よーのなーかーバカなのよー
《追悼》渡辺徹さんが闘病中、親友の茨城・古河市長に語っていた覚悟「役者は体が弱いと思われると、仕事がこないんだ」 (msn.com)
其の渡辺氏は我と同年代なのでまずはお悔みを申し上げますが多分若い頃にマヨネーズを食い過ぎて居たのだらう、此の方は。
でも我もまた菓子の食い過ぎですのでまるで同じです。
但し詩人は61迄生きればむしろ長生きをし過ぎなのだ。
でも僕はもっと長生きをしたのでつまりは凡詩人と云うこととなりませう。
尚現存在の命は常に限られて居りよって誰もが80歳迄生きられることは無いので其処を良く注意して置きませう。
逆に今80代の人人が長生きなのは彼らは幼い頃~靑年期にかけ貧しい食生活をし従って食い過ぎて来ては居ないからのことです。
尤も自分は以前から飽食をして来た60代からの平均寿命はむしろ短くなるとさう述べて居り、其ればかりか今参拾歳位の人はむしろ還暦迄生きられない可能性もまたあるとさう壱種悲観的に文明の未來を捉えて來て居る。
だからどうのかうのでは無く個としての認識を正し文哲方面での思考を磨き且つ世間とはなるべく距離を取るべきです。
さうして其処でもって現存在に取りほんたうに大事なこととは何かと云うことを是非自分なりに考えて行かれると良いことだらう。
現存在に取りほんたうに大事なこととは進歩では無くまた金持ちとなったり宇宙へ移住したりすることでもよもや無い。
現存在に取りほんたうに大事なこととは自ら思考し自分の価値観の誤りを正すことだ。
現存在に取りほんたうに大事なこととは自らに理性的な「限度」を与えられるかどうかだけである。
勿論正教に對する信仰やまた或いは藝術的な立場からも其れを成就することも出来ることだらう。
ですが功利的で且つ現實主義的ー現世利益追求的ーな思考からは無論のこと其のやうな精神的な立場が得られることは無い。
さて邪教の問題やまた自由民主党による政治上の問題からどうも今所謂👪主義に對する問題点が炙り出されて来て居るやうに思われてならない。
先に本物の宗教家は👪主義には与しないと云う旨を述べたしまたかのソークラテースやショーペンハウアーと云った哲學者もまた其の👪主義には陥らぬ場合が多いやうに思う。
1.自由民主党による政治は元來👪主義的である
2.ところが現在の日本に於ける不幸はまさに其の👪主義の破綻の部分にこそ原因が認められる。
尚其の杉田政務官の謝罪とはまさに其の👪主義の破綻の部分をこそ意味するのであらう。
何故なら、
3.所謂同性婚などを認めればまさに其の👪主義が崩壊する方向へと向かうこと
4.女性が権利、権利と威張れば同様に👪主義が崩壊する方向へと向かうこと
と云うことなどもまさに自明のこととして認識されることだ。
但し其の👪主義はまた個の権利関係を重視する近代的思想とは頗る相性が悪いと来てる。
要するに所謂封建的な価値観が近代的価値観と對立し且つ否定し合うのは壱種の宿命なのでもまたある。
なんだけれども、あくまで現實的には、
封建的価値観⇔近代的価値観
であるのだから結局は双方の価値を見詰めた上で個としての意思決定を行うのがあくまで正解なのだ。
但し哲學的にはどちらかを絶對的に信奉すれば其れは即誤りでの心の決定に繋がらう。
なので兎に角個としての意思決定は双方向性を保つべきだ。
ところが壱般に社會は馬鹿なのでどちらかにしか固執することが出来ない。
ーよーのなーかーバカなのよーー
さて此の歌なんですが、自分に取りいまだに耳にこびりついて居る歌です。
昭和58年即ち1983年の歌ですがつまりは我我還暦世代が丁度大學を出た位の頃の歌です。
だからもはや知らない人が多いことかとさう存ずるが我に限り可成にインパクトのある歌謡曲の壱曲でした。
其れは何故か?
