目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

弐種の「天才」が織り成すビートルズの音樂世界ープラス思考主義的な天才ポール・マッカートニーと悲劇主義的な天才の持主であるジョン・レノンとジョージ・ハリスンー

弐種の「天才」が織り成すビートルズの音樂世界ープラス思考主義的な天才ポール・マッカートニーと悲劇主義的な天才の持主であるジョン・レノンジョージ・ハリスン

 

 

 

 

そも此の世界は「生もの」である生命が「モノ」である物を思量し其処になり立たせて居るであらう幻想である。

ところが其の「幻想」は其の幻想の場に於いてあくまで「眞實」なのだ。

 

故に時速百キロにて我の車がコンクリの壁にでも激突すれば我はグチャグチャに潰されて死なねばならん。

また豆腐売りが売りに來る豆腐はあくまでやわらかい。

 

では「藝術」とはそも其処にて何をやるのであらう?

「藝術」とはまさに其の「幻想世界」に「美」を見出すことである。

 

では其の「美」とはそも何か?

美とは「分離としての極」の範囲のことではなからうか。

 

美⇔醜

 

但し藝術は「美」のみを見詰めるばかりなのでは無い。

藝術は逆に「醜」をもしかと見詰めて行く。

 

なんとなれば「分離としての極」としての「美」はまさに其のやうに「醜」とは不即不離であるが故に。

即ち「藝術」とは其のやうな認識の上での幅広さをこそ示す言葉である。

 

でもって藝術家と呼ばれる人人は常に其の幅を其れも自然に持って居る。

其れも別に無理をして居るのでは無く普通に彼等の認識の幅はまるで「小宇宙」並みに廣い。

 

だが其れは常人に出来ることでは無く常人とはつまりは其の認識の幅が狭いつまりは貧弱であり7、8点であり要するに幼稚である。

まあ其れも所謂「天才」から見るとどうしても其のやうに見える。

 

 

であるからそも「天才」に取り人間関係だの世間體だのそんなことはどーでもエエ話です。

また自分の場合にも何かの拍子にキチガイの度が酷くなった時に限りさうなる。

 

要するに奴等は「考えて居ること」其れ自體が常人とはまるで違います。

アア、自分もまたそんなもんがあるばかりに「壱切皆苦」の度が酷くなる。

 

アア、そんなもんがあるばかりについ滝から飛び降りたくもなる。

おい、藤村 操、君はそんな華厳の滝から飛び降りるべきでは無い!

 

もう止めよ!!

其の「天才」を今すぐに御辞め!!

 

辞めたいのですがつい辞められない。

なる程、ソコは確かに「かっぱえびせん」と同じなんだな。

 

 

「天才」にも色色ありませうが彼ジョン・レノンの其の「天才」は最終的に悲劇の方へと向かう。

ジョン・レノンの母親は交通事故で参拾米程🚙に飛ばされ即死したさうですがまさに其れと似たやうな「運命」のなせる業です。

 

では「天才」はそも何故薄倖なのか?

まあソコがむしろ最大の謎でせう。

 

例えば中原 中也の場合などもまた相当に薄倖です。

かのゴッホなどもまた極め付けに薄倖です。

 

結局ベートーヴェンなどもまたさうか。

ですが其れはあくまで常人がさう思うことなのであり当の本人方は「やったぞ!やり切った!!」とさう思いつつ死んで行った可能性が高い。

 

要するに「価値観」がそも違うので必ずしも彼等は「幸福に長生きがしたい」訳では無いのす。

なので25歳で死ぬことになるにせよ其処にて「やった!やり切った!!」とさう思いつつ死んで行くことは藝術家として常に可能なのだ。

 

ところで君はやり切ったのか?

いえ其れが兎に角中途半端でして…。

 

何でさうなった?

いや會社へイヤイヤしかも30年程も行きました。

 

だからもうそんな「勞働」はイヤなんです。

では何がやりたい?

