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おそらく日本壱カルトな「村八分」の樂曲

おそらく日本壱カルトな「村八分」の樂曲

 

 

 

 

實際にはどんな世界にも「ディープ」な展開がまたあるものです。

例えば漫画には漫画なりのまた繪画には繪画なりの。

 

或いは文學つまりは小説や詩の分野にも。

いやさうした藝術の分野に限らず例えばマッド・サイエンス的なものや黑魔術的なものにも其の「ディープ」な展開はあるものでせう。

 

其の種の「ディープ」な展開として昨年末よりまさに個人的に嵌まりましたのが「村八分」なる伝説のロックバンドです。

 

尚自分は普段クラシック音樂派でありロックバンドにはほぼ興味が無い。

尤も所謂「反體制」的なメッセージ・ソングを歌うバンドやソロのアーティストの活動に興味が無いでは無いが其のロックンロール自體に元元親和性が無いのである。

 

だけれどもとりあえずはかうして文人ですので優れた音樂や突き抜けた藝術性などに関し常に鋭い嗅覚を保って居る。

でもって昨年の11月の終わり頃だったか、たまたまかって存在した知らないロックバンドのことを初めて知りまさに其れへとズルズルと引き摺り込まれて行きました。

 

 

其のバンドこそが村八分 (バンド) - Wikipediaです。

 

村八分 - YouTube

村八分BOX -LIMITED EDITION Trailer - YouTube

此れを視てみて聴いてみて並みのモノでは無いことが即分かった。

 

要するに60年代末~70年代前半に四年間だけ活躍した京都産の「カルトバンド」です。

其の「カルト」系のものに限り何故か同調するわたくしは以降兎に角此の「カルトバンド」のファンとなるに及んだ。

 

尚ドラムス以外はすでに全員死んで居ると云うまるで嘘みたいなバンドです。

中でも特異な魅力を放つヴォーカルのチャー坊こと柴田和志 - Wikipediaは突き抜けて藝術的です。

 

其れも實は藝術的に歌が下手でしかも活舌の方が良く無く何を歌って居るものやらよーく聴かないとまるで分かりません。

ところがまさに其の部分こそがカルトな魅力を放ち続けて居るのです。

 

また其のチャー坊自身は43歳でもって突然死を遂げて居ます。

尚さう云う死に方をする奴こそが眞の意味での藝術的才能の持ち主なのだらう。

 

 

逆に80歳位迄生きて芸大の名誉教授だとか言いながら靑畳の上で死ぬ藝術家はむしろ偽物でせう。

兎に角我は此の柴田 和志の超個性的な歌い方にスッカリ心を奪われて仕舞う。

 

尚「村八分」は其れこそ歌詞に差別用語を多用したりもする要するに過激な当時のマイナーバンドです。

ですがおそらく当時はまさに「知る人ぞ知る」日本壱「カルト」なバンドだったのでせう。

 

尚今また「QUEEN」などがまた若い人人の間でも流行って居るのださうですが其のヴォーカルのフレディ・マーキュリーなどは最高に歌が上手い。

彼の歌は多分声樂家などと比較しても劣るところは無いことでせう。

 

其れはさうとして、此の柴田 和志の歌の下手さ加減、其の超個性的な壱種「魔術的」な歌い方は世界の何処にも他に無いものだと思われる。

でもって兎に角「村八分」の曲にはおそらく強烈なメッセージ性が盛り込まれて居るのだらうが實は彼柴田 和志の歌い振りが變なので結局何を歌って居るものやら良く内容が分からず従って社會への反抗も何もまた無いのです。

 

全く今からはまるで信じられんやうなバンドです。

 

ところが此の「村八分」はまた物凄くヴィジュアルの方が格好良いのです。

皆シークレットタイプの靴を履き足が長いし體が細身で要するに太った資本家のやうに精神がダラケては居ない。

 

柴田 和志の歌はもうそこらの田舎のオッサンの独り言の如くに素顔での叫びでありつまりは虚飾無き藝術としての独白です。

 

 

