目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

かの坂本 龍一氏の霊と共に語る自然の保護ー兎に角木を伐りたがる文明に對する抜本的批判ー

かの坂本 龍一氏の霊と共に語る自然の保護ー兎に角木を伐りたがる文明に對する抜本的批判ー

 

 

 

 

これは捨てがたい効用だ…五木寛之さんが「日本人はこれからもマスクを外さない」と考える理由 (msn.com)

 

其の「マスク」を自分はコロナ禍以前からして居るやうなつまりは「神経質」な人間なのでマスクの有無などは別に気にならない。

其れは所謂「感情論」から見るものでは無くむしろ個個に於ける免疫力の問題なのではないか。

 

無論のこと自分は其の「免疫力が弱い」からこそ人混みの中では常にマスクをして居るのである。

 

また自分は外出すると菌か又はウイルスに感染し易いので帰宅後には勿論徹底的に手を洗う。

其れも其の洗い方が並では無く歯ブラシの古いのーラーク歯ブラシなので頗る硬い毛ーにミューズ石鹸を付け其れにて雑菌及びウイルスをこそげ落として行く。

 

だからなのかなかなかコロナには罹らない。

 

また酒を飲むのもまた宴会するのもさらに夜の街をうろつくのも参拾歳以降はしたことが無いので其れ即ち惡い虫などが付きにくい。

其の代わりに「観念性」なる惡い虫が頗る付き易い。

 

 

其れも「文明論」などと云うまた物凄く高等な論題が此の貧弱な頭の中に常に巣食って居るので實は其れにかかり切りでありつまりはまるで心理的な意味での余裕が無い。

さう心理的な余裕が無いのでむしろ努めて其の「観念性」から離れんが為にかうして日日石などを愛でるのである。

 

いずれにせよ敬愛してやまぬ其の五木 寛之先生なれど、兎に角先生、其の頭だけは洗った方が良いやうにも思うのです、其れも壱週間に壱度位は。

自分の場合は今はほぼ毎日シャワーを浴び其れこそ其のオチンチンから足の間の水虫菌までの全てを洗いますのです。

 

其れと其の洗い方の面でまた普通と違うのが耳の中まで洗うことでせう。

尤も耳の奥に水が入らぬやうに細心の注意を払いつつソコを洗うのです。

 

其れと繰り返し述べて置きますが「手を洗う」と云うのは自分の場合にはあくまで「歯ブラシ」にて洗うことなのであり其れ以外の方法での手洗いは手洗いのうちにはまるで入りませんのです。

 

 

さて韓國と云う國の社會が以前より可成に壊れて來て居るさうですが其れもまた「封建體制」としての國に「合理化」をして仕舞ったからでのことでせう。

其処はまた現在の日本の社會のあり方の崩落の部分と重なるやうにも思いますのです。

 

つまりは其れぞまさに両國に於ける「近代化」の問題でせう。

特に儒教的世界観と其の近代化は頗る相性が惡いものであったのだと言えやう。

 

尚中國はとりあえず體制其れ自體を変えさうした意味での「近代化」の問題は生じて居ないことでせう。

尤も國家資本主義のやうなものをやる今の中國には他の面での矛盾が蓄積して居る訳ですがとりあえずは其れも「成長」することで乗り切って來て居ます。

 

だが韓國や日本の社會が抱える「近代化」の問題の根は深くしかももはやどうにもならぬ類でのものです。

つまりはさうして所謂なし崩し的に弱體化して行かざるを得ぬのが両國としての宿命なのだらう。

 

まさに其の部分での問題を自分の場合は「近代の超克」の問題だとさう捉えて居るのである。

なので細かなことがどーのかうのでは無く實はデカい問題なのです。

 

ま、でも其れもまたエエか。

自分はかうして子孫も無いので別に今後の日本がどうならうが知ったことじゃありませんのです。

 

 

じゃあ後はもう書きたいことを書かせて頂く。

 

さて昨日はかかりつけの医者へ行き久米先生に「四匹の♀🐈の避妊手術」が大變だったことを話したら先生はかって米國で研究中に大量のラットが死んだと云う御話をされて居たのだった。

 

其れも何かをすることを前日に忘れた為にさうなったのださうな。

兎に角さうして獣はまた獣で此の世を生きるのがまた大變である。

 

でも人間は其れが大變だからこそ予定的、計画的に其の生を営もうとして來た筈である。

尤もイザさうして來た筈であるのに何故か上手く行って居ないこと其れ自體が可成に不思議な話である。

 

でもって結局其の予定的、計画的な生の営みがヒエラルキー構造の上部にばかり肥大化した欲望として蓄積されるのがまさに問題であるのだと個人的には解される。

つまりは其の医療の分野にせよ何にせよつまりは「やり過ぎ」なのが逆に下の社會構造の方を圧迫するに及んで行くのだ。

 

 

いやまだしも医者はどうしても必要なのだし💊だって貰わないと自分は困って仕舞う。

でも高性能なドローンだの其れにAIだのまた宇宙開発だのが果たしてそんなものが人間に取りほんたうに必要なのだらうか?

