目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

無印良品の「浅葱色」と「萌木色」のサインペンーそんな伝統色としての「靑」と「緑」の色の上質な對比に就いてー

無印良品の「浅葱色」と「萌木色」のサインペンーそんな伝統色としての「靑」と「緑」の色の上質な對比に就いてー

 

 

 

 

【精神科医が教える】 ネガティブな気持ちを一瞬で吹き飛ばす…気分をリセットするたった2つの方法 (msn.com)

 

我が結論から言えば「ネガティヴ」思考を消し去ることは近代社會が陥ったところでの「ビョーキ」です。

近代社會とはつまるところはそんな病気である。

 

従って正しくは、

 

ポジティヴ⇔ネガティヴ

 

との関係性に於ける「バランス」を回復させることこそが現代人にとっての「心の健康」を取り戻す手立てとなる。

 

だから精神科医の言うことなんぞをイチイチ信じて居てはイケない。

精神科医の言うことなんぞよりも例えば作家で申せば「坂口 安吾」などを読み込み現代人の精神のあり方をこそ是非正すべきだ。

 

ですが彼「坂口 安吾」はかって精神病院へ確かに入って居ます。

そんなキチ外作家の言うことをもしも信じるのであればもはやアナタは相当にキチ外です。

 

またキチ外詩人の言うことなどもまた信じて居てはイケない。

故に此処はあくまで「文學の場」であり別に此処で語られたものを信じなさいとさう述べて居るのでは金輪際無い。

 

つまり其れは散文詩でありよって文學表現として「味わうべきもの」であり他のなにものでもありません。

兎に角自分は精神科医の言うことを壱応参考にはしますが別に全的に其の言葉を信じる訳では無い。

 

 

元量子物理学者の彫刻家がつくる、SFのような不思議な作品がバズり中! (msn.com)

 

其の量子論と現實世界は余り関係無いとさう見て置く必要もあらうかと思う。

また相対論と現實世界もまた余り関係無いのです。

 

どだい地動説以前の天動説でも現實世界はむしろ普通に回るのだ。

だから「藝術」としての量子論的表現は其れで良いのですが量子論や相対論などが無くともあくまで實存は實存です。

 

まあ要するにそんな「近代的価値」の方にこそ「害」があるとさう個人的には捉えて來て居ます。

 

 

「南海トラフ巨大地震」で「日本」は「衝撃的な有り様」になる…その「ヤバすぎる被害規模」(現代ビジネス編集部,biki,よしづきくみち) | 現代ビジネス | 講談社(3/3) (gendai.media)

 

「近代的価値」とは「限度の解除」のことですので「自然」の脅威や逆襲と云ったことが須らく「想定外」のものとなって居る。

まさに其のことが「近代的価値」が生む「ビョーキ」なのだ。

 

ですがあくまで現實にはこんな「温暖化」があり「大地震」がある。

ですが文明社會がそんな「ビョーキ」ですと其れもまた無いやうなものなんです。

 

アホたれ、ホレ今このやうにグラグラが!!!

ぎゃあー、文明、今まさに死にまーす。

 

ざまあみやがれ。

其れみたことか尾張の詩人の言う通りになったわい。

 

さようなら、地球、さうしてナゴヤ

詩人は其の尾張の詩人は今何処に?

 

もはや瓦礫の下だわい。

しかもすでに彼のイノチは無い。

 

だが彼はさうして生きてるうちにトコトン文明を批判した分ほんに幸せだったとさ。

 

 

【楽天市場】【数量限定品!】ウォーターマン 公式 万年筆 F ル・マン140 ブラックBT リミテッドエディション 送料無料 ラッピング無料 高級筆記具 ブランド プレゼント ギフト お祝い 記念日 WATERMAN:WATERMAN official shop (rakuten.co.jp)

 

きゃあこんな御仏蘭西製の凄いペンが!!

そんな御腐乱酢製の香り高き高級な🖋が!

 

もしやアナタは其れを欲しておいでなのか?

 

いえ要りません。

其のル・マン100にはかって凝ったが弐本ー銘木軸ーとも壊れ今は自作の付けペンのキャップとなって居ります。

 

其れも特に仏蘭西製や伊太利亜製の🖋は左様に良く壊れます。

だがそも何でさうなるのか?

