「反抗」と「プチ・ブル的な愉楽」とは常にさうして両立するー80年代に出された「思想」の本を読んで 壱ー
練馬・教え子にわいせつ行為、動画保存もしていた現役校長・北村比左嘉容疑者(55)は妻を溺愛、“生まれたばかりの子”がいて…裏切りの素顔 | 週刊女性PRIME (jprime.jp)
うわあ、どうでもエエんですがもう55なのに「生まれたばかりの子」が居て其れでももっとエロをやりたいんですか?
まあ其れは所謂「性欲」の個人差の問題です。
ですがあくまで自分の意見としては「生ものはなるべく避けモノに凝った方が良い」とのことです。
また「思想」に凝ることなどでも「性欲」は抑えられる。
但し「思想」に凝り過ぎると極めて危ない。
故に「思想」にのめり込む位ならばむしろピンサロへでも行った方が良い。
教え子盗撮・わいせつ要求で逮捕の『四谷大塚』元講師・森崇翔容疑者に“YouTube出演”疑惑「完全に一致」ネット騒然の動画内容と語られている“女性経験” | 週刊女性PRIME (jprime.jp)
塾の先生の方でもこんなんやってましたか。
女性校長を窃盗容疑で逮捕 「生活費浮かそうと…」 不正な割引シールで精算 - 産経ニュース (sankei.com)
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女優のあき竹城さん死去、75歳…「秘密のケンミンSHOW」や映画「楢山節考」にも出演 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)
其の教育界の乱れはどうでもエエんですが自分はまさに其のあき 竹城氏の大ファンでした。
馬渕睦夫【大和心ひとりがたり】2023年第10回●バイデンのウクライナ訪問(第9回)」の続き/これからはIQからEQの時代に - YouTube
弐流以下の大學の出身者でも頭の良い方は結構居られます。
故に別に東大、京大、早慶ばかりなのでは無い。
東大、京大出身者は逆に社會に出てから「御勉強」をしないので弐流以下の大學の出身者で生涯に亘り「御勉強」が大好きなつまりは儂みたいな奴に結局負けるのです。
其れも其の総合的な知恵と云う部分でね。
さて馬渕先生は「右」の方なんでせうが自分に限れば「右」でも「左」でもありません。
其のイデオロギー以前に自分はもっともっと哲學的に此の世の全てを捉えて居りよって必然として「右」でも「左」でも無くなります。
問題は其の左右の思想闘争に於いて、「右」の人は「左」の思想が惡いので世の中が惡いのだとさう考え逆に「左」の人は「右」の思想が惡いので世の中が惡いのだとさう考えて居る部分です。
ですが僕に言わせれば其れは眞の意味での思想的態度では無い。
いつも申して居ますが理性の本質とは、
右⇔左
👨⇔👩
利口⇔馬鹿
人間⇔動物
との弐項對立的な価値過程を双方向的、両義的に見詰めるとのことである。
「双方向的、両義的に見詰める」こと以外にまず「正しい認識過程」は生じないものと是非さう見て置くべきだらう。
要するに「右」だ「左」だと言って居るうちは其の「正しい認識過程」へと至ることなどは出來ぬ。
また其のことは宗教的過程に於いてもまさにさうなのです。
現實として宗教的過程などもまた分裂して居ます。
クリスト教⇔イスラーム教
大乗佛教⇔小乗佛教
西洋思想⇔東洋思想
と言うやうに兎に角何でも分裂して居ます。
其れは人間の認識其のものが其のやうな「相対認識」しか出來ぬとのことだ。
人間の認識其のものが其のやうな「癖のある」認識であり其れは何でかと申せば彼等人間には「大脳新皮質」なる新機能が付加されて居るからだ。
従って其の「相対認識」其のものに對し「理性」は常に働きかけて行かねばならない。
逆に言えば動物は別に「理性」でもって働きかけずとも其の侭に見ることしか出來ず且つやれることしかやれません。
つまりはさう「限定」されて居ります。
其の「限定」を解除する方向へ進化したのが人間です。
またより「限定」を解除する方向を可能としたのは「近代思想」です。
「近代思想」は左様に人間を神の方向へと導く訳ですが残念ながら其れはむしろウソの神です。
そんなウソの神としての「神人間」共が「右」だ「左」だと言いつつ他方がバカだとさう思ってる訳だ。
ですが僕から言わせますとまさに其の對立の上で踊らされて居ること自體が實はバカなんです。
なので「右」の作家もまた「左」の作家も所詮は馬鹿なんですう。
じゃあ思想詩人さんの其の御考えダケがまるで神の如くに正しいので?
