如何にも神秘的な「夜叉ヶ池」と「仙人池」に就いてー「中部ネイチャーシリーズ」天空の水鏡に視る「美の世界」ー
次の政権を取ってほしい党 3位 立憲民主、2位 維新を抑えた衝撃の圧倒的1位は? (msn.com)
此処を読んでみたら何と独走での壱位は自民党とのことです。
🗾の大衆はすでに「洗脳」され切って居るとのわたくしの意見がまさに此のことにて証明される筈です。
🗾の大衆は最終的に御勉強が嫌いなんだらう。
そも何かに疑問を持ちソコを解明せんが為に自ら御勉強することが出來ぬ訳です。
だから此の侭では其のジミントーがもうやりたい放題ですね。
其れと公明党にもハッキリ申して大きく責任がある。
故に僕は來年公明党をも大批判して行く積もりで居ります。
ま、其れも自分が來年も生きて居ればの御話ですが。
大疑獄事件になり得る 自民パー券問題で枝野氏 (msn.com)
國民生活がまさに大變なたった今こんなことで左様な大疑獄案件を噴出せしめるやうな政治のあり方とはそも何であらうや?
其れぞつまりは与党政権が腐り切って居ることの確かな証拠ではにゃーのか。
にゃーのかにゃーのかにゃーのきゃあ。
そんなパーテーをよりによりやり其処にて酒池肉林の宴を繰り広げるからこそまさにさうなる。
其れはさうと総理大臣は是非枝野氏にすべきであらう。
NHK大河ドラマを信じてはいけない…「徳川秀忠=凡庸な二代目」とは言えないこれだけの理由 (msn.com)
だから淀殿は家康の要求をすべて拒否した…淀殿が息子・秀頼を異常なまでに溺愛した特別な理由 (msn.com)
なる程、此の方の御意見はいつも参考になります。
【思考実験】「頭がいい人、悪い人」がわかる1つの質問 (msn.com)
其の「アイデンティティ」に関する問いは此処に挙げられた「テセウスの🚢」に限らず東洋に於いてもまた古くより議論がなされて來て居る。
其れは例えば「ミリンダ王の問い - Wikipedia」なるものである。
但し此の問題はまさに高度な哲學的な課題故さうさう単純に結論を出すことは憚られる。
即ちよーく考えてみなければ分かりはしない問題であり課題なのだ。
其の「ミリンダ王の問い」の内容に就いてはややこしいものが多くして其れを書くのはなかなか難儀となる。
とは言え好きな分野ではありますのですが此の世の中の表象的な現象はまた其れとは別にゴタゴタのー低次元でのー難問が多くつまりは其れとかかり切りとなり其の思考上の難儀に對しどうも億劫とならざるを得ない。
要するに「アホなこと」に煩わされちゃんと考えられなくなって仕舞う訳だ。
其れを逆に言えば「テセウスの🚢」だの「ミリンダ王の問い」だののことに就き考える心の余裕を持つこと其れ自體が此の世では常に難しい訳です。
さて昨日こちらの番組を母と共に視て居る。
天空の水鏡 前編 〜福井 夜叉ヶ池〜 - 中部ネイチャーシリーズ - NHK
其の「中部ネイチャーシリーズ」とはNHK名古屋局が制作する「中部地方」の自然を対象とする番組である。
故に其の番組の価値は所謂「オンリーワン」のものとなるものだ。
即ち関西にも関東にも決して作れぬ番組なのだ。
其れも関東ではたった今政権与党による政治不信の様が噴出しまた関西では例の大阪万博に於ける開催費用の倍増の問題が浮上しもはやどーにもならなくなってるのだがココナゴヤではアノ河村市長の暴走が少しだけ心配な位で他は別に惡どいことはやって居らず所謂地道につましい生活を送るばかりですのでそんな良い子の方方に自然の側からプレゼントが用意されまさに其れが此の番組でもある訳なのだ。
だからナゴヤはそも首都なんぞやりたくネエのだし大阪みたいにあんな商人根性ばっかでは無い。
だからナゴヤはそも精神の方が高等だからソコにて見詰めるものと言えばほぼ「自然」であり銀座の飲み屋の綺麗なネエチャンでもなく道頓堀のドブ川へ飛び込むそんな熱狂でも無くズバリ哲學を生きておるのだ、其の哲學をこそ。
なのでナゴヤにはそも哲學者が多いと來てる。
其れもまるでボクみたくにさうなる訳です。
此の「中部ネイチャーシリーズ」こそはナゴヤが此の世に示しただらう「良心」であり「眞の価値」のありかである。
虚の文明に踊らされぬと云う価値は東京にも大阪にも望み得ず此処愛知にこそあったのだった!