 

どうも其の種での「要不要」の選択の問題が今文明に取り突き付けられて居るやうな気がしてならない。

また何時も思うのだけれどこんなに澤山の🚙が何故必要なのだらうか?

 

自分は此処五年ばかりを🚲文人として生きて居るが別に不便でも何でも無い。

但し「棚山」へは行けぬので確かに其処は辛いがでも其れはレンタ🚙で行けば済むことなのだ。

 

 

其のやうなことを思いつつ帰宅しやうとしたが何とSATOさんの家が取り壊されて居る最中である。

おおまさに其処こそが丁度55年程前に野っ原にて肥溜めに落ちたTETHCHANの實家である。

 

肥溜めのTETHCHANは其の後東京へ行き白髪の母親だけが其処に住んで居たがTETHCHANの實家の歴史もさうしてもう終わりである。

また其れ以前にはTETHCHANの實家の近くにあるTERASAWAさんの家が建売の家へと変わりすでに知らない人が住んで居る。

 

其処の長男のTERASAWA君は自分とは高校で同学年だったのだがほとんど会話したことは無かった。

TERASAWA君は其の後自宅にて出版社のやうなことをやりしかもかの「幸福の科学」の信者だったと聞いて居る。

 

また其の後親子で喧嘩して家を出たさうである。

其の辺りはまさに人が羨むやうな閑静な住宅街ではあれさうして現存在は訳の分からぬ運命のやうなものにまた翻弄されて行くのである。

 

現存在の生活上のゴタゴタは兎に角さうして全ての人人を巻き込みつつこれからもずっと続いて行くことであらう。

 

 

おや、何だらうあの美しい白い🌸は…。

 

其れは寶蔵寺の「利休梅」であるが明らかに家の利休梅などよりも立派であり且つ美しい。

其れも流石は御寺の「利休梅」だ。

 

さても今年桜は観なんだがかうして「利休梅」の白い🌸を堪能出來むしろ幸せであった。

 

 

坂本龍一氏の死で小池知事が大炎上 再開発計画見直し「神宮に言え」の冷酷ぶり蒸し返される (msn.com)

 

まずは心より御悔み申し上げます。

 

さて其の亡くなられた坂本 龍一氏のことに就き是非書いて置きたいことがある。

まずはさうして遅かれ早かれ現存在は「死に至る」現象である。

 

勿論誰もが其のことを「知って」居るが其の「知って」居ることと「分かって」居ることはおそらく別物であらう。

また「分かって」居るにせよ単に其れは「分かって居る」ダケでのことである。

 

故に其の現象としての現存在に取り「死」とは「圧倒的な不可知の領域」として現前するものだ。

またつまりは其れが「圧倒的な不条理の領域」としての「生」とまさに對となって居るのである。

 

故に生があるからまた死があり生無くば死もまた無く要するに「生きたいと願う」其の生命としての意志こそが「生死と云う認識上の不毛地」を同時に生み出して行くとのことである。

なのであくまで論理的には、

 

「生を欲することは死を欲することに等しい」訳だ。

ところが生命は別に死を欲する訳では無い。

 

だから生命はまたどんな生命にせよ基本的に死にたくは無い。

其れでも現存在の中には死にたい生命などもまたある訳でまさに其の部分が相当に變わって居る。

 

其の事は多分理性にて「死」を捉える限りにさうなるのであらう。

だけれども問題は理性にて「死」を捉えるのと肉體ー本能領域ーとしての死はまた別物だと云うことなのだ。

 

兎に角左様な事情で現存在の場合「死」は観念として常に生きてあり肉體としての「死」其のものでは無いと云うことをまずは見詰めて置くべきことだらう。

であるのならば現存在に取り可能な死とは基本的に「観念としての死」であるばかりなのだ。

 

 

 Ars longa, vita brevis

 芸術は長く、人生は短し

坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙― スポニチ Sponichi Annex 芸能より

 

さて此の言葉は以前わたくしも此処に貼り付けて居ります。

其の藝術はおそらくは文明よりもより息が長い。

 