 

たった今やってることが其のやりたいことだ。

君は今言っても無駄なことを此処にて述べて居るだけではないか。

 

だから其れをしたいだけのことなのだ。

 

 

さうか、君もまた「悲劇の詩人」として今まさに此処に立って居るのだね。

いえそんな「悲劇の詩人」なんぞは眞っ平御免だよ。

 

實は「喜劇の詩人」をこそ目指しておる。

「喜劇の詩人」?

 

例えば其れは「下品の詩人」であり「長生きの詩人」を目指すとのことであるか?

…仰る通りです。

 

出来得れば「欲望まみれの俗調詩人」にでも是非なりたい。

もうなってるわな、まさに其の通りに。

 

…どうも有難う御座ります。

また其れも全てがアナタ様の御陰です。

 

 

 

(ビートルズの名作をかんたん解説・I Am the Walrus)ポール曰く、ジョンの最高傑作!!歌詞の面白さは∞無限大!【The Beatles】 - YouTube

 

ビートルズ」でもって良かったのがプラス思考主義的な天才ポール・マッカートニーと悲劇主義的な天才の持主であるジョン・レノンジョージ・ハリスンの感性との對立であり且つ共存であったことであらう。

故に「ビートルズ」の音樂があくまでポール的な感性の蓄積のみでは成りたたなかったことであらうし逆に悲劇主義的な感性ばかりではむしろもっと早く崩壊して居たことだったらう。

 

其のあくまで性質の違う「天才」が両立した部分こそがまさに「ビートルズ」を史上最高のロックバンドと成した部分でした。

 

 

ジョンレノンがビートルズ時代のレコーディングで強烈な不満を語った名曲「ポールは俺の曲を実験してもてあそんだ」 - YouTube

 

ところがかうして性質の違う「天才」同士の確執のやうなものが次第に高まって行く。

特に「唯我独尊」型のジョン・レノンには我慢がならん状態へと其れが高まって行く。

 

またさらにクソ眞面目にて融通の利かぬジョージ・ハリスンなどはついに「ビートルズを脱退してやる!」とさう言い出して實際に何処かへ逃げて行った。

ジョージ・ハリスンはさうして兎に角「苦悩を抱え生きる」タイプなので結局は奴もまた何をするか分かりません。

 

要するにジョージ・ハリスンもまた「小天才」だった。

云わばちっこい天才ですがあくまで天才は天才なので兎に角我は強いのです。

 

此の参者の天才が挑み合い且つ絡み合う其の修羅場に於いてこそ人類畢生の名曲の数数が生み出されて行ったのだった。

 

 

兎に角さうして自尊心の強いジョン・レノンは自分のまさに名曲である「アクロス・ザ・ユニバース」がポールの野郎に捏ね繰り回されオジャンにされたことを生涯根に持ち続けておったのです。

が、無論のことポールのモーツァルト的な天才をジョンはとりあえず認めて居ります。

 

だからと言って「自分の方がちょっと上」だと常に思って居るのです。

なので最終的には其のポールの何かと「やり過ぎ」な点が兎に角ウザいのです。

 

またジョージ・ハリスンもそも性格が違うので彼ポールのことがとりあえずはウザいのですがあくまで表面的にはポールと喧嘩をして居た訳ではなかった。

ところが本質的にはジョンの天才とハリスンの小天才は方向性が同じでありよってジョージ・ハリスンジョン・レノンから作曲に関しての手ほどきを受けて居たのでした。

 

 

だから最終的には其の性格上の不壱致にてさうして「ビートルズ」は崩壊して行く。

また其の頃にはメンバーが皆👩を連れて居て特にジョン・レノンはヨーコ・オノをスタジオに連れて來まるで御母さんの授業参観のやうに樂曲の録音を観て貰って居たので確かに他のメンバーは實にやりにくかったのだと思われる。

 

ヨーコ・オノはジョン・レノンに取り半分母親ですので当の本人にしてみれば別におかしいことでも何でも無いのだが其れもイザ社會的に見ると確かに少し變です。

 

ACROSS THE UNIVERSE (1969) speed corrected - The Beatles - YouTube

 

こちらは何よりシンプルでありそんなに惡くは無いテイクです。

 

The Beatles - Across the Universe ("Hums Wild" Mix) - YouTube

 