何故なら「世の中が馬鹿」なのだからです。
尚世の中が馬鹿だとさうハッキリ言って居たのは我我の御兄さんや御姉さんの其れもインテリさん方であり要するに其れが所謂全共闘世代の方方でした。
だが1970年の頃まだ僕は11歳で従って「革命」もクソも無く只学校や塾へ行き漢字ドリルとか算数ドリルとかをやりまた学研の科学や学習などの雑誌を読まされ兎に角日本の未來を担う良い子達としてさう育てられて居たものだった。
でもってかのビートルズやジョン・レノンやボブ・ディランなどもまたもっと上の方方の思想を代弁する歌手達でした。
なんですが大學時代と云うよりもむしろ大學を出てから自分の場合は考えが左方面へと偏って行った。
岡林信康10 Songs - 史上最高の曲のセレクション - YouTube
其れもなんか知らんがむしろコッチの方面へと引き寄せられて行くのだ。
でも当時から其の岡林信康 - Wikipediaが好きだったのでは無くむしろ文學や宗教の方に廿代の頃はのめり込んで居たものだった。
實は其の岡林 信康の過激な社會風刺、體制批判ソングを好んで聴くやうになったのは50歳を過ぎてからのことだ。
でも兎に角彼の歌こそが強烈なものでした。
また其の後のどんな反體制系のロックバンドよりも強烈なのだとさう思う。
其の彼岡林氏も次第にマイルド化して行きましたが兎に角彼の初期の頃の反體制ソングは凄まじいものでした。
岡林信康 私たちの望むものは 歌詞&動画視聴 - 歌ネット (uta-net)
尚此処での歌詞を良く視て置いて下され。
我我が望むものはそも確かに「社會の為の私達」では無く「私達の為の社會」なんです。
ところが戦後日本國はかうして民主化されて来た筈なのに要するにいまだに「社會の為の私達」であることをむしろ強いられて来て居ます。
「社會の為の私達」即ち「國家の為の私達」であり「天皇陛下の為の私達」なのだ。
ですのでむしろ其の身分的秩序によるところでの価値ヒエラルキー其れ自體がかうして個としての實存を圧迫して止まぬイデオロギーの流れと化して来て居る。
でもって其の身分的秩序によるところでの価値ヒエラルキー即ち👪主義をも含む思想の流れがすでに限界を迎えて仕舞って居る訳だ。
であるから確かに150年、200年と遡れば江戸時代と云う理想的な政治の流れが其処に見出されるが無論のこと其れはあくまで現實としてはすでに回帰不可能なことです。
と言うよりも戦前にさえもはや戻れぬ訳だ。
でも其の右、左と云う思想的な流れには関係無く「私達の為の社會」であることを政治の理想として掲げ生きることは我我現存在に取ってのむしろ責務でもあらう筈です。
ちなみに其の封建社會としての江戸時代やまたさらに戦前でさえある意味では現在程過酷に「自己責任論」が罷り通る社會では無かったやうにさうも思えて来る。
其の「自己責任論」が罷り通る社會、所謂「決して多くを望まぬけなげに生きる庶民」の生活をまさに切って捨てるかの如き政策を断行して来たのが其れ即ち政権与党としての此処参拾年に亘る政治の流れでした。
しかもです。
しかも我我庶民にはかってのやうな精神的な意味でのパワーがすでに無くよってまさに「私達は社會の言いなり」となって居る。
ああー、もうなんか毎日疲れるわー。
さうだ、美味いものでも食おう。
ぎゃあ、其の🍱がクソ高えぞ。
じゃあ惣菜の方にでもしとかうか。
おええー今日もまた壱萬円弱もスーパーに払っちゃったぞ。
いえ別にわたくしは是非すぐにでも「革命」したいとさう申して居るのでは無く只只「政治が悪い」とさう申して居るのです。
わたしたちーのーのーぞーむーもーのーはーー。
お前ら(偉い人人)の為のわたしたちーではーなくー、
わたしたちのためのーお前らなのだーー。
エエか、聞いたか、アソーにガースー、それに地獄のアベ!
キシダはどうなんですか?
いや其のキシダがまたよりにより👪主義でな。
いいですか、其の👪主義こそが實は最も危ないものです。
どだい統壱教會なんぞはまず其の👪主義です。
其れも教祖と其の妻がまさにお父さんでありお母さんなのだ。
其の教祖と其の妻をお父さんとお母さんに据えるのがまさに最悪の👪主義です。
じゃあアノ杉田 水脈政務官のやうな男尊女卑型の👪主義ならば良いのですか?
