目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

細野 晴臣氏とPlasticsのこと

細野 晴臣氏とPlasticsのこと

 

 

 

 

さて先日高橋幸宏 - Wikipedia氏が亡くなられたやうで御悔み申し上げます。

尚我我還暦世代は其のイエロー・マジック・オーケストラ - Wikipediaに大きく影響を受けて來て居る。

 

但しYMOの樂曲が所謂「藝術」だったのかどうかは不明です。

個人的には神経質だったらしい高橋氏には親和感がありますが音樂的にまた哲學的に最も影響を受けたのはむしろ細野 晴臣氏の方でした。

 

 

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其れも八拾年代の終わりに此の細野氏の監修による「民族音樂集」が出て確かすぐに其れを購いまずは全部を通して聴いてみたものだった。

でもって当時から此のCDはそんなに話題にはなって居ませんでした。

 

ところがあくまで自分に取り其れは「衝撃的」な世界の歌の寄せ集めとなった。

 

Haruomi Hosono - ATAVUS - 1. 成人式の歌 - YouTube

 

かうしてむしろ其れは「歌では無い歌」から始まる訳だ。

 

「歌では無い歌」には所謂「商業」は発生して居らずまるで「言葉による叫び」の如きものとなる。

さうして此の『エスニックサウンドコレクション』にはそんな「商業」以前での音源が世界各地より網羅され収録されて居たのです。

 

La Voix De Globe 地球の声 – Ethnic Sound Selection – Cafe de Shrimp (shrimpupper.com)

 

まさに此れだけの歌が網羅されて居る。

さうして其の全ての音が「原初的な人間の叫び」のやうなものにむしろ近いものであり確かに聴いて居るだけで「安らぎ」を感じる。

 

 

逆に言えば「商業音樂」は其の部分をあえて放棄し「加工」し過ぎて居る。

まさに其のことを『エスニックサウンドコレクション』が伝えて呉れた要するに其処から教えられたのだった。

 

其れも「概念」以前での感覚の場に於いてしかと其れが分かったと云うことである。

 

其の意味ではYMOの樂曲もまた時代や社會風潮に合わせ「加工」されたものでしか無い。

其のことを逆に其の「民族音樂集」が語って呉れて居る。

 

「加工」されたものには「加工」された分だけの藝術的感慨=感動しか与えられず其れは音源として本質的な意味を持ち得ない。

とまさに其処まで言って居るかのやうな気さえもがまたする。

 

正直自分が聴き込んで來た音樂の中でいまだにNo.1の座を占めるのが此のコレクションです。

でもって其処にはむしろ「生きる喜び」の方が強く歌い込まれて居ます。

 

其の「生きる喜び」は西洋の歌にもまた日本の歌にも無いものでした。

要するに其れは文明化される以前での「ー本能的に規定されたところでのー只生きる喜び」其のものなのだ。

 

ところがイザ文明化される即ち理性化すると人間には必然として「悲しみ」が生じます。

故に喩えクラシックの名曲であれまた日本の唱歌などであれ其の「悲しみ」の部分が邪魔をし人間が「本來的」に持つ「生きる喜び」の部分に到達することが出来ない。

 

 

要するに其のやうに加工され「編曲」されて仕舞って居る訳だ。

また事實として近代とは「認識の倒錯=加工としての悲しみ」を湛える場のことですので辻褄としてはあくまでむしろ合って居る。

 

なんですが普段我我は其処まで考え込んで音樂に接して居る訳では無く只其れを聴き流して居るのである。

ましてや其のやうな「原初の歌としての喜び」を伝えるやうな音源を「古臭く」しかも「無価値」なものであるとさう決め付けむしろ遠避けて来て居る訳だ。

 

であるからこそ其の本物の歌には気付けずまた「生の喜び」に直に触れることも叶わず謂わば虚構の価値としての場に生き其処に没するだけなのだ。

其のことを此の『エスニックサウンドコレクション』が全て教えて呉れました。

 

20年程前だったか、我は半年程に亘り『エスニックサウンドコレクション』ばかりを毎日聴き込んで居た時期があり其の折に其の意味での全てを了解したのでした。

 

 

だからさう云うものが「直感」乃至は「直観」と云う理解のあり方で其れは其のやうに観念以前での「全體的」な価値の把握のことです。

 

故に其のことをあえて「商業音樂界」にぶつけて來た細野 晴臣と云う人物は並大抵の人間ではまさか無い。

まさしく其の細野 晴臣氏こそが眞の意味での藝術家でなくて何なのでせう?

 

当時其の細野 晴臣氏の頭の中には音樂の「堕落」に對する壱つの疑問が渦巻いて居たのやもしれない。

だが其の「堕落」に関して誰が其のことを批判し得ると云うのでせう?

 

其の本質的に「違う」音源をあえて世界中より発掘し聴衆である我我に提示して呉れる者こそが其の眞の意味での藝術家ではなくて何なのでせう?

