった今其の弐本を書き比べたところ黑軸の方が書き心地が素晴らしく要するにインクの出方がより優れて居る。

ところが靑軸の方もまたむしろインクが出る方なのだ。

 

故にJinhao9019と云うモデル其れ自體が基本的にインクフローが良く書き易い万年筆であることが良く分かる。

ところが特に使い始めに癖があるのでどうか気長にインク瓶へとペン先を浸して置いて頂きたい筆である。

 

其のやうなある意味「個性的」な万年筆はむしろ自分の好みのタイプであり重要な筆記上のパートナーなのだとも言える。

…また書いてみたが兎に角凄い。

 

何がってまさに其のインクの出方其のものがほぼ神業のやうなものよ。

 

兎に角此のペンは皆に知らせぬうちに地中深く埋め隠して置くべき。

さう言いながらもう書いちゃったではないか、君がそんな「理想の廉価万年筆」を得たことを!

 

いえまるで書いては居りません。

わたくしが書くことの内容はいつも夢物語でありわたくしが生きる上でのポリシーとはズバリ「酔生夢死」なのですから。

 

 

屹度今夜辺りから泥棒がそんな君の「理想の廉価万年筆」を狙いおそらく何人も出て來ることだらう。

さうして日曜の朝筆記詩人が目覚めるとすでに其の「理想のJinhao9019」は忽然として消えて居たのだった!

 

だから御前のやうな惡い人間から守るが為にこれから其れを庭に埋めて置くのだよ。

でもソレをやったところもはやドコに埋めたのかがまるで思い出されない。

 

うーん、結局すぐさま消えたやうだ得難き其の「理想のJinhao9019」は。

いや其れは文學の上であえて消したのでありどだいちゃんとアナタがたった今其れを左手に持って居ますよ。

 

ああーさうなのかーよかったあー、此のペンは多分ワシよりも長生きじゃらうな、わっはっはっはっはのはー。

そんな訳でかうして人生は何が起こるかまるで分からんところこそが謂わば唯壱の取り柄であり良いところなのやもしれません。