いや良くは無いのだ。
兎に角価値ヒエラルキー其れ自體が決して良くは無い。
なんだけれどもまだしも江戸時代迄は政治のあり方がまともだったのだとさうも考えられやう。
でもって「よーのなーかーバカなのよー」とさう言う人間が居なくなる=全體主義の度が高まることこそが實は壱番良くないことだらう。
其れが70年代迄は少なくとも世がバカだとさう言えて居たと云うことなのだらう。
其の江戸時代などでもむしろそんな気風が庶民の間にもあったものと思われる。
反権力と云うか反骨精神と云うかまさにそんなものがおそらくはあった筈だ。
でも此の令和の世となり何だかみんなが所謂「事勿れ主義」へと走りつつある。
正直僕はまさにさう云うのこそが怖い。
さて私達はそんな今ある不幸に甘んじたりして居てはならない。
兎に角言いたいことだけは言い後はもう「よーのなーかーバカなのよー」ですっかりイイのだから。
さうか、すると社會科詩人さんはもう全てをやり終えたと云う感じですか。
さうですねえ、其の社會に對し言わねばならんことだけはすでに言い尽くしたのかもしれない。
でもって僕等には其の👪主義であることを止め是非今後を革命戦士として生きよとさう諭されて居るのですね?
さうじゃあ無いでせう。
只社會に對しもっともっと御勉強し其処になんか言いたいことがあったらハッキリと言ったれとさう言うておるばかりでのことです。
アンタはでももう社會の全部がボロクソなので極端じゃないですか、そも其の思想の方が…。
ですかね?
まあ僕は其のうちに牢に入らねばならんのかなあ?
でも僕の場合は結局此処にて毎回吠えて居るだけのことなのでなかなか捕まりませんよ。
だがアンタ政治家を動物呼ばわりするのはそも完全なる権利の侵害にて罪其のものだぞよ。
エッ、さうでしたか?
まあ其処の部分もあくまで僕の文學作品の中での御話でありあくまで現實の上での御話では無いんですよ、實は。
あれ、さうして此処の全部が文學作品なんですか?
…勿論です。
だから読者のことなども時折罵倒したりも致しますが其れは僕の本心では無くあくまで作品を出来るだけ面白くする為の文學的な方法論ー手練手管ーのことです。
なる程…。
ーよーのなーかーバカなのよーー
其の世の中が馬鹿だ即ち惡いと思うこと自體はむしろ正常な精神としての反応です。
何故なら事實として現代社會のほぼ全ては惡いんです。
但し其処からどう其の惡い社會に立ち向かって行くかと云うことは人其れ其れでせう。
なんだけれども此の世は良い、良いとさう思い込んで居ることは逆に不幸に繋がりませう。
どだい佛教にせよキリスト教にせよ「此の世は良い」などとはまるで考えて居ません。
其れをあえて「良い」とする宗教程邪教としての色合いが逆に濃くなる。
でも其れは邪教の教祖に取り自分の教団の勢力拡大が嬉しいだけの御話で正教からすればそんなもんは只の絶倫男ーそんなギンギンの教祖ーの妄想でしかありません。
兎に角此の世でもって自己として認識の方を正して行くことはまさに至難の技ですがあえて其れをやっていかんとそんな惡い世の中で家畜化されて行くより他は無い。
であるからこそ勇気を振り絞りあえて言ってやらねばなりません。
即ち、
わたしたちーのーのーぞーむーもーのーはーー。
お前ら(偉い人人)の為のわたしたちーではーなくー、
わたしたちのためのーお前らなのだーー。
いまあるー不幸にーとどまっていてはーならないー。
其れでもって最後に、
よーのなーかーバカなのよー。
とさう言ったれ。
こーの、クソ社會めが!!
どうもありがたう、
はい?
どうもありがたう、今日もまた美味しい御飯をありがたう。
尤もこれから食べるのですが。
そんな訳で何時其の渡辺氏のやうに死んじまうものか分かりませんので御飯は確りと噛んで食べ同時に社會に感謝しつつ其れを食べませう。
はあ…。
でも社會に對し常に文句を垂れねばならんのでせう?
だから常に両方をやるんですよ。
さうか、其れも何だか分かったやうな分からんやうな。
分からんで結構。
それじゃまた来週。
また休む気なのか?
はい、其れも今下痢になって居ましてまた少し休ませて頂きます。
詩人さん、相変わらず體の方が弱いねえ。
だから詩人なのさ。
それでは。