祈り願うことの其の内容に就いてー節分會に笠寺観音へ行き思うことー
さて本日は節分會にて笠寺観音笠覆寺 - Wikipediaへ行って來た。
ー徳川家康が名古屋城の築城に際し、城から見て鬼門の方角にある上記4寺を鎮護として定めたとされる。ちなみに、大須観音は、江戸時代初期に家康の命により美濃から現在地に移転した比較的新しい寺であり、四観音には列しない。ー尾張四観音 - Wikipediaより
左様に家康公が四観音として定めし由緒ある寺です。
笠覆寺の東光院はかって尾張藩の兵法指南役を目指した宮本 武蔵が逗留して居た場だともされて居ます。
超一流の剣術によって将軍家や尾張藩の兵法指南役を目指した宮本武蔵。名古屋にその足跡があり笠寺観音には曽孫弟子による顕彰碑が立てられています。 (okazin86.com)
さうして結局彼宮本 武蔵は将軍家にもまた尾張藩にも士官が叶わずでしたが其の後尾張藩士の求めに応じ其の養子が尾張に滞在し圓明流(弐刀流)を伝えて居る。
名古屋市:笠覆寺(笠寺観音)仁王門・本堂・西門・多宝塔・鐘楼(観光・イベント情報) (city.nagoya.jp)
今日は本堂の方が比較的空いて居り其の中へ入りますとまさに眞言宗らしく護摩法要が行われて居り其の火の勢いを見詰めて居るだけで何処か心が落ち着くやうな感が致しました。
要するにそんな超自然的な火や水の力ー滝行などーに頼りませんともはや救われぬ世界ー社會ーであるやうな気がしてならない。
と言うことはもはや相当に社會が壊れて來て居ります。
つまりは壱部の大金持ちの強欲の為にかうして社會が破壊されつつある。
でもって眞面目な本屋だの眞面目な人文者などは皆其処にてバカを見ます。
つまるところ壱部の大金持ちに取り其れはまさか「良心」などでは無く只要領の悪い「貧乏人」であるに過ぎぬのです。
…メラメラメラメラ…
おお炎よ奴等の邪なる欲望を焼き尽くしてお呉れ!!
其の強欲を焼き尽くし早う奴等の首を此処へ並べてお呉れ!
其の強欲な資本の力、即ち其れこそが此の世界をこんな修羅界であり地獄界と化して來て居るのだ。
さうだ、いっそのことさうして全部燃やしたれ!!!
奴等の魂を其の豪邸ごと燃やしてやれ!
アンタ其れアノ自称作家が京都でアニメーションの會社を燃やしたのと同じ理屈でせう?
…全然違います。
さうでは無く此の法の炎こそが「煩悩」を焼き尽くす悟りの炎其のものなのだ。
ちなみに其の「護摩 - Wikipedia」に関して自分は可成に以前より懐疑的でした。
ですが其の行に於ける「炎」を屡観るにつけ次第に考え方が変わって來た。
要するに其れは「個としての人為的な努力」ではもはや如何ともし難い現實が此の世にはしかとあるからなのだ。
其れこそどうしたってかうして街の書店は潰れまた戦争なども継続されます。
其れどころか地球温暖化を止めるどころか益益文明は弐酸化炭素を排出し自然破壊を進行させて行く。
其れは何でかと申せば「社會に良心など無い」からなのでせう。
たとえ書店の店長さんが良い人でまた我我個としての人間が善き人であるにせよさうしてお構いなしに社會は壱丸となりそんな「惡」をこそやり続けて行く。
うーん、さうするとそんな「社會」を燃やして仕舞えば良いのですか?
いえでも其れをやると我我自身もまた燃え盛る訳だ。
はあー、なる程、すると其れが所謂「自己矛盾する實存」の好例だと云う訳か?
さうなんだ、要するに其の實存は常に自己矛盾する。
だから何処かで其の理を断ち切り例えば「炎」を見詰めたり「水」に浸して清めて行く他は無し。
なる程、すると滝行 - Wikipediaなどもまた其の意味では意味がある行為なのですね?