少しウルサクなって居るのでせうか、女性コーラスの部分は矢張り無い方が良い。

 

Sheffield Chorus: Across the Universe (Beatles) - City Hall, Sheffield, April 2016 - YouTube

 

アレンジすればかうしてクラシック的にもなります。

ビートルズ」の曲はクラシック派ー自分などもまたさうながらーにも愛される訳だ。

 

ビートルズ」の曲は本質的に「體制」破壊としての反逆にはなって居らずあくまで其れへの「批判的な眼差し」をも含むものとなる。

ビートルズ」の曲はかって英國や🗾の親の世代が「そんなもんを聴くと不良になるから聴くな」とさう言われたものであったが今ではかうして「クラシック」などにも化ける最も眞面目なロック音樂として認知されるに至った。

 

ですがジョン・レノン氏に限れば「反逆」は其れ位のことで終わって居ては決してならなんだのです。

またジョージ・ハリスン氏は「己が思想的苦悩」の部分を是非印度音樂を取り入れ表現して行く必要がどうしてもあった。

 

つまりは此の弐人こそがまさに厄介な奴等です。

そんな厄介な奴等に限り「純粋」と申すか「キチガイの度が酷い」と申すか兎に角そんなもんでもって其処が物凄くまたエエんです。

 

 

【意外!?】これが真実のビートルズの姿!?ジェフ・エメリックからみたビートルズの特徴まとめ・・・っ!!! - YouTube

【意外】ビートルズの素顔を晒す!?マネージャーが語る一番やっかいなビートルズとは・・・ - YouTube

 

今回「ビートルズ」のメンバーの性格を分析してみて面白いことに気付いた。

其れは主にジョン・レノン氏とジョージ・ハリスン氏を良く言う人はポール・マッカートニー氏を逆に惡く言い逆にポール・マッカートニー氏を良く言う人はジョン・レノン氏とジョージ・ハリスン氏のことを惡く言うとのことであった。

 

つまりは其処にて、

 

現世利益派としてのマッカートニー氏⇔壱種悲劇的な感性及び運命の持ち主であるレノン氏とハリスン氏

 

となって居るのである。

 

但し對立しつつもさうして不即不離の関係を其処に築いて居るのである。

だけれども別に無理にくっついて居らんでもソロになれば自分の天才的才能ダケで済む部分である。

 

尚リンゴ氏は「天才」には非ず。

凡人がたまたま「ビートルズ」に加わり「サー」に迄なったダケの話なのだ。

 

 

即ちジェフ・エメリック氏は兎に角マッカートニー氏を持ち上げさうしてレノン氏とハリスン氏を貶して居る。

またブライアン・エプスタイン氏は兎に角マッカートニー氏の独善性ー身勝手さーを非難しレノン氏の才能を褒め称えハリスン氏の眞面目さ、律儀さを最大限に評価して居る。

 

ちなみにジョン・レノン氏の血統には實は独逸人が入って居たさうである。

アアだから少しヒトラーみたいなのかなあ。

 

尚独逸人は欧州でもって壱般に「嫌われる」さうである。

つまりは堅物でもって仕事が好きなのが伊太利亜仏蘭西などの持つ所謂「藝術的感性」の部分に嫌われるのであらう。

 

でも自分に限れば其の「藝術的感性」も行くが「独逸的な完全主義」もまたほぼ理解して居る積もりである。

まあ何せかうして両面の行ける人間なので其れをどちらも理解することに別に苦労などはしない。

 

でもって最終的に自分は心理的に良く分かるレノン氏とハリスン氏よりもむしろマッカートニー氏の言説を聞いてみたくなり以下の動画を視ることとなった。

 

 

ポール・マッカートニーが語る、ザ・ビートルズのヒット曲誕生の裏側と軌跡 | Iconic Characters | GQ JAPAN - YouTube

 

此れなどは非常に為になる動画である。

特に「ビートルズ」が好きな方などには是非視て頂きたい動画である。

 

マッカートニー氏はある意味で仰ることが「常識的」でありまさか「キチガイ」のやうなことは言って居られない。

だが「キチガイ」には「キチガイ」の良さがまたある訳なのでマッカートニー氏の方が全的に正しいとはまさか言えぬことだらう。

 

尤も其の「キチガイ」の親玉はあくまでレノン氏なのであるが。

 

もしやレノン氏は音樂の上でのヒトラーでしたか?

