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文明批判と美と心の探求と

そんなクリスト教の侵略より祖國🗾を救いし天下人達(秀吉公と家康公)ー今や「文明の惡」と闘う宗教こそが「正教」だー

そんなクリスト教の侵略より祖國🗾を救いし天下人達(秀吉公と家康公)ー今や「文明の惡」と闘う宗教こそが「正教」だー

 

 

 

 

統合失調症の研究で知られる精神科医中井久夫さんは、狩猟民的気質を「分裂気質」、農耕民的気質を「執着気質」と位置づけました。

臨機応変に高度な判断を要求される政治家や将官、企業経営者、あるいは芸術家などに向いているのは「分裂気質」であり、これとは反対に、決まったこと、与えられた任務を黙々とこなさなければならない官僚、大企業の社員、兵士に向いているのは「執着気質」となります。あくまで、これは役割分担であり、どちらが優れている、という話ではありません。

直感的にすべてを見通す「天才」と呼ばれる人の多くは、分裂気質です。満洲事変を計画実行した軍人・石原莞爾はこの典型でした。これとは対照的に、コツコツと地道な努力を重ねて成果を上げる執着気質型の努力家は、「秀才」と呼ばれます。ー「天才を潰し秀才を重用した」日本型組織の末路 東條英機はなぜ石原莞爾より優遇されたのか | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)より

 

確かに「直感」乃至は「直観」に優れる人間のタイプこそが所謂「天才」型であり逆に決められたことを其の通りにこなすことに長けて居るのが「秀才」型なのでせう。

また「天才」型は明らかに「分裂気質」でありつまりは両極端に分かれる視点より物事を見て居るのでせう。

 

尚自分は「何でも半半」の人間ですので両方行ける訳ですがこと其の分裂がハッキリとして居る点では「天才」の気持ちが分からぬ訳ではありません。

 

 

ー国全体が対米開戦ムードに沸く中、その方向性を変えるだけの決断力も情報分析能力もなかった、というのが東條英機という人物の実像です。実務能力は高く、部下としては有能な「執着気質型の秀才」でしたが、非常時に国家の指導者たるべき人物ではなかったのです。

東條英機と対極をなすのが石原莞爾です。やはり東北の庄内藩(鶴岡)出身で、東條英機より3年遅れて大正7(1918)年に陸大を卒業、こちらは「恩賜軍刀組」です。成績は抜群に優秀なのですが、士官学校時代から教官を罵倒する、授業をサボるなどの問題行動が多く、その一方で神道日蓮宗に傾倒し、未来予知を行うなど、いわゆる典型的な「分裂気質型の天才」でした。ー

 

其の「天才」型の人は元元周囲と摩擦を起こすことが多くまた元元頭の出來が良いのでさうして教師を罵倒し「授業をサボる」ことなどが多くさらに周囲の考えとは違うことを常に述べるものだ。

例えば文學者で言えばまさに「坂口 安吾」タイプの人だらう。

 

また宗教にも強くさらに考える力があるので哲學なども大體イケて仕舞う。

其れもまたまんま僕みたいな話ですがあくまで僕は純粋な意味での「天才」には非ず。

 

僕はむしろこんな「アホ」ですので半分は兎に角阿呆なんです。

 

 

ーこの遠大な構想を抱いて東京の参謀本部に戻った石原は、盧溝橋事件を口実に中国戦線をむやみに拡大しようとする現場指揮官をたしなめ、近衛首相にも中華民国との和解を進言します。しかし戦略的な平和主義に転じた石原は参謀本部内で孤立し、関東軍参謀副長として満洲に送り返されてしまいます。事実上の左遷でした。何でも自分でやってしまい、根回しを苦手とするのも分裂気質の特徴です。

関東軍参謀長として石原の上司となったのが、不幸なことに東條英機でした。慣例を墨守するだけの東條に対し、石原は「無能」呼ばわりし、激怒した東條は石原を罷免。その後も閑職に追いやられ、日米開戦の直前に予備役にさせられました。引退を強制されたのです。