 

まあ西欧近代其れ自體が何処か信用がならんものです。

 

では文化は東洋の方が上なのか?

本質的には多分さうだらう。

 

でも自分は西洋の文化が好きだ。

何故ならどうも筆は使い辛く硬筆筆記具の方が好きである。

 

 

さて優しい「色合い」。

まさに其れは東洋にこそある。

 

其の種の日本的な感受性はまさに「文化の華」である。

 

丁度壱週間程前に「ローソン」へ🚬ーハイライトーを買いに行くと其処に不思議な色合いのペンが売られて居た。

其れは「サインペン」と「マーカーペン」であり其のどちらにも其の不思議な色合いが同じやうに用意されて居た。

 

其の色合いこそが「浅葱色」と「萌木ー黄ー色」である。

要するに其れは「靑」と「緑」の其れも所謂中間色のことである。

 

 

ー特に日本人は中間色を好む傾向があり、日本の伝統色として古くから日常の中に溶け込んでいた。「衣服令」や「奢侈禁止令」など時代の政策によって色彩の使用が制限されたため、逆に微妙な色合いを作り出したり組み合わせたりする流れが起こり、色と色を掛け合わせ、明暗濃淡などのわずかな違いを楽しむ色彩感覚が自然に洗練されていった(十二単の「襲の色目」、重ね染め交織りなど)。ー中間色 - Wikipediaより

 

日本の伝統色一覧 | 色彩図鑑(日本の色と世界の色一覧) (i-iro.com)

 

さてわたくしは色に関する感度を強く持ち合わせる人間である。

また共感覚者でもあり数字や仮名などに固有の色を感じることが可能なのだ。

 

但し其れが最強の感度だとはまた言えず但し明らかにつまりは色ー👩では無いーに関するキチ外なのだ。

其れに以前より自分はむしろ画家にでもなりたかった。

 

だが其の才が弱くまた理屈っぽくもあるので所謂文學の世界の方が向いて居たのである。

されどより正確には文學と云うよりも哲學的な人間でありよって其の辺にはなかなか居ないタイプでの御仁である。

 

 

尚其の「色」は自分に取りより「直接的」な體験であり認識として捉えられる。

即ち其れは「文」=「論理」以前での直接體験でありよりストレートな認識なのだ。

 

よって「色」は兎に角自分に取りさうしてまさに理屈を超えるものなのだ。

されど己はあくまで「論理的」な人間で従って其処にどんな「論」でもまたすぐに組立てて仕舞う。

 

要するにまさに其処は西洋的で且つ西洋哲學などにも向いた頭の持ち主なのであらう。

 

だけれどもまさに其の「色」が自分の感性をまた感情を揺さぶって止まぬ。

嗚呼其の色其のものが!

 

色が無数に重なり合いさうして日日わたくしに襲い來る!!

 

おいおい、其れはもう明らかに「異常」の域だらう。

其れももう🏥へ是非入るべき「異常」の域だ。

 

 

さうかなあ、全然さうではないと思いますよ。

まさにさうでは無く色は自分に取り「生きること」其のものなんです。

 

「生きること」其のものがズバリ其の「色」なのだ。

 

はあー、またややこしい御話でもって…。

そんなに色が好きなら其の「色」とでも心中するがエエ。

 

いえすでに心中して居ります。

其れも👩と心中するのでは無く「色」とこそ心中するのです。

 

ところでかの宮澤 賢治などは「風」と結婚したがって居たやうです。

ほう、「風」とな?

 

だが「風」とどうやって壱諸になるのだ、此のバカ!

 

ああああああ此の際「色」と是非結婚がしたい!!

