「東京壱極集中」なる「価値の絶對視」のことに就いて
「東京一極集中」に貢献している地域ランキング 東京デッドエンド化は誰が生み出しているのか (msn.com)
まさに其の「東京壱極集中」こそが大問題なのですが其れを大問題であると認識して居る人がそも少ないことでせう。
ちなみに関西人は兎に角其の「東京壱極集中」こそがダメでよって関西が代わりにやった方が良い位のことを多分思ってるのでせうがおそらく其れは無理なことでせう。
また中部圏がやれるかと言えばやれる筈は無く要するに「我関せず主義」ですので何か大災害などがあった場合には案外中部は強い可能性はある。
また金も稼いで居り兎に角物作りが上手いので要するに自活力があることでせう。
さらに野菜も採れ海産物などもまた獲れるので食うのにもまた困らないことでせう。
其れと名古屋圏は人口が東京圏、大阪圏よりもそも少ないのでとりあえずは生きるのが比較的樂です。
ですが自分はあくまでもっと山の中へ出來たら移住したいタイプでの人間です。
また唯我独尊企業TOYOTAみたく日本壱儲けるだけ儲け其の金でもってTOYOTA流の未來都市を築くなどと云うとんでもない計画もまたある訳ですがもしや其れを東京の代わりにでもする積もりなんでせうか?
もっともTOYOTA流の未來都市の移住権がもしも我に与えられたにせよ自分は絶對其処には行きませんのですけれども。
さても其の関西人の「東京壱極集中」こそがダメなんで代わりに大阪や京都がくっつきやりまっせと云う論理はでも如何にもオカシイでせう。
では大阪や京都や神戸がくっつき東京の代わりになったにせよ其れは関西にまた都が戻っただけのことではないか。
そんなんでは無くむしろ地方分権をやるべきなのだらうが兎に角また其れも色色と難しくなる。
矢張り幕藩體制へと戻すのが壱番良いことのやうに思われてならない。
さて上でのデータが示すやうに大阪や名古屋から東京へと人が移動する「地方大都市の人口ダムの決壊」との御指摘にはまさに驚かされました。
で、事實としてさうであるならば確かに関西も中部もほんにアホみたいなもんでまるで威張れぬ状況ともなりませう。
但し其の点に関して個人的には以下の如くに考えます。
1.関西や中部にはおそらく町工場のやうな中小企業が多いことだらう
2.對して東京には抽象的仕事を可とする企業が多いことだらう
其れもあくまで「だらう」での話です。
例えば中部圏では所謂「テレワーク」なるものがまるで機能しない。
何故なら「物造り」をする現場に其の「テレワーク」などはしやうが無い訳です。
つまり其れは「眞の意味での勞働」なのでありピンハネの為のどーでも良いやうな書類上の仕事とはそも違うのです。
逆に申せば、
3.東京にはピンハネの為のどーでも良いやうな書類上の仕事が多いことだらう
とまあ嫌らしい言い方をすれば其のやうになる訳です。
でもって自分はむしろ林業だとか木こりさんだとかまた漁師さんだとか海女さんなどむしろそちらの仕事こそが體を張った素晴らしい仕事であるとさう尊敬しても居りましてよってコンピューターと壱日にらめっこするやうな仕事は良い仕事だとはまるで認めて居りません。
かと言って手の動かぬ自分には勿論其れは出来ません。
其れと所謂職人の仕事なども素晴らしいと思います。
其れに元來人間の仕事と云うものはむしろそちら方面でのものなのだらうと思う。
で、人間は兎に角「樂」をしたがる生き物ですのでそんな東大阪やら名古屋の北の方で町工場だのまた大企業の工場にせよ兎に角油やら何やらにまみれコキ使われるよりは誰しもテレワークにて済む仕事の方がやりたいではないですか。
おそらくはまず其の「仕事としての質の違い」と云うことがあり関西圏や中部圏から東京へと人口が流出して行くことかと思われる。
であるのであれば其れはほぼ解決することは無い問題だともまた捉えられる。
要するに其の「より抽象度の高い仕事」に群がる人の流れは止まらぬことでせう。
「より抽象度の高い仕事」はより「物造り」からは乖離しまさにどーでも良いやうなピンハネ體制をより堅固に形作って行くことだらう。
であるとすればまさに其のことが「搾取體制」の大問題として今後より壱層文明社會の首を絞め続けて行く訳だ。
また其のことはコロナ禍以降屡語られるやうになった所謂「エッセンシャル・ワーク」以外での仕事に對する本質的な意味での問いを孕む問題であり課題です。
尚自分は勿論「勞働は常に尊く仕事に貴賤は無い」とさう考えて來て居ります。
