目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

「草薙館」と「巨樹の杜」とー神道は人間を救えぬ、だがかうして人間を癒やすー

「草薙館」と「巨樹の杜」とー神道は人間を救えぬ、だがかうして人間を癒やすー

 

 

 

 

さて今回は其のビートルズでのカルトな論議に美術の話と話のネタばかりはむしろ無限にあるのだけれどあえて「普段の」話をします。

 

昨日はボールペン及びシャープペンシルの整理を行い最終的に台所へと持ち込む角瓶を作った。

其の中にはほぼ要らんペンが入って居る。

 

どだい油まみれとなったりまた🐱が瓶を落とすところなので其処で使うペンはそんな要らんペンでも良いのである。

でもって机上限定で使う良いペンの方も壱瓶作った。

 

だが長いペンはまた別のデカい瓶に入れて居り實は最近ほとんどそんな筆ボールペンばかりを使って居る。

其れも広島の職人が作った長めの銘木軸に万年筆のキャップを被せた物が多い。

 

さうして万年筆のキャップを被せると確かに「筆」の如くになる。

 

尚「硬筆筆記」では此のやうな使い方は普通しないのであるしつまりは「邪道」である。

だがわたくしの場合に限り「硬筆筆記」に毛筆筆記即ちカリグラフィーの要素を常に取り入れたいと考えるが故にあえて其れをして居る訳だ。

 

左様に筆記に於いて壱種難しいことを考え且つ實行して居るのである。

 

 

ちなみに西洋文化に於いてもまた百年位迄はむしろそんな「カリグラフィー」での書き方こそが主流であった。

故に其の頃迄のdip penや萬年筆は例外無く軸が長かった。

 

要するに「携帯」するやうなものではそも無く所謂「書斎」にて使われることが多い物であったことだらう。

だからむしろ其の「携帯」したいとの近代的な魂胆が個人的に嫌いであり即ち硬筆筆記とは其れも由緒正しき硬筆筆記とはまさに其の書斎にて古本の数数に囲まれつつ行う知識人としての営みでなくてはならぬ。

 

いや自分の部屋もそんな倫敦の大學教授の如き権威ある設えとはとても言えぬのですし其れとかってはスチールデスクだけはありましたのですが今は其れも無く現にかうしてパソコンを視つつキーボードを打って居るのはかっての塾よりの払い下げの机です。

 

其れがもう表面の化粧板が剥がれみっともないのでいっそのこと剥がしたれと其の通りに全ての化粧板を剝がした物だ。

すると其処には肌理の荒い合板のやうな物が出て來しかもマズいことにコレは水を吸うんです。

 

だから御茶も紅茶もまた珈琲も其の全てを吸い尽くす机なのだ。

またボールペンの油性インクや万年筆の水性インクも全てを吸い尽くす机なのだ。

 

なので落書きなども出來さらにあえて積極的にインクを零し水墨画の如き塩梅に仕上げることなどもまた可能なのだ。

さらにカラーインクを使えば絵画にもまたなる。

 

ですが今使うのはほぼパイロットのブラックの壱色のみなので其の作品もまた水墨画の如き枯淡の味わいのものと成らざるを得ぬ。

すると其の水墨画の作品の上に紙を布き文字を書くのですね?

 

其の通りだ。

故に文字を書くこと其れ自體がそも藝術表現なのである。

 

よって筆記具とはまさに文人にとっての刀ぞ!

かくして刀はしかと手入れをし常にピカピカでなければ用を成さぬ。

 

其れはそも御前等大衆みたいな御手軽な筆記じゃネエんだ。

だがアンタ疲れるだらう、ソレ?

 

…別に。別に、全然…。

 

 

いや實は弐階の自分の部屋の眞下即ち応接室に至極立派な机が有るので御座ります。

故に其れを弐階へ運べばまるで倫敦大學の教授の如き完璧な書斎が完成致しますのです。

 

まあ其れをやってみたくもありますがでも其れをするには引っ越し屋に頼まねばならぬのでむしろ自分の部屋を其の応接間にした方が話が早いことかとさうも存ずる。

其の応接間はかって家に客が多く訪ねて來たので必須の場でしたが今や訪れる人はほとんど居ないので要らんと言えば要らんのだ。

 

尚其処には「シャンデリア」などもしかと設えて御座る。

しかも其の「シャンデリア」は光量調節機能付きだ。

 

また物凄くデカい業務用のビーバーエアコンなどもまた置いてあるがすでに壊れて居てまるで動かぬ。

さらに母親の趣味で陶磁器を飾る飾り棚の類が付くデカい家具迄もがある。

 