 

 

だから精神科のある🏥へと今すぐに出向け。

そんな風では日常生活に支障を來たすので早う其の異常な感覚を治して來なされ。

 

はあ自分ながら全く疲れるばかりでの色に對する感度である。

 

尚わたくしは何せさうして色が好きなので兎に角美術のことが壱発で分かる。

ですが「伝統色としての中間色」などよりもよりハッキリしたつまりはどぎつい色の方が元來好きだった。

 

また酒なども日本酒などよりもウヰスキーやバーボンやブランデーの方がかって好きだったのである。

 

わたくしの「思考法」にせよむしろ弐項對立を徹底して推し進めるタイプであり其れは東洋的なものでは無くむしろ「近代型」での哲學的方法論であらう。

 

 

だが四年程前のある日「名古屋能樂堂」の展示室でもってとある美しい色の對比を観た。

其れは淡い靑色と淡い緑色の対比であり其処には「浅葱色」と「萌木色」に染められた布地がしかと納められて居たのである。

 

其れがどんなに上品な色の対比であったことか。

 

浅葱色(あさぎいろ)とは?:伝統色のいろは (irocore.com)

萌木色(もえぎいろ)とは?:伝統色のいろは (irocore.com)

 

其の「浅葱色」とはまさに微妙な空色のことであり「萌木色」とは微妙な所謂鶯色のことである。

まずは其のやうに此の色の対比には「微妙さ」がある。

 

「微妙さ」があるが故に感性が奥ゆかしくも豊かであり且つ穏やかだ。

しかしながら逆の視点より見詰めれば「曖昧」でありさらに他の色合いとゴチャゴチャになり易い。

 

要するに似たやうな色が調べればまた幾らでも出て來るのだった。

 

花浅葱(はなあさぎ)とは?:伝統色のいろは (irocore.com)

新橋色(しんばしいろ)とは?:伝統色のいろは (irocore.com)

 

事實此れ等の色合いは「浅葱色」とはまた微妙に違う。

 

萌黄色(もえぎいろ)とは?:伝統色のいろは (irocore.com)

 

此れなどは果たして「萌木色」とどう違うのだ?

 

つまり「微妙」過ぎて要するに色の認識が細か過ぎふと気付くと何が何やら訳が分からぬ。

だけれども其の「微妙」過ぎる中間色同士の対比から欧米諸國には無い「上質な精神性」の如きものがまた生まれて來る。

 

其の「上質な精神性」とは「感度の微妙さ」が生み出すところでの「繊細さ」へと通ずることである。

 

 

尤も欧米諸國に其の「繊細さ」が欠ける訳でもまた無いのである。

欧米諸國だらうがまた中華文明や朝鮮の文化文物にせよ「繊細さ」の認められるものには概して「上質な精神性」が認められやう。

 

されど🗾の文化文物に於いて其の「繊細さ」はどうやら際立って居る。

つまりはさうして至極「微妙」であり違いが「細かい」のだ。

 

其の癖「硬筆筆記具」やら「🚙」やら「🚃」やら「✈」やらまたウヰスキーやバーボンやブランデーなどは此処🗾に於いてついぞ生まれることは無かった。

 

うーむ、どうも「大きな違い」に日本人は元來生きて居らず要するに其の「細かな違い」の中を日本人はずっと生き抜いて來たのではなかったか。

またむしろ其の「細かな違い」の中にこそ「上質な精神性」を宿して來たのではなかったか。

 

問題は近代化即ち合理化することで「細かな違い」を其れごと忘れ去ることにありはしないか。

また「大きな違い」など元元我我日本人には見えやしないのである。

 

だから御腐乱酢へ行き「エッフェル観光姉さん」になる位のことしかまあアノ頭の惡い政党の議員にはそも出來ぬ話なのだ。

 

 

麻生太郎氏「戦う覚悟」発言、語る場所を間違えていないか (msn.com)

 

だから此の右翼副総裁の🐊が述べることはこんな兎に角おバカなことでせう?

まあ其の爺も引退はするさうですが例え此の🐊爺が引退するにせよ自由民主党が抱える本質的な「馬鹿」はまさか治りゃあせぬ。

 

其の「大きな違い」とは近代的な価値の枠組みの中でもって、

 

革命⇔革命以前の體制

自由の解放⇔抑圧的な共同體としての原理

 

とのイデオロギーに於ける「思想」のあり方とむしろ関連をなすものです。

 

より正確には此処🗾國の政治状況にはそんな弐項對立の様など元元想定すらされて居ないのである。

要するに「細かな違い」に終始拘泥しよって「思想」など持ちやうが無い。

 

でも日本共産党はまた最終的には「日本社會の革命」を目指すのでせう?