皮肉なことに、20世紀後半の日米開戦を「予言」した石原ではなく、石原の戦略をまったく理解できなかった東條が首相になりました。この実務家が、「もう決まったことだから」と、時期尚早の日米開戦に踏み切り、20世紀の半ばで大日本帝国を崩壊させました。この結果、300万人の同胞が命を落としたのです。ー「天才を潰し秀才を重用した」日本型組織の末路 東條英機はなぜ石原莞爾より優遇されたのか | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)より

 

問題は🗾の國を其の「秀才」が動かして來た可能性が高くあることです。

つまりは其の「天才」型からすれば明らかに「無能」に見える人がむしろ國を動かす座に就いて居易いのがかの國の體制の實情です。

 

嗚呼だから自由民主党の國會議員はみんな無能なのか。

なのでそんな「無能」共には分からんことが此の世の中にはあるのです、其れもしかと。

 

なのでたとえ東大出だからと言ってそんな「無能」は居るのだし實際官僚共の動きを観て居りますとどうも「無能」臭いのです。

じゃあ「河村 たかし」氏などはズバリ「天才」なのですか?

 

其の「河村 たかし」氏は「天才」過ぎるのか自分にもまた理解不能な部分が往往にして見えて來る。

つまるところ「河村 たかし」氏はむしろ「奇人、變人」の類での人なのでせう。

 

 

さて今回是非述べて置きたいのが秀吉公はむしろ可成に頭が良かったとの点である。

 

ーさて、秀吉がなぜこの追放令を出したかだが、その理由の一つに、西欧人たちが胸に秘めた日本侵略の意図を読み取ったからだと言われている。宣教師コエリョが秀吉を博多で出迎えた際、自分が建造させた最新鋭の軍艦に秀吉を乗船させて、自分ならいつでも世界に冠たるスペイン艦隊を動かせると自慢半分、恫喝半分に語ったという。このとき秀吉は彼らの植民地化計画を瞬時に看破したのであった。

もう一つ許せないのが、日本の大事な国土が西欧人たちによって蚕食され始めていることだった。

 

日本国の支配者たる秀吉にとって、いかに信仰のためとはいえ、外国人に日本の領土の一部を勝手に譲渡するなど言語道断の出来事だった。西欧人たちがそれを足掛かりとして領地を広げていくことは火を見るよりも明らかだったからだ。

最初に宣教師を送り、続いて商人、最後に軍隊を送って国を乗っ取ってしまうという西欧列強お得意の植民地化計画が今まさに実行されようとしていたのだ。

 

日本人の貧しい少年少女が大勢、タダ同然の安さで西欧人に奴隷として売られていることを秀吉はこのたびの九州遠征で初めて知ったのだった。

 

「日本人が数百人、男女問わず南蛮船に買い取られ、獣のごとく手足に鎖を付けられたまま船底に追いやられた。地獄の呵責よりひどい。──中略──その上、牛馬を買い取り、生きながら皮を剝ぎ、坊主(宣教師を指す)も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼下に広がっている……」

 大村由己は自分が目撃したことを秀吉に報告したところ、秀吉は激怒し、さっそく宣教師コエリョを呼びつけ、なぜそんなひどいことをするのかと詰問した。するとコエリョは、「売る人がいるから仕様が無い」そうケロッとして言い放ったという。

この言葉からも、こうした日本人奴隷の交易にキリシタン大名たちが直接的にしろ間接的にしろ何らかの形でかかわっていたことは間違いないだろう。ー「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断 海外連行された被害者はざっと5万人にのぼる | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)より

 

まずは此の点を秀吉公の功績として認めぬ訳にはいかぬ。

 

ーこうした実情を憂慮した秀吉はコエリョに対し、日本人奴隷の売買を即刻停止するよう命じた。そして、こうも付け加えた。

「すでに売られてしまった日本人を連れ戻すこと。それが無理なら助けられる者たちだけでも買い戻す」といった主旨のことを伝えている。

 

もしも秀吉が天下を統一するために九州を訪れていなかったら、こうした当時のキリスト教徒が持つ独善性や宣教師たちの野望に気づかず、日本の国土は西欧列強によって侵略が進んでいたことだろう。秀吉はその危機を瀬戸際のところで食い止めたわけである。