ところが此の文明社會が其の勞動にもまた仕事にも貴賤の別を設けたがるつまりはヒエラルキー化したがる訳です。
でもって其のヒエラルキーにより給金の額が決まる訳です。
故に其れは必ずしも仕事量に比例する賃金を貰う訳では無くあくまでヒエラルキー設定に沿った形での御金をみんなが貰う訳です。
ですが其処にはヒエラルキー設定に沿った形での搾取が行われて行く訳でよって必ずしも其処で気分良く働ける訳では無いのであります。
尚金になる仕事をすれば金になりますので例えばマグロの壱本釣りの漁師になり其れがいつも釣れればむしろ物凄く儲かる訳だ。
逆に儲からぬ仕事をあえてすれば儲からぬ訳でですが其れでは中小企業なども潰れ其れこそバランスの惡い社會となるので公的な支援策が其処に是非必要となるが自由民主党による政策でのやうに「政府は兎に角みんなを自由にさせるから個人でもって決めてやってね」的なやり方では日本の中小企業などは皆潰されて仕舞います。
兎に角其の「社會全體としてのバランスの悪さ」がまた酷い訳です。
また其れは「日本社會としてのバランスの悪さ」だけでは無く其れこそ「現代文明としてのバランスの悪さ」が弐重にのしかかって來ても居る。
其れとみんなは兎に角なるべく樂をして生きて居たい。
そんな樂をしつつ兎に角長生きをしたいばかりである。
いや別に其れが惡いのではないのですがいずれにせよ其れでは日本社會は次第に壊れて行くのではないでせうか。
其処で考え方を変えるべき段階に來て居るのだと思われます、其れも他ならぬ我我日本國民の側の方が。
4.地元に生きることの素晴らしさに気付く
5.東京は上手く利用すれば良いだけの処
元元名古屋人は地元意識が強く且つ👪主義であり名古屋で生まれ仕事をしさらに老いて死ぬ人などもまた多い。
また何でも揃うのだし別に不便なのでは無い。
故に上での記事とはまた正反對に東京にはまるで興味の無い人などもまた多いのです。
但し東京の會社は名古屋や関西の會社よりも賃金が上で事實私も以前は東京が本社の會社の名古屋支店にかって勤めて居たのです。ー研究所時代にー
従って別に物凄く東京に魅力がある訳でもありません。
でも例えば藝術の分野だとかまたコレクションの分野だとかに秀でた部分があることは事實として否めません。
また他にも素晴らしい部分は多多あることでせう。
尤もどうしやうも無いな、もう東京はとさう思うことなどもまたあるのですが。
ですが自分がかって御世話になりました東京の會社はあくまで會社としては確りして居りました。
其れもブラック企業の反對であり兎に角毎年名古屋のホテルにて懇親會があり其処で美味いものがたらふく食える訳です。
だから東京の會社の名古屋支店や大阪支店に勤めると凄く良いことかとさうも思います。
其の関西もまた石などは結構充實したものが常に感じられる。
さらに昔万博もありまた其れをやるんでせう?
関西もまたお笑いだけでは無く文化の方が特に凄い。
結局其のやうに双方向を見詰めることが大事で其れがバランスを取ることに繋がる。
ところが自分はさらに地元をも見詰めて居る訳で、よってより正確には自分の生き方とはまさに其の「参位壱體」でのことです。
其の「参位壱體」での教義こそが最もバランスの良い、所謂完全なるものに近い認識となるのではないか。
さて都會とは欲望の集積場のことでむしろ其れを離れた方が良いとする考え方などもまた壱面では正しいことかと思われる。
まさに其れは其の通りのことでありまさに其の観点からすれば其の都會とは無関係に地元でもって生き死ぬるのであればむしろ其の方が良い。
其れも抽象的なピンハネ業では無くして具象的な勞働に携わり其れを生涯に亘りやれるのであれば其れはむしろ幸せなことでせう。
都會の価値とは其のやうに絶對性を保ち得ない価値である。
ところがどうしても都會人は其の価値にヒエラルキーを築きがちなのだ。
其処にヒエラルキーを築くこと其れ自體が生きる価値としての相対性を踏みにじる行為であるとはまるで気付かずに…。
ヒエラルキーを築くことによりより上位の何かを得やうとして躍起になるがまさに其のことにより我我は社會的な自決を招いて行くのやもしれない。
左様に生きる価値とは相対性な尺度による問題なのであくまで個としては其の尺度をこそ保って居なければならない。
其れは社會が欲するであらう絶對的な価値ヒエラルキーからは自立的に離れる必要がどうしてもあると云うことです。
「東京壱極集中」とはまさにそんな絶對的な価値尺度の「洗脳的構築」のことであらう。