だからソコに石を詰め込めば宜しい。

 

細かいことを其れ以上に言えばちっこい🐊の剥製なども實は其処に置いてあるが自分は殺生嫌いな自然派のプチ聖人ですのでむしろ其れは要りません。

だけれども壱つ問題があり其の応接間の窓が東隣の家の窓と位置的に丁度合って居りつまりは覗けもしまた音なども筒抜けになるとのことである。

 

東隣の夫婦が参拾年程前に越して來まさに其のやうな家を建てたのだった。

全くのところ此の世はそんなバカばかりなのだ。

 

 

さて先の水曜日は快晴の日で熱田神宮へ行き【公式】草薙館 (atsutajingu.or.jp)を観て参りました。

其の草薙館はかっての土産物売り場のところにあり其れを大幅に縮小し新たに建てられた展示施設でした。

 

其処にて名刀の数数を観て來たが流石に美しい刀を見ると不思議と心が洗われる思いがする。

ですが大きな展示室では無くちっこいところである。

 

其れもまあ参拾分位ならば粘って居られるが其れ以上居るのは難しいところとなる。

 

1.所謂大太刀の迫力には圧倒された

2.北陸の刀では若狭の「冬廣」及び同じく若狭の「冬広」がシンプルで且つ力強く気に入った

3.「こころの小径」が相變わらず素晴らしかった

 

此処のところ気温が下がって來實はまた足の調子が宜しくない。

故に熱田神宮も長居はせずにつまりは「宮きしめん」を食うことはカットした。

 

「宮きしめん」を食う場はかっての古き良き「昭和の雰囲気」から「近代化された今風」なものに改惡されて居りよって其れに酷く腹が立ちもう食ってやらぬことに決めたのだった。

また兎に角中國人が多く居る。

 

奴等は中国語しか話して居ないのですぐに其れと分かる。

自分は大學でも中國語をやり中國は基本的に嫌いでは無いがそも何で中國人がこんな「神道としての聖域」に來るのであらう?

 

もう兎に角周りがほぼ中國人ダラケだ。

おまけに其の中國人は「こころの小径」迄をも遠慮も無く大勢來て居るのである。

 

だが拾年位前は其の「こころの小径」を訪れる人は稀で例えば歩いて居てもほとんど人とすれ違ったりすることが無かった程だった。

其れがイチイチ中國人の其れもカップルらしき奴等とかうしてすれ違わねばならん。

 

でもまあいいか、兎に角中國人の行い其れ自體を批判するよりも巨木の杜をこそ歩かう。

其れもゆっくり歩かぬと右足が痛くなる。

 

いずれにせよこんな巨木の杜は他に名古屋市に残っては居ない。

故にこそ其れには大きく価値があるのだ。

 

よって矢張りと云うべきか東京の明治神宮の外苑などもそんな開発などしてはダメだ。

だがソコをあえて開発したがるのが現代文明の常となる。

 

だから其の文明は根本的にダメなのだ。

文明はおそらく今世紀迄でのものとなる。

 

故にそんな文明に「洗脳」なんぞされて居るな!

むしろ蹴っ飛ばしてやれ!!

 

さうだ、💩とオシッコをそんな🏢にひっかけやう。

さらに💩とオシッコを🚇にバラ撒くぞ。ー此の部分はあくまで文學的な比喩表現での御話なのですがー

 

 

熱田神宮・こころの小径の「読み方・見どころ・所要時間・距離(長さ)」など | 熱田神宮-御朱印 (jinja-tera-gosyuin-meguri.com)

名古屋最強パワースポット【熱田神宮】こころの小径で神秘を感じよう (tripnote.jp)

 

最初のリンクの処に熱田神宮の大楠のことが見所として紹介されて居る。

 

熱田神宮・大楠(七楠) | 熱田神宮-御朱印 (jinja-tera-gosyuin-meguri.com)

 

こちらで最初に出て來る画像が参道の左横に有る大楠で次のものが「こころの小径」の東側の杜に有る大楠となる。

また他の大木は観光用の画像には出て來ぬものですが實際には楠の大木以上に大きな巨樹が他にも多く有る。ー拾本位はそんな巨樹がまた有らうー

 

いずれにせよ熱田神宮を訪れ其の都度我が記憶に残るのはむしろそんな巨樹のことばかりなのだ。

従ってそんな巨樹が其の半分でも伐られて仕舞うこととなれば自分はもう熱田神宮へは行かないことだらう。

 

即ち神道に於ける「神」とは「國」でもまた「文明」でも無いのである。

ズバリ神道に於ける「神」とはまさにそんな「巨樹」のことだらう。

 

故に其れに手を触れてはならぬ。

其の欲得に汚れし手で「神」に触れるで無い!!