藝術は所詮人間が創造するものですが其の作品は人間を超越する部分をも持ち得るものである。

尤も其れが宗教とはまた違う意味で所謂永遠性を獲得して行く訳だが。

 

坂本龍一 #思想・社会活動- Wikipedia

 

尤もこちらを読むと坂本氏は社會に對し活動を行う藝術家であったやうです。

尚個人的にはあくまで坂本 龍一氏のことには余り興味が無く只非常に眞面目な方ではないかとさう直感して居りました。

 

つまりは藝術家としての「潔癖さ」を多分に持ち合わせて居る方だらうとさう感ぜられて居た。

またどうやら左翼的な方向性も持ち合わせて居られたやうです。

 

尤も今自分は社會思想の方は「右」でも「左」でも共にダメだとさう考えるに至った。

其れもどちらかと言えば「上」と「下」があり其の所謂「上」部による贅沢志向こそが地球を破壊に至らしめる元凶だ、位に捉えて來て居りまさに其の点から申せば「革命派」ですので明らかに「左」なのでせう。

 

だけれども其処はまた純粋な左翼思想とも違うことでせう。

 

 

ー最晩年となった2023年3月上旬には明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を、小池百合子東京都知事永岡桂子文部科学大臣都倉俊一文化庁長官、吉住健一新宿区長、武井雅昭港区長の5名に送り、「100年かけて守り育ててきた樹々を犠牲にすべきではない」「樹々は差別なく万人に恩恵をもたらすが、開発は一部の既得権者と富裕層だけに恩恵をもたらす」などと訴えたが、認可を出した小池百合子東京都知事から「事業者の明治神宮にも手紙を送られた方がいいじゃないでしょうか」と一蹴されている[71]。ー坂本龍一 #思想・社会活動- Wikipediaより

 

ココんところはしかしながら大問題でせう。

其の體制側と云うものはそも「思想」で動く訳では無いんです。

 

體制側の価値判断と云うものは其れこそ既得権益及び富裕層の財産の維持であり且つ死守なんです。

だから其の仕出かすことが例え「邪」であり「間違って居る」ことであれそんなコトはむしろどーでもエエことなのだ。

 

要するにルイ16世化し易いのが常に體制側による意思決定の内容である。

だからこそ仏蘭西革命もまた歴史的に必然として必要だった。

 

またアノ厚化粧の👩などはまさにマリー・アントワネットのやうなもので其れも豪華な衣装ばかりに身を包み学歴は詐称するわ兎に角「出たがり」だわで。

もうアナタなどは断頭台の露と消える方がむしろ潔くて良くはないのか?

 

なので兎に角そんな奴等が政治をやるのですからどんなに潔癖な藝術家が心の底より振り絞り訴えた眞實であれ結局はさうして壱蹴されるのみなのだ。

要するに所謂金だの利権だの何だの其の種の生臭い世界に群がりたがるであらう嗚呼まさに下等な人間共の群れが其の統治者達の偽らざる姿である。

 

 

 東京都都知事 小池百合子

 突然のお手紙、失礼します。私は音楽家坂本龍一です。神宮外苑の再開発について私の考えをお伝えしたく筆をとりました。どうかご一読ください。

 率直に言って、目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません。これらの樹々はどんな人にも恩恵をもたらしますが、開発によって恩恵を得るのは一握りの富裕層にしか過ぎません。この樹々は一度失ったら二度と取り戻すことができない自然です。

 私が住むニューヨークでは、2007年、当時のブルームバーグ市長が市内に100万本の木を植えるというプロジェクトをスタートさせました。環境面や心の健康への配慮、社会正義、そして何より未来のためであるとの目標をかかげてのこと、慧眼です。NY市に追随するように、ボストンやLAなどのアメリカの大都市や中規模都市でも植林キャンペーンが進んでいます。

 いま世界はSDGsを推進していますが、神宮外苑の開発はとても持続可能なものとは言えません。持続可能であらんとするなら、これらの樹々を私たちが未来の子供達へと手渡せるよう、現在進められている神宮外苑地区再開発計画を中断し、計画を見直すべきです。

 東京を「都市と自然の聖地」と位置づけ、そのゴールに向け政治主導をすることこそ、世界の称賛を得るのではないでしょうか。そして、神宮外苑を未来永劫守るためにも、むしろこの機会に神宮外苑を日本の名勝として指定していただくことを謹んでお願いしたく存じます。

 あなたのリーダーシップに期待します。

 2023年2月24日 坂本龍一

 

坂本龍一さん「神宮外苑開発は中断を」 亡くなる1カ月前の手紙 (msn.com)より

 

此れぞ日本を代表する藝術家としての「心の叫び」であり日本社會に對する「遺書」でなくて何なのでせう?