いやボクは何も思想のことなんぞ述べて居ません。
ボクが話して居るのは例えば焼肉が美味いことでありまた餃子を弐拾個食いますとのことダケだ。
つまり人間は「神人間」なんぞにはそもなれぬのです。
人間は只の🐵であり「神人間」なんぞと云うそんな御大層な者にはなれず要するに寝て食って💩をして終わるそんなつまらぬ生命のことだ。
さても思想詩人さん、アナタは最近「社會」の大問題から逃げて石や🎇ばかりを観て毎日遊んで居ますね?
いや違いますね、たった今物凄く御勉強して居ます。
じゃあ何を?
まあ「現象學」などをね。
「現象學」?何ですか、ソレは?
だからソレが「現象學」ですよ。
「現象學」はでも「難解」でね。
所詮君等には理解出來ないことだらうな。
ふーん、哲學詩人さんでもそんなに難儀なものなのか。
じゃあアホなワシらには絶對に分からんことですね!
いやいや此れから其れを壱緒に御勉強するとの御話ですね。
嫌だまさかそんなもんを此処に貼り付ける御積りなのか!
其の通りだ、どうだコレなんぞは?
現象学とは?【死ぬほどわかりやすく解説!】 (uteimatsu.com)
現象学とは何か|意味をわかりやすく解説|フッサール │ なるほう堂 (naruhoudou.com)
ぎゃあー、やられたあー。
其の「現象學」に興味が出たのはたまたま古い思想の本を読んで居たところさうなりました。
其れは初版が1984年に出て居り所謂ニュー・アカデミズム - Wikipediaに於ける「思想ブーム」の頃の「思想」に関する本である。
1984年と言えば自分が地元の大學を出て間もない頃で兎に角何故か其の折には🗾社會にも「思想ブーム」が沸き起こりつまりは大学教養レヴェルでの頭の持ち主は皆こぞって「構造主義」だの文化人類學だの「浅田 彰」だの何だかんだのと「御勉強」して居たものだった。
とは言え其れは今40代以下の人にはまるで分からぬ現象である可能性が高い。
だが70年代迄は此処🗾社會にも社會との闘争の歴史の部分がいまだ色濃く残って居り例えば岡林 信康の曲などは屡ラジオから流れたりして居たものだった。
【OBK】岡林信康 - くそくらえ節 + 1 - YouTube
岡林信康_くそくらえ節_(1968).mp4 - YouTube
当時の岡林 信康の曲の立ち位置は明らかに「極左」なのでありつまりは其の社會批判の様が辛辣である。
尤も自分がそんな岡林 信康の曲に嵌まったのはむしろ五拾を過ぎてからである。
ちなみに現代の🗾社會にはむしろ此の頃の「反體制ソング」こそが似つかわしいものとなって居るやうに個人的には思う。
つまりは🗾社會ソレ自體がかうして余りにも惡くなって仕舞った。
現象学的還元とは何か|意味をわかりやすく徹底解説|フッサール『イデーンI』 │ なるほう堂 (naruhoudou.com)
あくまで個人的には其の「現象學的還元」にて何が可能となるのかと云う部分にこそ興味がある。
さて其の『現代思想・入門』との別冊宝島の本は活字が小さくしかも其の内容が至極難解で理性に取り如何にも挑み甲斐のある本である。
もう兎に角字が読みにくいので強めの3度の老眼鏡にて其れを読むのだが内容其のものは珠玉のものでむしろ感動すら出來るスゴイ本なのだ。
左様にたとえ高齢者となっても「思想」への情熱を失わぬ僕みたいな理性人に是非皆もなって頂きたいものだ。
だが最終的に我が理性はそんな「革命」を目指す訳では無くむしろ「認識革命」をこそしたいのである。
つまりは社會を変革に導く以前に人間の認識其のものを何とかしたいと云う方での革命家なのである。
あ、つい「革命家」などと言っちゃいましたが私は半分はむしろ保守派なのですよ、つまりは英國流の保守派である。
さあて其れでは御紅茶でも飲もうか。
其の御紅茶は何時もの如くにアマゾンにて買ったアール・グレイティーです。
つまりは其れが壱番安い奴です。
要するに「反抗」と「プチ・ブル的な愉楽」とはさうして両立するんです。
またつまりは其れを両方同時にやることこそが自分に取っての「藝術」であり「思想」であり「宗教」なのでもまたある。