いえ今や日本共産党は戦後憲法を堅持し天皇制をもしかと護る保守政党の筈です。

 

さても日本人が其の「細かな違い」の中にこそ「上質な精神性」を築いて來れたのは矢張りと申すべきか「江戸時代」迄のことであった。

 

 

水性サインペン  さびあさぎ| 無印良品 (muji.com)

水性サインペン うぐいす色 | 無印良品 (muji.com)

 

出ました、ズバリ此れ等です。

かうした中間色のインクのサインペンは兎に角珍しいのだと思う。

 

筆touch サインペン | ぺんてる株式会社 (pentel.co.jp)

 

ちなみに定番のぺんてるのサインペンに「筆touch」なるものがありこちらはよりカラーバリエーションが豊富です。

 

萌葱色(もえぎいろ)とは?:伝統色のいろは (irocore.com)

 

さて「萌葱色」となるとまた別の深緑系の色となる。

 

いずれにせよ日本人の感性に於ける「繊細さ」をどう「上質な精神性」と結び付けて行くかとのことです。

正直其れは等質化された近代文明としての日本的な価値観によるものでは無く矢張りと申しますか「微妙な違い」を感ずることの出來る古典的且つ伝統的な要素の中でこそ醸成されやうものだ。

 

ではあるにせよ「繊細さ」や「細かさ」の部分をいまだ日本人の感性は保ち続けて居ることでせう。

其のことを忘れずに其れこそ「政治闘争」や「滅亡幻想」に踊らされること無くそんなサインペンの微妙な色合いの違いに就き論じて居る方が余程に建設的であり其れこそがまさに創造的な場としてのことではないか。

 

 

実は革命の年だった! プロが選ぶ「このボールペンがスゴ過ぎた2020」 - 価格.comマガジン (kakakumag.com)

 

こちらでの文房具ライターの方の記事によると筆記具が出す色合いが明らかに多様化し多色化して來て居るやうです。

自分もまた以前に元元画材屋のサクラクレパスのペンの色の拘り方に就き書いたことがありますがまた意外と其の筆記具が出す色への拘りなどはどうでも宜しいことなのです。

 

例えば自分は20年程前迄はインクを百種類位買い揃え使う🖋により其れ其れ使うインクを換えて居ましたが今や🖋で使うインクはパイロットのブラックの壱色です。

まあ其の辺の域ともなりますと百花繚乱での色の祭典からイキナリ利休の詫び寂びだのまた雪舟だのさらに等伯の松林図の如き水墨画の世界へと進んで行く訳ででも要するに自分はそんな世俗としてのカラーインク趣味の世界をとうに離れ兎に角パイロットのブラックの壱色だけだ。

 

さうしたところ實はインク代がかからぬやうになり物凄く気分的に樂になりました。

 

色んな色合い⇔黑のみ

 

まあ基本的にはそんな気難しい壱文人であることこそが自分の正體でありつまるところ「普通とは逆」のことを兎に角やりたがります。

でもって以上でもって自分は色が大好きで微妙な色の違いを大事にし最終的には其れを「上質なる精神性」と向き合わせたい旨に就き述べましたが實は最も「上質な精神性」とはむしろ「色」などは無いことです。

 

色⇔無色

 

其の無色には白や黑や透明などが例えば入るのだと思う。

 

「色」など無い=「色気」無し

 

確かに今の自分にもまるで「色気」などは無い。

 

以上でもって、

 

色有り⇔色無し

 

との対比の部分を論じたつもりです。

また最終的に日本人が得意なのは其のやうな根本での思想的哲學的な對立関係を論ずること無く常に其れを有耶無耶にして居る部分なのだらう。

 

ですが元來日本文化にはさうしてハッキリと弐元對立的な精神構造が存して居る。

自分にはかってさうは思えなかったが此処🗾國はむしろ古來より精神的価値に於ける分裂國家であり分裂民族だったのです。

 

但し常に其れを「本音」と「建て前」とに分け其の對立関係を決して表沙汰にはしないと云う訳なのだらう。

 

ところで果たして君は「色」が好きなのですか、其れとも本質的には其れが好きではないのか?

いやわたくしは其の両方が共に好きです。

 

其の色有りと色無しでの双方が。

故に日本の伝統色のことを面白く思うのだし同時に水墨画のやうなものにも惹かれて居ります。

 

では詩人が色で壱番好きなのは何か?