ー日本的な風情をもった攻撃的な楽曲を展開する[4]ドラムがずれようがおかまいなしに突き進み、時には客と喧嘩し、スタジオ音源の発表よりもライブにこだわりつづけた。ヴォーカルのステージ上でのダンスや挑発的ながらユーモラスなMC、美声とは程遠いがなり声、「かたわ」「めくら」「びっこ」など現在では差別用語と言われるような過激な表現の歌詞など、アンダーグラウンドな雰囲気が漂う。評論家の小野島大によれば、村八分の名前と楽曲はNHKの放送自粛対象に指定されている。[要出典]

村八分 (バンド) - Wikipediaより

 

尚此の「村八分」は関西発祥のアングラバンドな訳で其のアングラの本質部は東京発祥のアングラ演劇などとはまた歴史的に異なるものがあることでせう。

京都や大阪は兎に角左翼が強い印象が自分にはある。

 

特にかの京都大學などはさうなんでせう。

愛知にもまた左翼大學がありどちらかと言えば其れも尾張の場合は左翼が強い地盤であった。

 

但しさうした差別用語を連発する辺りは必ずしも左翼バンドでは無かったのだらうか?

思うに京都はかうして都を東京に移されたのでどっか気に入らぬ点が元元根深くあるのではないでせうか。

 

だから其の京都大學が革命派のアジトになったりもするのです。

いずれにせよ此の「村八分」の樂曲はサイコーでありおそらく藝術的にも高い評価が与えられるものとさう考えられる。

 

 

村八分 BOX -limited edition-(限定生産) | goodlovin

 

こんなもんもまた出て居ます。

 

まさしく本当の伝説・・・村八分 | 冷やっこの吞兵衛ブログ (ameblo.jp)

 

其の山口冨士夫 - Wikipediaが書いたと云う「村八分」に関する本などもまた是非読んでみたいですね。

 

日本のロックを創生した村八分、唯一のオリジナル作『ライブ』 | OKMusic

 

こちらではロックサウンドの専門家と思しき方が其の「村八分」を大きく評価されて居る。

其れとはあ、成程観客を罵倒したと!ー読者を罵倒することにも似た現象ー

 

Columns R.I.P. 山口冨士夫   | 村八分 | ele-king

 

こちらは其の山口 富士夫論です。

山口 富士夫氏の死に様などからも分かるやうに人生の結末は必ずしも綺麗なものでは無く逆に不条理其のものである悲惨な死に方をしないでもありません。

 

うーん、其れも何故か藝術家の死に様はロクなもんじゃ無いやうです。

其の「藝術」も生きてるうちはとても良いものですが何でか知らないが藝術家は皆早死になのですししかもまともな死に方をして居ない。

 

其処からも藝術なんぞは趣味の領域のことに「限定」して置くべきものなのかもしれません。

 

村八分、約50年前のライブが臨場感たっぷりに蘇る - 音楽ナタリー (natalie.mu)

 

こんなのもまたあります。

其の京都産の狂気に何処まで付き合いますか?

 

また其れは文化とはアングラか又は反體制の部分をも同時に包摂する価値であることをこそ指し示して居ます。

要するに藝術とは「美しく心地良い」部分ばかりを対象として存在する訳では無い。

 

逆に酷くアングラでもって「尖って」居たりもまたします。

でも最終的には其の「尖り」の部分だけが永遠の価値として保存されることだらう。

 

 

忌野清志郎 - Wikipedia

 

村八分」とは交流があったとされる忌野 清志郎氏もすでにかうして死んで居ます。

其のミュージシャンだの藝術家だのはさうして兎に角壱般人よりも寿命が短い。

 

即ち「敏感」であることは逆に「長生き」に對し決して良いことでは無い。

なので自分はなるべく鈍感になりたく思いますが其れでも猶「尖った」部分を捨て去ることなどは出來ない。

 

猶こちらでは勿論意図した上で其の自分の「尖った」部分を出しては居ない。

何故なら其れを出した途端に何を言ってるものやら分からんやうになって仕舞うからだ。

 

其れもまさに其の「村八分」の樂曲の如くに。