君は東京や大阪をバカにするのか!!
だって實際バカじゃないですか。
其れもどう考えてもオカシイですよ。
まあ否定はしませんが東京や大阪に「自然を愛でる心の余裕」などもはや無いのです。
だから自然破壊ばかりがさうして其の周辺でもって進む訳です。
ナゴヤも實際酷え破壊をやっとるじゃないか!
まあ名古屋駅周辺とか榮町辺りなどは確かにさうです。
ですが相生山は其れとは違いますわ。
また東山の近辺も違う。
東山の周りは金持ちが多くつまり金と環境の両方を手にして居ることが羨ましくもあり且つ大問題だ。
つまるところ此の世では金さえあれば無人島の買い占めや別荘地の買い占めなどが出來るのですから。
が、本質的に「自然」は「心の余裕」こそが引き寄せるものであらう。
心の余裕を持つ為には「限定」する即ち余分なものを棄て去ることでもって其れを實現して行くより他は無し。
すると此の寒空の下で「自然」を観賞することこそが最高の贅沢なのですか?
さうです、まさに其れにて心は解放され得るのだ。
たとえストーヴが無くとも。
早う買えよソレを。
いや兎に角筆記具の整理が忙しかったものですから。
そんな筆記具の整理なんぞもう年末か正月にでもやれよ。
でもさう云う訳にはイカンでせう。
兎に角今年の課題は今年中に是非やって置かねばなるまい。
天空の水鏡 福井「夜叉ヶ池」北アルプス「仙人池」 ×イナガキヤスト オンラインフォトギャラリー | NHK
さて番組の案内役を務める富山の写眞家であるイナガキ ヤスト氏の写眞が兎に角凄い。
イナガキヤスト 富山 写真 - 検索 画像 (bing.com)
此処迄「自然」を美しく撮れる人を自分は他に知らぬ。
特に横長の写眞が良いやうに思う。
ところで「夜叉ヶ池」と言えばまさにアノ泉鏡花の小説の舞台となった『夜叉ヶ池』である。
番組中で視た其の「夜叉ヶ池」は其の名の通りに壱種神秘的な深い藍色をした小さな池だった。
其れも山奥のさらにまた山奥にある池なので自然とまたさうして神秘的にもなるのである。
尤も「夜叉ヶ池」と云う自然其のものと文學としての『夜叉ヶ池』とはまた違うものとなる。
其れと云うのも文學は「自然其のもの」を写し取り書くものでは無くあくまで「自然其のもの」より連想される「物語」を虚構し語るものであるのだから。
尚彼泉 鏡花の作品はむしろ今最も読みたい作品群となって居る。
其れ即ち自分は泉 鏡花の作品が嫌いでは無い。
尚泉 鏡花には『外科室』なる作品がある。
また其の作品の映画化がかってなされて居りわたくしはかって其の映画を映画館にて観て居る。
印象としては生涯で観た映画の中で最も壱種高尚で且つ風變わりな作品だったと云う記憶が残る。
映画
本作を原作とする1992年に公開された松竹制作の映画。坂東玉三郎の映画初監督作品で、「上映時間50分・入場料1000円」という興行方式も話題になった。[6]
キャスト
- 貴船伯爵夫人:吉永小百合
- 高峰医学士:加藤雅也
- 清長:中井貴一
- 看護婦長:鰐淵晴子
- 腰元・綾:南美江
- 老人:伊井義太朗
- 庭園の夫人:広田玲央名
- 貴船伯爵:芳村伊四郎
- 検校の手を引く者:中村浩太郎
- 検校:中村勘九郎
- 毬谷友子
- 酒井寿
- 望月祐多
スタッフ
- 監督:坂東玉三郎
- 制作:小田久栄門、奥山和由、荒戸源次郎
- 脚本:橋本裕志、吉村元希、坂東玉三郎
- 企画:秋山道男、伊藤寿
- 撮影:坂本典隆
- 音楽:ヨーヨー・マ、エマニュエル・アックス
- 美術:重田重森
- 録音:橋本文雄
- スクリプター:篠山紀信、ラフマニノフ
- 助監督:山中浩充
- 照明:渡辺康
- 製作:松竹、テレビ朝日、荒戸源次郎事務所
- 配給:松竹
矢張りと云うべきかプライム・ヴィデオの方には其れが無い。
こちらにあったが兎に角こんなクソ高い値段が付く。
其れは所謂「大衆受け」するやうな映画とは正反對でのまさに「詩的で藝術的」な作品である。
とは言えもう参拾年程前に観た映画なので視たいと言えば視たく是非何とかDVDでもって視てみたい。
此の映画はまたキャストや音樂の方に壱流どころが揃い凄い。
さらに監督がアノ坂東 玉三郎である。
ちなみに自分は其の坂東玉三郎 (5代目) - Wikipedia氏のことが好きである。
ちなみに坂東 玉三郎氏はすでに「人間國寶」となられて居るとのことである。
だが「人間國寶」はそも普通の人間とは違うのか?