違うことでせう、其れもおそらくは。

 

 

ポール・マッカートニーが「最も検索された質問」に答える | Autocomplete Interviews | WIRED.jp - YouTube

 

こちらなども兎に角面白い。

 

さうしてあくまで「ビートルズ」は藝術活動を当時した訳なのだが当時は時代其のものが今とはまるで違いまさに騒然として居た。

とは言え自分等還暦世代は当時まだ小学校の低学年生でありそんな「ビートルズ」のこともまた「學生運動」のことなどもまるで無関係な環境にあった。

 

そんな自分が「ビートルズ」に酷く惹かれて行ったのは中学弐年生の頃からでありつまりは1973年のことである。

其れが中学参年生となると🚇に乗り星が丘に当時あった大きなレコード店迄屡LPレコードを買いに行くやうにさえなって居た。

 

そんな訳で中学時代に「文學」だの「ビートルズ」だのに凝ったわたくしは成績が急降下して仕舞い其れでも何とか下の方の進学校には合格出來た。

さうして中高時代は其の学校の御勉強よりもむしろ自分の御勉強の方が忙しくて兎に角其ればかりをやって居たやうな覚えしか今は無い。

 

高校に入ると同時にジョン・レノン氏のソロアルバムの世界の探究へと入って行く。

さらにはジョージ・ハリスン氏のソロアルバムの世界の探究をも行ったことを覚えて居る。

 

ポール・マッカートニー氏は参歳下の弟が好きで確か中学時代に隣の部屋でソロ活動のレコードをかけて居たがどうもピンと來ないものばかりだったやうに覚えて居る。

兎に角其の頃は兄弟が共に所謂「ビートル・マニア」をして居たのである。

 

 

また高校時代は主に文學の探究とジョン・レノン氏及びジョージ・ハリスン氏のソロアルバムの世界の探究のみをやり其の結果偏差値が下がりついにあくがれの早稲田大学を受験出來なんだのだった。ー受けたには受けたのやもしれんが其の辺りの事情はもう忘れちゃったー

なのに文系クラスの社會科でもってライヴァルだった彼は其の「早稲田大学」が受かったのである。ー兎に角激しく「世界史」を御勉強する奴だったー

 

だが今思えば其の「早稲田大学」へ行くことよりも自分に取りジョン・レノン氏とジョージ・ハリスン氏の樂曲に就き探究することの方が余程重要なことなのではなかったか。

また何故か高校では弐年時に美術の教師が担任となり参年時には何と音樂の教師が担任となった。

 

其れに弐人ともなかなか變わった先生だった。

藝術系の教師は決まってかうしてどうも變人が多いやうだ。

 

其れと同じでジョン・レノン氏及びジョージ・ハリスン氏なども確かに變人なのだらう。

其れと言い忘れて居たがポール・マッカートニー氏にありジョン・レノン氏に無かった部分が所謂「社會性」=「外交性」の部分である。

 

よって其の後ジョン・レノン氏の持つ僅かな社會性の部分は「社會を糾弾する」ことへと向いて行くのだ。

即ち大衆を「扇動」し社會と「闘争」する方向へと向いて行くのだった。

 

他方でジョージ・ハリスン氏は印度音樂への傾倒をより深め壱時期などは求道的な側面を強めて居た。

ジョージ・ハリスンは陰気でもって疑い深くまるでもって壱匹🐺的だった」

 

其の人物評はまさに其の通りでのことであったことであらう。

でもって結局自分は此の弐人を足して弐で割ったやうな性格をして居るのである。

 

其れ即ち「文學」以上に影響を強く受けたのがまさに其の「ビートルズ」の樂曲の世界でありジョン・レノン氏とジョージ・ハリスン氏の性格だったのやもしれぬ。