 

其のことをまずもって文明はまるで分かって居らぬ。

嗚呼情けなや、此の心の音痴共等めが。

 

おお困った奴等だこんなバカだアホだマヌケだ。

止めい、其の開発ソレ自體を!!

 

そんな文明による「洗脳」が兎に角酷い!!!

だから🐻が怒って人間を食うんだよ。

 

其のうちに🐱も🐶も皆怒り現存在に對し反逆するぞよ!

いや其ればかりに非ず。

 

飛蝗やらヤモリやら其れに🐜迄もがつまりは自然が壱致団結し文明を壊しにかかるぞよ。

…怖い。

 

 

…まるで怖くはないさ。

そんな猛獣共に自ら進んで食べられてみるダケのことではないか。

 

だからまさか其れは出來ないって。

さうか、では人類ももう御仕舞いだな。

 

では私ダケが食われれば人類はまた文明は救われるので?

いや救われはせんがとりあえず自然の側=八百万の神の側は喜ぶ。

 

では神道の神は必ずしも人間を救う「神」では無いのですか?

そりゃあさうですよ、何せ其れは所謂「創唱宗教」では無いのだから。

 

つまりは「神と神の系譜」だけが永遠に生きるそんな教えのことだらう。

じゃあ人間は食われボクもまたさうして食われさらに文明も猛獣に滅ぼされて其れでエエのですか?

 

…むしろ其れでエエんです。

 

極端な話「八百万の神」及び「天皇家」及び「神職の系譜及び序列」ダケが生き延びればアナタなどは死んでもまるで構いません。

でもそんなもんに何故みんなは「現世利益」をかうして祈るのだらう?

 

だって「現世利益」成就のことにして置かないと金が集まらぬので維持に大きく経費がかかるデカい神社程潰れて仕舞いますね。

なので正直申して其処は明らかに金目当てですな。

 

ぎゃああーーーーー!

アナタが幾らさう叫ぼうとさうなってるものはさうなってるのでどうにもなりまへんなあ、へっへっへっへっへのへー。

 

 

ですがそんなまさに絶望的な状況より其の「巨樹」を壱度仰ぎ見てみて下され。

…まさに神神しい。

 

ですからまさに其れが神道に於ける本質部のことだ。

なので其の本質部を欠く形にて木を伐り刻むのは何よりオカシイのです。

 

ですがほぼ此の文明の営為の全てがオカシイのです。

つまりは本質部とは眞逆をやっとるのです。

 

アア僕はもうダメだ、此の大木に攀じ登り其のてっぺんから地面へと落ちてみやう。

はいどうぞ、どうぞ、御自由に。

 

あれ、元塾の先生、何故僕を救って呉れぬのだ?

だって僕自身が救われぬ現代人なのにそんな神でもあるまいしとても君のことなどに関われないですよ。

 

如何にも冷たい人だ…。

いや単に冷たいのでは無くまさに其れが此の罪深き現代社會の實相其のものです。

 

でも「巨樹」を仰ぎ観ることで少しは気分が落ち着きませんでしたか?

さう言えば確かにそんな気もする。

 

其れも「文明」の中に常に居ると常に気分が落ち着かないものですがかうして「巨樹」を仰ぎ観ることでかうしてほんの少しは気分が落ち着く。

ですからまさに其こそが「神」が其処に「おわす」とのことでせう。

 

なる程、すると文明にはもはや「神」は居ないのですね?

まあ「神」もまた「佛」も無いのがそんな「現代」と云う時代の特徴だらう。

 

ところで「現代」は何故そんな不遜な輩と化したのですか?

まあ其れが所謂「合理化」の問題だらう。

 

でもそも「合理化」しないとイケないのでせう?

また例え神社であれ「合理化」しないと生き残れないのでせう?