 

 

要するに其の『エスニックサウンドコレクション』こそが音樂の上での「近代批判」をなして居るものなのだ。

しかしながら其れは南洋での伝統の歌やまた羊や牛を放牧して飼う民の素朴な歌の数数であるに過ぎない。

 

故に其の歌の数数其れ自體には「近代を批判」する迄の力は無い。

だが其れを日本の細野なる藝術家が見出し其れもかうして其の多くの歌を集め現代の日本にてCD化して出したところにこそ其の「近代批判」としての意義が生ずるのだ。

 

故に此れ以上の音樂を結局我は知りませんのです。

されど多くの人人に取り或は其れは「眠くなる」類での音樂の数数なのやもしれません。

 

 

尚其のYMOに對し個人的にぶつけたいものがあり其れがPlasticsです。

でもって我はもう40年近く其のPlasticsのファンである。

 

Plastics - Welcome To Plastics - YouTube

Plastics - Welcome back (1980 - Full Album) - YouTube

 

其のPlasticsは伝説のニューウェイヴバンドであり要するに今思えばまさに其の音樂の商業主義には屈しない眞の意味での藝術家集団だったのだと言える。

藝術家とは其のやうに魂胆が座って居り権威や権力に屈せず且つ大衆迎合もせず唯我独尊での新たなる藝術表現を模索する者のことを言う。

 

また彼等は所謂「美術系」の藝術家達であり要するに其れは文學でも無くまた社會科なのでも無い強烈な美的批判力の持ち主達であった。

かのデヴィッド・ボウイジョン・レノンなどもまたさうでありだから其れは音樂性云云の前にさうして美的にブッ飛んで居る訳なのだ。

 

自分もまた美術がとても好きで其処は何となく彼等とは相性が良くつまりはピピッと分かるやうな気が前前からまたして來て居る。

 

 

PLASTICS - ROBOT - Japanese New Wave / Punk / Pop - YouTube

Plastics - COPY #1 - YouTube

 

特に『COPY』や『ROBOT』などには其の彼等の強烈な「美的批判力」が発揮されて居るものと思われる。

要するに其れは文明の全てが「コピー」であり「ロボット」であるとさう皮肉たっぷりに歌い込んで居るのである。

 

従って其れは「知的」で且つ「美的」な面からの文明批判であり體制批判をなして居るのである。

尤も必ずしも「知的」では無い反抗であれば所謂「ロックンロール」の分野があるが其れ等とはまた異なりおそらく彼等は其の「高い美意識」の面より文明を結構口汚く罵って居る訳だ。

 

PLASTICS - Live at 688 Club, Atlanta (June 18th, 1981) - YouTube

宇崎竜童のFighting80’s 出演PLASTICS(プラスティックス) - YouTube

 

其のPlasticsにはいまだにコアなファンが居て無論のこと我などもまた其の壱人となるのである。

さて此のPlasticsの樂曲による美的批判力を理解する人は常に少ないことだらう。

 

だが其れは壱つの「本質主義」での流れでのもので其の点ではあくまでかの「民族音樂集」と変わるところでのものでは無い。

但し「民族音樂集」は「生きる喜び」をむしろ其の侭に歌い美的批判力の方は「偽物として生きることの矛盾」を其の侭に歌い要するにそんな風にしか生きられぬやうにした「近代」と云う時代の呪いの様をこそ其処に映し取り表現して居る訳だ。

 

中西俊夫 - Wikipedia

 

さて其の中西 俊夫もすでに死んで居る。

其処はまさに御悔みを申し上げます。

 

だが我はアンタがかってやったPlasticsと云う美術系バンドを知って居てほんたうに良かった。

其れは壱見きちがいじみたパンクロック風のバンドながらきちがいなのでは無くむしろ其れは現代文明の眞の姿を映す鏡其のものだった。

 

 

ー2021年、立花ハジメがひとりプラスチックスとして活動再開中。一気に結成50周年!ー

コピーはロボット COPY=ROBOT – SLOGANより

 

ふえい、なる程、デビュー50周年か。

 

伝説のテクノポップ・バンド「プラスチックス」初のアーカイヴブック『PLASTICS 情報過多 -TOO MUCH INFO-』 (tokyofrontline.com)

 

此の本を實は持ってる。

だがまだ本を開いても居ない。

ひょっとしてCDとかも付いて居たのか?

 

さうして兎に角弐年だけ華華しくやり消えた究極としての文明批判バンドが其のPlasticsである。

 

バンド『プラスチックス』の軌跡 - 音楽なら入れ食いですが何か? (hatenablog.jp)

 

其れで東京では好きな人もまた居たとのことでしたが名古屋にもこんなコアなファンが居たのです。

要するに自分はまた感度が特別製なのでさう云うのを必ずや引き寄せて來る「何か」を「持ってる」のです。

 

だから別に其の東京だとか名古屋だとかさう云うことでは無いんです。

例えば北海道の山奥などに羆と共に住む日本壱の感度の持ち主が居たりもまたするものです。

 

だから感度はねーあくまで場とは関係ないものでせう、其の場とは。

尚音樂系の方はむしろ其のPlasticsが持って居た「美的批判力」のことにまで気付いて居ない人が多いやうだ。

 

ですが自分は文人ですのでまずは其れにこそ気付いて居た訳です。

ちなみにかのデヴィッド・ボウイ氏が生前屡バンド名を出されて居たのが其のPlasticsだったさうだ。

 

「日本にはアノPlasticsが居るよね?」

そんなもんはもう当の昔に解散して居たのだが何故かボウイ氏は其のPlasticsのことばかりを気にされて居たやうです。