 

ともすれば現代のわれわれは秀吉に対しキリシタンを弾圧した非道な君主というイメージを抱きがちだが、実際はこのときの集団処刑が、秀吉が行った唯一のキリシタンへの直接的迫害であった。それもこのときはスペイン系のフランシスコ会に対する迫害で、ポルトガル系のイエズス会に対しては特に迫害というものを加えたことはなかった。

ここまで見てくると、当時の秀吉は日本の為政者として領土や国民の安全を守るために最善の選択をしたように思えてくるのだが……。ー「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断 海外連行された被害者はざっと5万人にのぼる | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)より

 

つまりは其の秀吉公の御陰でもって🗾人は奴隷化されずに済んだのだった。

尚フランシスコ會がさうして迫害された訳であるがフランシスコ會ってかの聖フランチェスコの流れを汲む「善人としてのクリスチャン」の流れのものではなかったのか?

 

其れが何故さう過激に布教し且つ原住民を奴隷化したがるのだらうか。

其れは西洋人は基本的に肉食人種で「野蛮」だからなのだ。

 

まさに其の「野蛮」さを近代に於いて文豪夏目 漱石が嫌いさらに戦後では哲學者の梅原 猛先生が否定的に扱った訳である。

ところが明治以降の近代化に於いて🗾人は逆に「西洋人は素敵だ」とさう刷り込まれて仕舞う。

 

實際には奴等は所謂「毛唐」であり同時に「👹」であり兎に角欲望が毛深い。

ならば尊王攘夷だ!

 

奴等をかの神國へ壱歩も入れるな!!

 

そんな訳で西洋のものが「素敵」だと云うことは無く概ね其れは大味でしかも欲深くあるものなのだ。

故に逆に西洋人は🗾に憧れの眼差しを注いで居たりもまたする。

 

其れは所謂クリスト教に於ける矛盾やまた西洋社會の矛盾を誰よりも彼等こそが感じて居るからなのだ。

 

 

なんだけれども欧米の🖋はヤッパリ良い。

また西洋骨董の趣味の世界などもまた極め付きに魅力的だ。

 

またクリスト教も元元變だったのでは無いことだらう。

其れが次第に變になっちまった訳です。

 

ですが此処🗾の大乗佛教もまたそんな侵略行為こそしないけれども元元變な佛教です。

兎に角当時のクリスト教はほぼ邪教だった訳です。

 

ですが信長公に限り我が國の腐った佛教を壱喝する意味からあえてクリスト教の布教を許したのだとさう思われる。

だけれども「こりゃヤバい!」とさう気付いたのが秀吉公であったと云う訳なのだ。

 

 

ー秀吉バテレン追放令や書簡は[2]キリスト教に対抗して、吉田神道の宇宙起源説を引用するなど[3]神国思想を意識的に構築しており、家康もその基本路線を踏襲している[4][5][6]。秀吉の書簡や家康の禁教令はキリスト教を、統一された日本の宗教(儒教神道仏教三教一致)の敵であると名指しで批判して、禁教令の正当性を示そうとしており[注釈 1][7][8][9]、秀吉と江戸幕府の宗教政策には禁教令の観点から継続性が見られる。

今日に知られるような弾圧と呼べるものの最も早いものは、豊臣秀吉1596年に出した禁教令で、この時は26名のキリスト教徒が処刑されている(日本二十六聖人)。ただし、この時も主にはフランシスコ会に的を絞った物で、禁教のための継続的な政策が取られたわけではなく、後を継いだ江戸幕府もそれに倣っている。

日本において、政策としてキリスト教への弾圧が始まるのは、1612年の禁教令からであり、明治初期まで続いた。ー禁教令 - Wikipediaより

 

 

本來佛教徒の如くに欲の無いまさに清廉潔白である筈のフランシスコ会 - Wikipediaが何故邪教化して居たのか?

何せ「小鳥に説法をした」程の聖フランチェスコなのに何故其れがそんなヤバい宗教になったのだ?