 

まあさうでせうが其れを嗤いながら眺めつつかうして「高みの見物」を決め込んで置くのもまた知的生命體としての観念的選択でせう。

いずれにせよ観念的選択としてまずは「文明」の営為を「客體視」して置かないと人類は次第次第に「自然」其のものから分離されて行って仕舞うことだらう。

 

故にどーのかうのでは無くまさに其こそが「人類に取っての危機」であり最終的な意味での「問題であり且つ課題」となる。

また文明を「客體視」する其れがつまりは其の「巨樹」に登れない迄も常に其れに寄り添って生き且つ意思決定するとのことである。

 

まさにそんな場としてたった今わたくしに「熱田神宮の巨樹の杜」は認識されて居る。

だから足が痛いと云っては居られず實際に何度でも其処へ行くのだ。

 

其処が有る限りかうして常に其処へと出向くのだ。

だが名古屋市及び熱田神宮が絶對にしてはならぬことがある。

 

まさに其れがたとえ壱本でも其の巨樹を伐り倒すことである。

 

 

さて本日は新瑞橋UFJ銀行へ行き「モスバーガー」へ寄りまた壱ヵ月振りに「ダブルテリヤキ」を買おうかと思ったが母の分もまた🐱の分も買うとなると千五百円程はかかるので止めてローソンへ行った。

するとソコに何と「成城石井のピクルス」が売られて居たのだった!

 

其の「成城石井」は五年位前迄は石川橋の店舗を屡訪れて居たが其れも今やこんな物価高にて行く気が失せる。

成城石井」の商品も其の全てが高い訳では無いのですが結局購買する品目数が多いとつまりは高く付くやうだ。

 

成城石井のピクルスといえばガーキンス!おいしいと評判の人気商品をご紹介 | jouer[ジュエ] (jouer-style.jp)

 

だがどうも此れはそんなに高くは無い。ーレシートを紛失したので正確に値段が分からぬのですがー

でもって「モスバーガー」の代わりに「メンチカツバーガー」なるものを買いついでに「成城石井のガーキン・ピクルス」を壱瓶購入した。

 

結果的に其の「メンチカツバーガー」168円と「成城石井のガーキン・ピクルス」との相性が抜群で「モスバーガー」と同等かむしろ少し上位のパフォーマンスを発揮し要するに自分もまた母も「こりゃーうめえわー」と言いつつつい先程其のコラボレーションをしかと味わって居たのである。

 

其の「ガーキン・ピクルス」は印度産でありつまりは其れを「成城石井」が輸入したものであらう。

…印度産?

 

アアだから値段が安いのか。

だが中國産や印度産の物品が安いのはまさに今のうちであらう。

 

例えば拾年後にまださうである可能性は低い。

對して色んな社會的な事情にて雁字搦めの🗾國の物品は「百円ショップ」などを除けば概して高価だ。

 

其れでもデフレでもって安いと云うのだが其れはウソで壱流企業や壱流店の御品などは概して高い。

故に壱つの考え方として「今のうちに」中國産や印度産の安くて良い物品を見つけ其れに嵌まって置くことこそが或はこんなエンゲル係数の上昇地獄を乗り切る為の壱つの方策ともまた思われるのだ。

 

また考えてみれば「モスバーガー」よりも「マクドナルド」の方が随分と安く上がることだらう。

が、實は四半世紀程も其れを食って居ない。ー若い頃に友達と行って以來行ってないー

 

やうし、では今度は「マクドナルド」にでも挑戦してみやう、ソレもアノ「ビッグマック」に!!

また宅配などもして居るやうだぞ!!

 

まずはコレなどが良い。ギガビッグマックの拡大画像 【週刊アスキー】 (ascii.jp)

其の肉を🐱にも半分やれるのだし、でも今は無いのか?

 

 

尚其の「肉食」ですが「肉食」は確かに環境問題より考えれば良いことだとは言えぬがより惡いことは🚗や✈や🚢などに乗り地球環境を化学的に汚すことです。

さらに樹木を伐り其処にデカいビルやタワーを建てることはより罪深きことである。

 

「肉食」はまさに食の上での「乱行」であるが長生きだった瀬戸内 寂聴氏や三浦 雄一郎氏などは所謂「肉食人種」です。

其れと欧米人はまさに其の「肉食人種」ですので基本的にパワーがあるのです。

 

對して🗾人は結局「米食い人種」ですので基本的にパワーが無い。

故に其の「巨樹信仰」と「肉食人種」とを両立させ毛唐に打ち勝ち大🗾帝國をば是非復活せしむるのだ。

 

いやさうでは無く「長生き」をするんだ。

 

 

ー此の度「熱田神宮でもって感動したこと」ー

 

4.「こころの小径」の東側に有る大楠の前で頭を下げ礼拝する弐人組の若い女が居たこと

5.日本刀は弐、参百年の差はむしろ余り関係が無くつまりは時を超越するだらう「物としての価値」をしかと其処に有して居ること

6.「こころの小径」を歩くダケでむしろ其れが「信仰」へと化して行くこと

 

尚6.の信仰は「創唱宗教」以前での「自然教」の崇拝者となることであり言わば「animist」其のものと化すとのことである。