むしろ東京だけが絶對的に良いとさう思い込んで仕舞うので他からの視点を失う即ち認識上の「全體主義」の中へと必然的にさう組み込まれて仕舞う。
ですが事實上東京は良くもありまた惡くもまたある。
對する田舎にせよ良くもありまた惡くもまたある。
況や大阪にせよ京都にせよまた名古屋にせよ浜松にせよ良くもありまた惡くもまたある。
故に其処で問題となることとはまさしく「東京へ価値を全集中する認識の上での壱元化」であることがまた其処に見えて來る。
「東京へ価値を全集中する認識の上での壱元化」は社會的な認識と個による認識とにまた分離されるがどちらの場合でもまさに其れを絶對視し易い。
自分には其の「価値としての壱元化」を避けることだけで此の世でのほとんどのことがバランス良く認識されるやうに思えてならない。
つまりは其の「価値認識上の壱元化」こそがおそらくは最大の誤りであり惡其のものとしての認識なのだらう。
「価値認識上の壱元化」とは「価値の絶對視」のことでもまたある。
其の逆に「価値其のものを相対化し見詰める」ことが出来れば別に田舎にてエッセンシャル・ワークに勤しむことが出来ることだけで彼は彼女はすでに限りなく幸せである。
どだい其の「幸せ」と云う概念其のものが至極相対的なものなのだ。
第壱世間的な尺度による「幸せ」の様は今の自分に取りむしろ「不幸」にも感ぜられて仕舞うのである。
其れはおそらくは何処かで我が視点が転換した事實をこそ指し示すことだ。
其のやうに其の「東京壱極集中」の大問題も少し深読みすれば最終的には「個としての認識上の課題」となることが次第に見えて來る。
逆に申せば社會の価値観に洗脳されて居る限りは「東京と云う絶對的価値」を自らの頭の中に幻想して仕舞う訳だ。
されどあくまで「東京が無価値である」などとは我もまた言っては居ない訳です。
逆に自分は東京とは結構縁があるのですがでも結局はソコへはまるで行かずにまさに利用して居るだけのことなのだらう。
また京都にも結構縁がありますのですが其れもまたソコへはまるで行かずにまさに利用して居るだけのことなのだらう。
尚大阪は参拾代の初めの頃にとある會議ー書道塾の會議ーがあり行きましたのですが何せ駅のホームには人が多く居て如何にも鬱陶しかったです。
其れと兎に角ホテルの水が酷く不味かった覚えがある。
ナゴヤでも此処瑞穂区に限れば清流木曽川の水を上水として使うので大變水の質が良い。
兎に角「価値の壱元化」は避け逆に「価値を多元化」するか又は「価値を多様化」して置く方が個の認識としてより望ましいものとなることだらう。
要するに八方美人でもって「我が道を行く」位の方が認識の仕方としてはより望ましいものとなるやうな気がどうしても今はして居る。
トップは46%!「離婚率」47都道府県ランキング | 恋愛・結婚 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
東京の離婚率が低いのはまさに東京が経済的に安定して居るからでのことでせう。
其れと愛知の離婚率が低いのは持ち家の人が多くさらに経済的にも安定し自活力があるからです。
大阪は名古屋以下の賃金しか出ずつまりは「がめつい」ところであると以前大阪の出の人に聞いたことがありました。ー大阪だけを批判する訳では無いのですがー
令和初公表!47都道府県「幸福度」ランキング | 住みよさランキング | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
しかし其の幸福度は東京が何と参位なんですね。
また愛知も比較的上位です。
對する大阪はドベ弐ですね。
どうも大阪はヤバいのかもしれません。ー大阪だけを批判する訳では無いのですがー
其の福井には母方の親戚があり其処が有名な旅館です。
何処だったかはすでに忘れて居ますのでまた確かめて置き是非宣伝したいです。
でも北陸地方は寒いし晴れの日が少ないので自分には合わないです。
何せ日光浴が重要な日課ですので…。
でも富山ならば毎日翡翠原石が採れるのやもしれません。
そんな翡翠原石が毎日採れるのはまるで極楽浄土の如き土地でありませう。
いずれにせよ現代社會では経済的な意味での充足感が即幸福度の高さとして現れる訳です。
ですから幾ら風光明媚な処でも金が無いと自然の良さも何もまた無いとのまさに現金な世界となっておる訳だ。
其れでも環境の良さとしての価値はそんな金銭的価値には代え難いものがまたあるやうに思えてならない。