 

いずれにせよ宗教もまた常に難しいものだ。

だからたまに居られるのです、曰く宗教なんぞ此の世に要らんわい。

 

だけれどもまた宗教でないと「人間の精神のあり方」を正すことなどはまず出來ぬ。

つまりは哲學以上に「人間の精神のあり方」を問題とするのがまさに其の宗教の分野である。

 

 

 

ー戦国時代当時、キリスト教は、我々が思っている以上に普及していた。キリシタン大名の追放が始まった慶長19(1614)年の時点で、日本人の信徒の数は少なく見積もっても20万、多い場合は50万人ほどいたと見られている。

当時、日本の人口は1200万人程度だったとされているので、人口の2〜4%がキリスト教徒だったことになる。長崎を中心に、博多、豊後(大分)、京都などに布教の拠点があり、ポルトガル人やスペイン人の宣教師や教会関係者は、国内に100〜200人程度いて、教会は200か所あった。長崎などは、一時、イエズス会の領地のようになっていたこともあった。

 

ローマ教皇は、ポルトガルとスペインに対し、キリスト教を布教することと引き換えに、世界をポルトガルとスペインで二分する許可を与えた。この命により、両国は世界中に植民地を持つ代償として、各地に宣教師を派遣し、教会を建設する義務を負ったのである。

ポルトガルとスペインの交易船には、宣教師も乗っており、新しく交易を始める土地では、必ず布教の許可を求めた。布教を許可した土地のみと、交易を開始したのである。

 

しかも、ポルトガルやスペインは、軍事的にも不穏な動きがあった。長崎はイエズス会の領地のようになってしまっていた。またキリスト教徒たちが、日本各地の寺社を破壊することもたびたび起こっていたのである。

スペインにいたっては、日本への武力侵攻を検討したこともあった。当時の日本は戦国時代で、大名たちの戦力が充実していたために、侵攻を断念しただけだったのだ。

もし、日本が戦国時代ではなかったら、ほかの東南アジア諸国のように、ポルトガルやスペインから侵攻されていた可能性もあるのだ。それらのことを総合的に判断し、キリスト教全面禁止に踏み切ったものと考えられる。ー徳川家康「キリスト教を徹底弾圧した」深い事情 日本がスペイン植民地になった可能性もある | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)より

 

兎に角当時はポルトガルと西班牙がかの地🗾を植民地化しやうとして居たものと思われる。

だが🗾人は思ったよりも利口でしかも武力を持って居た。

 

なのでスペインと雖もカンタンにはやっつけられぬ。

故に「キリスト教全面禁止」はむしろ良い措置であった。

 

でなければ今頃は🗾のみんながクリスト教徒で其れも日曜の度に教會へ通うまさに敬虔なクリスチャンとなってる。

さう教會の中へと入りますか、アナタは?

 

いや何せボクは佛教徒なので教會の中へは入らず只周りから其れを観察して居るだけのことです。

教會を観察して壱體何をやるんですか、もしや火でも点けやうとしては居ないか?

 

いえさうでは無く其処での「聖なる空気」に触れ佛教徒としての自分の心を正すのだ。

そんな佛教徒としての自分ならばむしろ「寺」へこそ行くべきでせう?

 

 

でも「寺」にはアノ「クリスマス」がそも無いでせう?

其れと「寺」なんぞはもう見飽きても居ますよ。

 

そんなクリスト的佛教徒…。

まさに其れがわたくしの正體なんだ。

 

アナタはさうしてクリスト教をむしろ擁護しイスラーム教や神道を嫌っておいでだ。

いや別に嫌っては居ないですね。

 

イスラーム教や神道にもまた良いところはあるとさう考えて居ります。

但し其れ等は「現世利益的」でもあるなとさうはいつも思う。

 

其れと案外其の思想が排他的であり過激です。

 

今のクリスト教にはそんなかってのやうな「過激さ」などはありません。

むしろ今のクリスト教は何せ教皇様が善人ですのでまさに「正教」となっております。

 

もしやアナタは教會へ行き「僕は佛教徒ですが…。」などと言いつつ教義上の質問をあえてするのですか?