 

其れは緑色ですが緑色は怪物の體の色だったり所謂キチ外が好きな色だったりでまさにロクなことが無い。

ですが自然界はむしろ緑壱色です。

 

ところで汝はたった今スーパーグリーンですか?

…常にそんなスーパーグリーンだよ。

 

例えば米國からグリーンの🖋ばかりをとあるショップにて買って居たところ「GREEN!」などと書かれたカードが添えられて居たことなどがかってありましたものです。

 

 

また青色も兎に角好きですが靑もまた兎に角幅の広い色であり兎に角色んな色合いがある。

ですが「浅葱色」のことを知って以降はむしろ其れが壱番好きである。

 

其れも若い頃は「濃い目の靑」が好きだったが次第に空色系の中間色もまた好むやうになったとのことである。

 

金青(こんじょう)とは?:伝統色のいろは (irocore.com)

 

其の「藍銅鉱」とは實際には青紫色の強い石です。

また「ラピス・ラズリ」などはいま少し靑くなる感じでせう。瑠璃色(るりいろ)とは?:伝統色のいろは (irocore.com)

 

さて此処のところ自分が嵌まって居たのは「靑いアパタイト」であり今も机上に其の標本があるが独特に靑く要するにむしろ気持ち惡い程に其れは靑い。

其の「靑いアパタイト」に就いてはまた語らせて頂きますが壱言で評せば其れは印度産の靑い肌をした神や明王などの體の色合いをこそ示して居る。

 

 

古代の色関連の一覧:伝統色のいろは (irocore.com)

 

かうして「古代」の色とされるものはいずれも現代の目から見て面白い色合いのものが多い。

「古代」とはもはや決して返り得ぬ時代のことでありむしろ我我現代人に取っての未知の世界其のものです。

 

そんな「古代」の色合いのインクに近いものがすでに世には多く出されて居ることだらう。

尤もあくまで其れに興味は無いのですが。

 

セピア(Sepia)の色見本・カラーコード | 色彩図鑑(日本の色と世界の色一覧) (i-iro.com)

 

ところでペン用のインクでの西洋の古代色が此のセピアであり30年程前自分は此のインクを求め奔走して居た覚えがある。

其れは以前パイロットの瓶インキにあった色で其れを入手してからは暫くの間其ればかりを使ったが其の後はまるで使わなくなった物です。

 

其れがまさにコレだった。ー左側の物ー

 

 

パイロットの瓶入りセピアインク

 

パイロットの旧いセピアインク その5. ボトル編。: 箱から文具をひとつかみ (cocolog-nifty.com)

 

より古いパイロットの瓶インキのセピアがこちらである。

 

尚西洋の所謂セピアインクは元來イカ墨を用いたものであり生物由来のインクであり要するに付けペンの状態で其れを使用したものとなる。

尤も昭和の頃のパイロットの瓶インキのセピアは其の色合いだけを眞似た物であったことだらう。

 

其のセピアインクは所謂「古色蒼然」とした筆跡の上での趣を醸し出すインク色なので壱部の筆記具愛好家には元元人気のある色合いでした。

 

最後についでに現在の🖋用のインクの氾濫振りを是非批判して置きたい。

そもそんなに澤山色など出してどうするのか?

 

そもそも何を考えて高い🖋や高いインクばかりをメーカー側は消費者に売りつけたがるのだ?

要するに「付加価値」なるものを付け価格を弐倍、参倍に引き上げちょろい愛好家共を騙しつつ其れを売り捌いて居るのです。

 

そんなもんはまさに詐欺だぞ、いや筆記具メーカーによる搾取だ、其の搾取!

 

 

嗚呼如何にも懐かしい其のセピアインキの色合い。

セピアインキに関しては他にも壱つの物語があるのですが今日はもう此の辺りでもって消え去ります。

 

でないと折角の高尚なる色の御話の後味が台無しとなる。

 

ですが實は赤い色や黄色い色などもまた大好きなのでして…。

此の色キチ外めが!

 

確かにさうだ。

其れも世間で云う色キチ外の意味とはまた異なる意味で確かにオイラは色キチ外なのだ。

 

まさに此の色キチ外としての様こそが我が業病なんだらう。