其の滝行もまた昔は興味がありませんでしたが矢張り其れは何らかの意味がある行為なのではないか。
其の種の神秘的な力に就いて全否定し得ぬからこそ密教や修験道が生まれたのでせう。
其の神秘的な力は人間の生死を壱面では規定して居る。
故に人間の生死其れ自體を合理化する形ばかりでは捉え切れぬものなのだ。
【名古屋】玉照姫の美貌と良縁にあやかるなら「玉照姫泉増院」にも訪れるべし - てふてふさんぽ (tefutefusanpo.net)
其の「泉増院」の方も我が訪れるのは「楠薬師如來像」に壱年間の「健康」を祈願せんが為である。
ところが上にもあるやうに此処は「美貌」と「良縁」にあやかりたいとワンサカ👩共が訪れるが故に常に至極混んで居る。
今日もまたとても混んで居たのでまた後日訪れることとし早早に退散する。
ちなみにわたくしは別に「美貌」と「良縁」を望む訳では無論のこと無い。
わたくしはむしろ「批判の成就」と「革命」をこそ望む訳でつまりはそんな👩共とは丁度正反対の御願いなのでそんなもんと共に祈ってもまるで埒が明かぬ。
と言うか其の神佛に對し「祈る」こと自體が厳密には誤りであらう。
特に佛教では本來佛乃至は神像等の偶像に「祈る」習慣はむしろ禁じられて居やう。
其れが大乗佛教化してから其れこそ多神教や壱神教の影響を受けさうなって行ったものと考えられる。
要するに元來仏道修行とは外部に對し「祈る」のでは無くむしろ内面と徹底的に對話し誤った認識をこそ正して行くのである。
だけれども誤った認識の世の中は幾ら正しい人でもなかなか直せやしないのでまあ「祈る」位のことをしないともう何処にも救いが無くなって仕舞う。
そんな全くひっでえ世の中だわな。
さうして壱分の隙も無く世間のことが分かりいつも認識が正しいアンタはむしろ「美貌」と「良縁」を求め祈ってみたらどうか?
…アアまさにさうなのかもしれんねえ。
自分はむしろ認識が正し過ぎてイケないのかもしれないねえ。
ところで「豆」は買ったのか?
はい、其れも「靑のり付きの福豆」を弐袋も買い(母の分と)つい先程食ってましたところです。
美味いか?
…美味い。
何故こんなに美味いのだ?
其れも細かいことを申せば、其の福豆は、
1.露店の物
2.本堂にて売ってる正式な物
との種別があるんだ。
では何時も正しい君は2.の方を選んだのだね?
ビー、間違いです。
わたくしは今回1.を選びましたのです。
ええっ?妙に几帳面なアンタがあえて1.の方を選んだのか?
其の理由を早う教えて欲しい。
ナゼナラ2.の方は靑のりが付いて居ない可能性の方が高い。
だがもし付いて居たとしたらどちらが美味いかは食ってみんと分からん。
どうも此の「福豆」を食えば壱年間元気になれるやうな気がしてならない。
ところで笠寺観音の横の法性寺の前の掲示板にシェイクスピアの言葉が書いてあった。
シェイクスピア『安心、それが人間の最も近くにいる敵である。』 | IQ. (a-inquiry.com)
其れがズバリ此の言葉である。
左様に人間ー人類ーは安心などして居られる生命體ではよもや無い。
むしろ自分等が「地獄」を歩む者だとの認識が是非欲しい。
ところが逆に世間は今此処が「天國」だとさう思いしかも「安心」し切り暮らしを営んで居るがまさに其のことこそが誤りなのだ。
だからそんな「祈り」の中に「美貌」と「良縁」を望むなんてもってのほかだらう。
さうでは無く「地球の回復」と「社會の革命」をまずは其処に望まずしてどうするか?
だから何教と云うことでは無く現存在による社會的な罪を贖わんが為にこそ祈らねばならぬ。
とのことでちとキリスト教的な祈りにはなって仕舞うが…。
ちと左翼過激派的な祈りにはなって仕舞うが…。
ですからさうして「美貌」と「良縁」なんぞ幾ら望んでも其の生まれ持った不細工さや男運の惡さは決して変わりません。
しかも子供の出来が兎に角惡くつまりは頭が惡いわ、しかもグレてるわで。
なのであえて現世利益を願うのだとすれば「地球」や「社會」を救わずしてどうする?