 

木を伐っちゃイカンとこんなに藝術家の誰もが叫んで居るのにお前等政治家共には何でソコんとこが分からんのだ?

其れも藝術家としての格はまた全然違えど自然派詩人の方ももう毎日のやうに其のことばかりを言って來たでせう。

 

だからもう自分の場合はキレてますよ。

其れも瑞穂の陸上競技場を大大的に工事しやがってつまりは自分が子供の頃にカブスカウトでもって活動をしたアノ林がほぼ根こそぎ伐られたのです。

 

故に名古屋市

お前らもまた其の東京の馬鹿共とまるで同罪だぞよ!!

 

でも我が父は若き頃其の名古屋市の経済局に居り要するにエリート地方公務員だったのですが結局は體を壊しつまりは大病を患い給料は減ったかと思いますのですが区役所の方へ移り其処でもって偉くなりましたのです。

 

だから其の名古屋市の御陰で我我👪は此れ迄生きて來られたのだと正直思う。

 

が、其の開発としての自然破壊の話と其のこととはまた別物である。

 

其の東京が「都市と自然の聖地」であることを目指すならば無論のこと其れは喜ばしきことであり元より望ましいことです。

ですが此の社會の推進原理其のものがおそらくは其の方向性とは異なる部分を向いて居ることでせう。

 

其の「神宮外苑」と云う処へは訪れたことがありませんが以前に特集番組をTVにて視たことがある。

確か其の豊かな自然の様が其処には描き出されて居たやうに思う。

 

 

さて其の「都市と自然の聖地」とのことであればむしろ此処名古屋市の方がまだしも其れを達成する可能性があるのやもしれない。

何故ならアノ河村名古屋市長は結構「自然」が好きな人だからだ。

 

アノ人はすぐに何かを齧る癖ー金のメタルや他のものをーがあるのですが實は「相生山でのヒメ蛍の観賞」が好きな方なんです。

だが其れにも関わらず瑞穂グラウンドの横の林をすでに伐っちゃった。

 

其ればかりか天白川の岸に生えて居た樹木もまた根こそぎに伐っちゃった。

またリハビリセンターの横の公園の植え込みなども丸裸にしてまった。

 

結局自分の場合は文明の滅亡は「木を伐り過ぎる」ことより生ずるのだらうと改めてさう思う。

其のSDGsにせよ所謂文明の「持続可能性」のことにせよ結局は統治者側の意思決定の方向性の問題なんだ。

 

ところが統治者側の意思決定にはそも「持続可能性」のことなどまるで刷り込まれては居ない。

其れは何故か?

 

 

何故なら其の眞理や眞實の方面には元元疎い人間達がつまりで出たがりで下司で何ともならんやうな者に限り政治家の方をやる「やる気」があるんです。

逆に申せば理性的で且つ御上品で欲の少ないおおまさに聖人様の如き人間は普通藝術家にこそなるものであり實は宗教家にさえなりはしないのです。

 

アナタはまた今日も自慢しましたね?

其の自らの心の清さを。

 

いいえそんな自慢などではまさかありません。

さうではなく今日わたくしは坂本 龍一氏の霊と壱體となり日本の政治のあり方を批判したまでのことです。

 

其の坂本 龍一氏の霊と壱體になり?

はい、其の文明と申しますか社會のあり方に批判的な部分がつまりは潔癖なところが坂本氏の場合ある意味では自分などともまた似て居るのやもしれません。

 

其れも坂本 龍一氏の曲の方はまるで聴いては居ないのに?

でも其れ以上に上での手紙の内容こそが重要です。

 

 

其の「経済的有益性」が人類の未來をむしろ閉ざしつつあります。

「経済的有益性」を最大限に追求し世界壱儲けたTOYOTAは壱千兆円を環境税として日本國へ払うべきです。

 

其の壱千兆円の拾分の壱程を東京都にあげれば良いのです。

また自称詩人へのアドヴァイザー料はたった壱億円のみで良い。

 

おい、何時迄もそんなアホなことを言って居らずに早う飯を食え!!

いや飯を食うよりも大事なことがありまさに其れが「自然を壊すな!」と云うことである。

 

全ては移り變わりかうして人はまた次次と死んで行くが決して死んではならぬものがありまさに其れが「自然」だと云うことである。