だとすると果たしてドコが違うのだ?
即ち其の虚のヒエラルキーのやうなものがどうも気に障ると申すか引っ掛かる点だ。
もしやそんな虚のヒエラルキーの堆積物の中に埋まり込んで文明は身動きが取れなくなり滅ぶのではなからうか。
故にさうしたものはなるべく消して行く方がむしろ良いのではなからうか?
あれ、だが待てよ、坂東 玉三郎と言えばアノ映画版の『夜叉ヶ池 (映画) - Wikipedia』であらう。
此れなども40年以上前の映画なので知らぬ人が多いのやもしれぬが我我還暦世代に限れば当時何度も繰り返し見た覚えがある映画である。
Amazon.co.jp: 夜叉ヶ池を観る | Prime Video
ほれ見よ、かうして出た。
だがプライム会員でも400円払わねば視られぬ。
では其れを払い早速今夜にでも視てみるか。
其れもまあ当時は映画番組などが多くて其処にて何度もTVで放送された映画なのでハッキリ申して視飽きておったが其の後全く其れが無くなりやうするにすでに「カルト映画」の範疇に属す作品ともなって居らう。
今やおそらく40歳以上の人でないと知らないのではなからうか。
そんな訳で何時の間にか泉 鏡花の作品と映画作品としての『夜叉ヶ池』を今夜鑑賞する羽目となった。
が、實は「中部ネイチャーシリーズ」の続編がまた本日18時より放送されるので無論のこと其れも是非視なければならない。
天空の水鏡 後編 〜北アルプス 仙人池〜 - 中部ネイチャーシリーズ - NHK
こんなことで社會問題の方をイザ切り捨てても尚案外忙しいものである。
即ち「やらねばならん」ことばかりでもってして。
だから自分は時折🏔へと入るのだ。
即ち其の文明による「やらねばならん」状態ソレ自體をカット・オフせんが為にこそ。
と言うことはある意味で「自然」とは人間に取り「忘却の彼方」にこそ拡がるものなのである。
つまりはそんな意識的なものでは無いものであり其れは謂わば「言語以前での憩いの場」其のものなのだ。
左様な「憩いの場」をあえて嫌うのはすでに人間存在がまさに「社會的に洗脳」されて居るからに他ならぬ。
故に其の「社會的な洗脳」をこそ解くことこそが個と云う人間に取っての喫緊の課題となるのだ。
まさに其の「洗脳を解かんが為の」映像記録として「中部ネイチャーシリーズ」こそは是非御勧めの番組だ。
尚「中部ネイチャーシリーズ」はNHKプラス以外でもNHKオンデマンドの方にて視聴することが出來る。
NHKオンデマンド 躍動する大自然 奇跡の絶景ストーリー (nhk-ondemand.jp)
まさに其れがコチラとなる。
兎に角下らないゲームなどに嵌まることなどよりはこちらの番組をしかと視て置くべきだ。
人間の認識は元來下劣極まりないものであるので理性的な努力を怠ればすぐに其の認識は地に落ちて仕舞う訳だ。
其のことを回復する努力は宗教や哲學以外でもかうした質の高い良い番組を視ることにて必ずや醸成されやう。
さてつい先程「中部ネイチャーシリーズ」の「仙人池」編の方をTVにて視た。
1.美しい北アルプスの紅葉の様
2.「仙人池」と「北アルプスの山の峯峯」が醸し出す「地上の樂園」としての美の様
3.「仙人池」までの過酷な行程
などにいたく感じ入った。
左様に美しいものが確かに此の世には有る。
其れは無いのでは無く有り、有るが其の機會が得難いもののことなのだ。
有ることは無いことの静謐さよりも道理として喧しいが其れはそんな稀なる「美」を語ることなどもまたある。
まさにわたくしが求めてやまぬものとはそんな稀なる美の世界のことなのだ。
其れは其の饒舌さによる喧騒を離れ奇跡的にひっそりと咲き競うが如き美の世界のことである。
そんな美の世界がおそらくは何処にでもある。
只其のことが見えにくくさうして聴き取れぬ程の小さな輝きでしか無いのである。