「地球」や「社會」を救わんが為にはまずお前等👩共が正しく認識ししかと家事労働に励みなさい。
なる程、するとまずは👩共の認識がそも腐って居るのだと?
いや女性の方方でも凄く意識が高くて所謂「清貧」を貫いて行かんとして居られる移住系の方方などがまた居られる。
さうした人人は合成洗剤もマニキュアも使わずしかもプラゴミも壱切出さない。
と言うか野菜類のゴミもまた出さず全て肥料ー堆肥ーと為して居る。
だからまずは共産制云云よりも其の「意識の高さ」こそが地球の未來を担うのである。
またそんなバリバリの左翼🚺ならば父ちゃんや子等もまたバリバリに意識が高くなりもうバカバカしい「資本の論理」などには惑わされずにまさに清貧のさうして日本の此の豊かな自然と融合したオンリーワンでの暮らしを築いて行くことが間違い無く出来やう。
だがそんな不細工な顔にたとえ何を塗りたくっても結局は其の不細工からは免れ得ない。
またバカな子にどんな家庭教師を付けてもまたどんな塾へ行っても其の持って生まれた頭の悪さが変わることは無い。
『安心、其れが人間の最も近くに居る敵である。』
左様に自分の不細工や子の出来の悪さに安心などして居てはならん!!
なんか今日は特に「口が悪い」ですよ。
いやさうではありません。
今日はとても良い経験が出来むしろ爽快な壱日でした。
ちなみに露店をやってる人人、特に的当てやら🦈釣りの露店の人人は客が入らずしかも此の寒い中大變さうでした。
其れも書店と同じでさう云うのは興味が無いともうスッカリ客が來ない。
だが食い物の露店の方は最終的に誰かが何かを買って行く。
此処からしても最終的には「食い物」での争いの方へと文明は突き進んで行く筈だ。
「食い物」での争いがより酷くなり例えば先進國でも餓死者などが出始めるとすでに文明は崩壊の壱歩手前となる。
【名古屋市見晴台考古資料館】アクセス・営業時間・料金情報 - じゃらんnet (jalan.net)
さらに笠寺観音に隣接したこちらへも寄ってみた。
結局其の見晴台遺跡と云うのはかって海岸縁だった此の辺りに旧石器文化や弥生文化が榮えたと云うことを指し示して居る。
尚今日此処で翡翠製の小さな勾玉ー出土品ーを観て來た。
其れは飛び切りに綺麗で質の良い物では無いが確かに翡翠である。
さらに戦時中に此の見晴台の高射砲陣地に落ちたと云うB-29の機体の破片なども観て來た。
まさに其の「戦争」こそが問題なのだが「資本の論理」もまた要するに其の「國家の論理」とほぼ同じものである。
曰く、「勝てば官軍、負ければ賊軍」てなものであり。
でもって自分は其の「資本の論理」や「國家の論理」と「美貌」と「良縁」を願う感情が實は同じではないかとさう睨むのである。
或は其処は考え過ぎなのだらうか?
だがシェイクスピアはさうしてプラスの面ばかりを見詰めて居るのはダメだとさう述べて居たのである。
即ち「資本の論理」や「國家の論理」が此れ以上「美貌」と「良縁」を願うともう地球は壊れちゃうのではないか。
だからむしろスッピンで居て其の不細工を前面に押し出しまたアホももう丸出しにしてただただ地球環境の回復ばかりを祈り且つ願うべきだらう。
其れも👩共だけでは無くまずは資本主義と國民國家が率先して其のスッピンでもってアホ丸出しの参等國となれば良いのだよ。
なので高望みなどして居てはならん。
ならんのにむしろ高望みをしたがる奴等こそがそんな「安心したがる」組織でありまた👩共の奉ずる所謂「世間體」の方なのだ。
さうでは無くむしろなりふり構わず神佛に對し祈らねばもはや文明の未來など無いも同然だ。
さて本日わたくしが問題としたことは其の組織及び女性が祈ることの其の対象がそもオカシイと云う御話でした。
またつまりは其れを壱言にて纏めると「現世利益ばかり」を祈り求めることで逆に世界は破壊されるに及ぶと云う眞理に就き述べさせて頂いた積もりである。