あ、壱度其れをやりかけたことが確かありましたのです。

 

でも今や宗教の課題は只壱つだけだ。

 

其れは何ですか?

其れは文明が地球を壊すのを止めさせることだけでせう。

 

ああさうか、するともはやそんな「宗教上の世界制覇」とかそんな次元の御話ではないのですね。

實際さうなんです。

 

今大惡人なのがまさに其の「現代文明」其のものなのですから。

 

でもコイツはもうほんたうにタチが惡い。

まあむしろ👿よりもタチが惡いんだ。

 

 

さうか如何にも困った奴等ですね。

さう如何にも困った奴等です。

 

そんな惡の文明は壱遍肥溜めにでも落ちた方が良いのだとさう思われます。

すると文明の惡を直すには矢張りと言うべきかもはや宗教しか無いので?

 

いやなかなか宗教では其の惡を止められぬ。

ならばどーするのですか?

 

うーん、さうですね、後は👽に御願いするとか其の位しかもはや手が浮かびませんね。

いっそのことではアナタ御自身が例えば「宇宙教」の教祖となり「自分はM78星雲から参りましたニュータイプでのクリストであり佛陀です」とさう主張されては如何でせう?

 

「自分はM78星雲から参りましたニュータイプでのクリストであり佛陀です」

うーん、どうも頭が狂っとるな、實際コレでは。

 

其れを表で叫べ、其の通りに叫ぶのだ!!

 

ところでもうこんなバカ話は止めやう。

兎に角宗教ー正教ーはたった今「文明の惡」と闘わねばなりません。

 

逆に申せば「文明の惡」と闘う宗教こそが「正教」です。

其の意味では宗教や宗派に拘らず分け隔てなく「正教」としての自浄力を是非認めて行くべきでせう。

 

 

ー当時のキリスト教世界では、ルターの宗教改革から生まれたプロテスタントが、急激に勢力を拡大している時期だった。プロテスタントは、免罪符に象徴されるような教会の権威主義、金権主義を批判し、純粋な信仰に戻ろうという宗派である。そのため、旧来の教会であるカトリックと、新興宗派であるプロテスタントは、激しく対立していたのである。

ポルトガルやスペインは、カトリックの国だった。彼らが、大航海をして世界中に侵攻していたのも、じつはカトリックプロテスタントの対立が影響していたのである。

プロテスタントに押されていたカトリックは、少しでも多くの信者を獲得するために、積極的に世界布教に乗り出したのだ。戦国時代に日本にやってきたポルトガル、スペインの宣教師たちは、皆この流れに沿ったものなのである。ー徳川家康「キリスト教を徹底弾圧した」深い事情 日本がスペイン植民地になった可能性もある | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)より

 

即ちカトリシズムが邪教なのか其れともプロテスタンティズム邪教なのかと云う大きな論点が其処には横たわる訳だ。

でもって江戸幕府は結果的にプロテスタンティズムの國阿蘭陀と交易を結ぶのである。

 

まさに其のどちらが邪教かと云う視点は所謂大乗教説は非佛説にて邪教であるとの観点にもまた連なるであらう問題です。

しかしながら個人的にはプロテスタンティズムの「現世利益」志向には問題があるやうに感じられて居る。

 

其れ即ち「近代的な経済発展」と緊密に結び付くのがむしろプロテスタンティズムの方なのだから。

其処を逆に申せばクリスト教の教祖のイエス・クリストは其の御性格がまさに潔癖であり(まさに御釈迦様と同じでもって)儲けだの蓄財だのそんなことには無関心と申すかそも現世に蓄えなどは出來ぬとさう考えられて居たことだったらう。

 

なので其の部分より鑑みればクリスト教として不純なのはむしろプロテスタンティズムの方なのだ。

ですが其れもまた大乗佛教が可成にいかがわしく不純であるのとまるで同じでありだからと言って其れが「邪教」であるとはまたなかなか言えぬものなのです。

 

そんな訳で宗教のこともまた兎に角厄介な御話ばかりです。

そんな厄介ついでに教會へと乱入し是非宗教問答をやりたいやうなそんな気分です。